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第四インターナショナル国際執行委員会採択文書 1994年12月

積極的行動と女性のあいだでの党建設

 「われわれの各国支部の誤った態度の根底にあるのは何か。結局のところ、それは女性と彼女たちがなしとげたものに対する過小評価である。事態はまさしくこのとおりである。残念ながら、われわれの同志の多くについていまだ「共産主義者の外面をひっかけば、俗物が現われる」ということができる。たしかに、女性についての考え方のような最も微妙なところをひっかいてみなければならない。」(クララ・ツェトキン『レーニンの思い出』1919年)

1 なぜこの文書が必要か

 この文書の目的は、1979年の世界大会で開始した討論 − 労働者階級内部の特殊に抑圧されたグループである非抑圧民族、移民労働者ならびに女性の要求を革命党建設の全体的計画に組み込んでゆくための特別の措置または積極的行動に関する討論を継続することである。この文書は、革命党内における女性の特別な問題について焦点を定める。この文書は、積極的行動とは何か、なぜ指導部は明確な基準を設定する必要があるか、そして積極的行動計画の成功のために女性の組織化をどのように実現すべきかについて全体的に明らかにしようとする。このような計画に取り組んでゆこうとするとき、達成できることについて明確な理解をもつことが必要であり、同時に、達成できないことについても認識しなければならない。この文書の内容の基礎になっているのは、1986年と1987年の国際執行委員会、国際執行委員会の女性小委員会ならびにいくつかの各国支部の討論、そして1988年の第一回ヨーロッパ女性学校における積極的行動についての討論である。
 この討論は、今日、以下のような理由のために必要である。
(a) インターナショナルは、1979年の世界大会の女性解放に関する討論の成果を組織的レベルで打ち固めるのに失敗した。特別の措置に関する討論は決着をみないまま放置された。事実、当時、女性が十分に代表されていない問題は「工場への転換」の過程で指導部の「自然」な選別過程において取り扱われるだろうと述べられているが、これは誤っていた。女性が前回の世界大会でこの問題についてわれわれは後退しているということを認識するまで、第四インターナショナルの討論の深化はなかった。その後、1986年の国際執行委員会にむけて討論が提起され、この国際執行委員会において女性はさらに多くの行動を要求した。
(b) 多くの支部は、女性メンバーの組織への全面的な統合の欠如や女性メンバーの離脱をめぐる討論にひきつづいて、何らかのかたちの積極的行動計画を採用を決定した。これらの計画は各国の状況におうじて様々である。そのような例として、女性委員会の中央委員会への招請、全国的な女性フラクションの形成、女性の抑圧に関する特別の教育、指導機関への女性の参加の増加をめざす様々な目標の設定、女性が討論し積極的行動を監視するための特別会議の開催などがある。
(c) 西ヨーロッパのいくつかの諸国とアメリカにおいて独立した女性解放運動の大衆的活動が下降し、そうでない諸国でも、経済危機の影響のもとで女性解放運動は右傾化した。このような事態にたいして、各国支部はあまりにもしばしば女性解放運動の活動の優先的任務から外すというかたちで対応した。さらに、工場への転換の一つの側面として、男が圧倒的多数である工業労働者階級の諸部門を強調するということがあった。女性メンバーの獲得は後退し、組織は女性解放運動における女性同志の積極的活動を中心任務から外れるものであると見なし、多くの支部においてフェミニズムは周辺化されてしまった。

