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    かけはし2019年6月17日号

政治の構図全体を壊す道へ、逆風下の決断


ポルトガル

左翼ブロック(BE)の二〇年

階級闘争に有益な党とは何か
左翼ブロックの挑戦を考える

ホス・エジレウン/マヌエル・ガリ

 その内部で第四インターナショナルの同志たちが重要な役割を果たしているポルトガルの左翼ブロックの活動には、改良主義への屈服という時折の批判を除いて、急進的左翼内での注目が多いとは言えない。以下は、その経験には十分な検討に値する重要な示唆が多くあるとの観点から、左翼ブロックの二〇年をたどりつつ、いくつかの点について論じている。(「かけはし」編集部)

BEを忘却してはならない


 今年は、ポルトガルのブロコ・デ・エスクエルダ(BE、左翼ブロック)創立二〇周年に当たる。それは、類例のない政治運動として、また一つの統一した政党あるいは連合としてではなく、創出された。その創立と進化は、別の政治的な流れを背景に、関心と熱情をもってこの経験を綿密に追いかけてきたわれわれのような者たちにとって、模範的だ。それは、矛盾や試練や危険が諸々ないわけではない、類例のない経験だ。自らを存在証明的行為や自己確認に限りたくない革命的左翼は、これらを深く考えなければならない。
 その創立から二〇年、われわれの注意を捉える最初のことは、われわれの政治潮流の思考の中にブロコが占めている領域の小ささだ。しかしながらこれまでには、BEの一定のイニシアチブや立場を評価する場合、採用された立場――たとえば二〇一五年の社会党との合意に関して――の具体的な条件や理由を知るのを待つことのない、厳しい批判が時折現れてきた。
 この「忘却」に対する理由の一つは、人口(一〇三〇万人)の点における、またそのGDPの、EUのそれとの関係での重みの点における、国の規模であるかもしれない。そうであっても、ポルトガルの政治的光景上にブロコが獲得してきた政治的、社会的領域、およびその活動家組織を前提とした時、その忘却を理解することは難しい。したがってわれわれは、この創立二〇周年を、ブロコの歴史をふり返り、この経験のもっとも興味ある側面としてわれわれが見出しているものを特筆するために利用する。

「回復力」が第一の際立つ特徴


 トーマス・クーンのパラダイム概念を借りる――そしておおいな慎重さをもってそれを社会的・政治的分野に移す――ことで、一つの組織としてのブロコは、一国の中に選挙上のまた社会的な重みをもつ大衆的な反資本主義勢力を設立する点における、他の異なったまた代わりになる諸提案よりも、もっと多くの成功を得てきた。BEはこの二〇年を通じて、宣伝グループから大衆的影響力をもつ政党に移行する中で左翼グループが遭遇する、主な諸問題のいくつかを解決できてきた。
 これはポルトガルで立証できている。この国では、一九世紀末と二〇世紀始めに同じような配列上に位置を占めていた政治的組織がどれ一つとして、生き延びなかったのだ。他方で、ブロコが経験してきた左翼への(それらのセクト主義的、教条主義的諸変種の内の良質な部分)、あるいは右翼への(社会党との提携や協定を求めた)さまざまな分裂は、的外れに、あるいは消滅に終わった。
 しかしまたわれわれは他のEU諸国内でもこの二〇年を通して、たとえばイタリアの共産主義再建党のような重要な経験の内部破裂を、あるいはNPAのめざましい登場、を経験してきた。しかしながら後者は現在、相当な困難を抱えた時期を通過中だ。さらにあるいは、フランスにおける左翼戦線の台頭と後退という経験もある。
 したがってこの二〇周年は、この経験の諸特性を問題にするよい機会だ。その経験は、その上昇と下降に基づいて、活動家に、しかし何よりも幅広い諸層に既成諸政党に対するオルタナティブとして訴えかけつつ、選挙の分野と社会的空間で行動できる政治勢力に自身を転換しようとしている、現在は周辺化されている革命的なオルタナティブ出の者たちに対し、興味ある諸要素を提供している。
 信頼性のあるオルタナティブというこの側面は、ポデモスや不屈のフランスのような経験の駆動力だった。その経験は、選択された組織モデルとその一貫性のない政治的放浪両者、および社会運動とのつながりの不在、を原因として現在困難の中にある。
 それゆえ、ブロコで際立つ第一の特徴は、危機的な時を克服する、そして予想外のまた普通ではない情勢に適応する能力として理解された、その回復力だ。そしてそれが、ブロコの存在の二〇年を通じたその連続性と発展を可能にしてきた。またそれは、社会党、共産党、ブロコ、さらに緑の党間の合意に関して使われている軽蔑的な表現である、「ジェリーゴーサ」あるいは「珍妙な仕掛け」が、寡頭支配層の攻撃にもかかわらず三年続いてきた理由を、今のところ説明する。
 しかし科学におけると同じく、一つのパラダイムがよりうまくいっているという事実は、あらゆる問題に直面して満足のいく結果を得ることができる、あるいは完全な成功を得ることができる、ということを意味するわけではない。あるいはまた、それがその地位を無期限に維持できる、ということを意味するものでもない。

