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                            かけはし2006.9.25号

日韓労働者の連帯で勝利を

韓国山本労組を応援する会結成
一方的廃業を即時撤回し全員の雇用を保障せよ!


海外進出企業によ
る使い捨て糾弾

 九月十三日、全水道会館で「韓国山本労組を応援する会結成総会」が開かれ、百三十人が参加した。廃業撤回・雇用確保を求めて、韓国山本労組の遠征団十四人がやってきた。
 総会の前に、韓国山本争議の記録ビデオが上映された。七月の突然の廃業以来、会社を占拠し馬山市など行政へ本社山本製作所を指導するよう求める要請行動や日本遠征団の闘いが映し出された。
 田宮高紀さん(中小労組政策ネットワーク共同代表)が「韓国山本の問題は新自由主義グローバリゼーションによってつくり出されたものだ。海外進出した企業に責任をとらせなければならない」と開会のあいさつをした。
 全労協議長・藤崎良三さんが「企業は国際競争力に勝ち抜くために、海外の安い労働力を求めて進出している。しかし、そこでもうけが出なくなると工場を閉鎖して他の国に移動してしまう。国内では外国人研修生をタコ部屋で奴隷のように働かせる例が後を断たない。こうした問題は日本の労働者がリストラや低賃金で苦しんでいるのと共通している。韓国山本争議を日本の労働者の国際連帯で勝利しよう」と主催者あいさつをした。
 次に、土松克典さん(日韓ネット事務局)が熱い連帯の気持ちをこめて、経過報告を行った(別掲)。
 真っ赤なゼッケンに身を包んだ韓国山本労組の仲間たちが壇上の前に並び、ソン・シジャ委員長が代表してあいさつを行った。
 「韓国山本は七月に廃業の通知を行った。私たちは生存権を死守するための闘いを行っている。一九七三年に会社が設立されて以来、低賃金と長時間労働を強いられてきた。本社の山本製作所は『今回の廃業は韓国内の問題』と交渉を拒否している。FAX一枚で生存権を奪うことは許せない。たいへん厳しい闘いということは分かるが生きる権利を守るため、要求を貫徹して闘っていく。みなさんのご支援・連帯があることが励みになっている。今後も多くのご支援をお願いしたい」。
 続いて、韓国山本労組の上部団体である韓国労総・金属労連副委員長の支援要請発言の後、韓国の労働者とともに日本のノレの会が参加し、韓国労働歌を参加者全員で歌い、闘う団結を固めた。
 連帯のあいさつを韓統連、日韓ネット、東京全労協、鉄建公団訴訟原告団、電通労組が行った。応援する会の役員体制・行動提起を鳥井一平さん(全統一労組書記長)が行った。会の共同代表には、藤崎全労協議長、長谷川全日建連帯労組委員長、田宮中小労組政策ネット共同代表、柚木全石油昭和シェル労組副委員長が選ばれた。闘争アピールが読み上げられ、団結がんばろうで締めくくった。韓国山本労組の闘いを支援しよう。(M)

韓国山本労組を応援する会
b賛同者を募集します!ご協力お願いします!賛同金1口(個人1000円/団体5000円)
郵便振替口座 00110―1―742147(口座名義 韓国労働者とむすぶ会)
連絡先 台東区上野1―1―12新広小路ビル5階 全統一労働組合気付(FAX03―3836―9077)


闘いの経過報告
面会要求をかたくなに拒否する本社


 一九七〇年に、チョン・テイルさんは劣悪な労働条件の改善を求めて抗議・焼身自殺した。ちょうどこの頃、馬山に自由貿易地域がつくられた。一九七三年、この馬山に山本製作所は進出した。腕時計の文字盤にプリントをする会社だ。八〇〜九〇年代に入り、時計の文字盤作りが下火になり会社は斜陽化した。一九九六年に本社から切り離して別法人として韓国山本がつくられた。数年前から、モトローラ社の携帯電話の部品を製作してきた。
 しかし、二〇〇六年初めから単価切り下げが要求されやっていけなくなった。なんとこの苦境を乗り切るために労組は会社と話し合っていたが、七月三日労組に相談することもなく会社は工場を突然稼動停止し廃業を通知してきた。
 七月十一日に、社長は退職慰労金を一方的に個人の口座に振り込んで逃亡した。七月十二日に、労組は工場占拠をはじめた。七月末に、雇用の維持と工場再稼動を求めて、日本の本社に交渉のために遠征団を送った。九月までに第三次の遠征団を組織した。
 本社に合計五回の面会を求めているが、門扉を閉めて「伝えたいことがあれば文書で提出しろ」と、一度も交渉に応じようとしていない。山本製作所は社員六百五十人、グループ全体で三千二百人、国内に五カ所そして海外七カ国に営業所と工場を持っている。企業内組合があるが企業防衛隊のようになっている。
 馬山市の経済通商課や釜山地方労働庁から「面談して早期に解決するように積極的に努力してほしい」と山本製作所に申し入れが行われているが、それに対して山本製作所は「投資金額の回収を図る立場にあり、労働組合と交渉する立場にない」と拒否の立場をあらわにしている。こんな本社の態度は絶対に許せない。勝利までがんばろう。(発言要旨、文責編集部)


