もどる

    かけはし2019年1月1日号

グローバルサウスの先住民・農民・女性による
持続可能な新たな社会めざす国際的模索共に


資本主義による環境破壊に抗し

エコ社会主義オルタナティブ
に向けた討論と具体的闘いを

大森 敏三

 温室効果ガス排出による地球システムの危機は、いまや人間文明の存続にかかわる問題をはらみながら、世界中で「異常気象の日常化」ともいうべき現象を激発させている。この地球システムの危機をもたらした根本的要因は、利潤追求を唯一の原理とする資本主義生産システムにある。したがって、気候変動に対する闘いにおいても、資本主義に対するオルタナティブとしてどのような社会を展望するのか、そこに至る道筋をいかに考えるのかが大きな課題となっている。それに応えようとする形で、第四インターナショナルは昨年の一七回世界大会において、決議「資本主義の環境破壊とエコ社会主義オルタナティブ」を採択した。ここでは、この決議の内容、大会での議論などを紹介しながら、エコ社会主義についての討論を深化し、エコ社会主義に向けた具体的闘いにとりくむことを提起したい。

世界中で「異常気象の日常化」


 いま世界は、「異常気象の日常化」ともいうべき事態を迎えている。日本では、一月から二月にかけての厳しい寒波に始まり、夏には記録的な猛暑・豪雨、そして巨大台風二一号の上陸と立て続けに異常気象に見舞われた。七月に西日本を襲った豪雨は二二〇人を超える犠牲者を出し、台風二一号は数十年ぶりの強い勢力を保ったまま西日本に上陸して、一四人の死者を出すとともに、二二五万戸を超える停電をもたらした。こうした異常気象の背景には、地球温暖化に伴う気温の上昇、日本周辺での海水温上昇による水蒸気量の増加があることは気象庁も認めている(注1)。
 世界的に見ても、北半球が記録的な高温となり、北極圏でも三〇℃を超えるかつてない高温を記録した。そして、各国で高温・乾燥による山火事が多発している。一一月八日早朝に発生したカリフォルニア州の山火事「キャンプ・ファイア」は、二六日の鎮火までに六万ヘクタール以上の森林、約一万四〇〇〇軒の家、約五〇〇〇の商業施設や建物を焼き尽くした。少なくとも八五人の死者と二五〇人以上の行方不明者(一一月二六日現在)を出し、カリフォルニア州として最悪の被害となった。こうした異常気象は地球温暖化による気候変動の一部であり、まさに地球のエコシステム(生態系)自体に亀裂が生じていると言わなければならない。
(注1)気象庁報道発表「『平成30年7月豪雨』及び7月中旬以降の記録的な高温の特徴と要因について」(二〇一八年八月一〇日)

IPCC特別報告書による警告


 二〇一四年に発表されたIPCC(国連の気候変動に関する政府間パネル)第五次評価報告書は、「気候変動を放置すれば、人間と生態系に対する深刻で広範かつ取り返しのつかない影響が及ぶ可能性が高まる」と指摘していた。COP21におけるパリ協定の合意は、その危惧に対する一つの回答ではあったが、決定的に不十分なものであった。合意の際に提出された各国の二酸化炭素(CO2)排出量削減目標は、それが完全に守られたとしても、二・七℃〜三・七℃の気温上昇をもたらすと予測されるからである。(注2)
 COP24を前に公表されたIPCCの特別報告書は、すでに世界の気温は産業革命前に比べて約一℃上昇しており、現状の排出ペースが続けば、早ければ二〇三〇年にも一・五℃上昇すると警告し、それによって豪雨や洪水、干ばつなどの異常気象のリスクが高まると警告している。さらに、気温が二℃上昇した場合に比べ、一・五℃程度に上昇を抑えることができた場合は、極度の干ばつや森林火災などを含めた異常気象や食糧不足、熱波に起因する病気や死亡リスク、生物多様性や生態系の喪失といったリスクをある程度抑制することができることを示した。そして、パリ協定で目標とされた一・五℃の気温上昇にとどめるには、世界のCO2排出量を二〇三〇年までに四五%削減(二〇一〇年比)し、二〇五〇年ごろまでに実質ゼロにする必要があると強調した。(注3)
 しかしながら、そのことを実現するためには、ほとんどすべての化石燃料を地中に留めておかなければならない。ATTACドイツは、COP23の際のアピールで「気温上昇を一・五℃以内に抑えるには、埋蔵されている石油の三分の二、天然ガスの半分、石炭の八〇%を地中に残したままにしなければならず、自動車や輸送機関、工業的な食料生産を劇的に減らす必要がある」と訴えていた。
 しかし、資本主義生産システムと資本家政府のもとでこのことは可能なのだろうか? 答えは、明らかに「否」である。まさにここにこそ、資本主義に代わるオルタナティブとしてのエコ社会主義の意味が存在していると言える。
(注2)原稿締切の関係で、COP24にかかわる問題については言及することができなかった。別の機会に譲りたい。
(注3)環境省「1・5℃特別報告書 政策決定者向け要約(SPM)の概要」(二〇一八年一〇月七日)