あらゆる不利な条件に抗して

 ブロコの創立は一九九九年だった。前年の、中絶に関する国民投票における、大衆運動の予想外の敗北を経たものだった。まさにその時、一九七四年四月二五日(サラザール独裁体制がこの日打倒された:訳者)に幕を開けた、長期の政治サイクルの終わりはすでに明白になっていた。新政党が抑圧と敗北の時期に現れる、ということは普通ではない。それらは通常、前進の時期に、あり得る勝利の匂いを受けて現れる。
ブロコの構造は、異なったイデオロギー的ルーツをもつ、また共通の政治的実践がほとんどなかった三組織の合意によって形成された。ちなみにこの三組織とは、PSR(革命的社会党、第四インターナショナルポルトガル支部)、UDP(毛沢東主義派起源の、統一民衆的民主派)、そしてPXXI(21世紀の政治、ポルトガル共産党の分裂組織)だ。
そしてそれは、政党内の戦闘性と政治化の偉大な伝統をもつ、しかし他方で、諸政党に形を与える社会組織や社会運動の顕著な弱さと脆弱性(たとえば、フランス、イタリア、スペインとの比較で)がある、そうした国で起こった。労働組合の領域ですら、それは非常に重要な分野だが、ポルトガルの労組運動は、他の諸国では存在している政治的自律と連携に向けた能力を持っていない。
こうして一九九九年、ポルトガルの政治情勢は、たとえば二〇一四年にスペインでポデモスの出現を可能にした諸条件とは、まったく似ていないものだった。スペインには当時、15Mの決起が扉を開いた好機の窓があったのだ。しかしそれでも、これら三勢力の合意はそれを可能にした。距離のあるイデオロギー的起源と共通の政治経験がほとんどない条件の下で、この三政治勢力が踏み込んだこの歩みを可能にした要素は何だったのだろうか?
中絶に関する国民投票の敗北後に行われたミグエル・ロメロによるインタビューにおけるフランシスコ・ルカの説明を取り上げれば、そこには、一つの時代が終わった、そして大胆な提案が現れた、という非常に全般的な理解があった。それは、その強さと統一がイデオロギーを超えて進むことで確立されると思われる、そうした一つの政治的運動を生み出す、ということだった(注一)。

