もどる

 立川反戦ビラ事件高裁判決批判             かけはし2006.2.13号

言論・表現の自由を守りぬこう

第7回けんぽう市民フォーラム
公権力の介入を受けない意見の流通こそ民主主義の根幹だ

 一月二十八日、神田神保町の専修大学大学院で「第7回けんぽう市民フォーラム、立川反戦ビラ事件判決を批判する」が、けんぽう市民フォーラム主催で行われた。内田雅敏さん(弁護士)と古川純さん(専修大法科大学院教授)が講師として報告した。
 内田弁護士は自衛隊立川基地反戦ビラ入れ高裁判決を「被告人らのビラ配布のための建物内への立ち入り行為が形式的に刑法の住居侵入罪に該当するとして有罪判決をなしたのは、刑法第一三〇条の目的外使用であり、表現の自由とりわけ政府の行為を批判する自由が民主主義社会の根幹をなすものであることについての無理解及びこれが否定された場合にどのような社会を招来するかについての想像力を欠いたものであり、到底容認することはできない」と批判した(別掲)。
 次に、古川さんは次のように報告を行った。
 一、本事件の背景:市民のビラ活動に対する公安警察の異常なまでの弾圧。二、市民のビラ配布活動と表現の自由の「優位的地位」論。三、違法性阻却としての加罰的違法性論の意義と機能――地裁判決が被告人らの立ち入り行為について住居侵入罪の構成要件に該当するとした上で「犯罪が成立しない」とする無罪判決を導いた論理。
 特に、「北方ジャーナル事件」最高裁判決での谷口正孝意見は「憲法二十一条一項・二項の保障する『公的問題に関する討論や意思決定に必要・有益な情報の自由な流通、すなわち公権力による干渉を受けない意見の発表と情報授受の自由』は、『活力ある民主政治の営為にとって必須の要素となるものであるから、憲法の定めた他の一般的諸権利の保護に対し、憲法上〈優越的保障〉を主張しうべき法益であるといわなければならない』」と、とりわけ公的問題に関する表現の自由の「優越的地位」に明確に言及し承認した。
 本件のビラ入れ行為のみを起訴することは端的に公訴権濫用であるから、一審判決は公訴棄却にすべきケースであった。こうした観点から、控訴審の有罪判決を古川さんは批判した。
 ふたりの提起を受けて、質疑応答を行い、強まる言論弾圧とどのように闘うか有意義な意見交換を行った。        (M)



古川純さんの回答から
ビラは少数意見を社会に伝える有効手段

 質問に答えて、古川さんは今回の高裁有罪判決を次のように批判した。
 「ビラを投函している人に対して、それを見つけた自衛官は『イラク自衛隊派遣反対と言っているようなビラはダメなんだ』と内容を問題にして、『取り締まるべきだとビラの回収を求めた』と、高裁は認定をしている。明治憲法では、言論内容そのものを処罰できた。現憲法下ではできない。公安警察は普通の市民警察の顔をしながら、普通の刑法の罪とか、軽犯罪法とかで取り締まる。実はそういう内容中立的な顔をしながら、自衛官が言っているように内容そのものがダメだと言って、身柄を拘束されたり、起訴されている。高裁判決は検察官の言い分を認めて有罪にした。裁判所は、そんなふうであってはいけない。この点をもっと大々的に批判しなければならない」。
 「集合住宅における玄関ドアの通路は、商業的なビラと同じように非商業的なビラの配布もできる、そうした権利があるものだ。市民のコミュニケーションルートを住居侵入罪によって排除すべきものではない」。
 「住民各人が新聞受けに入れられるのがいやだということだけで、あるビラの投函が社会的に相当でないとなるかどうかは疑問がある。今回のようなビラの投函は何ら正当性を持たないとはならない。むしろ一定の政治的表現について、コミュニケーションルートにのることを全部徹底的に排除していくことになると、それ自体が市民に対する言論・表現行為の萎縮作用をもたらすことになる」。
 「住居者の同意があるないの形式判断だけでは不充分だ。いやなビラがきたら、各人が廃棄すればいいことだ。そういうことをしないで、コミュニケーションルートを排除すること事態が表現の自由を奪うものになる」。
 「吉祥寺の駅頭ビラ配り判決で、最高裁の伊藤正己補足意見が『社会で少数意見はマスメディアに流れることは期待できないのだから、他人に伝える最も簡便な手段はビラまきだ』と言っている。何らそれと代わらない新聞受けへのビラ配りがあって当然だ。いろんなビラが配布される。イラク反戦のようなそういうビラだけを除くのはおかしい。ビラが少数意見を市民に伝える簡便で有効な手段だ」。
 「このことをしっかりとらえないと、いまはすぐプライバシーとか本人の同意ということだけで、形式的にシャットアウトする議論が優位に立ってしまっている。そうなると、市民社会において、お互いに意見を交換したり、メッセージを出したりするというのは、必要なくなるのかどうかですね。そういうのを抑圧するような雰囲気が出てきたことがとんでもないことになる」。