「国際エコ社会主義者宣言」

 それでは、エコ社会主義とはどういう考え方なのか? そして、どのように発想され、発展してきたのか? これを明らかにする上で絶好のテキストがある。それは二〇〇一年九月、ミシェル・レヴィーとジョエル・コヴェルが連名で発した「国際エコ社会主義者宣言」である。ミシェル・レヴィーは、第四インター一五回世界大会決議「社会主義とエコロジー」の起草者でもある。少し長くなるが、この宣言の序文を引用してみよう。
「……私たちはグラムシのパラドクスに長らく苦しめられてきた。旧秩序(これが文明化をもたらしたのだが)が死に絶えつつある時代にあって、なお新しい秩序が誕生しうるとは思えない時代に生きているというパラドクスである。……私たちを苦しめているもっとも深刻な影は、…資本の世界秩序にとって代わりうるオルタナティブがないという諦めが内面化されているということである」。
「……しかしこの宣言は一八四八年の宣言(『共産党宣言』のこと)のような大胆さには欠けている。というのもエコ社会主義はいまだ妖怪にはなっておらず、いかなる具体的な集団や運動としても根付いていないからである。エコ社会主義の宣言は、現在の危機とこの危機を克服するのに必要な諸条件についての判断に基づいた解釈にすぎない」。
「私たちは全知全能の神であると主張するわけではない。私たちの目標は、対話、論争、修正を呼びかけつつ、最終的には、いかにしてこのエコ社会主義という概念がさらに実現可能なものになりうるのかという点にある。数え切れない抵抗がグローバル資本の混沌のいたるところ自然発生的に生まれている。多くは、その名実からいってエコ社会主義を内包させている。いかにしてこれらを結集できるだろうか? 私たちは『エコ社会主義者インターナショナル』を展望しうるか? この妖怪は現実のものとなりうるだろうか?」(日本語訳は季刊『ピープルズプラン』41号、小倉利丸訳「エコ社会主義者宣言」による。以下の引用も同じ)

なぜエコ社会主義なのか、そしてエコ社会主義とは何か


そして、「国際エコ社会主義者宣言」の本文では、現在の資本主義的なシステムがエコロジー危機を解決することはできないため、「もし生きるにふさわしい将来があるとすれば、根本的な変化、いや、このシステムを別のシステムに取り替えることが必要なのである」として、取り換えるべきシステムとして「社会主義」をあげ、次のように述べている。
「しかし、なぜ社会主義なのか。なぜ二〇世紀のもろもろの社会主義観の失敗によって歴史のゴミの山となったように思えるこの言葉を復活させるのか。その唯一の理由は、打ちのめされ実現されなかったとはいえ、社会主義の概念はそれでもなお資本にとってかわりうるものだからである。……ポスト資本主義社会への突破口を示しているのはこの社会主義という概念だからである。もし、資本が根本的に持続可能ではなく、……野蛮へと崩壊するのであれば、資本がもたらしてきたもろもろの危機を克服可能な『社会主義』の建設が必要だと、私たちは言っているのである。もし社会主義がかつてそうすることに失敗したとすれば、その失敗の克服は私たちの義務なのである。もし、私たちが野蛮への結末に甘んじないという選択をするのであれば、社会主義を選択するということなのである。……社会主義についてもまた、その名前やリアリティはこの時代にふさわしいものに変化しなければならない」。
「この時代にふさわしいものに変化」した社会主義こそがエコ社会主義なのだが、その理念について、ミシェル・レヴィーらは、エコ社会主義は「最初の時代の社会主義の解放的な諸目標を保持し、薄められた改良主義的な社会民主主義の諸目標も社会主義の官僚主義的な変種による生産力主義的な構造のどちらも拒否する」と述べた。さらにエコ社会主義は「エコロジーの枠組みにおける社会主義的な生産の道筋と目標の両方を再定義すべきであることを強調する」「特に社会の持続可能性にとって必須である『成長の諸限界』を尊重しなければならない」として、エコ社会主義の目標を「ニーズの転換であり、質的な次元での根本的な転換であり、量的なものの考え方に背を向けること」に設定した。
こうした観点は、これ以降の第四インターにおけるエコ社会主義をめぐる討論の方向性を示したものであり、一七回大会の決議もその延長線上にあると言っていい。