(d) いくつかの第3世界諸国において、支部は大衆的女性運動に対応し、運動そのものの要求と女性独自の要求とを結つけたし、このような諸国では組織内部における女性の特別の要求と取り組むことができた。これらの大衆的女性運動にむかって転換し、フェミニズムが二次的になったところでは、積極的行動の措置は弱まり、同時に党内における女性活動家の状況も困難になった。
(e) 他方、第2次世界戦争以降、労働者階級の構成は劇的に変化した。ますます多数の女性が労働組合に加わり、労働組合や地域の闘争において女性の存在をはっきりと認めることができる。
 労働官僚は、少なくとも政策のレベルで、経済的不平等、とりわけ劣悪な労働条件、堕胎、性的嫌がらせなどの問題に対する女性の関心に対応することを強制された。事実、大衆諸組織が運動総体をより有機的に代表する方向にむけた女性の圧力が強まり、指導部の構造における女性の進出も見られるようになった。西ヨーロッパにおいて、労働官僚は女性を指導部の地位に組み込むジェスチャーをおこなった。たとえば、SPD(西ドイツ社会民主党)はその議員候補のうち40%を女性候補にする方式を取り入れた。多くの第三世界諸国において、ブルジョアジーは近代化政策によって女性を対象とする政策をもつようになってきており、女性を国家と党の機構に吸収し、この事実を女性にとって重要な前進であるかのように描きだそうとしている。ブルジョアの政策や労働官僚が女性の不平等の根本的基盤に手をつけることができないとしても、にもかかわらず、女性の要求に対する彼らの反応は、時には、革命的組織のこの問題についての保守主義と対比してきわだつことにもなっている。
(f) 指導部の機能の全体的諸問題は、しばしば、党内部で特殊に抑圧されている層である女性、青年、移民労働者などの間でもっとも鋭い表現を見いだす。このことは、指導部選抜過程の不健全さと、それぞれの政治的発展において特殊な社会的障害に直面するメンバーを援助する方法を見いだすという点における弱さを暴露している。
 限られた力量と時間の圧力のもとで、支部組織はしばしば社会の性的分業をそのまま再生産している。地下的グループや、文化的環境が女性の生活を極度に孤立させているような場合、あるいは多くの第3世界諸国のようにフェミニズム運動が非常に弱いか、まったく存在していない場合、女性活動家の困難はより大きくなり、女性をメンバーとして獲得する可能性もよりいっそう困難になる。
 組織の機能のあり方、指導部の性格、そして活動スタイルは本質的に「男」の領域で成立している。女性カードルの技倆、洞察力、経験を組み込んだ集団的指導部を形成しようとするのであれば、このような不健全な分断を克服する方法を見いださねばならない。この過程において、われわれの革命のシンボルならびに機能の方式を調べなければならない。男の革命的工場労働者から革命的ゲリラの英雄にいたるシンボルに見られるように、そこには「男」という相貌が刻印されている。各国支部においても、労働市場においても、技能が性の違いによって細分化されているだけでなく、女性の領域に閉じ込められているものが見過ごされ、見下されている。
 指導部の基準を定めるうえで基本的なことは、組織の成長のために必要な様々な指導部の能力を識別することであり、典型的に「男的」なものとされている能力だけではない。まさに現実の事態は、個人的なイニシアチブと競争を強調することによって、討論と相違が真実の相互尊重という雰囲気のもとで論争と対立が解決されるような緊密に結合した組織ではなく、対抗しあう勢力の戦場がつくりだされているということである。抽象的理論化の能力と集団的に活動する能力が指導部の基準として統合されねばならない。これらの能力は革命党の政治的構造に織り込まれ、すべてによって学び取られねばならないし、指導部の更新と同時に更新されねばならない。
(g) われわれは青年組織において若い女性が政治的指導者として発展するのを見てきた。このことは、積極的行動が革命党の変化にたいしても影響をもちうることを示している。革命的青年組織が若い女性を指導部の構造に組み込んでゆく能力は二つの要因によって説明される。もっとも重要なことは、青年グループにとって指導部の更新が不断の問題であるということである。新しい指導的メンバーを見いだそうとする努力が指導部の意識的な発展を重視させることになっている。このことによって、若い女性が潜在的な指導的メンバーとして自覚し、必要な訓練をえることを可能にする状況をつくりだされる。
 第二に、若い人々の意識はフェミニズムの影響を受けており、彼らが過去の習慣に固執する必要はより小さくなっている。若い女性は変化をよりつよく要求し、若い男性は変化にたいして少なくとも幾分かは開かれている。
 さらに、ほとんどの若い人々は、彼らの将来と比較して、責任にたいしてより自由な時期を過ごしている。このことはとりわけ女性に当てはまる。したがって、急速に変化するこの時期に獲得した能力と態度が彼らの将来にとって重要になる。女性が青年組織の指導的メンバーとして政治的自信を獲得すれば、このことによって革命党ために基本的な枠組みを準備することができる。
(h) 女性が直面する諸問題についての不均等な意識は、マルクス主義運動にとって歴史的問題である。その結果、フェミニズムと何が「プロレタリア的倫理」かということについて様々な理解がうみだされた。性的な暴力や威嚇のような問題について、われわれの運動は全面的に討論していないし、解決していない。しかし、いくつかの支部の積極的経験と否定的経験にもとづき、女性同志に対する許しがたい行為と態度について明白な結論をいくつか導きだすことができる。
 われわれは、この文書で述べられていることが党建設全体と関係するものであり、女性メンバーだけのものでないということを認める。われわれは、積極的行動計画が党建設の自然発生主義的考え方からの断絶を意味するものであると主張する。全体としての革命組織の建設計画を作成することなしに、フェミニズム化政策はありえない。積極的行動をめぐる討論によって、組織全体、その機構、教育ならびに集団的機能を強化することができるはずである。
 したがって、1979年の決議を採択してから十年を経て、次の世界大会において、女性解放運動の現段階と諸形態についての討論とあわせて、積極的行動についてのわれわれの経験を集約し、共同の計画として定式化することが必須の課題になっている。

