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    かけはし2019年2月11日号

「北方領土」返還交渉に異議あり


25回目の安倍・プーチン会談

「日本固有の領土」論は誤りだ

先住民族の権利のための闘いを

安倍政権の執着

 一月二二日、モスクワで安倍首相とロシアのプーチン大統領の首脳会談が行われた。会談の中心テーマは、言うまでもなく日ロ平和条約を結んで安倍にとっての「悲願」である「北方領土」返還への道筋をつけることである。安倍首相にとって、「北方領土」返還は内政面での改憲とともに、外交面で歴史に自らの名を残すために、執着し続けてきた課題だった。
ここで改めて、第二次大戦後の「北方領土」問題をめぐる推移について、簡単におさらいしてみよう。

戦後の交渉経過


日本が「ポツダム宣言」を受け入れ連合国に無条件降伏する直前に、千島列島に軍を進めて占領したスターリンのソ連は、第二次大戦の結果として四島(クナシリ、エトロフ、ハボマイ、シコタン)を合法的に領土に編入したと主張してきた。現在もプーチン政権のラブロフ外相は一月の発言の中で、その立場を崩していない。
一九五一年のサンフランシスコ平和条約は、日本が千島列島と南樺太(サハリン)へのすべての権利を「放棄」することをうたっていた。一九五六年一〇月、鳩山一郎内閣の下での日ソ国交回復では、「平和条約締結後」にハボマイ、シコタン二島の返還に応じることが確認された。しかし日本政府は、ハボマイ、シコタンに加えてクナシリ、エトロフをふくむ「四島返還」をうたい、米ソ冷戦の下で、「北方諸島」問題は、「ソ連の脅威」をあおりたて日米安保体制を正当化するための材料となった。
ソ連邦の崩壊=「米ソ冷戦」の終焉といううねりの中で、その状況に大きな変化の可能性が生み出された。ソ連崩壊直前の一九九一年四月に来日したゴルバチョフは、海部首相との日ソ首脳会談で「北方四島」問題が日ソ平和条約の締結によって解決されるべき、という原則を再確認した。
一九九一年一二月、ソ連邦は解体した。一九九三年一〇月に来日したロシア大統領エリツィンは当時の細川護熙首相との間で「東京宣言」を発表し、クナシリ、エトロフ、ハボマイ、シコタンの四島の名前を明記した上で「帰属」の問題を解決する、という「東京宣言」を発表した。
一九九七年一一月には橋本龍太郎首相とエリツィン大統領とのクラスノヤルスク会談が行われ、翌九八年には両者の間で「川奈合意」が発表された。この「川奈合意」が「日ロが最も近づいた時」とされている。日ロの首脳会談は、その後も二〇〇一年三月に行われた森喜朗首相とプーチン・ロシア大統領とのイルクーツク声明、二〇〇三年一月の小泉・プーチン会談、二〇一三年四月の安倍・プーチンの日ロパートナーシップ共同声明と続いた。

「新しいアプローチ」


二〇一六年以後、安倍首相とプーチンとの首脳会談が、より頻繁に行われるようになった。二〇一六年五月には黒海沿岸の保養地ソチで、安倍・プーチン会談が行われ「新しいアプローチ」で領土交渉を進める、とうたわれた。同年九月にはロシア極東のウラジオストックで安倍・プーチン会談が行われた。また一一月にはAPEC首脳会議が行われたペルーのリマでも、二人が一時間以上にわたって会談し、一カ月後のプーチン来日に引き継がれた。
二〇一六年のプーチン来日では安倍首相の地元・山口県長門市と東京で首脳会談が行われ、南千島旧島民の「故郷への自由訪問」、「四島(クナシリ、エトロフ、ハボマイ、シコタン)における共同経済活動」、元島民の自由墓参、平和条約締結と北方諸島の「未来像」などが語られたという。
さらにその後も安倍首相とプーチン大統領は二〇一七年四月にモスクワ、同七月にはハンブルク、九月にはウラジオストク、一一月にはベトナムのダナン、二〇一八年には五月にモスクワ、一一月にはシンガポール、一二月にはアルゼンチンのブエノスアイレスと、世界のどの首脳とよりもはるかに多い頻度で、会談を積み重ねてきた。年に何度も、あらゆる機会をとらえた繰り返しの会談は異常と言えるほどだ。安倍にとって「北方領土」問題で「手柄」を立てることで「歴史に名を残す」ことが、いかに重要な意味を持っているかがわかる。今回のモスクワ会談を含めて安倍・プーチン会談は三カ月連続、なんと通算で二五回に達するのだ。

