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ブラジル 2006年大統領選挙――深い政治的亀裂(下) かけはし2006.12.11号

労働者は分断され、左翼は分裂

ジョアオ・マチャド/ジョゼ・コレア・レイテ


PTとPSDBとの競い合い

 PTとPSDBは、二〇〇四年の自治体選挙以後、今回の競い合いを準備してきた。この選挙結果が、東南部や南部の大センターでPTがいかに脆弱であるかを明らかにしたとはいえ、党の情勢が深刻なまでに危うくなったのは二〇〇五年六月の票買収スキャンダル以後であった。
 その後、二〇〇六年の初めには世論調査でルラは徐々にその立場を回復し、鮮明な本命候補としてのキャンペーンを開始した。票買収スキャンダルは、別の事件――「吸血鬼」「吸血動物」スキャンダル(地域医療サービスへの血液と救急車の提供にともなう過大請求への関与)によって葬り去られた。他方PSDBの候補は、自らの党の分岐を伴うキャンペーンを開始した。
 すべてのコメンテーターは、二つの結合した要因により、ルラが第一回投票で予想より少ない票しか得られず、その結果第二回投票に持ち込まれたということで一致している。第一は「文書」スキャンダルである。第二は、投票三日前にわが国の主要TVネットワークで行われた主な大統領候補者間のTV討論にルラが背を向けて出なかったことである(実際のところ、ルラは選挙運動中のどの討論にも顔を見せなかった)。
 ルラとアルキミンとの競い合いで最も驚くべき側面は、選挙での分極化は貧しい者はルラ、金持ちはアルキミンという社会的帰属性として表現されたが、それはそれぞれの政綱での分極化を意味していなかった、ということである。
 ルラは、生活援助を中心とした政策と彼自身のカリスマ性の結合を通じて、住民の最も貧しい層、国内で最も「未開発」地域の住民との一体化という主張をなんとか維持した。「家族援助金」政策の影響は、選挙でかなりのウェイトを占めるのに十分であり、共和国大統領としてのつつましやかな出自が持つ象徴的意味は、なお重要な役割を果たしている。
 他方、より富裕で保守的な部分は、最もあさましい新自由主義のステレオタイプを擬人化しているアルキミンをごく自然に支持する傾向があった。さらに、PTの機構がマフィア的手段を日常的に方策としていることを再び示した「文書スキャンダル」――それはルラ自身の再選さえ危機にさらした――は、中流階級の一部とブルジョアジーのPTに対する怒りを強め、ルラを第二回投票に追い込むことで彼を罰しようという誘惑をつのらせた。中立を保っていた一部の人びとでさえ、最終局面においては再生されたある種の反PT感情に獲得されてしまった。
 ルラとPTは圧力の下で、アルキミンを金持ちで、FHC政権の政策と同じものであると強調し、第二回投票では貧しい人びとに対する約束を拡大しはじめ、現政権の左翼的とされる性格を指摘すると同時に、自分たちは経済政策を変更しないとして、公共支出の削減にも保証を与えたのである!
 かくして、貧しい人びとがルラを社会的に支持したことは、わが国の真のオルタナティブをめぐる競い合いがなされたということを意味しない。それはむしろ、埋め合わせ的な所得支援策への公的資金の使用に基づいて、国家が保護の対象とする者は誰かという問題であり、住民の大多数が極貧にあえいでいるという状況の中では巨大な影響をもたらすものだった。アルキミン政権になれば、たとえば対外政策などでは第二次ルラ政権と同じということにはならないだろう。しかし、ルラが新自由主義的正統性と決別するだろうと考える理由など存在しない。