2 女性が直面する問題

 いくつかの支部は女性が直面する問題について討論してきているが、同時に、1988年のヨーロッパ女性学校はこれらの問題の多くを集約した。以下の評価は、資本主義の攻撃にたいして労働者運動が大衆動員をもって対抗しえていないという全般的政治状況を考慮に入れている。もちろん、このことが、労働者階級の内部とその同盟者の間に労働者運動の革命的能力にたいする様々な疑惑を生みだしている。
 各国支部に関する以下の批判的指摘は学校でおこなわれたものである。
(a) 各国支部において討論と教育の政治的水準の全般的低下が見られたし、とりわけ女性解放運動の諸問題について非政治化の過程が見られた。
(b) 工場への転換は、女性運動の影響の後退と結びついて、女性カードル、とくに七〇年代初期に獲得した活動家層の喪失をもたらした。男支配の産業にむかった女性の多くは、性的嫌がらせや他の女性労働者からの孤立という問題に直面した。公共部門の労働組合や「女」の職業にとどまった女性の経験は無視された。一般に、各国支部はこれらの問題を予見していなかったし、これらの問題について女性活動家をどのように支援するかについて考えていなかった。多くの支部において、大衆的女性運動を指導してきたが、もはやそのような強力な基盤をもたない女性の信望も失われた。このような女性メンバーが別の環境のもとで活動することを学びえないと、彼女たちは支部にとって重要でないと見なされ、周辺的位置に追いやられた。
 最後に、われわれは、女性運動への参加とその指導という直接の経験をつうじてどれほど多数の女性が発展してきたかについて意識しなかったし、また若い女性メンバーがこのような経験を直接に獲得できないという状況のもとで、以前の時期の教訓と能力を新しい世代に引き渡すという点でも意識的でなかった。
(c) 各国支部は、労働力の性格の変化とそれが労働者運動の政治的再編成におよす影響を分析する点で遅れをとった。われわれは現在の経済危機のもとで女性が労働力から押し出されることはないと言うことはできたが、家族、生殖、性および人種主義の問題における支配階級のイデオロギー攻撃の重要性について過小評価しがちであった。その結果、労働者運動にたいするその影響についてわれわれは準備できていなかった。
(d) われわれは、本当に討論する可能性をあたえない論争スタイルを固定化してきた。真実の討論を基礎にして前進するのではなく、論争が戦場になり、そこでは「勝利する」ために相手側を「粉砕する」心理的テロリズムの形態が用いられた。分派闘争はしばしば女性を士気阻喪させ、指導部からの後退に導くか、あるいは男と同等であることを自ら「証明する」ために女性メンバーにたいして同じような打撃的行動様式をとらせた。
 この脅迫的雰囲気は多くの男性メンバーにとっても困難なものであったが、女性とは違って、男性の場合、この競争的メカニズムを受け入れ、男指導部のモデルに順応することによって、この問題を克服しようとした。
(e) 女性メンバーが組織の全体的状況を転換する力や経験をもたないという条件のもとで、女性の問題や課題のための討論はしばしば他の目的のためにすり替えられ、また女性はその問題意識と懸念について分派的枠組みという束縛のなかで討論することを強制された。
(f) 指導機関における競争的状況と女性メンバーの自信の欠如という条件のもとで、指導的位置にあって生き残った女性は、しばしば伝統的な「補助」的役割を強制され、より多くの知識と経験をもつ男指導者からアドバイスを求めることを余儀なくされか、あるいは自己の任務の技術的側面に逃避することになってしまった。
(g) 指導部を選出する基準はしばしば女性の選出に対立するものになっている。なぜなら、それには、意識的に分析されていない「男」モデルにもとづく想定を初めから組み込んでいるからである。指導部への選出の点で、女性には「二重基準」が適用されるのだろうか。指導部チームにおいて、すべてのメンバーは個人的にスターでなければならないのだろうか。それとも、指導部としての技倆は世代と性の区別を越えて融合できるものなのだろうか。
(h) 指導機関において女性が多数であっても、女性は男性と同じ力をもたない。たとえば、女性は非公式のネットワークやその位置に長くいる男性のような権威をもっていない。やはり男性が会議の基調を設定し、政治的課題を決める。女性が指導部において非常に多数であっても、彼女たちはしばしば過重な仕事を強制され、必ずしも効果的ではない。すなわち、彼女たちは、男性同志に対するような支援を組織内部で見いだしえないのである。その結果、積極的行動はすべての問題を解決したわけではない。実際には、それはしばしば新しい問題を明らかにすることになったのである。
(i) われわれの支部があるほとんどの第三世界諸国において、女性活動家はその政治活動において次のような異なったタイプの問題に直面している。女性排斥の伝統ゆえに、政党は他の政党の関係を男性をつうじて持とうとするし、指導部から女性を排除するのを正当化する、 − 公的領域において女性を受け入れない、 − また女性が夜間に外出したり、あるは旅行することが非常に危険であったり、非合法であることによって、女性が政治的任務をはたすことが非常に困難である。