一七回世界大会における
エコ社会主義決議

 二〇一八年に開かれた第四インター一七回世界大会は、決議「資本主義による環境破壊とエコ社会主義オルタナティブ」を採択した。第四インターとして、エコロジーと社会主義に関する決議を採択したのはこれで三大会連続となる。それだけ第四インターがこの領域を重視している現れと言える。
今回の大会で採択された決議の内容をまとめると、以下のようになろう。
「地球システムの危機は、最大限、人間という種の崩壊を招く危険性があるが、それを回避することは可能だし、少なくとも限定・抑制することができる。脅威の決定的要因は、一般的な人間の存在ではなく、資本主義システムである。したがって、根本的なエコ社会主義的オルタナティブが緊急に必要である。資本主義の全面的・世界的な廃絶は、人間と自然との間の物質交換を合理的・経済的に管理するための必要条件である。エコ社会主義は、国のレベルで始めることはできるが、世界的規模でのみ達成可能である」。
「オルタナティブの緊急性と運動の力量との間には巨大なギャップがあり、それを埋めるためには過渡的要求を提起しなければならないが、これらは統合され、計画的に適用されなければならない。その中でも、労働時間の劇的な削減は、人間の尊厳を尊重しながら、自然との物質交換を合理的な方法で管理する最善の方法である」。
「エコロジー的移行には、少なくとも過半数の人々による『変化は避けられないし、生活条件の大きな改善と両立できると確信できる』『物質的なものよりも、時間・生産物に対するコントロールや疎外されない労働を重要視する』という根本的な意識転換が必要である」。
「エコ社会主義が実現されるまで、進行中の破局に対する具体的な対応を権力者に強制させるような、具体的で緊急の改革を求める闘いも必要である」(決議の全文は、『反資本主義の共同から21世紀の社会主義へ 第四インターナショナル第17回世界大会決議集』参照のこと)。

アランによる対案


今回の世界大会に向けては、この決議のほかに、イギリス支部のアラン・デービスによる対案「文明の警鐘とあるエコ社会主義者の反応」が準備された。この対案は、決議と多くの点で共通した認識を持ちながらも、前提として以下の点をより強調した。
「エコ社会主義に向けた闘いに残された時間は、今後数十年間しかない。資本主義システムは、環境の面でもっとも破壊的システムである」。
「環境問題の多くの先駆者が社会主義にルーツを持ち、グローバル・サウスにおける農民・先住民の運動がエコ社会主義を指向していたにもかかわらず、急進左翼や自称マルクス主義者は、環境破壊の問題では二一世紀に入るまで傍観者にとどまっていた。エコ社会主義とは、古典的マルクス主義自身の持つエコロジー的考え方をここ数十年で再構築することで生まれた概念である」。
その上で、以下の五点について、決議案と対置する観点を提出した。
@資本主義は、地球に対する唯一の環境的挑戦ではない。現代人類も同様に主要な破壊的役割を果たしてきたし、果たし続けている。
A人口増加の問題を無視できない。人口を安定させる鍵は、女性が自らの身体をコントロールする力を獲得することであり、強制的な人口調節のいかなるすべての形態をも拒否することである。それは、女性に対して選択の権利を否定する宗教・家父長制・共同社会的圧力の影響に挑戦することを意味する。
B食料生産に関して提起される問題は、地球の生物圏を破壊し、新鮮な水の供給を枯渇させることなしに、そして化学肥料・除草剤・ホルモン・抗生物質・単一栽培技術のさらなる使用をともなう集約農業のさらなる拡大なしに、増加する人口に食料を供給できるかどうかである。
C今後数十年間で世界的なエコ社会主義革命が実現される展望がほとんどない中で、将来のエコ社会主義社会のために、地球環境を守ろうとするならば、資本主義に対して真剣な変化を強制すべきである。パリ協定の完全な履行を要求することはその闘いの一つである。
Dわれわれが利用可能な今後二〜三〇年間で、炭素排出量を大幅に減らすことができる出口戦略が緊急に必要である。こうするためのもっとも効果的な方法は、化石燃料を社会的に公正で、経済的に再分配され、広範な大衆的支持を集めることのできるやり方でより高価にすることである。