「必要な党」建設への意志から

 この説明には時間をかける価値がある。それがこの構想の要石だからだ。中心的な課題は、イデオロギー問題に関して、あるいは労働者運動の歴史(ロシアあるいは中国の革命)に関する解釈について合意することではなかった。主なことは、ルカによれば、政治的任務を確定すること、および新たな運動の政治的文化の設立、に集中することだった。提案は合同した諸勢力内での内部的抵抗に見舞われた。しかしそれは確実に地歩を得続け、達成された。
第二に、ブロコの回復力は、一つの政治運動の建設における鍵を握る要素を出発点にしない限り理解できないだろう。つまり、進行を明瞭に表現でき、錯綜した関係を理解でき、政治的行動に向けた基調を調えることができる、そうした指導部のことだ。
反動的な時期における新たな政治運動の建設は危険をはらんだ任務だということは、誰もが分かっている。そして一九九九年のポルトガルでは、四政党構造が固められている中に五番目の政党をつくり出すことは容易なことではなかった。結果はあらかじめ保証されてはいなかった。
それでもそのイニシアチブは、短期の内に何とか一三〇〇人に近いメンバーを引きつけることができた(二〇一九年では八〇〇〇人)。そしてそれは、ポルトガル規模の国にとって評価に値する政治的資本であり、ルカによれば、行動に向けた十分な強さ、および次の国会選挙に先立って、新たな政治的また選挙上の空間があるという確証、をブロコに与えた。ちなみにブロコは、前述の選挙で二議席を勝ち取った。
これにもかかわらず、われわれが上で示したように、ブロコは、弱い社会運動と政治的敗北という背景の只中で始められた。その大胆さは、ピエール・ルッセが「必要とされる党」と定義しているもの、あるいは別の脈絡では、労働者階級、女性、農民、若者にとっての「有益な党」として定義されるもの、を建設する必要に対する理解の点だった。
「一定数の諸国――EU諸国をはじめとして――には、革命的組織に生気を吹き込む社会闘争の質や水準がまったくない。……活動家が世界を理解する主な方法は必ずしも、現在の一定の政治的任務や迫り来る挑戦課題に見合うものではない。しかし政治活動は、絶対的要請ではなく、意識の『現に存在している』レベルを基礎に行われる。それゆえ、人々が一つの政党の建設を心から欲している場合であっても、可能な(意識の水準を条件として)政党と必要な(現在の任務を条件として)政党の間には、溝が存在している可能性があるのだ」、ルッセはこう述べる(注二)。

単なる付属物拒絶支える諸要素

 ブロコはこの挑戦課題にどのように取りかかったのか? 前述のインタビューの中でルカが思い起こしているように、単純かつ強力な考えに基づいて、だ。つまり基本的な考えは、左翼の単なる付属物としてのブロコを拒絶することだった。強さは、左翼のある種全体的な再構成を遂行することによってはじめて、得られる可能性が開かれるだろう。ホルゲ・コスタはインターナショナルビューポイントの中で、「ブロコの闘争はこの国の伝統的な政治地図を壊すことだ」と、その目標を明確に定めた(注三)。
彼らは目標を指し示し、他の諸政党との競争を図ることはなかった。ブロコ設立の成功は、イデオロギー的論争を第一に置いたり、あるいは自分たちの独自性に関して一つの主張を押しつけたりすることにあったのではなく、合同と党統治機関に求められたその後の機能を、諸任務に関する合意に基礎づけたことにあった。これをわれわれが理解する上では、その創立文書「コメカル・デ・ノヴォ(刷新の開始)」を読むことが助けになる。
そしてこれについて言えば、大衆的影響力をもつブロコを建設する上では次のことが必要だった。つまり、ルカによれば、戦術的な介入――それはこの構想の有益性がはっきり示されるところだ――に中心的な注意を振り向けつつ、まず反資本主義意識および社会主義的政策をもつ重要な社会的勢力を代表することだった。さらに、何よりも、合流の力学を助成し、ポルトガルで起きていた政治論争の中で必要とされた参照点になることにより影響力を伸ばすことであり、それとは別に正しくあることにむしろ関心を向ける独自性の主張、を避けることだった。
ダニエル・ベンサイードがかつて指摘したように、一つの党は、あらゆる国民的論争で必須の参照点となる場合に、政治的影響力をもつ。それは、綱領的あるいは独自性主義的断言の先に広がる、また政治的戦術とその政策を伝える方法に対する特別な注意を必要とする何かだ。それゆえブロコの日常的活動の中では、コミュニケーション政策が一つの中心的関心になっている。
ところで、自己確認よりも諸任務に関する正確な戦術の開発により基礎を置いた一つの政党は、結束した指導部なしにはずっと先まで進むことはできない。存続可能な指導部を欠いた政党は破綻の運命にある。それゆえ重要なことは、それが発展させる政策とそれが推し進める内部的な力学の双方によって、党の戦闘性に確信を吹き込む、そうしたこの「参謀部」の集団的建設だ。ブロコの場合これは必然的に、共有の文化と分かち合われた諸理念の集積をつくり出すことに向けられた。そしてそれらの基礎には、経験、政治的介入、さらに、下部の諸階級と被抑圧層の必要を基礎とした社会主義的諸提案の具体化として理解された、綱領論争、が置かれた。