野宿労働者の闘いは続く
排除強行をはかる都庁と江東区役所に怒りの抗議


「刃物を使わな
い人殺しだよ」

 八月九日都庁での申し入れ書提出行動から始まった全都野宿労働者の闘いは九月に入っても力強く前進している。
 この間、毎週月曜日朝八時からの都庁前での情宣、月曜日、木曜日夕方五時からの中央公園ナイアガラの滝前での共同炊事が完全に定着し、共同炊事には新宿の仲間を中心に多い時で約二百人の労働者が参加して、自分たちで食事を作ってみんなで食べている。行政は野宿のテントのみならず、公園などでの様々な炊き出しをも排除の対象にしてきており、あるキリスト教団体が長期にわたって中央公園で行っていた通称「水曜カレー」もこの九月で中止に追い込まれている。
 また、夜のパトロールやビルの軒下などで野宿する仲間たちへのビラまきなども行われている。その中である事実が明らかになった。都庁第二庁舎下の広場(シェルター)では雨の日に限って野宿の仲間が雨宿りできるのだが、横になることはできず、約一時間おきにガードマンが廻って来て寝ている仲間を揺すり起こし、雨がやめば夜中でもたたき出すというのである。
 立ち上がるまで許されず、中には雨の中を外に追い出され文句を言うと「ぶっ殺すぞ!」と言われたという仲間もいる。
 これを聞いた隅田川でテント生活を送る仲間が「夜寝かさないのは刃物を使わない人殺しだよ」と言ったがこの言葉も盛り込んだ申し入れ書を作り、九月四日月曜日の朝の情宣で、いつも情宣を監視している庁内利用管理課の人間に手渡そうとしたが、受け取り拒否。
 そこで「申し入れを受け取れ!」と座り込みで抗議を続け、ようやく午後二時になって都側から連絡が入り、翌週受け取ることを約束。

約束を反故にし
た江東区を追及

 翌週九月十一日には約八十人の仲間が都庁前に集結、庁内利用管理下の古田課長に申し入れ書を手渡した。その後管理課より連絡があり、十九日にみんなの前で「コメントする」としている。
 東京都の野宿者対策「地域生活移行支援事業」から排除されている、テントを持たずに野宿している仲間がさらに排除される事態など許されるわけがない。都の「対策」がまさに「刃物を持たない人殺し」であることをこの雨の日の排除は物語っている。
 九月十三日には江東区役所への抗議行動が行われた。約百軒の野宿者のテントが並ぶ、首都高・小松川線の下にある竪川河川敷公園で「改修工事」を名目としたテントの排除の動きがあり、三月から「工事が始まったら生活できなくなるので自主的に移動しろ、工事完了後は生活できなくなる」というビラがまかれ始めた。工事開始は九月だという。
 そして再開された東京都の地域生活移行支援事業の対象地区になったため、「事業を利用しなければ追い出し」という圧力が強まっている。
 十三日は土木部水辺と緑の課と福祉事務所保護二課との話し合いに臨むために保護二課のある区役所分庁舎(西大島)に向かったが、約束した水辺と緑の課が来ていない。保護二課長は「次元が違う」と言い放ったが、そもそも墨田区土木部の名前でテントにまかれた追い出しのビラには水辺と緑の課と、保護二課の電話番号が問い合わせ先として連名で記されているのだ。
 仲間たちは直ちにバスで江東区役所に移動し、わっしょい!わっしょい!と役所内を土木部まで歩いて、水辺と緑の課、荒川課長を追及した。
 「なんで来ないんだ」『約束したつもりはありません』「みんなの前で話し合うと言っただろう」『それは区として話し合うということで私が出るとは約束していない』「今日の日取りを決める約束と連絡をしたのはお前だろう」『連絡を取っただけで自分が出ると言ってない』とのらりくらりとかわそうとする。さらに話し合いを再度求めると、『検討してこちらから日取りを連絡する』「信用出来ない、今決めよう」『こちらから連絡する』すったもんだの末、翌週話し合いの場を設定することになる。「これは約束ですね」『……』「約束出来ないのかよ」『ですから、来週水曜日か、金曜日に話し合いをします』「だから、それは約束かって聞いてるんだよ」『……話し合いはします、水曜か金曜かはこちらから連絡します』。