一七回世界大会でのエコ社会主義をめぐる議論


大会における議論では、アランの提起した観点のうち、主に@とAについて、「人間社会が気候変動を作り出しているのであり、人間個人ではない。資本主義社会の論理によって気候危機が生み出されている。人間の存在が気候危機を作り出しているとしたら、それは人間の原罪だろうが、そうではない」「女性は、自己の生殖能力をコントロールするための権利獲得の闘いの歴史を持っている。人口問題の解決と女性の生殖能力コントロールの権利獲得とを結びつけるのは誤っている」などの批判が出された。
グローバル・サウスの支部からは、決議案の内容に沿って農民や先住民の闘いが果たす役割を強調する発言が続いた。とりわけ、フィリピン支部からは、自らの具体的な闘いに基づいて「ミンダナオでは、戒厳令が出される困難な状況の中で、エコ社会主義・エコフェミニズムに基づくモデル・コミュニティを創出しようとしている、それが革命的共産主義への道を開く」との発言があった。
アランの対案の一部は最終的な決議案に取り込まれ、イギリス支部からの修正案のうちいくつかは趣旨受け入れとなった。しかし、「人口数の安定に向けたわれわれのアプローチは、女性が自身の生殖能力と自身の生命をコントロールできるようにすることでなければならない。それゆえわれわれは、あらゆる形態の人口管理に反対する一方で、すべての女性に出産サービスを保障するというフェミニスト的な基本的要求を支持すべきである。とりわけグローバル・サウスの女性たちを貧困から脱却させ、教育・雇用・医療へのアクセスを与えることを要求する」という修正案は否決された。
大会議論を通じて、各国支部が気候変動に対する闘いに積極的に関与し、それに基づいた議論を展開していること、とりわけグローバル・サウスの支部は、決議にも述べられているように、具体的実践を通じてエコ社会主義のイメージを獲得しようとしていることが明らかとなった。この大会での議論を、今後の日本におけるエコ社会主義をめぐる議論の中に活かしていく必要がある。

マルクスにおけるエコロジー理解

 エコロジー運動やその政治的な表現としての「緑」の多くは、マルクス主義(ないしはマルクス、エンゲルス)が生産力主義にとらわれ、エコロジー的観点を持たない(あるいは敵対している)と主張してきた。それは、「現存する社会主義」諸国において、帝国主義諸国に勝るとも劣らない環境破壊が進行していたことが明らかになるとともに、一定の説得力を持つようになった。
しかしながら、もう一方で、マルクスの資本主義批判の中には、重要なエコロジー的観点が含まれていたこと、さらに言えばエコロジー的観点が資本主義批判の中心に据えられていたことを示す研究成果も、とりわけ二一世紀に入って明らかにされてきた。その代表的論客であるジョン・ベラミー・フォスター(「マンスリー・レビュー」誌編集委員)は、マルクスがエコロジー(生態系)を「人間と自然との間における物質代謝」として理解し、さらにエコロジー危機について、資本主義生産システムの下での「物質代謝の撹乱・亀裂」として理解していたことを明らかにした。そして、来たるべき社会主義社会においては、「結合された生産者による人間と自然との間における物質代謝の合理的管理」が必要であるとマルクスが考えていたことを示した。
こうした研究成果は、第四インター世界大会における諸決議や報告にも反映されており、そのいずれにおいても、旧ソ連を筆頭とする「現存社会主義」諸国が生産力主義に基づいて、中央集権的計画経済システムを作り上げようとしたこと、その基礎となる(あるいはシステムを反映した)公式イデオロギー=スターリニズムが、生産力主義的傾向を強く持っていたこと、トロツキズムを含む左翼もその呪縛から逃れられなかったことを指摘している。
第四インターにおけるマルクスのエコロジー理解に関した見解は必ずしも統一されているわけではないが、エコロジー運動からのマルクス(マルクス主義)=生産力主義という批判に対して、どのようにマルクス主義、エコ社会主義を防衛し、発展させるのか、という意味で、この問題へのわれわれの理解は深められる必要がある。

