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    かけはし2019年4月15日号

議会参入の前途 矛盾か1つの展望か


スロベニア

急進左翼政党と反資本主義運動

自律性の確保を不可欠の基礎に
過渡的綱領の実践的発展追求を

マルコ・クルゼン



 欧州には、議会に進出を果たした急進左翼政党が政治の動向に一定の影響力を及ぼしている国がいくつかある。以下は、それが反資本主義運動にどのような問題を提起するか、について検討を加えているスロベニアの活動家の論考。過渡的綱領の現代的あり方についても論じている。なお、以下で挙げられているスロベニアの急進左翼政党のレヴィカ(左翼)は、二〇一八年の選挙で九・三%の得票率を達成し、九議席を獲得、現政権とは閣外協力の関係にある。(「かけはし」編集部)

 われわれが知っていることだが、ドイツの左翼党のような西欧の左翼政党は、民間伝承的な役割の、あるいは最良の場合でもいわば道義伝達者の役割を演じ、重要な政治的事象にはまったくのところほとんど影響力を発揮していない。彼らの議会での仕事はもっぱら扇動に限られている。東欧では、そうした政党はしばしば議会に参入することもできていない(注一)。
しかしながら南欧のいくつかの国ではそれらが、自由主義的な左翼の政府がそれなしには存在し得ない、そうした重要な部分となった。少なくともポルトガル(注二)とスロベニア(注三)ではこれが事実だ。ある意味でスペインでの事例もこれだ(注四)。
これは、これらの政党がどのようにして労働者階級の要求を守ることができるか、またこの状況が労働者の反資本主義運動を強化することに役立つ可能性をもつかどうか、という問題を提起している。筆者は以下の論考で、この道筋上で見出されることになる主体的な、また客観的な障害のいくつかを説明することに挑戦する。

急進性阻むシステムの吸収力

 原則として、反資本主義政党が議会に参入すべきか否かの問題には、長期にわたって肯定的な応えが与えられてきた。レーニンはすでに彼の時代に、彼の反対者(選挙ボイコット支持者)とは逆に、ここではアルチュセール(ルイ・アルチュセール、フランスのマルクス主義哲学研究者、フランス共産党内部からの「正統」的マルクス主義批判を追求:訳者)の表現を借りるが、社会主義のために闘う者が利用しなければならない、そうした国家のイデオロギー的機関だと確認した。この機関は確かに、扇動のための一つの公開討論の場であり、少なくとも近代の議会では、政党に向けた資金獲得における一つの源泉だ。
しかしながらわれわれは、これは、社会主義のために闘う者が利用しなければならない、しかし資本主義国家の機関である、ということを忘れてはならない。経済を政治から切り離し、住民を原子化された抽象的な諸個人の総計と考え(「一人一票」)、集団的な観点――特定の階級あるいは社会グループ――では考えない、そうした議会主義が、資本家階級と従属的な諸階級間の妥協を作り上げている。こうした妥協は、多かれ少なかれ労働者階級(労働者、中小規模の農民、零細な職人、またプロレタリア化したホワイトカラー労働者)を利する可能性がある。しかしそれは依然として、その搾取と従属の維持を目的にした妥協なのだ。
議会主義が日和見主義を育成する理由がこれだ。議会人たち(代議士とその補佐スタッフ)は人気を求める闘争の中で、「現実」的目標と専門用語を取り入れ、支配的イデオロギーあるいはその自然発生的変種に順応しがちになる。彼らの生活が議会に依存するようになればなるほど、それだけ彼らは、党内部の特権と責任ある地位をめぐって策謀をめぐらすことがありがちになる。
そうした行動は彼らと党員の間に溝をつくり出す(注五)。党員たちは、ブルジョア民主主義の中ですべての有権者に期待されていることと同じく、すでに下された決定を確認するための形式的儀式に参加することを求められるにすぎない。「古典的」諸政党がこうした仕組みで上首尾に行動しているとしても、それは反資本主義政党にとって破壊的だ。それがその綱領とそれを現実化する可能性の間の溝を広げるからだ。
小官僚制の出現について言及することは誇張ではない。その官僚制は、反資本主義政党との関係では、ソビエト社会に対するソビエトのノーメンクラトゥーラの関係を思い起こさせるのだ。マンデルによれば(注六)、ソビエトのノーメンクラトゥーラは現実に支配的な社会グループだった。しかしそれは新たな(支配)階級ではなかった。
その決定的な利益が資本主義社会の再生産の必要と合致している(個々の利益を高める性癖は、全体としての資本蓄積に必要不可欠だ)資本家階級とは異なり、ノーメンクラトゥーラの策謀と腐敗は、国家経営経済の効率性を引き下げ、労働者による統制を妨げるのだ。