闘いを支える
支援カンパを

 交渉は九月二十二日に行われる予定だが、区側は「保護課の同席はしない、これは区の方針」という姿勢を崩さない。
 地域生活移行支援事業がテント排除を目的としているのはいうまでもないが、ここまで露骨に「事業」と排除をリンクさせているのは竪川だけである。
 全都の野宿労働者のこの闘いも一カ月半を超え、大きく広がりを見せている。月刊誌『論座』の十月号にも全都実(凖)のブログ http://squat2live.seesaa.net/ が紹介されるなど、社会的な注目も集めている。しかし財政的にはかなり厳しくなっているのが実情である。共同炊事でも集まる仲間にアルミ缶を持って来てもらうように呼びかけている。それを売って食材を買う資金にするためである。
 この闘いへの注目と共に、野宿の仲間の闘いを支えるためのカンパへの協力を訴えたい。   (板)

「全都実へのカンパ」と明記の上、以下まで。
郵便振替口座 00190―3―550132 口座名 山谷労働者福祉会館
郵便振替口座 00160―1―33429 口座名「のじれん」「刃物を使わな
い人殺しだよ」



今井明 写真・文 発行:『明日をください』出版委員会 出版社:アットワークス
写真集『明日をください』
アスベスト公害と患者・家族の記録

 写真集『明日をください』が出版された。この写真集は副題にあるように「アスベスト公害と患者・家族の記録」であり、アスベストによる中皮腫やじん肺、肺がんの患者たちを追い続け撮影したものである。
 この写真集の「写真と文」を担当しているのが、一九七〇年代後半の三里塚闘争や労働運動の現場をともに歩き、闘ってきた今井明さんである。今井さんが二〇〇一年と二〇〇三年の二回、アスベスト被害を訴える写真展を開催してきたことは知っていたが、それを取材しともに闘う隊伍をつくることも、ともにアスベストの被害を公然化させ、さらには企業・国の責任を問う闘いもしてこなかった。
 機関紙『かけはし』で初めて取り上げたのは、今年一月三十日、日比谷公会堂での「100万人署名達成!なくせアスベスト被害、国民決起集会」の取材を通してであった。この写真集の最後の章である「第6章 クボタ・ショックから石綿健康被害救済新法」というアスベスト問題が極めて深刻な「公害」であることがテレビ・新聞などのマスコミ各紙が取り上げてからであった。すぐ近くで闘っている友人がいたのに、問題の大きさ、被害の深刻さを理解できなかったのである。
 この写真集の特徴は第一に、文章を極力ひかえて患者と家族たちの中皮腫やじん肺、肺がんという病と闘う姿勢を通して訴えていることである。第二に、今井さんはものすごい痛みに苦しむ患者の姿ではなく、穏やかに笑い、すがすがしささえ感じさせる患者の写真や、必ずといっていいほど家族と一緒の写真を映している。今井さん自身が横須賀をはじめ、兵庫、埼玉などに出向き患者や家族たちとの対話を通してつくり上げたものであることが写真の一枚一枚から浮かびあがる。
 第三は、企業・国の責任を患者にかわって叫ぶのではなく、患者たちが普通に生き働いた姿を通してそれを訴えていることである。それは次のような文章に端的に表現されている。「会場に置かれたノートの一部を紹介する。『国鉄時代にアスベスト被害者になりました。三十年程前に天井やかべにはってあったアスベスト壁がはがれおちて、それをアスベストとは知らず主人は一人ではがしたりして、毎月掃除を続けていたようです。アスベストのことを知っていたらやらなかったと云いました』。この方は、分割・民営化後の国鉄関係のことを継続した国鉄清算事業本部にじん肺で業務災害申請をしたが認められてはいない(二〇〇六年六月に認定)。」
 この写真集は六月に自主出版で印刷されたが、二カ月もたたないうちに増刷が決まり、十月から書店のルートで販売されることになった。この写真集がいかに注目されているかを物語っている。
 アスベスト問題は患者たちの二十年にもわたる闘いによって、ようやく解決のための出発点に立ったばかりであり、被害のピークは二十〜三十年先だとも言われている。闘いに立ち後れてきた私たちが今井さんとスクラムを組み、なによりも患者と家族たちとともに新しい闘いを開始するために是非読むべき一冊だと思う。     (松原雄二)

b申し込み先 中皮腫・じん肺・アスベストセンター
東京都江東区亀戸7―10―1 Zビル5F
TEL03―5627―6007/FAX03―3683―9766


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