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 投書               かけはし2006.11.06号

「グエムル 漢江(ハンガン)の怪物」を見て

SM

 「グエムル 漢江(ハンガン)の怪物」という映画(ポン・ジュノ監督作品)を見た。9月に有楽町スバル座で、10月にユーロスペース1(渋谷)で、見た。
 ストーリーを、ごく簡単に、紹介したい。在韓米軍が大量の毒薬(ホルマリン)を下水に流して捨てる。それが原因でハンガンに怪物が誕生する。パク・カンドゥ(ソン・ガンホ)は、父親(パク・ヒボン/ピョン・ヒボン)が営む河岸の売店で働いている。カンドゥの娘ヒョンソ(中学生/コ・アソン)も怪物に襲われてしまう。パク一家は、ヒョンソを救うために、怪物と闘う事になる。だが、実は怪物は、もう1匹いた。「世の中全体が、もう一つの怪物となっている」(ポン・ジュノ監督)のだった。2匹の怪物とパク一家の闘いが繰り広げられる。
 「日本の怪獣映画のようなものを期待する人は見てがっかりするかもしれない」(藤井たけしさん)が、ぼくはこの映画は面白い、と思った。この映画には、ユーモアがある。切なくなる部分がある。それに、社会批判がある。庶民が怪物を倒すというところが良い。この映画は、在韓米軍、警察、軍隊(韓国軍)、テレビ局、病院、WHOなどを批判している。人権団体の事も批判しているが、これは「人権団体も市民を裏切る事がありうる」という警告ではないか。
 この映画は、市民運動の事は肯定的に描いている。デモ隊の中に、「カンドゥに自由を」的なTシャツを着ている市民がいたシーンなどを見て、そう思った。カンドゥと少年(セジュ/イ・ドンホ)の食事のシーン(「テレビつまんない」「他のを見るか」「消そうよ、ご飯に集中」的なところ)も面白い。このシーンには(にも)テレビ批判が込められているのではないか。泥だらけのヒョンソが怪物を見上げる表情が良い。ナムジュ(カンドゥの妹/ペ・ドゥナ)が怪物に矢を命中させた後、踵(きびす)を返すところが、かっこいい。カンドゥ(パク一家)には勇気がある。ぼくだったら怪物から逃げ回る事しか出来ないかも知れない。人質になる看護師(コ・スヒ)の演技も良い。音楽(イ・ビョンウ)も良い。ぼくは、これらの事を考えた。
 この映画には、パク一家が4人でカップ麺(めん)を食べるシーンが出てくる。韓国にもカップ麺などという不健康な食品が存在するのだろうか。韓国では、ご飯(米)はスプーンで食べるのかな。ハンガンというのは随分大きな川だな。これらの事も考えた。ぼくの誤解かも知れないが、この映画には「精神障害者」を差別するシーンが出てきたような気がする。
 藤井たけしとポン・ジュノ監督の言葉を紹介する。藤井たけしさんは、次のような意味の事を述べている。「日本の怪獣映画の基調には被害が不特定多数の国民に及ぶかも知れないという危機アジリが存在している。九〇年代以降〈ガメラ〉などを通して怪獣映画を復活させてきた金子修介は自衛隊との密接な協力のもとに『国防映画』色を強めていき九条改憲の必要性を語るに及んでいる」(『反天皇制運動DANCE!』2006年9月号)。ポン・ジュノ監督は、語る。「災難を扱った多くの映画には、軍人や、天才科学者といったヒーローが登場しますが、『グエムル』では`負け犬キャラaと言ってもいいような家族たちを主人公としました」(『キネマ旬報』2006年9月下旬号、キネマ旬報社)。「映画に登場する人物たちは、すべて、公権力、国家に守られたことのない社会的な弱者ですが、その中でも最も弱い存在であるホームレスの少年セジュがリレーのような形で助けられていき、最後にカンドゥが温かいごはんを食べさせて映画が終わります。……最も弱い立場の人々が、ちょっと変わったネットワークの中で自分よりも弱いものを助けるということが、この作品の本当の主題であると言えるかもしれません」(同)。
 「グエムル 漢江(ハンガン)の怪物」/2006年/韓国映画/英題 THE HOST    (2006年10月29日)



コラム
履修単位不足問題―高校生の反乱は?


 高校で必修科目を受験対策のために履修させていない問題は全国に広がり、四十六都道府県四百六十五校、九万人を超える高校生がこのままだと卒業できないことが分かった。さらに、大学には履修したという虚偽の内申書が送られているケースも明らかになった。
 毎日マスコミが大きく取り上げ、大きな社会問題となっている。関係する校長は「全責任は自分にある」と誤り、卒業までに補修をさせるという。安倍首相は「生徒への配慮を優先させる」と記者の質問に答えた。
 しかし、この事件の原因は小泉や安倍が進めてきた教育に新自由主義的競争原理を導入したからにほかならない。今回問題となっているのは、いわゆる進学校である。都教委は進学重点校を指定し、国公立大や有名私立大の現役合格者などの数値目標を掲げ、その目標の達成を求めている。そのため、各学校では個別指導などで最優先して受験対策に取り組まざるをえなくなっている。これは一東京都だけの問題ではない。文科省や教育委員会は学校評価制度を導入して、学校間格差をあおる政策を推し進めたからだ。
 安倍政権はイギリスのサッチャーが始めた新自由主義教育を日本でも本格的に導入するために諮問機関を設けた。イギリスでは全国一斉テストによって、学校を格付けして競争をあおり、有名校を作り出した。その結果、有名校の周りに生徒が引越し、町全体の環境が変ってしまい大問題となった。そのためいまでは全国テストをやめるなどの是正をせざるをえなくなっている。
 すでに、高校だけではなく、都内のいくつかの小学校において学校選択制が導入された。江東区の小学校では、今年度にたった七人しか入学しない小学校が現れた。公立の小学校がすでに学校ごとにランクがつけられ、競争のあおりを受けている。
 この問題が起きた時、私は自分たちが闘った高校時代を思い出した。一九六九年度から、静岡県立掛川西校において、大学受験のために選択授業を導入しようとした。われわれは、大学に進学し、エリートとして支配階級の一員になることを拒否するとして、選択制の撤回を求めて校長室を占拠し闘った。結局選択授業は導入されてしまったが、政治表現の自由やアスパック闘争の逮捕者への処分をめぐって、全生徒を巻き込む一大闘争をつくりだした。
 この間の問題をめぐって、過度の受験対策を批判し、人格形成に必要な教育の必要性をインタビューで答える高校生もいた。だが文科省や安倍の新自由主義教育を批判し、反乱を起こすには至っていない。高校生たちを政治的に獲得するためにも、安倍・新自由主義教育批判と対決していかなければならない。(滝)

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