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    かけはし2019年5月20日号

朝鮮半島・アジアとつながって


沖縄報告 5月12日

元号変わっても辺野古の闘いは不変

沖縄 K・S

5.11

辺野古ゲート前で県民大行動

現地の攻防と結ぶ議員たち

全国に波及する沖縄の闘い

 五月一一日土曜日、第一土曜日が連休にあたったため一週間ずらして、恒例の土曜日県民大行動が行われ、県内外からの参加者数百人がゲート前テントを埋めつくした。進行役はオール沖縄会議の山本隆司事務局長。
 はじめに、共同代表の一人、稲嶺進前名護市長があいさつに立ち、「来る参院選で、平和の議席・宝の議席を糸数さんから高良さんに引き継ごう」と呼びかけた。本部町島ぐるみの仲宗根須磨子町議は「安和桟橋ゲート前での行動は埋め立て土砂の搬出を遅らせる上で大きな役割を果たしている。集中行動日の水曜日は普段に比べて、運搬船一隻分、ダンプの台数にして約二〇〇台分の土砂を少なくしている。水曜にとどまらず毎日できるよう力を合わせよう」と提起した。うるま市島ぐるみの伊芸祐得事務局長は、衆院選三区補選のお礼を述べたあと、「辺野古の現場を大事にしながら、今度は参院選で高良さんの選挙に勝ち抜こう」と述べた。
 そのあと、県選出国会議員のあいさつが続いた。屋良朝博さんは「玉城デニーさんの後継として沖縄の民意を国会に届ける。党籍は自由党になったが、翌日国民民主党に合流したため、自由党の党員は一日だけだった。国民民主党は考え方の違う人々が多い。党のモットーは、つくろう新しい提案、というものだ。可能性がある。議員1年生として精いっぱい頑張っていきたい」と述べた。
 衆院沖縄二区選出の照屋寛徳さんは「ハイサイ、ウチナーウマンチュのグスーヨー」といつもの通り切り出し、「平成から令和への元号の切り替えをめぐるお祭り騒ぎはいったい何か。昭和、平成の元号切り替えの歴史を振り返ると、時の政府はすべて半年以内に倒れている。安倍を退陣に追い込もう」と呼びかけた。
 参院議員の伊波洋一さんは「東京の憲法集会は六五〇〇〇人集まった。辺野古の闘いは全国に波及している。九〇mまで及ぶ軟弱地盤で、新基地建設はたいへんな困難に直面している。辺野古は不可能だ。断念せよ」と訴えた。同じく参院議員の糸数慶子さんは「基地あるが故の女性に対する人権侵害を糾弾する。北谷町の事件のあと、地元の女性が結集して事件根絶の取り組みを進めている」と述べたあと、高良さんと固く握手し、取り合った手を高く掲げると、テントの参加者からは激励の掛け声とともに大きな拍手が沸き起こった。
 参院選挙区の予定候補、高良鉄美さんは「辺野古の現状がおかしいと思っている人々は国内外にたくさんいる。これらの声をもっと強くしていきたい。選挙の争点はハッキリしている。辺野古新基地に賛成か反対か。玉城デニー県政を支えるのか否か。翁長前知事の遺志を受け継ぐのかどうか。そして、憲法の改悪に反対するのか認めるのか」と力強く述べた。

安和ゲートの
闘い強化へ!
山城博治さんは「本部町島ぐるみが提起したように安和ゲートの闘いを強化しよう。各島ぐるみは二〇日の現闘本部拡大会議に結集してほしい。理不尽な政府に立ち向かうのは私たちの団結の力だ。ゲート前の力、全国の力で安倍政権に立ち向かっていこう」と呼びかけた。最後に、高里鈴代さんが閉会あいさつとガンバロー三唱をリードし、集会の幕を閉じた。
連休明けということもあってか、集会の参加者が少し減少傾向にある。と言ってもあきらめムードが広がっているのではない。逆に、国家権力を操る日本政府に対する不信と怒りは深く蓄積されている。菅は先週訪米し、シャナハン国防長官代行やポンペオ国務長官と会談して辺野古新基地を建設し「沖縄の基地負担軽減を進める」と確認したという。まるでペテン師だ。行動とまったく正反対の言葉を吐いて恥じることのない厚顔無恥の権力者たちに対し、全県、全国、全世界の力を結集して必ず辺野古を止め、安倍・菅政権を退陣に追い込もう。

