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「かけはし」1999.7.12号より

「国家情報院(旧安企部)によるスパイ活動強要を告発する」

ソウル大4年カン・ソンソク氏の良心宣言

 ソウル大師範学部四年カン・ソンソク氏(24、体教科)にとって5月10日は希望と絶望とが一挙に抱かせられた、一生の中で忘れられない日となった。この日はカン氏が九月の卒業を前に初めての教生実習に出かける日だった。とうとう社会に一歩踏み出す瞬間でもあったが、先生になりたいという子どものときからの夢が一歩近づくという思いに胸の高鳴る日だった。

「お前のことはすべて知っている」

 けれども、この日はまたカン氏が夢にも思わなかった苦境に陥り始めた日でもあった。これまで話には聞いていた「スパイ工作」が、ほかならぬ自分の首を締めながら近づいてきたのだ。この日からカン氏は自身の対共容疑(国家保安法上の容疑)と就業問題などを持ち出して「情報員活動」を要求する国家情報院(旧安企部)捜査要員の脅迫と誘いに苦しめられなければならなかった。
 ひと月以上も良心と未来への恐怖との間で悩み苦しみつつ悪夢のような時間を送ったカン氏は、今後、自分と同じ状況におかれる被害者が二度と生じないようにしなければならないとの思いから、このような事実を世間に知らせることを決心した、と語った。
 以下はカン氏が明らかにしたスパイ強要工作の過程だ。
 カン氏に対する国情院要員のスパイ活動の要求は個人的ながらも極めていんぎんに始まった。カン氏は5月10日、初の教生実習のために浮き浮きした気分でソウル東崇洞のソウル師範大付属女子中学校に出勤した。初めて教壇に立ったカン氏は中学生たちのはじける笑い声の中で時のたつのも忘れて一日を送った。
 カン氏が助教(研究と事務を補助する人)から「論文のことで相談があるので日課が終わり次第、助教室に来てくれ」との電話を受けたのは、この日の午後6時ごろ。何も考えず助教室に行ったカン氏は、助教と一緒にいる見知らぬ人に会わされた。助教はその人を「同じ科の82年学番(82年入学者)のイ某先輩」だと紹介した。カン氏が気になって「何の用か」とたずねると、イ氏は「そうあわてずに食事でもしにいこう」と言ってカン氏を学校前の飲食店に連れていった。カン氏は現職教師である先輩が、あと何日もない教師任用試験を前に助言してくれるために来たぐらいに、大して気にもとめなかった。
 だが飲食店に入るとイ氏が食堂の主人に「静かな場所に座りたい」というのを見て異常な感じがした。座についた後、「君に会いに来た理由は君も分かっているはずだ」と口火を切った。カン氏が「よく分かりません」と言うと、イ氏は「国家情報院からやってきた」と語った。カン氏はそれでも何のことが簡単には飲み込めないでいると「お前らが毎日、廃止しようといっていた安企部からやってきたのだ」と重ねて言った。カン氏は安企部という言葉に胸が凍てつくほど驚いた。
 食事をしながらイ氏は、まずカン氏の家庭の事情や大学生活について、ズラズラと語った。カン氏の両親が何をしているか、姉たちは誰それと結婚し、どこそこで暮らしているかまでも次々と暴露していった。またカン氏が九六年に師範学部の学生会長、97年には総学生会長に立候補したことなど、学内の活動についても詳細に語った。「私について何でも知っている」という思いにカン氏の心の中では驚きと恐ろしさが、ないまじった。

