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『右島一朗著作集』(つげ書房新社)によせて       かけはし2006.1.16号

社会主義再生へ開かれた議論を

革命運動の再構築に向けて継承すべき多くの指針を提起


 「かけはし」の編集長であった右島一朗(高島義一)の執筆した論稿を集めた著作集が刊行された。
 二〇〇四年八月、右島は、単独行による静岡県の赤石沢の遡行中に事故にあった。不運にも早すぎる死であった。
 その後、一年をかけ多岐に渡る彼の「かけはし」の論稿をまとめこの著作集を刊行することができた。過去の見解はもとより現在そしてこれからも継続する論点が収められている。

「党のマルクス主義」への挑戦


 ジャン・ジャコブは『政治的エコロジーの歴史』(緑風社)のエコロジーと社会主義の章で「懐疑的正統派共産主義であるフランス共産党が、一九七〇年代になってもエコロジーの問題に目を開かなかった」ことを告発している。
 かつてエマニュエル・ウオーラスティンは、こうした、とくに一九六〇年代におけるマルクス主義党派らがあまりにも多くのものを捨象してきたことを指摘していた。
 ウオーラスティンは、「党のマルクス主義」という言葉のもとで取り残されたものには例えば、女性があり、エコロジーがあり、文化があり、マイノリティがあり、人種があったと指摘する。
 私たち以外にも一九八〇年代、「季刊クライシス」など、こうした問題にいち早く取組んでいたものもあった。一九八五年臨時増刊号『エコロジー・フェミニズム・社会主義』の特集は、その「党のマルクス主義」への挑戦状でもあった。
 この著作集の副題である『社会主義再生への途上で』にもあるように右島は、こうした問題に当時から果敢に挑戦してきた。
 私たちにも該当するだろう「党のマルクス主義」があまりにも多くのものを捨象し、通り過ぎてしまいがちな問題について、右島はその都度に渾身の力をこめて紙面を埋めていた。当然、私たちが、彼の論稿、記事に共感し共有する多くのこうした問題を先行し、提起してくれていた。

過渡期社会論争をめぐって

 生前の右島と私との最大の論争のテーマこそ、過渡期論であった。特に中国はじめベトナム、キューバの評価をめぐり共有する点と異論があった。そこで多少、長くなるが何人かの主要な論者の発言を歴史的に遡り論点の整理を行ってみたい。
 かつて過渡期をめぐる論争において、トロツキーは、ロシア革命の教訓からネップと社会主義建設の問題を取り上げ、精力的に発言をしていた。社会主義建設にとって大いなる教訓が、そこにはあり、国有化の問題や世界市場の問題は、現在でも示唆に富む。
 過渡期労働者国家の近年の論争としては、キューバ革命以降の一九六〇年代、『クーバ・ソシアリスタ』誌のゲバラとシャルル・ベトレームの経済論争に続き、一九七〇年初頭には、シャルル・ベトレームとポール・スウィージーの論争があるが、「計画―市場」をどう把握するのかというテーマが大きな部分が割れていた。
 「計画―市場」は、一九八〇年代後半のソ連・東欧・中国の経済改革路線の只中、オスカー・ランゲを継承するブルス及びラスキによって、「社会主義市場経済」及び「市場社会主義」と読みかえられもした。
 後に中国政府官僚が全面的に受け入れることとなる「市場社会主義」は、当時から「資本家のいない、効率性の疑わしい生気のない資本主義として、あるいは真の資本主義がその中に無理に押し分けて復活する抜け穴として、『左翼』から批判された」(『マルクスから市場へ』一九八九年岩波書店・第五章 難問に対する理論的反応p92ブルス、ラスキ)。
 シャルル・ベトレームは、一九六〇年代初頭から中国での社会主義建設に大きな衝撃を受け過渡期論に関する論文を精力的に当時発表している。
 この論争の出発点は、スウィージーの論文「チェコスロバキア・資本主義・社会主義」(「マンスリー・レビュー誌」、一九六八年十月)がきっかけになっている。
 これに先立ち、スウィージーは、ユーゴスラビアの事例をひきながら「社会主義から資本主義への移行?」(「マンスリー・レビュー」誌、一九六四年)で、市場と社会主義の両立性を否定的に捉えて、実行不可能であることを強調していた。
 これはまたモーリス・ドップおよびポール・バランの見解の延長でもあった。
 社会主義における過渡期の「市場―計画」という概念の組み合わせをもって社会主義国家や社会を語る伝統は、エゴフあたりからだが、ベトレームは彼自身の過渡期論が国家資本主義理論への帰結という点にあまりにも無自覚である反面、社会主義の過渡期における論争において「市場―計画」それ自体が濫用されてきたことへの告発は、当時から現在に至るまでこの論争における重要な争点を喚起している。
 キューバ革命以降、エルネスト・マンデルは、ゲバラに請われこのキューバの社会経済建設は、どうあるべきか検討し提言を行った。
 またポール・スウィージーとレオ・ヒューバーマンも革命直後のキューバを訪れ、この経済建設に重要な助言を行った。
 そうした助言や提言を参考にキューバは、一九六〇年末までに「管制高地」を国有化し、それから数カ月後、カストロは、この革命が、社会主義的性格を持つものであることを公式に声明した。
 エルネスト・マンデルもまた『マルクス主義と現代革命』(一九七九年 柘植書房新社)で、前述したポール・スウィージーに近い見解、つまり市場の存在を消極的に捉える傾向があった。スウィージーとマンデル両者の共通項としてキューバの経験があったことが大きい要因であったと考えられる。
 マンデルは、後にソ連・東ヨーロッパの激動の一九八〇年代以降、マンデル自身のこれまでの見解を転換するが、それまでの見解の誤りは明らかであった。