4.25〜 4.28

辺野古の現場から31人が韓国訪問

DMZ人間の鎖に参加

朝鮮半島の平和を共にアピール


昨年四月二七日、南北朝鮮の首脳会談が開催され、南北の分断と対立を解消していくための歴史的な歩みを記した。その一周年に合わせて、朝鮮半島の平和は単に政府間の話し合いに任せておくのではなく、民衆が主人公として立ち上がってこそ実現されるとの考えから、四月二七日、東は江原道(カンウォンド)高城(コソン)から西は江華島(カンファド)に至る五〇〇qの南北非武装地帯に沿って、韓国各地から五〇万人が集まり平和を求めて手をつなぐDMZ人間のクサリが計画された。名称は「DMZ民+平和の人間のクサリ」。
朝鮮半島の分断・対立の解消と平和の実現は東アジアの平和、基地のない沖縄に直結している。全国の米軍専用施設の七〇%が集中する基地の島・沖縄の現状を打ち破ろうと、辺野古新基地に反対するキャンプ・シュワブゲート前や海上から阻止行動を続けるカヌー・抗議船メンバー、やんばるの森を破壊して造られているオスプレー離着陸場に反対する現場、嘉手納空軍基地ゲート前で抗議を続けるグループ、辺野古の闘いを四カ国語で世界に発信するチームなどなど、沖縄の様々な反基地闘争の現場から三一人が海を越え朝鮮半島の平和を求める人間のクサリに合流した。

テッチュリで
交流を深める
一行は四月二五日に那覇空港を出発した。仁川(インチョン)空港からまず、大型バスで南下し京畿道(キョンギド)平澤(ピョンテク)市の大秋里(テッチュリ)へ向かった。駐韓米軍の再編は、韓国各地に散らばる米軍を主に、南東部の大邱(テグ)地域と北西部の平澤地域に集中・拡大しようとするものである。平澤では、嘉手納空軍基地と並ぶ東アジアの米空軍の拠点・オサン空軍基地の拡張強化と共に、米陸軍のキャンプ・ハンフリーズの滑走路を含む大拡張が進んだ。
この時、米どころで知られた大秋里の住民は村を挙げた反対運動を展開したが、軍隊を導入した国家権力の暴力にかなわず、田畑・民家すべて強制収用された。最後まで反対し続けた四四戸の住民が集団移住先で元の地域の絆を失うことなく保とうと、公認の行政区名とは別に大秋里の名をつけた地名をつけ、マウル会館、記念館を運営している。
記念館の中は、壁に掲げられた闘いの歴史資料や写真、米軍基地を詳しく解説したコーナー、支援者一人ひとりの名を刻んだ木の形の壁などがある。
婦人会のみなさんによる心づくしの夕食のあと、平澤平和センターが準備してくれた交流会では、お互いの自己紹介と活動報告、歌・踊りが披露された。平澤側の参加者は、イム・ユンギョン事務局長をはじめ平和センターの会員、平澤平和市民行動、民衆民主党のメンバーなど約一〇人。楽しく意義のある時間を共にした後、沖縄チームは、ジュゴンとウミガメの美しい絵の上に「沖縄 連帯 韓国」「?? ?? ????」と書いた寄せ書きとカンパを手渡した。

トラクターを
北に送る運動
翌二六日の午前中は、ハンフリー基地のフィールドワーク。ソウルの龍山(ヨンサン)基地から、駐韓米軍司令部と国連軍司令部が移転して来た。基地のフェンスの上部には、高江や安和でおなじみのカミソリ鉄条網がグルグル巻きつけられていた。とすると、高江や安和のカミソリ鉄条網は米軍の国際基準に沿ったものだということが分かる。メインゲート前では、民衆民主党の若者が「米軍基地撤去」の看板を前にひとり示威を行っていた。道路向こうの角には、太極旗と星条旗とともに、「米軍ありがとう」「北を爆撃しよう」「金正恩を殺せ」との扇動的な横断幕を掲げたグループのテント小屋が見える。
続いて、平澤市庁前で行われた、トラクターを北に送るピョンテク運動本部の出発式に参加した。会見場の横には真新しい赤いトラクターが置かれている。二、三人の記者の取材もある中、沖縄訪問団を代表して上間芳子さんが「朝鮮半島の平和はアジアの平和、沖縄の平和。分断と対立を乗り越える韓国のみなさんの闘いに連帯する」との力強いメッセージを述べた。赤いトラクターは早速市庁構内をデモ行進した。