対抗方策の核心は自律性の確保

 これはまた、反資本主義政党の支配グループでも現実になる可能性がある。つまり、党内の「ポスト」をめぐる策謀が活動家数を減少させ、その中でメディアの専門用語や「現実主義的」実践の採用が、その目標の、あるいはその綱領すら放棄に導く、ということだ。
自由主義的な左翼政府に実体のある影響力を及ぼしているスロベニアのレヴィカやポルトガルの反資本主義者のような政党にとって、前述の状況は、麻痺あるいは屈服に導く可能性がある。反資本主義運動の強化を目的に彼らが政府に与えている議会での支持は、「政治的安定」の背骨に、結局はブルジョアジーの権力の維持になる、そうした危険を犯している。
少なくとも、彼らの決定が客観的に「統治力」を基準に決定され始めるならば(そして、左翼自由主義政府が倒れた後に万が一ポピュリストが権力に到達するならば)、そうだ。そして萌芽期の彼らの官僚制にはらまれた主観的、個人的利害が基準になれば、そうだ(われわれが議会の外にある場合、われわれが行うことになるのは何だろうか?)。もし対抗方策が取られなければ、その党が政治階級(注七)の一部になるのは――あるいは議会内の場を失うのは(本来のものよりもそのコピーに票を投じる理由が人にあるだろうか?)――時間の問題にすぎない。
このような対抗方策とはどのようなものであり得るのだろうか? 反資本主義運動は、システムとの関係で自律性をつくり出すことによってのみ発展可能だ。したがってそれは、イデオロギー的・政治的、また物質的・資金的なレベルでの自律性を、同じく行動における自律性を約束しなければならない。
反資本主義運動は現実に対するそれ自身の分析を発展させなければならないがゆえに、イデオロギー的かつ政治的な自律性が必要だ。このためにそれは、大学人からの助けに依拠することができ、諸々のNGOと共に活動できる。しかし、そうした意識は国家のイデオロギー機関の中で作られる可能性はない。それが行う分析は支配的イデオロギーの展望から、そして支配階級の利害から作られるからだ。情勢に対する確かな分析がなければ、政治的な諸決定は最良でも直感の産物であり、それらに的確性があるとしても偶然の一致がもたらす結果だ。
行動の自律性は、政治的に、議会やブルジョア市民社会――労働組合活動であっても国家のイデオロギー機関の中に埋め込まれているがゆえに、ここには労働組合も含まれる――から独立して活動する能力を意味する。
物質的かつ資金的な自律性は、党をシステムの論理に従わせるあらゆる資金源からの独立性を意味する。そしてこのシステムの論理への従属は、しばしば諸々のNGOの場合実際のことになっている。
もちろん、この自律性は絶対的であり、三分野すべてですぐさま構築されなければならない、などと言うものは誰もいない。現実にたとえば、イデオロギー的かつ政治的な自律性は、行動の自律性の欠落、あるいは物質的かつ資金的な自律性の欠落を補うことが可能だ。この意味で最良の訓練を受けた党の基幹活動家は、日和見主義とよりうまく闘うことができ、特権を得るための競合よりも連帯への傾向をもっと示すことになるだろう、という理由からだ。