 こうして、中心問題は明らかに集団的機能の欠如にあり、その結果、既存の性的分業を強めている。(集団的機能の弱さは、青年と年長者の分業や労働者とインテリとの分業からも明らかである。)女性がこのような指導部の機能に即時的に挑戦することはいつでも可能といわけにはいかない。女性が公然たる挑戦を組織しうるためには、女性の側に指導部の経験がかなり必要である。こうして、組織全体が性的分業の再生産に対抗する方向ぬむかうことが決定的であり、この課題を各個人や女性だけに任せることはできない。しかし、この目標を達成するうえで、女性が主要な要素であるだろう。性的分業の習慣と惰性と対決するために、組織の全力量が必要である。
 世界大会文書が明らかにしているように、女性が日常の負担と社会的条件のために特殊な問題に直面していることを強調すべきである。女性が革命党に加わるとき、その社会的・教育的背景、性に関する考え方、年令と闘争経験はもちろん一様ではない。したがって、彼女たちの経験、知識ならびに自信のレベルもまた様々である。女性は自信の欠如を消極性によって示すとはかぎらない。責任ある位置についた女性が防御のために攻撃的になることもある。
 しかし、個々の女性メンバーが支部指導部の構造に取り組んだとしても、その現在の構造は間接的に女性を差別するものになっている。積極的行動の計画を採用し、それを監視しないならば、この過程は継続するだけである。
 ヨーロッパ女性学校に参加したほとんど女性は、社会主義的であり、フェミニズム的である革命をおこなう革命党に参加したのだという点で意見が一致した。ヨーロッパ女性文書は、労働組合が防衛的状況のもとにあっても、革命組織は労働者を獲得しえないと結論づけることはできないと指摘している。また女性解放運動が後退していても、このことをわれわれのフェミニズムの目標を棚にしまっておく理由にすることはできない。
 この討論から以下のような結論を導きだした。
(a) 各国支部は、女性の急進化の新しい形態と女性解放運動における討論の政治的発展について十分に注意すべきである。
(b) 各国支部は、その社会主義・フェミニズムの目標をよりいそう大胆に強調すべきである。
(c) 各国支部の女性は、組織全体の支援をえて、党内部における性的分業の表現を変革するために集団的戦いを挑む必要がある。
(d) 革命党において集団的指導部を建設するうえで鍵をなすのは、性的分業がどのように表現されるかについて明確に意識することである。革命組織内においてそれを克服する唯一の方法は、積極的行動の計画とその監視である。集団的指導部の形成は、自然発生的になされるのではなく、考え抜かれた提起をつうじてのみ可能になるのである。