BEを国民的論争の中心に置く

 ブロコは、四月革命が残した民主的機会(メディア利用権、比例代表制、その他)を条件に、またポルトガルの社会諸階級間にある衝突においては議会での衝突が極めて重要ということを考慮に入れ、獲得した代表という地位から一つの介入を発展させることができた。それは興味ある諸形態をとった。すなわち、諸機構内の動向に関する一種の戦争における高度に戦術的なイニシアチブ能力、現場における他の諸勢力からの政治的自律性、戦術的柔軟性、そして資本主義の論理と政治的寡頭支配層に対する壊し屋になる能力だ。
指導部は、ブロコを国民的論争の中心に変える目的で、以下を基礎にした一つの方法論を発展させた。
1.議会と地方自治体行政部に民衆の要求を持ち込むために、また同時に、諸運動の強さと組織をつくり出し、広げ打ち固めるために、制度上の職務、立法機関のイニシアチブ、さらに不信任動議を利用すること。一つの社会主義の構想をもつ左翼政府に向かう政治的進歩には、必須の条件として強力な社会運動、活力ある労働者階級を必要とする、ということをわきまえつつ、ブロコは何とかかんとか政治的なものから社会的なものを生み出してきた。このタイプの非常に興味あるキャンペーンは、職と生活の不安定性に反対して(二〇一一年三月)、トロイカに反対して(二〇一三年三月)推し進められたもの、あるいは労組の、たとえば教育における闘争を支持するものだった。それらは、社会運動を生み出すというブロコの関心を表すものだ。
2.ポルトガル社会が抱える諸問題すべてについて深く考えること、そして、 明確で実行可能な反新自由主義的かつ民主的な対応を提供すること。そして、カール・マルクスが『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』の中で一八五二年に定式化したものを二一世紀に適用することでそれを行うこと。そこでの定式化は、「一九世紀の社会革命は、その躍動的熱情を過去から引きだすことはできず、それは未来からのみ可能になる。それは、過去に関する迷信すべてをはぎ取ってしまうでは、自ら始まることができない」というものだ。
これは、債務、財政、社会的サービス、あるいは現局面の、グローバル化した資本主義の典型的問題である利益優先企業による解雇に対する手当についての核心的な提案の開発、新たな文化的かつ技術的現実に一致する介入と広報の定式を見出すこと、コミュニケーションをメディアを所有する寡頭支配者に反対する戦争の武器に転換すること、これらを必要としてきた。
3.左翼の指導部およびヘゲモニーのために挑む、従属的地位には立たない勢力として現れること。ブロコが、はるか先まで進む論理に基づいて、左翼の民衆を組織/代表するという大望を抱いているからだ。そして、アルダ・ソウサがはっきり語るように、その見解が政治的課題と論争の中心になり、たとえ拒否され、闘いの対象にされ、中傷されるとしても、無視できない、そうしたことを理由に影響力をもつ政党へとブロコを転換する、その大胆さと政治的イニシアチブを通して前述した勢力として現れること。
このすべては以下の二つの根拠を導きにしている。第一は(再度マルクス)、「一つの支配階級と衝突する社会の大衆全体として」現れる労働者階級に言及している『ドイツ・イデオロギー』の古い諸条件を現代化しつつ、社会的対立の中心軸としてブロコを見なすこと。第二に、EU条約における規律至上主義的緊縮といった原理的諸課題に関する政治システムの総意を壊すこと、また民衆主権を粉砕している、ユーロのはなはだしく不公正な諸条件を厳しく非難すること。
その理由はまさにブロコの指針が、宣伝を行うだけではなく、労働者階級に対する前向きな諸提案を、闘争の回復とその諸条件の改善に結びつけ、債務と民主主義の問題に変えることにもあったからだ。BE第九回大会における演説中のマリサ・マティアスの言葉では「われわれは、民主的主権の領域として、経済政策における諸々の投資の回復を防衛する」とされている。
この達成のために、ルカは「制度的代表を欠いた社会的闘争という代わりの戦略は、孤立の正当化とさして変わりがないと思われる」と力説する。BE指導者の見解では、社会主義の左翼は、多数派をヘゲモニー行使者にするために闘争するのであって、少数派であるという固定観念によって、あるいは選挙における衝突を超えて仮定された社会的世界という自律主義的あるいはアナーキスト的ビジョンによって打ち負かされることを、自らに許さない。ルカは多くの折に、勝つために、そして変革するためにブロコは登場した、と繰り返してきた。