中国の現在をどう評価する


 こうした論点をまとめたものに湯川順夫のマンデルの評価がある。
 「……マンデルの過渡期経済論は、この点でおそらくプレオブラジェンスキーのアプローチを採用したのではないかと思われる。
 この問題は、単なる純粋理論上の問題ではない。これは、過渡期においてどのような経済建設路線を取るのかをめぐるきわめて重要な実践的問題と密接に関連している。実際、これまでに成立したすべての労働者国家はほぼ例外なしに経済的冒険主義の、主意主義的、極左主義的経済建設路線を歴史的に経験してきたし、それらは計り知れない膨大な損害と犠牲を生み出した。
b中国―大躍進から文化大革命に至る毛沢東主義の時代
bキューバ―一九六五年以降の砂糖一千万トン運動
bベトナム―南北統一後の一九七六年の「急進的路線」
 これらは、過去における膨大で悲惨な経験のごく一部にすぎない。
 マンデルは、自らの過渡期経済論をもって、ソ連の利潤論争や経済改革をめぐる論争に対して積極的に発言したが、とりわけ重要だったのは、一九六〇年代前半のキューバでの社会主義論争に対する積極的な参画であった。この論争で、彼は、ゲバラとともに、ソ連派テクノクラートの利潤制導入論に反対する側の急先鋒であった。そこで主張された利潤導入論がテクノクラート主導のものであり、キューバにおける経済格差を拡大し、体制の官僚化を招くとするマンデルの批判は、確かにそのかぎりにおいては当たっていたが、その反面、彼の論議は、その後の一九六五年からの極左冒険主義的『一千万トン砂糖生産』運動の破産―一時期は零細企業の国有化まで行われた―を予防するという点ではまったく無自覚であったと言わなければならない」(『エルネスト・マンデル』、柘植書房新社)。
 トロツキーの実践的提起も、とくに実際過渡期経済建設に重要な提言をできる機会があったにもかかわらずマンデルの見解は逆であった。
 こうした過渡期労働者国家をめぐる論争の範囲を遥かに超えた「市場と資本主義の流入」の段階に中国が突入したことを右島は指摘した。
 二〇〇二年十一月中国共産党第十六回大会が行なわれ、これを右島は、「資本主義的国民政党への転換」と規定した。
 そもそもこれに先立つ一九九九年、右島は、「『反官僚政治革命』という戦略概念をいまどのように考えるのか」という同盟内討論用の論文を書いている。
 「ソ連・東ヨーロッパの『堕落した労働者国家』は資本主義に向かって崩壊した。その結果、これまでの私たちの政治的判断が再検討を迫られた。歴史的かつ国際的な『階級の敗北』のこの論理は、北朝鮮、中国、ベトナム、キューバにも、強弱の差はあったとしても貫かれている」。
 右島への異論は、この論稿以外の討論上、各国の労働者国家のあり方を政治力学で一律に語ることへの不適切さにあった。当然、そこでは、各国の抱える歴史的かつ国際的環境は、共通する問題がありながらも「労働者国家」規定を失効する歴史的時代認識となるという規定には明白な相互理解の合意には至らかった。
 さらに「堕落した官僚的労働者国家」の下部構造の基底となる一九四九以来の中国革命から得た階級的利益を、すでに官僚体制が国内の労働者階級への深刻で否定的影響をもたらし階級的利益の甚だしい侵食が進行しているとしても、未だにその階級的利益が存在している事実をどのように判断するのか。このことを捨象したままに自身の論拠を組み立てていることに『堕落した労働者国家』の規定を失ったとする右島の見解には首肯できないところがあった。
 また一方、「戦略の歴史的パースペクティブ」では、第四インターナショナル十二回大会を前後した、酒井、ジャベールのニカラグアについての主張を取り上げている。