反資本主義運動の前の深い矛盾


したがって筆者は、少しばかりもっと詳細にイデオロギー的かつ政治的な自律性について検討してみたい。始めに心にとどめられなければならないことがある。それは、今日の反資本主義政党の綱領が、過去の反資本主義政党のそれよりも、また戦後期の社会民主主義政党のそれから見てさえ、急進性の程度が低い、ということだ(注八)。これは部分的に、意識がどのように決定されるかに関するマルクス主義の原理から出ている。つまり、世界の資本主義とそのイデオロギーが今日より強くなっている以上、先進性がより低いイデオロギー的かつ政治的な政綱であっても、急進的と表現され得るのだ。
その結果は、これらの綱領がもつもう一つの特性、つまり少なくとも外見上の、諸矛盾だ。一定の課税政策や社会政策は、また同様に労働者統制と計画化の方向に経済を変革するあらゆるより野心的な挑戦も、EUの法的な枠組みの内部では想定不可能だ。しかしながらこれらの政党は、欧州単一市場あるいは最低でも共通通貨の放棄について、深く考えることをめったにしていない。
そして、EUに関するこの改良主義的な立場が、たとえ部分的に幅広い大衆的な基盤から切り離されないようにとの努力の結果だとしても、これらの矛盾は同時に、資本主義世界市場へのかつて以上に大きな社会の統合がもたらしている結果でもあるのだ。これは現在、欧州資本主義の黄金時代にはそれに依存していなかった諸分野で、社会生活に影響を及ぼしている。
資本主義の強化はもちろん、あらゆる諸国の世界市場への統合の、および各国の社会生活のあらゆる分野へのその浸透の産物だ。このために矛盾は強まり続けている。そしてそれが、社会主義をめざし闘っている者たちの政治活動を決定している。つまり一方では、諸々の環境がいかなる実質的な変革に対してもより急進的な方策を求め、他方では、そして同じ理由から、彼らの実践は言うまでもなく、広範な大衆にそれを意識させることがより困難になっているのだ。