PSOLの選挙結果

 PSOL、ならびに左翼戦線(票の面では、PSTUとPCBはほとんど何の足しにもならなかった)への大統領選以外の全般的投票結果は、エロイザへの投票と歩調を合わせたものではなく、党(ならびに左翼戦線)の弱さを示すものとなってしまった。州知事選でわれわれが広範な政治的討論を支える能力のある候補者を持ったところでは、エロイザの得票のかなりの部分をなんとか獲得することができた。
 トニーニョやエドミルソンといった候補が有効投票の四%以上を獲得した連邦特別行政区(ブラジリア)とパラ州(北部)、レナト・ロセーノが二・七五%(州都フォルタレーザでは七%以上)を獲得したセアラ州(北東部)、プリニオ・サンパイオが二・五%(五十万票)を獲得したサンパウロにおいてそれがあてはまる。しかしほとんどの州では、われわれの候補者はわずか一%、ないしそれ以下しか得票できなかった。
 PSOLが国民議会の下院比例代表区で獲得した票は、全国で有効得票の一・四%、百十四万九千票であり、五%の敷居(それは議会委員会に参加する完全な権利を持つ下限)に達しなかった。われわれは国民議会の下院に三人を当選させ(リオグランデドスル州のルシアナ・ジェンロ、サンパウロ州のイヴァン・ヴァレンテ、リオデジャネイロ州のシコ・アレンカル)、三人の州議会議員(サンパウロ州のギナッチとラウロ・マルセロ、リオデジャネイロ州のマルセロ・フレイソ)を当選させた。PSTUとPCBの候補者は誰も当選しなかった。
 PSOLが各級の選挙に立候補したのはこれが初めてということを思い起こせば、この結果はそれほど悪くないように見える。しかし選挙前の党の状況と比較すれば、明らかに後退だった。PSOLは選挙後には、それ以前よりも党として弱体化したのである。このことは主要に、PSOLの党としての規模の小ささと極度の脆弱さ、そして行動における統一を達成する上での巨大な困難によって説明される。PSOLは、社会と地域の重要な部分において真の存在を示すに十分な数の候補者を擁立できるだけの、強さと広がりがなかったのである。
 われわれはPTから引き継いだ政治的資本の一部――国民議会議員であったサンパウロ州のオランド・ファンタツィーニ、リオデジャネイロ州のババ、ブラジリアのマニーニャ、セアラ州のジョアオ・アルフレド――を失い、再選されなかった四人以上の州議会議員(三人の新たな州議会議員の当選によって部分的に埋め合わされたとはいえ)を失った。しかし、PSOLの内部的な政治的分散を考えれば、比例代表選挙でわれわれが獲得したよりも良い結果を得ることは容易ではなかっただろう。われわれが望みえた最大のものは、もしなんとか党候補者名簿にもっと多くの票を獲得できたならば、サンパウロ州とリオデジャネイロ州でそれぞれ二人目を当選させえただろうということである。
 実際、先に指摘したように、選挙戦の中で集団的政治指導部の出発点すら持たなかった。多くの機会で示されたエロイザ・エレナの単独的役割は、われわれの政治的・組織的・財政的指導体制の弱さを明らかにした。労働組合にルーツを持つPSOL指導部の一部は、選挙運動の組織化に精通していないことが分かった。この意味で、エロイザ・エレナ自身が、必要とされる物質的手段のないままに、大陸ほどの規模を持つ国での選挙運動の容赦のないリズムを支える上で、きわめて重要な役割を果たしたのである。
 選挙結果は、PSTUとPCBの限界をも明らかにした。左翼戦線全体の得票に前者が付け加えた票数は約十万、後者は約四万だった。

第二回投票に対する立場

 第二回投票は、大統領選挙とともに幾つかの州知事選挙の競い合いも含むものだった。PSOLは、党の一部の人びとが、アルキミンがルラよりもさらに右派だという理由でアルキミンを敗北させるためにルラへの投票を支持し、また他の一部が「アルキミンに投票するな」というスローガンを掲げて、ルラに投票するか無効投票にするかは人びとに委ねるという方針を取ったにもかかわらず、二人の大統領候補のいずれも支持しないことを決定した。
 PSOLの多数派が二つの立場を退けたのには幾つかの理由がある。第一に、ルラが明確な社会自由主義的政権を率いてきたことである。すなわち彼が、根本的な経済問題と社会政策において新自由主義モデルを追求したことである。
 第二に、彼がブラジルの最も右翼的諸政党の大部分(たとえばパウル・マルウフのPP〔国民党〕)との連携の弧を築きあげたことである。したがってそれは、誰が左翼ブロックを代表する候補なのかという問題ではなかった(われわれ選挙民の中での社会的分極化について述べたにもかかわらずである)。
 PSOLの創設者の一人である社会学者のリカルド・アンチュネスは、第二回投票でルラを支持することに反対する理由を「カルタ・マイオール・エージェンシー」とのインタビュー(06年10月13日)で次のように説明している。
 「ルラとアルキミンが同じではないことは明白だ。しかし金融資本や大規模工業資本とのつながりをふくむ彼らの経済政策のあり方は同じである。アルキミンがより伝統的な右派候補であるのに対して、ルラ政権は社会的闘争から登場したが、右派の基本的信条を身につける結果となった。この点で、ルラはきわめて効果的に社会的闘争を混乱させている」。
 「フェルナンド・エンリケ・カルドーゾ(前大統領)は何年にもわたって,年金改革と年金生活者への課税を試みてきた。しかし彼は、社会運動の反対によって失敗した。ルラ政権は、分裂し細分化されたブラジルの左翼を掘り崩す上できわめて『有能』であることが立証された。PSOLと社会運動の挑戦は、こうしたバラバラになった左翼運動を再度結集することにある。ルラが生み出した混乱は絶大なものがあるので、ルラは社会運動にとってある時は敵、ある時は調停者、ないしは対立している政府の一部と見なされている。したがってアルキミンと彼のどちらが最悪であるか、私には分からない」。
 この見解をPSOLのほとんどの党員が共有している。しかしPSOLは白票を投じるキャンペーンを行わなかった。この立場は、エロイザに投票し、二回目はルラに投票しようという方向に傾いている人びとの意見を尊重するやり方だった。