リスクと試練を伴った道程


ブロコが代表する党のモデルは、諸々の変動があるとしても堅固な選挙基盤を保持している。しかしその自治体での根付きと諸機構内での存在感は、全国的存在感よりも小さい。また同様に、組織された労働者階級との結びつきも、必要とされるものより薄い。そしてそれは、この党にとって進歩の可能性を引き下げる可能性があると思われる。とはいえブロコは、気候変動反対の決起と「エコ社会主義会議」では相当な存在感を保持し、後者の前回会議はリスボンで開催された。
しかし、選挙と制度に関する活動は、中心的問題であり続けている。それが展開する諸条件が暗示することは、活動家のエネルギーと政治的能力の大きな部分が制度的活動に振り向けられなければならないということ、また制度上の責任を抱える政党は日々の政治的変化に応じて大きな速度で対応しなければならないということだ。
制度――そして最終的にはシステム――への順応という圧力を回避するために、同じく政治的戦術の当てもないさまよいの中での、構想の希薄化を避けるために、選挙での成功を確保している政党は、いくつかの側面で自身の強さを発展させなければならない。その側面には、政治的ロードマップの集団的維持、その指導者や地位に対する統制と刷新に向けた文化と諸方策を高めること、そして社会的諸組織における存在度の引き上げを計画すること、がある。
党指導部における官僚化と無気力を回避する一方法として、もっとも重要な道具の一つはその指導者の輪番制だ。われわれの確信では、BEにおける基幹活動家の刷新が、ブロコの回復力という点で非常に重要な役割を果たしてきた。
われわれは、BEの古参創立者であるルイス・ファゼンダ、フランシスコ・ルカ、そしてフェルナンド・ロサスと並んで、ホルゲ・コスタ、ペドロ・フィリペ・ソアレス、ジョアオ・カマルゴ、ホセ・ソエイロ、そして特に、重要な責任に基づいて女性三人組が果たした役割を見ることができる。ちなみに最後の三人組とは、マリアナ・モルタグア、マリサ・マティアス、カタリナ・マルティンスだ。そこには世代的変化と指導的地位への女性の参入がある。
数年前の、この刷新プロセスを推し進めるために地位を離れるというフランシスコ・ルカが下した決定は、一つの実践的な政治的事例だった。同時に彼は、その最初の日から同じように活動を続けると請け合い、そして彼はそれを行ってきた。そしてそれは彼に、組織内部での重要な権威を贈り続けている。
しかし指導部内の輪番制を超えて、革命的組織の役割を確実にするためには、もっと多くの要素がなければならない。調整委員会スポークスパーソンであるカタリナ・マルティンスはそれを、党の内部的性格と党の社会的基盤との関係の中に位置づけている。マルティンスは前回大会で「闘士の党は……党の男と女であるそのエネルギーに依存している」と語った。そして彼女は正しい。これらは、システムによる吸収や捕獲、あるいは権力行使の便利さに対する屈服、を回避する本質的要素だ。
しかし鍵は、党と民衆間の結びつきに置かれている。つまり、党は民衆を代表してるがゆえに、議会内と機構内で、運動と闘争がブロコに強さを与えているがゆえに、それらの外で、その結びつきが鍵になるということだ。マルティンスはそれを「われわれが必要とされているがゆえに、われわれが闘う民衆であるがゆえに、われわれは存在している」と述べている。

▼マヌエル・ガリは、労組活動家であると共にスペインの第四インターナショナル支部指導者。また「ビエント・スル」誌編集委員会メンバー。
▼ホス・エジレウンは、「ビエント・スル」誌編集委員会メンバー。彼が暮らすフランスではNPAメンバー。
(注一)二〇一〇年、ミグエル・ロメロ、フランシスコ・ルカ、「われわれはどうにか、存在していなかった空間、これまで認識されてこなかった政治的空間、を埋めた」。
(注二)二〇一七年五月、ピエール・ルッセ、「『党の問題』に関する考察」。
(注三)二〇一四年四月、ホルゲ・コスタ、「カーネーション革命から四〇年」(もちろん今では、四五年後)。(「インターナショナルビューポイント」二〇一九年四月号) 


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