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    かけはし2019年5月20日号

労働者がマキラドーラで勝利


メキシコ

革命的社会主義者連合


史上前例のない
出来事が出現

 勝利を見たマタモロスのストライキ万歳!
メキシコの社会的闘争の史上前例のないできごとがこの一月に起き、すべての者を驚かせた。つまり、タマウリパスのマタモロス市にあるマキラドーラ(製品輸出の場合、その製造に使用された原材料、中間財、機械などを無関税で輸入できる保税加工制度、米・メキシコ国境のメキシコ側に多く適用された:訳者)適用産業におけるゼネラルストライキだ。六万人を抱える以前は公認のメキシコ労働者連合(CTM)傘下の九六企業が、二〇%賃上げと賃上げに連動させた年ボーナス三万二〇〇〇ペソ(一六七〇ドル)を要求してストライキに入った。
そして「二〇(%)―三二(〇〇〇ペソ)」運動は、九二のマキラドーラ企業で勝利し、残り四企業に加えコカコーラ工場のストライキはこれから勝利すべきものとして続いている。このストライキの波は、そこでの目標を完全に達成するには至らなかったとはいえ、ウォルマート、ソリアナ、チェドラウイといった大手スーパーマーケットにも打撃を与えた。

草の根の反乱が
御用労組を圧倒


アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドールの新政権が宣言した、国境地域すべてでの最低賃金一〇〇%引き上げを経営者が逃れようと試みた時に、この運動が始まった。ちなみにこの宣言は、それによってメキシコ労働者の移住(米国への:訳者)を抑制すること、またメキシコ、米国、カナダ間のNAFTA(北米自由貿易協定)再交渉に含まれていた賃金増大の約束を満たすこと、に挑むものだった。そして前述の雇用主の策謀は、この賃金引き上げに屈服することと引き換えに彼らが、雇用契約に含まれていた他の給付を抑えようと試みた事実に帰着したが、この給付には年ボーナスが含まれていた。経営者たちは彼らの従順な労組代表者を通じて、この方策の「真犯人」は「無責任な政策」を行ったロペス・オブラドールだ、と説明した。
労働者たちは、この雇用主の攻撃、および御用労組連合、CTMの裏切りを前に、当然のように憤り、これを企業内の抗議集会で、またソーシャルネットワーク上で知らせた。そして彼らの権利を守ろうと、有名な労働問題弁護士、スサナ・プリエト・テラザスに助言を求めた。シウダド・フアレスに暮らすこの弁護士は、彼らに接触し助言を与えるために、マタモロスに向かうことを決めた。彼女は到着するや、労働者数千人の歓迎を受けた。
労働者たちは、すでに自然発生的にいくつかの業務放棄を始めていた。そしてそれらをマキラドーラ適用産業全体に広げる計画を立てていた。彼らは、労組本部の占拠までも試みていた。この御用労組の役員たちは、彼らの基盤によって圧倒される危険を前に、一月二五日にゼネラルストライキを指令する以外に選択肢がなかった。

闘争抑え込みへ
新政権も躍起に


労働者たちの普通ではない、そして戦闘的な反応(メキシコでは、一九三〇年代このかたこの種の反応を見たことがない、ということを思い起こそう)は、雇用主階級を警戒態勢に置いた。経営者たちは偽善的に、「そのような引き上げを行う余裕はない」と言明し、この国を去ると脅した。
メキシコの最低賃金日額は世界でも最低レベルにある。つまり一月一日時点で、全国レベルでは一〇二・六八ペソ(五・三四ドル)、北部国境地帯の自由経済圏では一七六・七二ペソ(九・二〇ドル)なのだ。貪欲なマキラドーラ企業の支払いは、たとえ一〇〇%の引き上げであっても、それらの故国での支払いよりも十分の一以下で済むのだ。
ロペス・オブラドールの政府は、ともかく彼らとして、ストライキを止めるようにとの労組への求めを新たにした。そして「われわれは確かに引き上げを実現するつもりだが、それはゆっくりとだ。そうしなければわれわれが民族経済……を壊しかねないからだ。あなた方は労働者と話し合い、次のことを彼らに伝えなければならない。つまり、われわれは新自由主義の時代に失われた賃金すべてを一夜に取り戻すことはできない、俸給は改善され、上昇するだろうがしかし、われわれはそれを少しずつというやり方で行うべきだ、と。さらにそうしなければわれわれは、諸企業を破滅させ、経済を台無しにすることになるからであり、われわれは仕事の元になるものを大事にしなければならない」と彼らに思い起こさせた(エル・ソル・デメヒコ紙、三月一三日)。