内田雅敏さんの報告

「不愉快」な言論の保障こそ最も重要


 一審の被告人質問の時に、陪席裁判官が「居住者の全員がビラを配ってくれるなといったらどうしますか」と被告人質問をした。どういう答えをするか一瞬緊張した。そうしたら、被告の方は「もし、そうしたことがあれば考えなくちゃならない」と答えた。法廷でのやりとりはそれでいい。しかし、本来ならば、全員が拒絶したとしても、「あっ、そうか」ということで拒絶した人が、その情報に接してみたら変わる可能性がある。つまり、言論というのは、お互いに変わる可能性があることが保障されてはじめて言論の自由が保障される。
 奥平康弘さん(憲法研究者)が『「トゲのある言説を唱える自由』に挑戦する『秩序」とは?』」(『これが犯罪―ビラ配りで逮捕を考える』岩波ブックレット)とコラムで書いている。これは目からうろこが落ちる思いで読んだ。われわれはどうしても、運動の観点でこの言論はいい言論だ、役に立つ正しい言論だと言いがちだ。
 奥平さんはこう書いている。
 「一般大衆受けの当りさわりない日常生活にかかわる情報、重要で役に立つ情報、とげのない心強い情報などは、あえて憲法によって保護されるまでもなく、事実上ほぼ完ぺきなまでに、保障される」。
 つまり憲法上の権利と言わなくてもピザの宅配の情報は保障されている。「その自由は憲法二十一条の規定とは無縁だとさえ言いたいくらいだ。表現の自由がその意義を発揮するのは世の中の周辺に追いやられるメッセージに、当該個人の存在をかけた主張として、価値を与える情報として守ることだ」と。
 奥平さんがオウムの時に、本当に表現の自由を守る観点から破防法の適用に反対していた。私らは、オウムはしょうがないという気持ちが、どこか心の片隅にあった。奥平さんの言う、役に立つ情報は憲法上当然保障されている。役に立たない不愉快な言論、そういう言論こそが保障されるのが憲法二十一条だ。私は本当にそう思う。
 今回の住居侵入罪をもって、ビラ配りを有罪としたのは、住居侵入罪の目的外使用なんですね。これは奥平さんが言っていることだけれども、「シベリア出兵の際に、出征兵士の妻とある男性が『姦通』をした。ところが戦前の刑法でいくと、女性には姦通罪はあるけれど、男性には姦通罪はない。したがって男性を処罰するために、住居侵入罪を適用した。住居侵入罪を適用するにあたって、当時住居の平穏を害するということではなくて、住居権者の意志に反するのだと。住居権者というのはシベリアの地にいる夫だ」と。そういう形で、どんどん一般の法律が治安的に使われた。今回のイラク反戦ビラ事件も似たようなものだ。銃後の安定をということでの弾圧だ。
 目的外使用というのがある。旅館にペンネームで泊まるというのがある。それが旅館法違犯で逮捕される。奇想天外の法律の適用がますますされてくる。
 高裁の裁判官はビラをまいたことも、もしかしたら受け取ったこともない。最近笑い話でなくて、そういう裁判官が増えてきている。裁判所の前で、ビラをまいていると、若い裁判官、司法修習生は受け取らない。受け取ったら何かいけないような雰囲気になっている。それはちょうど、戦時中に米軍が「日本は負けている」とビラをまいた時に、拾った人を「非国民」と言ったのと同じだ。高裁で私はそのことを弁論で書いた。「管理者は網をかけて、ビラを配るな、ビラを受け取ったら、通報しましょう」ということはまさに同じことなのだ。そういう社会になる。
 京都では自衛隊の方も自衛隊勧誘のビラを入れている。自衛隊は自分らがやっていて、他方では処罰を求めている。こうしたダブルスタンダードを許してはならない。(発言要旨、文責編集部)