宿舎は漢灘江
のほとりで
そのあとは一路鉄原(チョロン)へ。途中、議政府(イジョンブ)休憩所で昼食をとっていると、偶然、民弁(民主社会のための弁護士の会)のイ・ジェジョン弁護士に会った。今民主党の国会議員になっているとのことで、鉄原の労働党舎前での行事に参加するために先を急いでいると言って立つ前に、まんじゅうを差し入れてくれた。
鉄原での宿舎は朝鮮半島中央部の韓国最北部を流れる漢灘江(ハンタンガン)のほとりにある「青い星ペンション」。冬は零下三〇度まで下がるというこの地域は丁度桜が満開。少し歩くとチクタン滝の上にかかる玄武岩の石橋に至った。玄武岩と言っても色々。チェジュ島のように穴だらけの物もあれば、鉄原のような不透水性のものもある。川の上流の北は朝鮮民主主義人民共和国。朝鮮半島の分断の現場だ。

鉄原平和展望台
から非武装地帯
二七日は午後の人間のクサリに先立ち、午前中、人が住まない軍事統制区域を通行する「DMZ安保観光」に参加した。受付および出発地点は孤石亭(コソクチョン)管理事務所。軍事統制区域の入り口には韓国軍の検問所があり、兵士がバスの中に入ってきて人数を確認。両側には戦車の通行を止める遮断装置がいくつも並んでいる。軍事統制区域の中は見渡す限り田んぼが広がっている。人が住むことはできないが、昼間許可を受けて立ち入り耕作をすることができる。いくつか貯水池も設けられ鶴などの渡り鳥の格好の生息地になっている。
三時間近くかけて、フェンスに囲まれた地雷原、北が掘った第二トンネル、非武装地帯そばの平和展望台、廃駅となった月井里(ウォルジョンニ)、戦争で破壊された銀行の建物跡などを見て回った。旧労働党舎前の三叉路の出口では、やはり兵士がバスに乗り込んできて人数の確認。この一年間、三八度線で銃声が鳴っていないとはいえ、ここは依然戦場であることを知った。バスを降りて軍の検問所にカメラを向けると、兵士が両手で×印をした。
労働党舎は写真にもある通り立派な建物だ。三八度線の北に位置するこの場所は元々北の国に属していたが、朝鮮戦争の休戦協定の交渉が長引く中で、「鉄の三角地帯」と呼ばれるほど両軍の激しい陣地争奪戦が繰り広げられて多くの死者を出し、最終的に南に編入された。逆に元々南に位置していたところが北に属するようになったのが工業団地がつくられた開城(ケソン)である。

労働党舎前で
「座り込めここへ」
労働党舎前にこしらえられた舞台の上では、さまざまな団体、グループが歌、踊り、パフォーマンスを繰り広げた。沖縄訪問団もそろいのブルージャケット姿で舞台に上がり、「朝鮮戦争に終止符を!辺野古に新基地はいらない!手をつなごう!沖縄・韓国・アジアの国々」の横断幕を広げて、イマジン、安里屋ユンタ、座り込めここへ!を熱唱した。この間沖縄との連携を進めるピンク色の平和オモニ会の女性や鉄原砲訓練場被害対策委員会メンバーも一緒に壇上で歌い踊った。
注目度は抜群だった。たくさんの人々が舞台前に集まり何重にも人垣ができた。あちこちから声がかけられた。キンパブ、餃子と差し入れのマッコルリ、とれたてトマトの昼食のあと、三叉路方面へ移動し人間のクサリの態勢を整えた。キリスト者、婦人グループ、中学生と思われる若者など、様々な団体が参加し思い思いにネッカチーフや横断幕、プラカードを掲げている。若者も含めて様々な層が集まった現場は、中高生も熱心に参加したかつての沖縄本土復帰闘争を想起させた。
四月二七日にちなんで一四時二七分を期して労働党舎前から白馬高地(ペンマコジ)方面へ長い長い人間のクサリがつながった。KBSをはじめ各テレビ局の放映によると、この日東から西まで一〇カ所で二〇万人が参加したとのことだ。ムン・ジェイン大統領も前日東海岸の城で非武装地帯のフェンス沿いに行進し、白い菊の花をフェンスにさしたと報じられた。
二八日の午前中は空港に向かう途中ソウルで、@仁寺洞(インサドン)および3・1記念公園、A日本大使館前少女像、B西大門(ソデムン)刑務所歴史館、の三グループに分かれて行動した。

平和と人権が
共通の価値観
朝鮮戦争の終結と南北の分断・対立の解消は南北朝鮮の国民の願望だ。外国軍隊の撤退、南北の自由な往来・交流、北の強制収容所の廃止・人権の完全な保障、南の反共法・国家保安法の廃止の上に統一朝鮮を必ず勝ち取るに違いない。「大東亜共栄」など美しい言葉とは反対にアジアを蹂躙しつくした日本国家に対する徹底的な批判の上に、平和と人権を共通の価値観としたアジアの人々の連帯の輪に、沖縄から日本から合流していこう。


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