抽象から具体へ:過渡的綱領


この矛盾の克服はどのようにして可能なのだろうか? 概念上かつ政治的レベルでは、主な任務は一つの過渡的綱領の定式化だ(注九)。過渡的綱領は、最小限綱領、すなわち議会・改良主義の綱領と最大限綱領、すなわち社会主義・革命の間にある溝に橋をかける。過渡的綱領は、最大限綱領の実行を始めるための手段なのだ。そしてそれは同様に反資本主義運動それ自身の展開にとっても前提条件になる。
トロツキーが過渡的綱領を練り上げていた当時、世界資本主義は深刻な危機にあり、資本主義諸国の、たとえばフランスのブルジョアジーは、ファシズムに落ち込む以外、それを克服する力がなかった。
今では、過渡的綱領の出発点は、さまざまな諸国の世界システムへの統合形態にはらまれた一つの危機だ。ところがその一方、すでに述べたように、実践的な諸問題に対する反資本主義の回答はユートピア的に見え、反資本主義の考えは大衆の自然発生的なイデオロギーがつくる障壁を克服できていない。
しかしながら、EU内の諸危機が現在しばしばレイシズム的な反動を生み出し続けているとしても、この危機のゆえに、労働者階級が抱える政治的な障害を打ち壊す潜在的可能性もまたあるのだ。われわれは単純素朴であってはならない。つまりこの領域で反資本主義派は、民族主義者を簡単に追い越すことにはならないだろう。たとえばそれが、ユーゴスラビアの解体で示された。
その上でしかし、ユーゴスラビアの解体時期とは異なり、今日危機は、劣位にあり、また少なくとも原理としては反システム(「現存社会主義」の「第二世界」)である一つの社会秩序の危機ではなく、支配的な資本主義秩序の危機なのだ。換言すれば、たとえばアルチュセールならば言うと思われるが、情勢は世界的な反システム運動の危機によってではなく、システムそれ自身の危機によってこれでもかとばかりに決定されている。こうして、全体としての情勢は、またそれと共に労働者階級は、少しばかり歩みを進め、社会主義のために闘う党は急進化する可能性を得る。またそうでなければならない(注一〇)。
そのような過渡的綱領の諸要素については、特にそれらが各国の具体的な情勢に大きな程度で依存しているがゆえに、ここで展開することはできない。しかしながらわれわれはそれらを、資本家の大機構、たとえばNATO、EUといったものの政策が直接に社会のもっとも幅広い諸層の社会的立場に悪影響を及ぼすところで、探さなければならない。
それらの課題の一つは、軍事支出における急激な増額に対するNATOの(およびまた、その軍事作戦、いわゆる常設的軍事協力枠組み――PESCO――と一体化したEUの)要求であり、特に、住民の幸福と健康に対するすでに極めて限定されている投資能力をさらに切り下げることになる、兵器購入に対する要求だ。資本の(軍産複合体の)これらの利益は、勤労階級の利益(平和と幸福)と直接に対立している。
こうして、ある種抽象的な目標(反帝国主義)がここで具体的な闘争(議会における闘争であっても)に、有形の利益(共有財とすでに獲得されている諸権利)に出合い、こうして反資本主義運動が一つの勝利を得ることを可能にする(注一一)。
議会主義にはらまれた日和見主義の圧力が中立化される可能性を得るのは、まさにこうした闘争を通じてだ。これがなければ、日和見主義が反資本主義の党、すなわち反システムの政党とブルジョア政党の間にある区別を曇らせる。主な対立は、現実にはそれが、政治におけるその代表を伴った勤労階級と資本間の闘争であるとしても、先ずは左翼(リベラル)と右翼(保守派)間にあるように現れるのだ。
レヴィカもポルトガルの反資本主義政党も実際上はこの領域で「譲歩」を得ることができていないのは、偶然の一致ではまったくない。当該国の政治諸階級が、権力の他の中心に従い、彼ら自身の「民衆」がもつ利害に対する彼らの対立がこの領域ではより強いからだ。しかしそれがそれほどに強いのであれば、その時それを説明することは、従ってそれに対決する決起を促すことは、もっと容易になる可能性がある。

宣伝活動とそれに基づく扇動

 もちろんそうした過敏点は、あらゆる領域でも、たとえば課税政策で見つけ出されなければならない。不幸なことだが、左翼諸政党と欧州の労組は、課税政策反対の決起を勤労階級に促すことができてこなかった。しかしその政策こそ、資本と高所得に対する諸税を切り下げ、それによって財政赤字をつくり出し、次いで付加価値税引き上げや社会的諸権利切り下げのような反社会政策の「正当化」を可能にしているのだ。
フランスでの先頃の諸決起(注一一)は、勤労階級に対するそうした攻撃は、「環境主義」の仮面の下であっても、運動を急進化し、「われわれはお前たちの危機(環境の、財源の、安全保障の……)への支払いなどやらない!」とのスローガンの下に、巨大な大衆を決起させるために利用可能だ、ということを示している。
過渡的綱領は明らかに、単なる紙の一片ではなく、何をさておいても実践だ。そしてそれは、反資本主義運動が確かなイデオロギー的・政治的自律性、行動の自律性、さらに物理的かつ資金的レベルでの自律性を確保している条件でのみ可能だ。過渡的綱領の発展はそれゆえ、単にいわば「知的な行為」ではなく、組織的な問題だ。
レーニンによれば(注一二)、社会主義者の任務は扇動と宣伝を行うことだ。宣伝は、民衆の中の少数に数多くの考えを伝える活動であり、扇動は、多数の民衆に二、三の考えが届けられる活動だ。宣伝は、党員と活動家に対する、諸階級の構造と彼らの闘争に関する授業だ。一方扇動は、より良い労働条件、より高い賃金……を求める議会活動を含んだ彼らの闘争の、「自然発生的な」諸形態への献身だ。もう一つの世界がどのようなものになり得るか、また古い世界がなぜ危機にあるかに関する理解がどんどん深められればそれだけ、それが勤労階級を支配している「自然発生的なイデオロギー」に置き変わる可能性が生まれる。
この理由から、少なくともイデオロギーと政治の点では、議会活動の質は宣伝活動の質に依存している。したがって、宣伝活動に伝道力をもつ諸条件の確立、およびそれを基礎としたあらゆる種類の扇動の発展が、議会を含んで、反資本主義政党と運動を構築する不可欠の条件となる。(二〇一八年一二月一八日)