3 過去の教訓 − 女性と革命党

 一九七九年、女性の抑圧に関するマルクス主義の理論と実践の諸問題について討論がなされ、女性の抑圧の起源と性質をめぐる討論は継続している。しかし各国支部の新しいメンバーはこれらの討論の一部について知らない。第四インターナショナル学校の教育コースや特別コースは、これらの問題にたいする関心を喚起することができるだろう。以下では、革命党への女性の参加についていくつかの点について指摘する。
(a) 資本主義のもとで、階級闘争の発展は女性の自主的活動の高まりと急進的・社会主義的運動への参加をもたらした。
(b) 一般に、労働運動の革命的翼は女性の要求にたいしてより好意的であった。しかしながら、感じ方の度合いは、個人的に違っていたし(エンゲルスはマルクスよりもより好意的であった)、また党ならびに社会における女性大衆からの圧力の存在の度合いによって違っていた。
(c) 女性の自主的組織に関するマルクス主義の立場は、時間の経過とともに発展していった。今世紀初め、革命家は一般に女性の自律的な組織に反対し、女性を共産主義者として組織すべきであると主張した。しかし、ビスマルクの弾圧法を出し抜くために、ドイツにおける社会主義女性が男性とは別個に組織され、力強い政治的運動が発展した。この弾圧法が変更されても、女性の活動の一定の形態は維持された(たとえば、国際労働女性デー、女性の雑誌の発行など)。統一戦線と植民地諸国における活動をめぐる討論をつうじて、第三インターナショナルのレーニン、ツェトキン、その他の指導者はより広範な接近方法について討論した。現在、われわれは、女性独自の(経済的、社会的、イデオロギー的)要求にもとづく女性の組織化という立場をとっている。このことは、革命的基礎にもとづく自立的女性運動の建設を意味する。われわれは女性大衆を行動に導くキャンペーンを重視し、他の社会的運動との提携 − とくに女性運動と労働組合との結つき −
をうちたてようとする。われわれはまた女性を革命党にひきつけようとする。
(d) 第二および第三インターナショナルの国際機関の支持が、各国における後進的状況と闘争するうえで決定的に重要であった。植民地世界における女性の活動を組織するために特別の処置がとられた(1921年のコミンテルン第3回大会決議参照)。
(e) 過去において、様々な革命党内において個別の女性が重要な役割をはたした。これらの人々は主要に慣習にとらわれない生活を送った知識人であったし、その内でもアレクサンドラ・コロンタイとローザ・ルクセンブルグがもっとも有名である。しかし、これらの人々は、当時の男性革命家と比較して、慣習的倫理と家族生活とはるかにつよく断絶しなければならなかった。彼女たちが政治的人格として生き残ってゆくうえできわめて重要な役割をはたしたものに、女性の友人のネットワークと支援があった。
 現代のフェミニズムは初期の社会主義・労働者運動(たとえばユートピア社会主義、婦人参政権運動、ドイツ社会民主主義など)における労働者階級女性の役割に光を当てつつあるが、しかし当時の女性の参加は今日の可能性と比較するとき依然として限られたものであった。女性の生活様式の変化、賃金労働力への女性の参入の継続、フェミニズムの影響、女性大衆の文化的・政治的水準の高まり、そして容易になった出産能力管理ゆえに、今日、広範な女性を革命党へ獲得し、かってないほどに女性を指導者としてつくりだしてゆく可能性が与えられている。にもかかわらず、女性の生涯の各段階と、女性が依然として主要な子供の養育者であるという事実ゆえに、女性は母になることと革命的活動家になることとの間で選択することが依然としてしばしば期待されているのである。われわれは、女性が直面する特殊な諸問題の影響を軽減し、自らの実践をとおしてわれわれが真剣であることを個々の党員にたいして確信させなければならない。

4 女性と第四インターナショナル

 第四インターナショナルの初期の歴史について知る必要があるが、次の点を指摘しなければならない。
(a) 1950年代の下降はフェミニズムについての意識化の低さもふくんでいる。女性の抑圧に関するパブロの1960年頃の論文は、女性の抑圧について一定のレベルの理解があったことを示しているが、この問題についての討論はほとんどなかった。第四インターナショナルの女性は、伝統的に、困難な時期に各国支部を維持するために小さな組織的仕事を遂行する「内助者」であった。多くの場合、彼女たちは生計費の稼ぎ手として職につき、その夫たちに貧しい運動専従費をはらう可能性を支部組織にあたえた。
(b) フェミニズムの第二の波の高揚は第四インターナショナルに大きな影響をあたえた。カナダの同志が、アメリカSWPの同志たちと一緒になって、女性運動にむかうイニシアチブをとった。それは、部分的には、フェミニズム運動と堕胎の権利のための運動が北米において他の地域よりも早く発展したからである。女性同志のフェミニズム運動への参加の結果として、またこの運動から女性が革命組織に参加することによって、各国支部における女性メンバーの比率はかなり高まった。第一次世界戦争以前の社会主義運動の革命的諸党において女性メンバーが10%を越えたことはなかったが、1970年代において、いくつかの支部組織は40%以上の女性カードルをもっていた。
 1970年代中頃までに、第四インターナショナルの支部はフェミニズム運動に踏み込んでいた。第四インターナショナルの機関紙・誌はフェミニズム内の戦略的論争を反映し、女性の歴史に関する新しい調査研究について報告している。ヨーロッパ、アメリカならびにメキシコの女性委員会は1979年世界大会にむけた政治的・イデオロギー的分析をめぐる討論に貢献し、その結果、世界大会の女性文書が採択された。積極的行動についての討論はヨーロッパ、アメリカならびにオーストラリアに集中した。なぜなら、女性の同志たちは女性の抑圧について多くの基本点で意見の一致を見ていたし、また大衆的フェミニズムの運動があったからである。世界大会の女性文書は、女性運動の高揚を説明し、先進資本主義諸国において革命家がこの運動に参加し、建設してゆく方法についてきわめて有益であった。フェミニズムの基本的原則について同志たちを教育することが決定的に重要であった。
(c) 第四インターナショナルにおける女性の組織化は、工場への転換への女性の参加にもかかわらず、この転換によって停止した。重大な過ちは、とりわけ国際指導部における女性メンバーがごく少数であるという現実のもとで、インターナショナルの女性小委員会をなくしたことである。1979年から1985年にかけて、西ヨーロッパにおける女性運動またはその新しい上昇の可能性、女性の自主的組織化、半植民地世界における政治的諸問題について共同の討論は行われなかった。
(d) いくつかの諸国でわれわれの同志が政治的・社会的生活において女性がいかに差別されているかと指摘したとき、彼女たちは屈辱的な状況にあることを見いださねばならなかった。女性は自己の党の内部で同じ状況に直面していたのである。平等で革命的な党を建設しようとするとき、われわれはこの矛盾を克服し、自己内部の生活と外部の活動において女性の完全な参加を実現しなければならない。
(e) ラテンアメリカおよびヨーロッパの合同政治局会議における圧力によって、ヨーロッパとラテンアメリカにおける女性の状況についての報告がなされ、1986年の国際執行委員会で第四インターナショナル内における女性の位置について自己批判的決議が採択された。1987年の国際執行委員会においてヨーロッパについての文書が採択され、ラテンアメリカにおけるフェミニズムについての報告がなされた。第三世界における女性についての報告が1988年の国際執行委員会の議題にあがっている。
 積極的行動についての原則が1986年の討論で復活した。女性の活動の相互協力・調整のために、国際規模ならびにヨーロッパ規模の構造が設けられた。ラテンアメリカ各国支部のために政治的分析を深化し、相互調整をはかるメカニズムについても合意がなされた。しかし、10年前にわれわれが行ったことと理論化と現在われわれが行おうとしていることの間に断絶がある。女性運動は劇的に変化した。現在、10年前に存在していなかったところで女性運動は強力であり、かって運動が強力であったところではその逆になっている。われわれが自問しなければならない一つの問題は、現在の時点で、どのような積極的行動が適切なのかということである。