「領土」に賭ける安倍


繰り返される安倍・プーチン会談は、安倍にとって「北方領土返還」が「九条改憲」と並ぶ「戦後の総決算」のシンボリックなテーマであることを示すものだった。それでは一月のモスクワ会談はどうだったのだろうか。
一月のモスクワ会談に先立って、元在ロシア日本大使館三等書記官でロシア事情に通じているとされる作家の佐藤優は産経新聞の昨年一二月一六日付紙面「世界裏舞台」で、一二月のブエノスアイレスでのプーチン・安倍会談に関するプーチンの記者会見での発言を紹介しながら、「交渉の追加的メカニズム創設の必要性」というプーチンの言葉が「新しい裏チャンネル」を作るということを意味しており、「河野太郎外相が、国会の質疑や記者会見で北方領土交渉について口を閉ざしていることも、交渉がもっとも重要な段階に至っているからだと筆者は見ている。河野外相も北方領土問題の解決に向けて政治生命を賭していることが筆者には伝わってくる」と書いている。
記者会見における、記者からの疑問、質問を無視した河野の「次の質問は?」の繰り返しは「政治生命を賭けた」姿勢の表れなのか? 

「先送り」へのいらだち

しかし安倍首相が期待をかけたプーチンとの「個人的信頼関係」をも頼みにした長時間の「領土問題解決」に向けた交渉は、今回もまた事実上先送りになった。プーチンは共同記者発表で平和条約交渉に関して「双方が受け入れ可能な解決策を見いだす条件を形成するため、今後も長く綿密な作業が必要だ」と語り、安倍首相は「平和条約の問題をじっくりと時間をかけて胸襟を開いて話し合った」と言うにとどまった。
具体的に何が話し合われたかは明らかではない。「相互に受け入れ可能な解決策を見いだすための共同作業を、私とプーチン大統領のリーダーシップのもとで力強く進めていく」という安倍の発言は、「解決」がいかに困難であるかを示すだけのものである。
先に紹介した元外交官で作家の佐藤優は東京新聞一月二五日付の「本音のコラム」欄で「国境線画定に向けて」と題して、今回の日ロ首脳会談でのプーチンの言葉を引用し、「これまでプーチン氏は『合意した』(ダガバリッツア)という言葉を用いたが、今回は『約束した』(ウスロービッツア)というより強い言葉を用いている」と述べている。その上で「日本の外交攻勢に対して、ロシア外務省が抵抗するのは、外交交渉の性格上、当然のことだ。日ソ共同宣言を履行するための条件をまとめる交渉を加速する戦略を、首相官邸と外務省が連携して構築してほしい」というのが同コラムの結論である。彼は「プーチンと安倍で事態は前に進む」という立場でのスポークスパースンになっているようだ。
安倍政権は明らかに、「二島返還」を憲法九条改悪とともに自らの施政の「成果」として押し出すために、全力を上げるだろう。戦後の自民党政権の果たし得なかった「九条改憲」と「歯舞・色丹の返還」をなしとげる首相として記憶されることに、彼は執念を燃やしている。
しかし真に問われていることは、アイヌをはじめとする先住諸民族=少数民族の権利のための闘いである。先住民族=少数民族を「領土ナショナリズム」のために利用してはならない。

領土ナショナリズム反対


あらためて確認しよう。「和人」が現在の北海道に進出しはじめたのは一四〜一五世紀以後のことだった。江戸幕府の松前藩は、アイヌ民族に対して厳しい収奪で臨み、一六九九年のシャクシャインの蜂起、一七八九年のクナシリ・メナシの蜂起などの反乱を徹底的に弾圧した。
松前藩は北海道のさらに東北に位置する「千島」については正確な知識を持っていなかった。北から千島方面に侵攻してきたロシアとの間で結ばれた幕末・一八五五年の日露通好条約では、国境線がエトロフ島とウルップ島の間に引かれ、エトロフ以南が日本領とされた。一八七五年の千島・樺太交換条約では樺太(カラフト)がロシア領となるかわりに千島は全体として日本領土に編入された。しかし日本(江戸幕府ならびに明治政権)のこうした政策は先住民族の頭越しに行われ、アイヌ民族は厳しい差別と貧困、同化政策の対象となった。ちなみに日本共産党は全千島が平和的に「交換条約」で日本の領土になったものだから全千島が日本に「返還」されるべき、という立場を取っている。
われわれが「北方領土」問題について考えるとき、アイヌをはじめとする北方少数民族の権利のための歴史的闘いが、その基底に置かれる必要がある。一九九七年にはアイヌ文化振興法が制定された。そして今国会には新法としてアイヌが「先住民族」であることを明記し、差別を禁止するとうたった新法が提出される予定とされている。
安倍政権によるロシアとの間での前のめり的「二島返還」交渉と、アイヌ民族の権利のための闘いは、こうした相互に絡み合った状況の中で推進されることになる。その中でプーチン政権もまたロシア領土に居住するアイヌ民族(主にカムチャッカに住むとされている)を、ロシアにおける「少数民族」として位置づける提案に賛成した、と報じられている。
安倍政権が進める領土ナショナリズムに反対する闘いと、少数民族の権利のための闘いを結び付けるために意識的な討論と行動を!     (1月27日 純)

 


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