▼筆者は社会学者であり、スロベニアの政党、レヴィカ、の創立者の一人。二〇一四―一八年の時期、同党の議会補佐スタッフの任務に着いた。
(注一)この論考は、スロベニアの反資本主義連合による最初の議会経験(二〇一四―一八年、得票率六%、国会に六議席)のバランスシートに関する論争の一部。ちなみに先の議会経験がレヴィカ形成に導いた。この論考の初出は、クロアチアとスロベニアの革命的マルクス主義者が主宰する「ラドニッキ・ポータル」ウェブサイト。
(注二)マリア・マヌエル・ロラ/アドリアノ・カムポス/ホルゲ・コスタ「左翼ブロックの経験、『ノンモデル』の教訓」、『インプレコール』誌(二〇一八年七・八月号)参照。
(注三)スロベニアには、その「東欧起源」にもかかわらず、欧州の南部周辺がもつ重要な諸特性がある。つまり、EU資本主義への、極めてよく似た技術的、経済的、また通貨的統合だ。結果として、EUの諸々の危機は同じ形で現れてきたが、その間これらの諸国における債務危機が、スロベニアの危機に直接影響を及ぼしてきた。
(注四)こうしてスペインのPSOE(社会労働党)の少数政府は、その後に最低賃金を二二%引き上げるとして、二〇一八年一〇月、ポデモスとの協定を締結した。しかし、ポルトガルやスロベニアの左翼政党とは異なり、ポデモスの議席数は、左翼自由主義政府の議会内多数を保証する上で十分ではない。
(注五)党員のあり方が戦闘的活動を伴っていなければ、党員は受動的になる。そして党に政治的動員の実践が欠けていれば(議会分野を除いて)、そのメンバーは相互の交流を行わず、実体のある活動的コミュニティを形成しない。結果、形式的で抽象的な党員制に向かうもの以外、メンバー間には実体的社会的結合はまったくなくなる。
(注六)エルネスト・マンデル、「資本主義と社会主義間の過渡期社会を律する社会的、経済的法則に関する一〇のテーゼ」。
(注七)筆者が通常政治階級と呼ぶものはプチブルジョアジーの一分派、というものが筆者の仮説。プチブルジョアジーの他の分派は、国家機構の官僚といわゆる中間管理職。プチブルジョアジーは、事実としてまたイデオロギーの分野で、多少ともプロレタリア化している役人に従っている。この点で議会の機構と政党はプチブルジョアジーのある種の協会となり、日和見主義は本質的に、プチブルジョアジーの実践とイデオロギーを党活動の内外に持ち込むこととして現実化する。
(注八)スーザン・ワトキンス「反対派」、『ニューレフト・レビュー』九八号(二〇一六年)。
(注九)レオン・トロツキー「過渡的綱領」(一九三八年)
(注一〇)扇動は、その効果が「自然発生的イデオロギー」とメディアでの広がりに依拠する可能性にかかっている以上、支配的イデオロギーとイデオロギー的(議会)機構の周辺部で、しかし常にその枠組み内部で行使されなければならない大衆的活動だ。これが、党は常に勤労階級の一歩先に、しかしほんの一歩、先にいなければならない、とのレーニンの定式に対する筆者の理解だ。
(注一一)もちろん第一に、それはNATO離脱という問題ではなく、少なくとももっとも有害かつ危険な投資と支出を阻止するという問題、つまり抽象的な長期的目標に向けた数歩だ。
(注一二)V・I・レーニン「ロシア社会民主党の任務」(一八九七年)。(「インターナショナルビューポイント」二〇一九年三月号) 



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