転換期にあるブラジル


 現在、PSOLと左翼戦線は、自らの政治的構想が正確に何であるかについて、注意深く考える必要がある。現在の新自由主義的ブラジルは、われわれの政治的想像力を今なお特色づけている以前の開発主義的ブラジルと非常に違っている。
 ルラは、FHC政権の下ですでに打ち固められたこの現実――年金改革から家族補助政策にいたるまで――に関わり、それをきわめて鮮明にさらけ出したのである。これは逆説的なことに、彼の政権期間中に、所得の集中の失速(最低限のものだったとはいえ)として帰結した。
 多くの貧しい人びとの所得は、中流階級や高賃金労働者から搾り取って僅かに上昇したが、ブラジルを支配する二万家族の歴史的特権は保持された。実際に彼らは以前よりも繁栄したのである。これはわが国にとって実行性のあるモデルではないが、世界で最も不平等な社会の一つを、安定的に維持する効果的方法なのである。
 左翼の世論、産業労働者階級の組織化された意識的な部分、市民として活発に関わっている中流階級の諸階層と知識人――こうした人びとはすべて影響力を失い、自らのアイデンティティーを深まるプロレタリア化と雇用不安によって薄められてしまった。こうした部分――それは国民的開発至上主義の時期の産物であり、左翼は貧しい大衆との融合による新しい歴史的ブロックの背骨になるべきであるとする計画に従ったものである――は、ルラ・スタイルの新しい蓄積体制の下での最大の敗者である。
 それにもかかわらず、ブラジルの左翼にとって真のスペースがいまなお存在することは明らかである(現瞬間では少数派としてのスペースであったとしても)。しかし、ヘゲモニーを獲得しようとするあらゆる構想、公正で主権を持ち繁栄した国家をめざし、社会主義建設への過渡を切り開こうと望むあらゆる構想は、二つの巨大な試練に直面しなければならないだろう。
 第一に、それは住民のこの層への政治的介入を再組織化しなければならない。
 これは、開発主義時代の初期の大きな希望を回復することを意味する。それらは成長、雇用、賃金として要約できるが、それらはまた予見しうる将来においては不可能な一連の事項(繁栄した経済、力みなぎる労働組合、質の高い公共医療と教育、社会的前進の可能性)をも含んでいる。
 しかしそれはまた、エコロジーから知識への無料のアクセス、文化からセクシュアリティー、アイデンティティー・ポリティクスから反グローバリゼーションにいたる、これらの部分にますます影響を与えている新しい課題の包含を意味する。これらは、それなくしては左翼の再構成もありえない青年にとってとりわけ重要性を持つ戦略的課題なのである。
 第二に、それはヘゲモニーへの使命を回復しなければならない。これは、現在投票所でルラを支持し、所得支持政策を評価しない非国家的左翼をいまだ受け入れていない貧困化した大衆、住民の大多数とのつながりを再確立することを意味する。
 ルラは新ポピュリストである。なぜなら彼は、一九三〇年〜四〇年代に当時のフォーディズム的開発主義の枠組みの中で、労働者階級に雇用と社会的進歩を提供したヘチュリオ・バルガスのように、貧しい大衆に向けた安定した定式を見いだしたからである。
 同様に、この旧式のポピュリズムとの決裂はその対象となった人びとの自立的行動を通してのみ可能となったのであり、したがってルラ主義との決裂は所得と雇用を保障する政策が普遍化する時にはじめて可能になるだろう。それは新自由主義の世界ではとてもありそうもないが、完全な権利と所得補助を伴った五千万の正規雇用を創出するよりも、少なくともブラジル大衆の多数派の願いにはるかに近いものである。
 もちろん、これらの当面の挑戦を超えて、しかもこれらの挑戦と結びつく必要があるものとは、社会主義的構想の国際的信頼性を再建し新しい過渡的綱領を発展させるという、より大きな挑戦である。

(ジョアオ・マチャドはPSOLとPSOL内「エンレース」潮流〔エロイザ・エレナと他の第四インターナショナルのメンバーが参加するグループ〕の指導部。ジョゼ・コレア・レイテは、PSOLならびに「エンレース」潮流のメンバー)
(「インターナショナルビューポイント」電子版06年11月号)            

 関連論文案内
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b10月9日号 エロイザ・エレナを大統領に
b11月20日号 ルラ再選が意味するもの


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