6 革命党への女性の獲得

 この点についての討論の一部は、支部がどのようなイメージを持とうとするかということを含んでいる。われわれの各国支部を女性を引きつけうるものにし、女性カードルを訓練し形成する適切の条件を整えねばならない。この観点から外部にたいするイメージを検討することにする。
(a) われわれには、女性をわれわれの展望に獲得するという立場を明白に示すプロフィールが必要である。このことは、女性の革命的経験を組み込んだシンボルや英雄を用いることを意味し、また女性の展望に関連する問題を取り上げることを意味する。たとえば、日常生活の諸問題、性の政治と性に関する路線、地域社会や労働組合の問題、国際的な問題などがあるし、女性を支部の教育者、宣伝家、執筆者、候補者、スポークスパースンなどとして形成するということがある。それはまた、様々な社会運動の指導者である女性と強力関係を形成し、必要に応じて彼女たちのインタビューや声明を機関紙に掲載することを意味する。すなわち、あらゆるかたちで、革命の過程における女性の存在を積極的に確認することである。
(b) 党は、女性の支持者の組織への接近を援けるような構造を試みるべきである。女性の書籍クラブ、女性のための教育的催し(男性が参加することもあろうが、女性だけの催しも必要である)、あるいはスウェーデンの同志が設けているような外部の女性を対象としたクラブなど、様々な方法を検討すべきである。
(c) 女性にたいして支援になり、協力して活動できるような条件を実現するという観点から、党の組織構造と活動方式を再検討する必要がある。そのためには、とりわけ、不本意な性的接近、性的嫌がらせ、あるいは指導者ぶった態度などによって、各メンバーが「馬鹿」にされていると感じたり、脅かされていると感じないような政治的雰囲気をつくりだすことを意味する。決定的に重要なことは、分派主義を排除した討論スタイルと共同作業の同志的精神を形成することである。このような状況のもとで、女性は自信を強めることができるだろうし、成長することもできるだろう。会議の外部における非公式の討論(ネットワーク)は集団的指導部の形成において非常に重要な役割をはたしうるが、そのような討論が性的区別のうえでなされるならば、われわれはこの習慣を注意深く検討しなければならない。
(d) 組織が小さければ小さいほど、女性活動家の問題の克服はますます困難になる。女性が直面する問題に取り組むうえで、より大きな党の建設が決定的に重要である。
 われわれはフェミニズムの考えをもった女性を革命党に獲得したい。われわれは女性のための空間を作り出さねばならないし、また労働女性ならびに農村女性との意志疎通を追求しなければならないが、そのためには、われわれの言葉・社会的構成・活動スタイルと労働女性・農村女性の物質的ならびに教育上の問題がつきつける問題を克服しなければならない。とくに半植民地諸国において、女性の抑圧と日常生活の問題との結付き示すグループを女性のために設けるべきである。労働者階級と農村社会とのこのような対話をつくりだせば、われわれは女性大衆の要求により敏感になることができる。会議や党の催しのための託児施設の用意も、検討されなければならない重要な問題である。集団的解決策がどのようなものであっても、子供達の面倒見が十分になされていると親たちが信頼できるものでなければならない。準備の悪い会議と同じで、劣悪な託児施設の設定を避けるようにしなければならない。