国分寺市の市民講座中止問題
ジェンダー・フリーに敵対する東京都に抗議の行動

 「都の方針に反する」として中止になった市民企画講座をめぐって一月二十七日、市民と研究者ら約二十人が都教委に抗議行動を行った。
 問題の講座は昨年文部科学省が都に委託し、都が国分寺市に再委託していた「人権教育推進のための調査研究事業」の一環。国分寺市は公募の市民とともに計一二回の連続講座を企画。第一回目の基調講演の講師として上野千鶴子東大大学院教授(社会学)を招こうとした。
 昨年七月、講師料の相談の際、都教育庁は市に対し、「『ジェンダー・フリー』という言葉や概念に触れる可能性があり、都の委託事業に認められない」と、講師の変更あるいは講座の中止を迫った。八月には市側が委託申請を取り下げ、結局十二回の講座すべてが中止になった。企画した市民らはこの決定を不服とし昨年十二月、公開質問状を都に送った。上野氏自身はこの質問状のなかで、「わたしは『ジェンダー・フリー』という用語を採用しない立場だが、公的機関が用語の統制に介入することには反対」(1月28日・東京新聞)だと主張している。
 こうした一連の介入について「言論・思想・学問の自由への重大な侵害」として、若桑みどりさん(イメージ&ジェンダー研究会・ジェンダー史学会)らが抗議文をまとめ、都知事と都教委委員長及び都教委へ申し入れを行なった。千八百八人・六団体分の賛同署名を手渡した。午前十一時五十分、若桑さんが抗議文を読み上げ、森田英二都総務部教育情報課長に提出した。森田課長は「所轄に渡し検討します」と発言。ふぇみん・婦人民主クラブからも、別の抗議文が手渡された。
 午後一時より、第一本庁舎六階の都庁記者クラブで記者会見が行われた。集まった記者は大手新聞社を中心に約三十人。抗議文を読み上げた後、質疑応答が行われた。
 記者からの「ジェンダー・フリーへのバッシングがなぜ問題なのか」との問いに、若桑さんは、「都教育庁のなかで起こっていることは、しだいにわれわれ研究者たちにも影響を及ぼす。『言論・思想・学問の自由』が危機的な状況になっている」と訴えた。呼びかけ人の一人の米田佐代子さん(総合女性史研究会代表)は、「自由な意見を交わすことが大切。違いがあるから『排除』していいというわけではない」「『ジェンダー・フリー』はそんなに犯罪的な言葉なのか。人権講座中止の事態は、この言葉が曲解されて利用された結果だ。政治的な判断がされたと思っている」。
 この後同室で行われた都の定例会見で石原知事は、「都はそういう規制を加えた覚えはない」ととぼけ、講座の中止があたかも国分寺市の自主的な判断であるかのように強調した。各種自治体が行なう市民講座への介入や難くせは過去にもあったが、今回のような露骨な事例は「言論・学問の自由」への重大な挑戦であり、今後全国で企画される同様の機会にも「前例」として確実に萎縮効果をもたらす。その結果、国家・行政の意を受けた御用学者による官製講座のみが認可され、横行することになるだろう。それは小泉政権の戦争国家化政策のなかで、あの忌まわしい大政翼賛会的な国民動員の復活につながりはしないか。意識ある人々の監視と反撃が急務である。    (日暮テツ)


もどる

Back