「全員逮捕しようと思えばできる」

 イ氏は「お前については何でも知っている。科の先輩として助けてやりたくてやってきた。たずねることについて幾つかだけ答えてくれ」と言って、ソウル大に在学中の、あるいは卒業した総学生会および学部学生会の幹部経験者らの名前を30人ほど、ずらっと並べたてた後、「お前がこれらの人々をどのぐらい知っているか、またこれらの人々は互いにどんな関係になっているのか話してくれ」と要求した。
 イ氏が挙げた人々は現在のソウル大の学部学生会長らを含め、この2年の間に総学生会長や学部学生会長に立候補した人々が網羅されていた。工科学部学生会長のイ○○、副学生会長キム○○、98年のサークル会長チェ○○、師範学部学生会長ユン○○氏をはじめ、九七年副総学生会長候補者チョ○○、そして師範学部学生会所属キム○○、キム○○、パク○○、ソ○○、自然学部キム○○、工科学部キム○○、キム○○、チョン○○、チャン○○、社会学部ピョン○○、イム○○氏らの名が出てきた。このほかにもカン氏が初めて聞く名前も何人か含まれていた。イ氏は頭の中がぼーっとした。自分ばかりか周辺の人々を国情院が手に取るように把握しているという思いにぞっとした。
 イ氏は「この人々をすべていま、捕らえて取り調べすることもできる。お前も嫌疑があるので、いつだって私の前で取り調べをされ得る。そうなれば、お前の人生はもう知れたことだ」と語った、とカン氏は明らかにした。
 けれどもカン氏が「よく分からない」と拒絶すると、イ氏は「お前の立場も分かる。これからゆっくりと話ししよう」と語った。場所を変えた酒席の後、イ氏はカン氏にタクシー代だと言って5万ウォンをポケットにねじ込んだ。
 カン氏がイ氏に二度目に会ったのは5月14日、退勤時間に合わせて、教生実習中のソウル師大付属女子中にイ氏がたずねてきたのだ。カン氏はイ氏がたずねてくるとの電話に「退勤後、同僚教生たちと飲む約束があるので会えない」と拒絶した。だがイ氏は「科の後輩たちでもあるのだから一緒に会おう」と言ってやってきた。居心地のよくない雰囲気の酒の場が終わった後、イ氏は「二次会をやりたいが車で来たのでムリだから、わが家に行こう」と提案した。カン氏は「見せたいものがある」というイ氏の言葉に引かれて、同席していた教生のキム某氏と一緒にイ氏の車に乗った。
 イ氏の家でカン氏は、今一度、驚かされた。イ氏は居室の本棚から、ぶ厚いコピー類を取り出してきて見せた。ソウル大から持ち出されたと分かるノートやダイアリー、手紙などだった。家政学部の講義時間が書き込まれたダイアリーにはソウル大サークル会長らの連絡所も書かれてあり、ある手紙のコピーにはカン氏の科の友達であるキム某氏の名前も入っていた。イ氏は「このぐらいは朝飯前だ。家にはこれ以外にはないが、事務所にはもっとある」と語った。イ氏はこの日、別れ際に20万ウォン入った封筒をカン氏に渡した。カン氏は嫌なので払いのけたが、一緒にいた一年先輩の教生キム氏が受け取り「先輩がくれるというのだから、もらおう」と言ってポケットに納めた。
 再び四日後の5月18日、イ氏は学校にまたやってきた。イ氏はこの日、新たな要求をカン氏に突きつけた。イ氏は『救国の道』という韓総連の文献をカン氏に示し「ソウル大で作られたものであることは確かで、北韓の韓民戦の放送内容と瓜二つだ。放送を聴いていてこれを作っている子らは3、4人だ。この前、言った子らを全部、捕らえて取り調べというのも可能だが、そうなるとお前を含め罪のない子らが傷つく」と言って文献を作っているのはだれなのか、と問いつめた。

「協力拒否ならお前の将来はない」

 イ氏はまた本格的にスパイ活動への「対価」を説明し始めた。「私に協力した後、友達らとの関係で国内に居づらくなったら外国で暮らせるように手助けする。いまもそうやって暮らしている子らがいる」。
 イ氏はカン氏が96年の延世大の事態に参加の嫌疑で不拘束起訴された前歴があるという弱点も握っていた。「お前はおまんまの食いあげさ。任用教師に合格しても教師になるのは難しい。私に協力すれば、教師への道を援助してやる」。イ氏はまた「お前はアカのグルだから、お前が望んでいる学士将校の道は難しい。それだって私に協力してくれれば望み通りに援助してやる」と露骨に脅迫と誘いとをした。
 それから1週間後の25日、イ氏は再びカン氏を訪れ別の号の『救国の道』2巻を示し、再三にわたって協力を要求した。「昨年ソウル大で開かれた汎民族大会のとき、ソウル大の幹部がコンピュータを使って北韓と交信した後『北韓大学生の一日』というビデオを受けとる連絡を取ったことがある。われわれが暗号を解析して追跡したところ自然学部の女子学生のアパートだった。明らかに北韓と内通している人間がいる。つかまえなければならない」。

