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    かけはし2019年4月15日号

日々の選択通し自分変えた人々


労働者にはぜひ読んでほしい話

アサヒガラス非正規職支会の闘争



 労働組合が作られて一カ月後に会社の職員全員が解雇された。解雇は当日正午メールで通知された。2015年6月に起きたことだ。企業経営が厳しかったわけでも、どんな事件があったわけでもない。一つあることはある。労働組合ができた。労働組合を作った罪で178人が職を失った。
 聞きたいことがある。「そんなこと」が可能な社会か?
 私たち(と呼ぶ社会)には法がある。労働組合の加入や活動を理由に解雇する行為は不法である。当日での解雇通知も法違反だ。
 少なくとも30日前に解雇予告をしなければならない。しかし企業は「メール一本で追い出し、法に則ってやった」と踏ん張った。そのようなことが可能な社会にわれわれは生きているのか。
 可能であることは明らかだ。解雇された彼らが復職しなかったまま、街頭で4年近く争っているからだ。4年の闘いを振り返る作業が、そんなことが「どうして」可能かに対する答えでもある。

「人しかいない会社」に通う


 一夜にして解雇された彼らは、アサヒガラス社内下請け労働者だ。アサヒガラスは亀尾4団地に位置した外国系投資企業でLCDガラス基板を生産している。解雇された170人余りは、アサヒガラスの社内下請人ジティエス(GTS)会社の所属で、彼らの表現を借りれば、ジティエスは「人しかいない会社」だ。施設も資本もない、元請企業に「非正規人材」を送るためにだけ存在する会社。
 アサヒガラスはもとよりLGや三星(サムスン)など、屈指の企業が位置する亀尾(クミ)工業団地でこのような会社は珍しくない。企業規模の大小を問わず工場を非正規職で埋めている。
 非正規職が蔓延しているのは安い労働力が溢れることを意味する。企業にとって「安いこと」は欠かせないというように慶尚北道と亀尾市はアサヒガラスに数多くの無料の恩恵を与えた。
 工場の敷地を50年間無償賃貸し、税金は5年間全額免除だ。亀尾4工業団地4全体が外国系投資地域で特恵を受けている。おかげで、アサヒガラスは国内売上1兆ウォンの企業に定着しており、株主たちに1000億ウォン台の配当金を保証した。労働者にもどってくるのは不安定な雇用だった。
 自分が解雇された後、妻が亀尾工業団地で働くという彼は、6カ月ごとに工場を移さなければならない労働に対して話をした。私が6カ月の契約をしているのかと聞くと、「(雇用)の期限を定めることに意味があるのか」と、言う。
 「一カ所で6カ月以上働いていません。LGという会社は4工場まであります。妻がそこの下請けで働くのに、1工場から4工場まで通いました。6カ月単位で切って。工程は同じ工程だが。6カ月以上働いていたと思うと1年以内に何が何でも解雇をさせます。
そんな事情を妻がとてもよく知っているから『あなたは放棄しないで闘え』と押してくれているんです」。(オスイルの副支会長)
 今は「解雇」とも呼ばない。契約解約、時には物量による人員削減、協力会社との請負契約の破棄に過ぎない。その命名の中に生計手段を失った「人」はいない。「地域全体がそれが当たり前だと思います。切ろうとしても、誰かに抗議するつもりはありません」。
 それでも彼らは抗議した。労働組合があるからだ。アサヒガラス社内下請け労働組合は、亀尾工業団地に初めて作られた非正規職労組だ。

一度は崩したいと思った

 抗議が当然のことであり、自然になされたわけではない。解雇されても何が問題なのか知らなかったという組合員に会った。いつもそう切られて生きてきた。
「いつ切っても切られるのに」協力会社の社員というのは名ばかりのものにすぎない。派遣人生で退社と離職は日常だ。切られなければ自分でも出て行った。仕事場環境がそうだった。
同氏は、「雇用契約期間が残っているということが何を意味しているのかも知らなかった」と話した。前に聞いた言葉が思い浮かぶ。
「(雇用)の期限を定めることは意味があるのか」法の手が届かない団地内で一枚の契約書は無意味だった。ここに来る前に釜山で働きましたが、名節(韓国固有の盆・正月など)が来たら整理されるのが日常でした。
会社を辞め、名節の贈答品セット一つを持って帰る途中、本当に悔しい気持ちになるんです。これでは日雇い仕事と違いがないんです。 一日稼ぎで生きる。
そんなことがいつも心にもたれていて。そうだ、ここで(請負契約期間が)6カ月残ったが解雇したというから溜まっていた悔しさが出てきたんです。
「一度は崩してみたいんです」(アン・ジンソク代議員)。一度も夢見ることができなかった人生が終わった。もちろん賃金支給もストップした。
会社から解雇者に慰労金1000万ウォンと覚書を交換するという提案が来た。希望ではない内容だが、希望退職と呼んだ。復職闘争を中断し、解雇を問題視しないことを覚書として書くように言った。 二度希望退職後、組合員23人が残った。 百人以上離れたのだ。
「どうせ長く通っていない会社を」人たちは5カ月分の給料をもらって出ていった。「そんなこと」は可能だった。

