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投書                         かけはし2006.2.20号

ルッセ『社会変革のための民主的…戦略にむけて』に学ぶ

K・S

客観的な自己認
識を打ち立てよう

 国際的な新左翼運動の真剣な自己総括と現在の課題の提起として、共感と感動をもって受け止めました。日本の我々にも同じく問われているテーマと思います。
 内容を自分の問題意識から追ってみます。
 一章 一九六〇年代半ばに、インドシナ戦争など激しい時代背景の中、伝統的労働者政党に抗して新しい複数の革命的左翼が誕生した。マオイストもトロツキストも様々なタイプが生まれた。「革命的精神」の時代であり、革命的であることは非常に具体的なことを意味し得た。
 新左翼が七〇年代半ば以降も存続するためには、四つのテストをくぐった。1、学生戦線から労働者階級への移行、2、短期的展望から長期的展望へ、階級情勢は予想された決定的激化をへず「平時に戻る」傾向を示した、3、戦略の再評価、4、ソ連・東欧ブロックの崩壊と資本主義的グローバリゼーションへの対応。
 二章 全体的・国際的に見れば、どのイデオロギー的傾向も実践において他の傾向にたいする優位を証明していない。全面的な再評価の過程をへることなくしては、存続できなかった(こういったことは「正統派理論」の名の下に拒絶されることすらあったが)。
 我々の「原罪」は「綱領主義」と「急進的行動主義」にあった。前の世代から受け継いだ全面的な綱領をもとに、それとはアンバランスに、急進化した学生に依拠して基盤が弱いままに走りだした。
 教訓は大事だが、あてはめられるモデルはない。再評価は古い公式と具体的な政治的分析のギャップが無視できなくなった時に行なわれた。ロシア革命は第一次世界戦争の中、巨大な常備軍の解体という背景があった。中国革命の紅軍は巨大な大衆蜂起と軍隊反乱から、最初から三十万人の軍隊として出発した。これらをモデルとすることはできない。戦術と同様、戦略も具体的分析が必要だ。「労農兵評議会の形成」、「持続的な人民解放戦争」といった抽象的な戦略定義から決別し、我々は具体的な情勢分析の上に「具体的かつ複合的で進化する戦略」という概念に到達した。
 「第三次世界戦争」といった中期的長期的予測をたてるのは不可能だ。可能性について話合うことはできるが、推測をもとに具体的方針を決定してはならない。
 複数主義への認識を深めた。複数の革命党が存在しうるし、実際に存在してきた。革命運動の複数性は持続的な現実であり、肯定的に取り上げるべきことである。また、それは革命勢力の統一のためにたたかうべきでないということを意味しない。
 抽象的な歴史の必然性ではなく、「開かれた歴史」という概念を取り入れた。
 我々は単純な還元論的でない、弁証法的なマルクス主義を発展させようとする。階級分析を薄める反マルクス主義の台頭に対しては、「開かれたドグマティズム」を擁護する(一部の組織は「正しい路線は永久的なも」のと言い張ることで、セクト主義と政治的衰弱を隠蔽している)。
 三章 一九六〇年―七〇年代はあらゆる組織が大衆運動の発展と共に拡大したが、現在ではそのようなことは余りない。三十年前にやったような方法で革命的組織について語ることは難しい。今日ではラディカル左翼も、改良主義政党のメンバーと日常生活は余り変わらない。
 かつては活動開始から戦略を巡る論争に飛び込んだが、今日では分岐の境界線は戦略そのものとは別なレベルに設けられている。我々の責任は戦略の問題が再び運動全体の中で共有される基盤をできるだけ早く用意することである。
 計画の土台からの再建の時期に入っている。チャンスは反グローバリゼーション、反戦運動の拡大がそれを助けるということにある。
 四章 フィリピン共産党の粛清。フィリピンにおける長期にわたる内戦と暴力の影響、スパイの摘発のための拷問。基本的人権の普遍的本質が認識されていなかった。マオイスト型スターリニストの伝統。
 尊敬に値する献身的な活動家が拷問者になることを強いられる、ということがどのようにして可能だったのか? 表面的な説明で満足すべきではなく、独自に分析し、様々な分析を組み合わせる必要がある。
 社会民主主義の堕落、スターリニストの堕落に続く第三の堕落は、革命党内部からの堕落の危険の重大さを示している。
 党が自身の社会的基盤の上に立ち、その力を自身の社会的基盤に向けるようになる。したがって、いかにして革命党をコントロールの下に置くかという問題が提起される。基本的回答は自己解放の過程としての革命というマルクス主義の基本概念である。困難は概念の理解ではなく、それを闘争や弾圧の条件の中でいかに実践するかである。
 党は統治機関ではない。自衛は軍事行動を正当化する唯一の根拠である。自己決定は現時点から、闘争を進める方法から始まる。民主主義的過程を拡大すべきである。複数主義を認めることである。
 資本主義の非人間的性格はすでに証明されている。資本主義の深い批判や転換を構想する枠組みとして、マルクス主義は基本的な道具である。しかし、それは完成された教義ではない。ラディカルな党派間の国際的な枠組みを発展させよう。

ルッセ論文の重
要性を認識して

 新左翼運動の客観的な自己認識を打ち立てることで、我々が普遍的であると考えてきた理論の歴史的制約を明らかにし、現実の具体的な分析に踏まえた戦略の再構築が提起されています。そのことでまた、今まで見落とされがちだった、複数主義や民主主義の意義が鮮明になっています。
 フィリピ共産党問題も、「活動家は人民に奉仕するために学歴・職歴・家族を擲った人々」「人民運動の一部であり、統一戦線の対象」という暖かく、また苦悩に満ちた捉え方に共感しました。
 もちろん「戦略を再検討する」ということは、我々が改良主義者になってよいということとは違います。革命派にとってはこれからも「茨の道」が続くでしょう。負けずに共に頑張りましょう。 


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