「最後の手段を使うぞ」という脅迫

 6月3日、イ氏は5度目の訪問をした。そしてまたぞろ『救国の道』を取り出し「明らかにお前が知っている人物が作ったものだ。お前が知らないわけがない」と追及した。カン氏が知らないと言い続けるとイ氏は「それなら経営学部と自然学部に行って『救国の道』について聞いてみろ」と言い、カン氏は「それなら一度、言っては見る」と答えた。
 その後、イ氏は数日間隔でカン氏に電話をかけてきて、調べたかどうかを確認した。だが、はなから調べる考えのなかったカン氏は6月14日、「いい加減にしろ。良心上、苦しくて耐えられない。今後、電話をよこさないでくれ」と怒って言った。するとイ氏は激昂した口調で「それなら俺も最後の手段を使うしかない」と言って電話を切ってしまった。そうして数日が過ぎ、カン氏は不安な思いを抱いて、このような事実を暴露することにした。
 これについてイ氏は6月20日午後、「ハンギョレ21」の記者に会い、以下のように語った。「対共嫌疑の事件を捜査するときは多くの人々と会い、協力を要請するのはごく当たり前の捜査技法だ。ただ強要や脅迫など不法な方法は用いない。カン氏の場合も科の後輩だったから気楽に接触し、『救国の道』の制作者の身元を把握してくれなどと頼んだ。脅迫や強要は全然なかった。任用テストの問題や兵役問題は他の機関のことなのに、どうして私が手を出すことができるだろうか。この問題もカン氏がまず『不拘束起訴されたことがあれば教師になるのに支障があるか』といって難しさを吐露し、私に協力してくれたら力の及ぶかぎり調べてみてやる、と言ったものだ」。
 またイ氏は「最後の手段という言葉も後で『救国の道』が事件化したとき、関連学生の口からカン氏にかかわる陳述が出てきたら、その時は私もどうすることもできない、という意味だったのであって、強圧的な意味で言ったものではなかった」と主張した。
 だがイ氏の言い分は事実とは程遠い。カン氏は最近、イ氏が言った「最後の手段」が恐ろしく、また心配にもなって、イ氏に電話をかけた。するとイ氏は「お前との取り引きは終わった。調べる手段は、お前にだけあるわけはないじゃないか。最後の手段とは何かなどと詮索せず、自分の身の振り方でも考えろ。先輩として助けてやろうとしたのに態度をハッキリせず、こないだの電話で終わったんだろ。電話での話のように、お互いが分かっていればいいことだ」と語った。
 またイ氏は任用テストについて聞いているカン氏に「試験はちゃんと受けたのに俺が何かをやるかと思って恐ろしいんじゃないのか。不安だって。それなら俺がやれという通りやればいいじゃないか。それすれば任用テストは助けてやるから。取り引きとは、そういうことではないのか」と語った、とカン氏は明かした。

「通常の業務遂行だ」と言う国情院

 一方、イ氏のこのようなスパイ強要工作はイ氏の単独行動ではなく、国情院側がすでに詳しく把握しているとの疑惑も提起されている。6月19日、カン氏とイ氏が会うことに約束した場所に国情院の要員が大挙出動したのだ。この日の約束場所であるソウル・江南区江南駅付近のPカフェには約束時間の12時30分に合わせて10人近い人員が出動し潜伏した。これらは国情院の要員であることが確認された。
 けれどもイ氏はカン氏との約束場所に現れなかった。そして約束時間を15分ほど過ぎた後、カン氏に電話をかけ、約束場所を変えた。カン氏がそちらに移動すると国情院の要員らを乗せた車両も一緒にそちらに移動した。二番目の約束場所にもイ氏はついに現れなかった。イ氏は、しばし後に電話で「いま、親戚に不幸があって地方に出かけようとしている。数日後、もう一度電話しよう」と語った。だが確認の結果、イ氏は当時ソウルにいた。
 なぜ、そうしたのだろうか。国情院はこの日の状況について「出動の事実」は認めながらも「他の業務の一環にすぎず、カン氏とは関係のないこと」だと語った。「誤解の余地があると言わざるをえないが、断じてカン氏とは関係がない」という話だ。けれども国情院の要員らがカン氏の後を追って再約束の場所にまで移動したという点から、このような主張は説得力がない。
 むしろイ氏がカン氏の動態を探るために同僚の要員らを約束の場所に自分の代わりに派遣した可能性が大きいものと見られる。カン氏がスパイ強要工作の事実を人権団体やマスコミなどにぶちまける可能性があると見て、状況を正確に把握するために国情院の要員らが「代理出動」したというのもあり得るだろう。
 国情院はイ氏のスパイ強要工作についての公式の立場表明を求められ、「通常の業務遂行」だと前置きし、「ただ若干の過失があったようだ」と語った。国情院はまた今後も「このようなやり方の捜査」を続けるのか、ということについては「対共関連の捜査は国民の協力が欠かせない」「ただ今回の事件を生かし、スムースにできない部分がないようにしていく」という公式の立場を表明した。(「ハンギョレ21」第264号、99年7月1日付、チョ・ソンゴン記者)


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