人生を変えてみたい

 闘争事業場へ行けば、聞いてみることがある。どうして今まで残っているのかという質問。彼らは変えてみたいと話した。何を? そんな人生を。
「限界を感じたと言わなければなりません。非正規職というものは寿命が長くないです。 若い人たちが来ると追い出さなければならず、いつでも解雇されて。労働組合があればいいという話は聞いたんですが機会がなかったです。すべて非正規職だ」。(チョン・ヨンジュ組合員)
皆このままでは生きていけないことは知っていた。方途がないばかりだった。他の地に出てみて事業もし、仕事もしてみた。誰もが非正規職にならなければならない構造が日々強くなる中、持っているものが労働力しかない人生は変わることができなかった。
ここに通う前には用役会社を運営しました。会社に人材を送ることですがパワハラというものを受けます。パワハラに苦しめられると、自分でどうすることもできない状況にまでなります。結局つぶれて、ここに非正規職で仕事をしに来ました。
事業をする時は人員を送ってマージン率だけ計算するために(派遣した)人々がこんなに険しく、現場で人間扱いもできず、働くという考えはありませんでした。とても劣悪なんです。それで本当に何があってもいいという思いがいっぱいになりました。(オ・スイル副支会長)
その「何かが」労働組合という「場所」で現れた。人々は人生を変えるために労働組合を選択し、解雇され、希望退職を機に背を向けた。それでも座り込み現場に残った人々がいる。
「この言葉が私の心を揺さぶったのです。ここに行ってもどうせ非正規職だ。同じことをして同じように追い出されるだろう。今行くと逃げるのと同じだが、逃げた所はどうせ非正規職だ」(チョン・ヨンジュ組合員)。
3年が過ぎた。彼らは人生を変えることができただろうか。 前もって言えば、「世界の壁にぶつかった」。

強固な壁にぶつかる

 人がお金を貸してやったら返せという権利があるじゃないですか。ところが、お金を貸しても「金を返してやれ」という声も聞けない。「すべての人が私におカネを返してくれと叫んでは絶対だめだ! こんな感じでした」。(安鎮錫代議員)
今年、不法派遣で検察がアサヒガラスに起訴するまで、そんな感じだったという。確かに自分たちは不当に解雇され、請負ではなく不法派遣の形で働いたが、雇用労働部と検察は「絶対だめだ」という反応を見せた。労働部は是正命令を出さず、検察は起訴しなかった。
雇用労働部亀尾支庁が不法派遣を認めてから2年かかった。2017年になってから、雇用労働部は、アサヒガラスに17億過怠料と解雇者の直接雇用の是正を指示した。もちろん、アサヒガラスは移行しなかった(異議申し立て)。市政の指示には強制力がない。
労働部の是正指示は無力だったため、労働者らは指を加えて見守らなければならないが座り込み場の撤去執行は強制力があった。用役700人が駆けつけ、テントを撤去した。企業に対して下した命令は執行されず、労働者に向けた告訴・告発、仮処分申請、行政代執行はすべて行われた。連行されて、罰金を払わなければならなかった。アサヒガラスの「法通りにする」というのはこんなことを意味した。
2年後に検察に行った「不法派遣」問題は4カ月後に証拠不十分と嫌疑なしの判定を受けた。この時からまた始めた。

「労働組合の抗告-再捜査命令-最高検察庁捜査審議委員会の決定まで…」


その間、労働組合は起訴を見送る検事を告訴し、検察庁長との面談を要求し、検察庁ロビーで座り込みを行った。もちろん、毎回、座り込み現場は撤去され、組合員たちは連行された。
企業は一通のメールで全部追い出し、法に則ってやるといって何年も持ちこたえればいいんだ。非正規職労働者はこれまで、生計やすべてを諦めるしかない構造だが…。わが社会がその仕組みを認めている。労働部が、検察が、自治体が企業の保護膜になってくれる。
労組がここまで持ち堪え忍んで、最後のカードが何なのか確認するといった「トライ」の精神で闘わなければ、何もないのです。激しく争わなければならないんです(チャ・ホンホ支会長)。
耐えられない仕組みをつくっておいて、必死で踏ん張れば、他に目的があったり、何かを狙う人に罵倒された。「普通」の人なら堪えることができないということを知っているから。耐えられない状況を人為的に作ったからだ。それをわれわれは「構造」と呼ぶ。
労働組合は持ちこたえ、今年1月、検察は、アサヒ企業を「不法派遣」で起訴した。この起訴状一つを受けるため、3年7カ月がかかった。