自信回復の動き
連帯で後押しを


新自由主義期に蓄積された買力の八〇・〇八%喪失を一度に取り返すことは不可能、ということに疑いはない。しかし、世界的な大企業には「民族経済」を危険にさらすことなくより良い賃金を提供する大幅な能力がある、という事実を否認することなどまったくできない。われわれ労働者は、現政権が企業の労働者と経営者間の交渉に対する出しゃばりを全面的に止め、各々の事例に合う最良の賃上げをその内部で自由に決定できるようにするよう、要求しなければならない。ビジネスリーダーが労働者の要求を満たす余裕はないと主張するのであれば、彼らには会計帳簿を公開させ、それを広く明らかにさせよう!
否認できないこととして、マタモロスの勝利を見たストライキは、PRI(制度的革命党)の支配機構の選挙における敗北に並んで、生活水準を改善し、労組諸組織を民主化する自身の闘争において、労働者階級の自信回復を助けている。これは、諸々の大学(中でもチャピンゴ、首都圏、オアカサ)の労働者によるストライキ、北部国境地帯の他地域で成長中の不穏、石油部門、社会保障や初等教育部門における新たな労組による反乱の発展、さらに独立労組運動の再組織化に反映された。
望ましいと思われることは、独立労組諸連合――労働者新連合(CIT)、労働者全国組合(UNT)、労働者新国際連合(鉱山労組主導のCIT)、そして教育労働者全国共闘(CNTE)――が次の目標を考慮に入れた闘争の最小限綱領を推し進めることに合意することだ。
その目標とは、最大限の連帯に基づく進行中のストライキに対する支援、裁判の普及と団体結成の自由を保障する雇用法令の改良に対する要求、第三次産業化の制限、二〇一二年反労働者改革の廃止、年金基金の連帯的性格の回復およびそれに対する労組管理、労働者の賃金における歴史的な喪失を回復する計画、週三五時間労働、公的債務に対する監査、および正統性のない債務返済の拒否、だ。
われわれ、革命的社会主義者連合は、われわれのささやかな塹壕から、労働者階級の諸闘争に対する全面的かつ無条件の連帯を断言する。(二〇一九年三月一六日、メキシコシティ)

▼革命的社会主義者連合はメキシコにおける第四インターナショナルのシンパサイザー組織。(「インターナショナルビューポイント」二〇一九年四月号)

北アイルランド

ジャーナリスト殺害糾弾!

空虚な軍事主義は変革妨げる

バーニー・キャシディー

 四月一八日、二九歳のジャーナリスト、労組活動家、そしてレズビアン活動家であるライラ・マッキーが、北アイルランド、デリーのクレッガン地域で暴動を伝えている中で銃撃を受けた。この殺害は、著名なジャーナリストまた活動家(注一)に対する広範な哀悼および「新IRA」――「聖金曜日協定」(英国とアイルランド共和国間の和平合意、一般にはベルファスト合意と呼ばれ、アイルランド共和国が北アイルランド六州に対する領有権主張を放棄した:訳者)を拒否して一九九八年に暫定IRA(一九六九年にアイルランド共和国軍、IRA主流派から分裂)と分裂した反対派グループ――に対する怒りを巻き起こした。

独立派の孤立と
反独裁派の腐敗

 ジェリー・アダムス(二〇一八年二月までシンフェイン党首)はベルファストのバリーマーフィー地区でIRA司令官だった時、彼らの地区を英軍から守るために現地の若者たちが起こした暴動を、彼の部隊に対する有望な補充兵を見分けるために利用した。衝突の中で少なくとも彼らのメンバーの一人に警察に向け発砲を許した時、デリーの「新IRA」指導部が同じことをやっていた、ということは偏りのない推測だ。そしてその衝突の中で彼らは、二九歳のジャーナリスト、労組活動家、そしてレズビアン活動家を銃撃した。
「新IRA」と結びついている政治組織、Saoradh(アイルランド語で解放を意味する:訳者)はすぐさま、彼女の死は事故であり、彼女の家族に彼らの同情を述べる、と語っている声明を出した。それは、意図した標的への漠然とした方向に拳銃を無闇に発砲するという軍事的分別について、またそれに匹敵するものが政治的愚かしさだけである組織の技術的無能力にも、何もコメントしなかった(注二)。
アダムス時代、一九七〇年代はじめの暴動は、敵対的占領軍と普遍的に思われていたものに対する、大衆的なコミュニティ防衛の一部だった。それらには高い水準の支持があった。しかしデリーの暴動は正反対だった。それは、「新IRA」の支持のなさおよびその政治的孤立をはっきり明らかにするものだった。警察は支持者と思われた一人の家を家宅捜索したが、何も見つけられなかった。
それと対照的な形で、体制支持派の殺人的ごろつき集団は、アイルランド北部でゆすり行為、麻薬販売、そして売春に深く関わり、相対的に責任を問われることなく活動を続けている。彼らがDUP(民主統一党、北アイルランドのプロテスタント強硬派で極右政党、英議会ではメイ政権成立に協力:訳者)の選挙キャンペーンマシーンの一部であるという事実が、彼らに相当な政治的保護を与えている。