 一九七九年のニカラグア革命の規定として「経済構造はいわゆる『混合経済』であり、資本主義的生産関係が色濃く存在していた。統一書記局多数派と異なって、ジャベールと酒井は、革命的暴力装置を掌握し徹底した大衆動員によって帝国主義の包囲・介入と闘い抜いている革命ニカラグア国家権力の階級的性格を『プロレタリア独裁』とすべきであると主張し、国家権力の性格の問題を機械的に『経済的土台』に還元されてはならない、と主張した」という意見には、実践的にも賛同するが、さらにこの問題は、先の湯川順夫のマンデル批判にも通じる。革命ニカラグアへのキューバの助言は、もとよりすでに第三世界の社会主義をめざす勢力にとって革命後の急速な経済建設の歴史的誤りと「管制高地」の掌握後、「混合経済」の採用を戦略的に受け入れていく論争のもとに行われた経過がある。
 すでに当時、ソ連・東ヨーロッパの崩壊後、現在ではすでにニカラグアは、反革命の台頭が著しいが、一九九〇年二月の総選挙当時のサンディニスタ民族解放戦線は敗北に瀕しながらも深刻な総括と展望を模索していた。
 一九九二年フィリピンのジョエル・ロカモーラによる「冷戦の終了と第三世界の革命戦略」は、その頃の代表的論文だが、中央集権的計画経済の放棄、積極的「混合経済」の採用、さらに「『社会主義的原始蓄積』の形態は大衆そして環境に対する莫大な犠牲の上に実現された。第三世界の進歩的経済学者の間では一般的に、この社会主義建設のモデルは放棄され、より緩やかな成長の戦略、そしてその中で農業と工業の要求のバランスをとり、消費者向け製品の生産や生態系のバランスにも十分な配慮を行うことが提案されている」としている。
 この問題は、単なる純粋理論上の問題ではない。その国への政治的判断をどのように採用するのかをめぐるきわめて重要な実践的問題と密接に関連している。
 この著作集にも所収してあるが、新時代社発行の「沸騰する『資本主義中国』」という高島義一、早野一の二人の分析と評価が書かれている論文集がある。香港の同志たちが発行する『先駆』もまた右島同様の見解を述べているが、もちろんこの評価をめぐり内外からの異論が現在でも継続していることを付け加えておかなければならない。
 中国共産党第十六回大会以降、私的資本家階級を、共産党一党支配体制の中に組み入れて管理・統制し、党外で政治的影響力を発揮しないようにするのか、政治的には資本主義の圧倒的影響のもと真の資本主義がその中に無理に押し入って復活する抜け穴としてあるのか、今後、この評価は、同盟全体の論議はもとより、開かれた総括と評価を継続し、さらなる論議を重ねる必要があることを私は痛感している。

「人権と民主主義」の防衛


 渓内謙が『現代社会主義の省察』のなかで問うた「社会主義と民主主義の未完」の問題がある。この問題を自らの課題として克服しようとするものたちにとって重要な模索が続けられている。特にソ連・東ヨーロッパ圏のいわゆる「社会主義」の崩壊後、かつてあれほど社会主義を賛美してきた人々の離反は、それこそ手のひらを返したようなものであったし、最近では北朝鮮の拉致問題からも多くの離反者が生まれた。
 しかし、右島は、こうした崩壊したスターリニズムや社会主義者と自称する輩が踏みにじった「人権と民主主義」をあらゆる抑圧者から防衛しようとする闘いを基礎に、社会主義革命運動の再生を目指すことを提起していた。これはまた私たちの受け継ぐ指針でもある。またそれに付随する今後もおおいに論争となる党やインターナショナルや政治権力の問題の指針を真摯に提起していてくれた。
 右島は、すでに二十六年前からの私のペンネーム浜本清志の名付け親であり、良きアドバイスをしてくれた同志であり指導者でもあった。この場を借りて故右島同志に感謝する。
      (浜本清志)


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