変わって勝てる闘いをする


組合員たちは「偏向した世の中」に向き合う。「みんなが片方に味方する仕組み」を見る。繰り返しの経験の中で「アサヒとばかり闘って勝てる闘争」ではないことが分かる。企業の誘致に死活をかける市では、企業の不法に目をつぶり、不法派遣という違法を共有する工業団地の企業(資本)は不便な気持ちを示し、この事情を知る検察と政府機関は機嫌をうかがう中で作られる構造の中、非正規職労働者らが存在する。「そんなこと」にあう。
私たちの本(〈野花、工業団地に咲く〉)の副題でもあるが、「世の中を変える闘争」。「これが初めはただ言っていたんですよ。ところで闘争しながら確信が持てるんです。本当に世の中を変える闘いだね。検察と法と労働部と闘い、その堅固な構造を破らなければ勝てない闘いです」(車憲鎬(チャ・ホンホ)支会長)。
人生を変えようとして社会構造を変える闘争をするようになった人々。先に投げた問いかけを再び持ってくる。彼らの人生は変わったのか。
インタビューをするうちに「変わった」とよく言われた。今まで生きていながら、自分が必要な人と、感じたことはあまりないと話した。必要なら持ってきて使い、必要がなければ「解約」する「人力」として生きてきた。それを当たり前に受け入れなければ生きられなかった。
〈新自由主義と人間性の破壊〉でリチャード・セナッツは「人々が一回用品のように扱われる組織の」構造で「無関心は拡散」し「人に必要な存在という意味は明白に残酷に減少」するとした。
そうだった。しかし、人生を変えたいという各自の決意が異なる心で労働組合加入書にサインした時、解雇された時、座り込み場を守った時、残酷さに亀裂が生じた。
「組合が駄目だと言っていた人たちが、いい加減に加入し、検察庁のロビーに座り込みで、労働者に変わっていく過程があったのです。仕事先でうめき声も出せず、遠くで管理者が後ろ指を差しても、あちらこちらで動き回っていた労働者が、今は力強く権力集団と闘えるようになったんです」(チャ・ホンホ支会長)。
そのためだろうか。彼らは後悔しないと言った。意地で言った言葉のようではない。
後悔は一度もしたことがありません。働きながら私は奴隷という考えをたくさんしました。「今は私が誇らしいです」(呉秀一・副支会長)。
事業が潰れて非正規職として働きに行くのが恥ずかしかったという彼が立てこもり場所から4年を送って誇りをいう。何が変わったのか。
彼らから私が見たのは存在感だった。自分が何と闘っているかを知る、自分たちの闘いが世界のどこに必要なのか知る人が持つ存在感。4年の時間は存在する理由を彼らに与えた。

人生が決まる


存在は、一人では作れない。安鎮錫(アン・ジンソク)代議員は、そんな話をした。
「労組を結成する前に強力な信念が一つありました。人は利己的だ。自分のことだけを考え、そのうち少数の人が家族を取り仕切る。ところで工場から追い出されたじゃないですか。 闘争をするじゃないですか。その過程でずっと私の信念が破れるんです」。
失業給与の支給が終わる6カ月あればみんな座り込み現場を離れると思っていた。当座の損害に耐えうる人はいないと思った。彼の予想は間違っている。「私の知っている常識と知識で測れない、自分の理解を越えて動く、そんな人たちがいるんですよ」。
たいした誰かではない。「そういう人」とは今の組合員である。「現場に戻れると、一緒にやろうと言う人たち」、労働組合で自分の地位を守り、互いの必要になってくれる人々だと言った。
4年前、彼らは自分の権利を知り、権利を守るために闘いを選択した。闘争は毎瞬間、選択と向き合わなければならず、その都度「自分」と「私たち」を考えなければ、耐えられない。その過程をこなした人々だ。
わずか数年前まで、他人はおろか職場で自分の席も守る名分がなかった人々だった。「守る」席を与えなかった工場で解雇された日、使い捨て用品人生も終了した。もう彼らは言う。「絶えず私の権利をあきらめてはいけない人生で人生が決まっているの」と。自ら人生を変えた(キチヨン記録労働者)。
(インターネット新聞「プレシアン」より)


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