空しく愚かな
計画は袋小路


「新IRA」には一つの戦略があるとした場合それは、一九九四年に終わりを迎えたものを再開する形で、統一アイルランドを求める武装闘争を始めることだ。今回をめぐって異なることになることは、それが大衆的支持のいかなる意味のある水準も欠いて、より熟練を欠き数もより少ない活動家、もっと貧弱な装備に基づき、そして完璧に近い国家による浸透を受けて行われることになる、ということだ。
彼らは強硬ブレグジットに希望をかけている(注三)。「不可避的になる物理的な国境の基幹的施設に基づき、……ブレグジットには英国を破裂させる潜在的可能性がある。これは、アイルランドの民衆にわれわれの国の仕切りについてよく理解させるだろう。……そして歴史がわれわれに教えるように、それは不可避的に、アイルランドにおける英国の支配に反対する抵抗の炎に燃料をくべるだろう」。
それは愚かしい計画だ。ライラの殺害は、彼らが活動するコミュニティにおける大量の支持を彼らから奪い取った。そしてそのより若いメンバーの多くは、今や自身に問いかけているに違いない。空しい賭の結果として、彼らは本当に刑務所で二〇年を過ごしたいのか、と。

絶望と鬱屈感
にこそ回答を

 それにもかかわらず「新IRA」は、絶望と鬱屈感の蓄えに向けて合図を送り続けている。ライラの書いたもっとも重要な記事の一つは、アイルランド北部における若者の自殺という悩みに関するものだった(注四)。彼女は、二九年の軍事的紛争の中で死亡したよりも多くの人々が、聖金曜日協定後の一六年で自殺した、と記述した。ライラが死亡した地域であるクレッガンは、英国、あるいはアイルランドでもっとも貧しい街区の一つだ。
聖金曜日協定は、シンフェインとDUPに近い人々には、ボロもうけができる仕事を生み出した。しかしデリーの失業青年にそのための切符が与えられることはこれまでなかった。殺害の二日前DUP指導者のアーレン・フォスターは、近づく自治体選挙におけるプロテスタントの一致した投票を呼びかけた(注五)。暴動は、彼らが暮らす社会に向けられた憤激のある種言葉にならないうなり声だ。そして、彼らのある者たちが武装闘争への回帰というレトリックによって誘惑されることになる、ということは事実上不可避だ。
ライラの死は彼女の家族と彼女を愛した者たちにとって悲劇だった。そして、アイルランド中に、彼女に対する同情の表現が数多く現れてきた。最終的に失敗し、今後も再び失敗する武装闘争の再開への切望などまったくない、ということはそれらを注視している誰にも明白だ。「新IRA」はアイルランド人の統一という主張を後退させ、分割を支持する者たちの支配力を強化することになった。
革命的変革は、数万人規模で普通の人々が政治に関わるようになる場合に起きる。そして空虚な軍事主義的で男誇示的ふるまいで無実の女性を殺害することは、その変革の実現を食い止めるのだ。(「ソーシャリスト・レジスタンス」より)

▼筆者はソーシャリスト・レジスタンス記者。
(注一)彼女のもっとも知られている記事の一つは「私の一四歳の自分への手紙」、彼女の死後、ベルファストで成人するゲイをめぐって、ザ・ガーディアン紙に掲載された。
(注二)二度目の声明では「われわれは、敵との交戦中には先行きに最高度の注意を払い、それを確実にすることの助けにするために適切な方策を講じるよう、志願者たちに命じてきた」。(アイリッシュ・ニュース、四月二三日)(「インターナショナルビューポイント」による注)。
(注三)「新たな反対派、ブレグジット利用に希望かける」(BBCニュース、二〇一八年五月一五日)
(注四)「休戦の子どもたちの自殺」(Mosaic紙、一月一九日)。
(注五)「DUPがマニフェストの宣伝に乗り出す中で、フォスターが、体制支持派の分裂はシンフェインの国境管理施設要求を助けるだろう、と語る」(ベルファスト。テレグラフ、四月一九日)。(「インターナショナルビューポイント」二〇一九年四月号)


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