6 積極的行動とは何か

 革命的組織は、労働者階級の大衆を非抑圧大衆との同盟関係において組織して国家権力を獲得し、搾取と抑圧のすべての社会関係を転換するために存在している。この戦略的目標が革命党のメンバーの統一した行動の基礎をなす。革命党への労働者階級の積極的な参加が、これらの目標の実現にむかうための前提条件である。なぜなら、労働者階級が革命的変化のための決定的力だからである。労働者階級のヘゲモニーは革命組織内部において推し進められねばならない。
 以上の理解とともに、現代のプロレタリアートの変化しつつある性質についてとらえる必要がある。半植民地諸国でも、西ヨーロッパでも、新しい諸層がプロレタリアートの一部になりつつある。多くの場合、これらの層は有色人、女性、非抑圧少数民族をふくむ抑圧されたグループであり、これらの層は組織された労働運動によってしばしば無視されている。革命党が皮膚の色、性、少数民族、カーストなどについて鈍感であれば、結局のところ、不平等を再生産することにしかならない。そであるとすれば、任務の達成のために必要な推進力の解放に失敗することによって、不平等を終わらせるために闘っているようなものである。
 女性のための積極的行動は、他の非抑圧諸層のための提案にたいして対置されるものではない。実際に、女性はしばしばそのような抑圧されたグループの一部である。したがって、女性が実施しようと望む改革の多くは、他の抑圧されたグループが党内部でより大きな役割をはたすことを可能にするだろう。
 積極的行動とは、党の政治生活への女性の参加にたいする障害を打ち破るための具体的な処置である。それは、今日の社会において女性が直面している差別の存在を承認することである。それは、女性のあいだの違いを考慮し、同時に性として共通にこうむっている抑圧を認めることである。積極的行動はその既存の必要と力を考慮した全体的計画として設定されるべきである。それは、そのような問題は「自然に解決される」という考えに反対する。

7 積極的行動はどのような措置をふくむべきか

 以下において、具体的な提起をおこなう。
(a) すべてのメンバーを対象とする女性解放の諸問題の教育、討論、分析を優先し、これらの問題に関する一定の理解をメンバー獲得に基準にすること。
(b) 女性を対象とするメンバー獲得キャンペーンをおこなうこと。
(c) 女性を明確に組織の指導的メンバーの位置につけること。
(d) 指導機関において女性解放の活動について定期的に討論し、生起するいかなる問題についても集団的に責任をとること。女性の間で不一致や対立が生まれるだろうし、そことを不健全なものであるかのように見ないこと。これらの不一致や対立を組織全体から隠すべきではない。
(e) 女性委員会のメンバーが指導機関のメンバーでない場合、女性委員会のメンバーを指導機関の討論に招請すること。
(f) 女性解放の問題についての知識とそれについての関心を指導部メンバーの基準にすること。
(g) 性差別的な言動を行わないこと。
(h) 女性が同等もしくは主導的な役割をはたす教育的催しを組織すること。催しの形式も形式ばらずに、女性や経験の少ない同志が参加できるようにすること。
(i) 機関紙が女性による記事や女性の問題について掲載し、女性の特別の関心に応えるようにすること。パンフレットやその他の出版物はフェミニズムのプロフィールを持つ必要がある。
(j) 地区組織や指導部において女性の訓練のために時間をとり、女性が自信をもって任務を遂行できるようにすること。
(k) 少数の女性メンバーにあまりに多くの任務を押つけ、これらのメンバーが「憔悴」して活動から離れないようにすること。
(l) 会議において参加者の平等な権利を保障するような司会と発言方式をとり、会議にすべてが積極的に参加できるようにすること。
(m) 全国的ならびに地方的催しにさいして、子持ちの親の問題を考慮にいれること。政治的催しにおいて懇親的側面を十分に考慮すること。
(n) 性的脅迫・暴力を明確に禁止する規律文書を持つこと。(インド支部の規約にはそのような条項がある。)
(o) インターナショナルならびに各国支部のおける女性解放活動のための既存の機関を強化し、第四インターナショナルの女性メンバーの地域的組織活動を促進すること。
(p) 青年組織において若い女性を政治的指導メンバーとして発展させること。
(q) ヨーロッパ女性学校は、限られた財政的支援にもかかわらず、青年組織を指導している若い同志との長い経験がある同志が多数参加し、相対的に成功であった。次の学校は女性運動において現在論争されている政治的・理論的諸問題のいくつかに集中すべきだろう(たとえば、女性の抑圧、父権性ならびに家族の起源と性質など)。
(r) 大きなしぶをもつ他の大陸でも、同じような学校を開催すること。
(s) インターナショナルの国際学校において、第四インターナショナル女性セミナーを計画すること(3〜6週間の期間が考えられるだろう)。
(t) 支部の状況の現実的評価にもとづく最初の積極的行動の計画を作成し、その進捗状況について1989年中に第四インターナショナル女性委員会に報告すること。
 いくつかの半植民地諸国において、われわれは他の潮流と革命党を建設している。このような条件のもとで、われわれは積極的行動計画をどのように推進すべきか。インターナショナルは積極的行動につていバランスシートをとり、上述した全般的な接近方法をそれぞれ異なった各国の状況のもとで適用できるようにしなければならない。