「気候を変えるのではなく、システムを変えよう」が意味するもの

 現在、クライメート・ジャスティス運動の最前線では、”System Change, Not Climate Change”(気候を変えるのではなく、システムを変えよう)というスローガンが掲げられている。二〇〇九年のCOP15(コペンハーゲンで開催)に対する対抗アクションで初めて大衆的に用いられたこのスローガンは、気候変動の構造的要因が現在の資本主義システムにあることを指摘するとともに、システムを変えることなしには気候変動を食い止めることはできないという主張を表現したものであった。二〇一七年のCOP23(ボンで開催)対抗アクションでも、ATTACドイツはこのスローガンを前面に掲げて行進していた。そして、クライメート・ジャスティス運動と原発反対運動との結合が始まりつつある。
二〇〇一年から始まった世界社会フォーラム(WSF)のスローガンは、”Another World Is Possible!”(もう一つの社会は可能だ)であった。現在の新自由主義的グローバリゼーションに対する異議申し立てという意味で、この「もう一つの社会は可能だ」は大きな意味を持っていたし、グローバル・ジャスティス運動を一時期牽引するものだった。しかしながら、ラテンアメリカにおける左派的・進歩的政権の行き詰まりと転換、崩壊を経て、いまや「気候を変えるのではなく、システムを変えよう」と呼びかけるクライメート・ジャスティス運動が、反資本主義的闘いの前面に押し出されている状況が生まれている。その牽引者は、グローバル・サウスの先住民、農民、女性の闘いである。一七回大会決議でも、この点は特に強調されていた。つまり、エコ社会主義に向けた具体的な闘いは、すでにグローバル・サウスの先住民、農民、女性の闘いの中に萌芽的に実現されていることに注目しなければならない。
しかしながら、一方において、全体としてのクライメート・ジャスティス運動、グローバル・ジャスティス運動が、資本主義システムのもとでのエコロジー防衛という展望から決定的に決別し、エコ社会主義オルタナティブのもとに獲得されているとは残念ながら言えないことも事実であろう。また、労働組合運動においては、なおさらそうである。そうであるがゆえに、エコ社会主義をめぐる討論を深化させる必要性があるのだ。

エコ社会主義をめぐる討論の深化のために

 先述したように、エコ社会主義をめぐる討論を深化させる前提として、現にエコ社会主義的指向を内包した具体的闘いがグローバル・サウスを中心に、先住民・農民・女性らを担い手として闘われている事実がある。その上で、先住民の伝統的な「地球との共生」の考え方(その代表的なものとして、ボリビアの先住民による「ビビール・ビエン(良く生きる)」がある)に注目する必要がある。
今日から振り返って見ると、自覚されていたかどうかは別にして、われわれとエコロジー運動との出会いは、まさに三里塚闘争を通じてであったと言わなければならない。農地を破壊して国際空港を建設するという巨大開発それ自身がきわめて環境破壊的であったし、空港反対運動の中では青年行動隊を中心に、環境問題へのとりくみや有機農業の追求が具体的に進められていたからである。
われわれの中においても、エコ社会主義をめぐって、故右島同志によって三〇年以上前に「原子力と社会主義」(『第四インターナショナル』五二号、一九八五年)が書かれていた。この論文は、当時のわれわれ内部にあった「原子力エネルギー」に対する幻想、誤った評価に対して、原子力が過去・現在・未来にわたって有害なものであり、実現された社会主義社会においても全く不必要であることを強調した論文であったが、この中には「エコ社会主義」に接近する先駆的な政治的構想、エネルギー政策、未来へのヴィジョンが展開されていた。さらに、一九九〇年に書かれた、より気候変動に焦点を当てた論文「地球規模の環境破壊と『新しい労働運動』の進路」では、地球を破局から救う闘いの最前線に、いわゆる第三世界の先住民・農民・女性が立っていること、問われているのは資本主義システム廃絶に向けた帝国主義諸国人民の闘いであることが提起されていた。
しかし、これらの先駆的な提起があったにもかかわらず、あるいはグローバル・ジャスティス運動や脱原発運動などにかかわることを通じて、具体的な運動の中で、地球温暖化と気候変動、原発による環境破壊についての運動的蓄積や国際的な交流・連帯活動を重ねてきたにもかかわらず、われわれはその内容を深化するための討論を提起することができてこなかった。
その点の反省を含めて、われわれの中での討論だけでなく、広く日本の社会運動、エコロジー運動、労働組合運動などに向けて、エコ社会主義的展望について提起する必要があると考える。そのためには、「かけはし」のサイトにエコ社会主義に関する基本的文献や諸決議、論評などを掲載していくとともに、(とりわけ日本における)エコ社会主義に向けた過渡的要求、行動綱領の作成に向けた討論を始めることが必要であろう。

コラム

変態

 変態といっても例のあの「変態」のことではない。完全変態・不完全変態・不変態という言葉を耳にしてピンとくる人は、昆虫に深く興味を持ってきた人に違いない。私も小学生の低学年のころは外出するときにはいつもポケット昆虫図鑑を持ち歩いていた。学校の先生がそんな私のことをおもしろがって地元の新聞記者に話したものだから、自宅で取材を受けて「昆虫少年」としてH新聞の地方版に写真入りで載ったこともあった。
 私が一人親として娘と二人で職場近くのアパートに引越したところは二階で、南側には日当たりのよいベランダがあった。そのベランダには前の所から持ち込んだ四〇センチほどに伸びたミカンの木の鉢二つと、同程度のビワの鉢も置かれることになった。それらは私が食べて「うまい」と思った種を鉢に植えて、自然に発芽して成長したものだった。そしてこのミカンの木の葉の裏側には、毎年のようにクロアゲハの卵が四〜五粒ほど産み付けられることになった。
 ふ化したての幼虫は濃い灰色に白い模様が混ざった「鳥の糞」のような擬態で、若葉をモリモリと食べて一週間ほどで小さな青虫となる。そして成長し続ける四匹の幼虫によって、小さなミカンの木の葉は食べつくされてしまうのである。もうあと一週間もすれば、さなぎになりそうなまでに大きくなった幼虫たちは、葉の無くなった枝先で首振りをしながら私に「メシ」を要求するのである。そんな時は線路わきのミカンの木の枝を何本か取ってきて、それを水差しに入れて葉の無くなったミカンの木にくくり付けるのである。
 こうして暖かく成長を見守ってやったのにもかかわらず、青虫たちはある日突然一斉に姿をくらますのである。「集団食い逃げ」にでもあったような心境になるのだが、さなぎになるのだから致し方ない。年によってはベランダにある小さな物置と壁の隙間でさなぎになっていることもある。そしてそれから二週間ほどで羽化して大きなクロアゲハとなって飛び立ってゆく。このように青虫や芋虫のような形態で幼虫として成長し、さなぎの時期を経てから、幼虫とはまったく形態の異なる羽のある成虫になることを「完全変態」という。
 そのベランダではもうひとつの産卵があった。ある秋の日、カマキリがビワの木の葉の上でゴソゴソと動いているのが目に入った。夕方になりベランダに出てみると、クリーム色の壁にそのカマキリが産卵しているのであった。壁にへばりついた泡の中に卵を産み付けているのだ。生み終わった親虫はピクリとも動かないまま、たまごのすぐそばに居続けている。そして親虫は二〜三週間ほどで茶色い小枝のようになってしまった。
 そして翌年の春、ベランダの網戸に小さなカマキリの子供たちがへばり付いた。体長は五ミリにも満たないのだが、体形は立派なカマキリだ。このように幼虫(若虫)が成虫とほとんど同形でふ化し、それから何度かの脱皮をして羽と生殖器を完成させ、さなぎにならずに成虫になることを「不完全変態」というのである。また昆虫のなかには羽が完全に退化したものもいて、ふ化した幼虫がほとんど形態変化することなく成虫になるものもいる。これを「不変態」という。
 いま住んでいるアパートは同じ二階で一一年目になるが、やって来る虫はゴキブリと蚊ばかりである。ピョンピョンと跳ねるハエトリグモは、「小バエ対策」として部屋の中で放し飼いにしている。よく働いているようだ。
(星)



もどる

Back