8 自主的組織と民主集中性

 この問題に関する討論を再び展開するにさいして、革命組織について明確でなければならない。社会において女性の従属を再生産する私的財産制度を転覆することなしに、女性の解放は不可能である。革命組織のメンバーであるということはこの理解にもとづいている。どのような組織形態も女性の抑圧を終わらせることはできない。それが可能であると考えるものは唯物論者ではない。
 しかし、革命組織は女性の条件で女性に到達しようとする措置をとり、女性の政治的経験を尊重し、女性的友好性をもって可能なかぎり機能するように努めることができる。女性フラクション、女性委員会、女性組織者はこの過程を前に進めるができる。
 一般に、もっとも積極的な経験やもっとも政治的な討論は、中央委員会または女性委員会をつうじてこのような討論の構造をもっている指導部においてなされている。女性にとって関係ある政治的問題を討論するために、組織のすべての女性を招請する特別の女性会議という考えは、女性の自主的組織化を促進する好ましいモデルになることができる。

9 指導部の基準

 指導部の問題は、積極的行動に関する討論の重要な側面である。全体的計画がないと、組織全体に女性の問題を提起することができない。われわれが必要とするのは、すべてを数的割当てや位置に関解する考え方ではなくて、指導部について客観的基準をもつことである。政治的連続性が指導部選出の要素であるように、集団的チームをつうじた活動、重要な活動領域を発展させる指導性、活動家と同志全体からの政治的信頼もまた重要な要因である。指導部が組織全体の女性を適切に代表していないならば、そのこと自身が指導部機関がうまく機能していない兆候である。われわれは可能なかぎり同数制を目指すべきであるが、このことを機械的な柔軟性のないものにすべきではない。なぜなら、女性が望んでいるのは役割の逆転ではなく、党活動のあり方の転換だからである。同数制が不可能であれば、関連する指導機関における女性の代表比率を大きくするよう努めるべきである。 新しい女性を指導機関い加える上での一つの提案は、これらの女性が新しい任務について学ぶ時間をみとめ、組織内において変更する必要がある習慣を識別する機会をあたえることである。女性委員会、女性フラクション、女性の特別会議などが、そのような問題のある領域を識別し、関連する指導機関に報告する最良のメカニズムである。指導部が組織全体にたいして責任をとらなければならない。
 この文書の目的は、積極的行動についての討論を再開することである。ある意味では、この文書は十年前に作成していなければならなかったはずのものである。しかし、ヨーロッパ女性学校は、女性の自主的組織化と指導部の支援によって、女性の急進化の重要な時期に獲得された組織的ならびに政治的成果を化石化してしまうことなく積極的に利用できるということを示した。
 女性運動は労働組合において制度化された表現を見いだしていない。われわれは、各国支部とインターナショナル内において組織構造と認識をつくりだし、女性の問題について革命的連続性が失われないようにすべく努めてきた。いくつかの国では女性運動は下降している。しかし、現代フェミニズムの成果がわれわれの綱領とわれわれの実践において十分に反映されるならば、各国レベルにおいても国際規模においても女性運動の教訓は失われないだろう。すべての支部がこの課題に取り組むことによって、はじめて国際的バランスシートが可能になる。
 この文書が提起する措置を党全体を統一するという枠組みのもとで採用することによって、われわれは共産主義者の俗物性と対抗するだけでなく、より多く女性をわれわれの隊列のもとに獲得し、保持しようとする。


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