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日本革命的共産主義者同盟(JRCL)第17回全国大会文書  かけはし1997.1.1号

「組織内女性差別問題についての同盟の経過と問題点について」

第3部 総括と課題

掲載にあたって

 この文章は、96年4月に開催されたJRCLの第17回大会のために女性差別克服小委員会が提案した議案書の「組織内女性差別問題についての同盟の経過と問題点について」の一部である。
 小委員会が提案した文章は、「第1部、三里塚現闘の告発と2年間の問題点」「第2部、第12回大会から第15回大会までの経過と問題点」そしてこの「総括と課題」の3つであった。小委員会は、「第1部」、「第2部」を、われわれの女性差別克服の取り組みの経過の同盟としての確認と、残された課題に取り組むための共通の出発点を確認するものとして討論と採択のために提案した。同時に、小委員会は幾度かの討論を経て、この「総括と課題」を、共通の経過と課題の確認に基づく本格的な総括に向けた討論のための文章として提案した。第17回大会は、小委員会の提案を討論した上で、「第1部」「第2部」の採択と、この「総括と課題」の同盟の討論文書としての確認を行った。
 われわれは、わが同盟の女性差別問題の克服と総括の取り組みを、三里塚闘争など戦闘的急進的青年労働者学生の大衆運動をともに闘ってきた運動の仲間の皆さん始め、今日さまざまな運動をともに担っている皆さんの前で行い続けたいと思う。そしてこのわれわれの取り組みに対する同盟以外の皆さんからの批判、意見、提案などを是非ともいただきたいと思っている。

I 総括の前に立ちはだかったもの

組内女性差別問題の集約的な報告書を作成するに当たって、この文書が「総括」にはなれなかったことが、組織内女性差別克服の運動の敗北を物語っている。どのような出来事が、何故発生し、そして克服の道は何かということが、遂に現時点では集約できなかった。
出来事を反省と総括にいたらせなかった大きな障害は二つのことであった。それは、「強かん」をいかにとらえどう評価するのかという問題と、「組織内差別に対する対応」ということであった。まずこのことについては最低限総括を一致させなければならない。

1 「強かん」 規定について

事件が告発された当初から、組織内男性の一貫した最大の動揺は「強かん」についての考え方であった。1970年代、フェミニズムにほとんど関わりを持たなかった組織内男性にとって、「強かん」は非常に旧く反動的な概念でとらえられていた。強かんとは「夜遅く家路を急ぐ若い女性が物陰から飛び出した暴漢に襲われる」というようなものとして考えられていた。
 そして、日常的な関係の中での、男性からする女性への性的関係の強要などについては、「いやならいやと女性が拒否すべきである」というのが、男性と、だからまたその男性の圧倒的イニシャティブの下に構成された組織・機関の態度であった。そういう視点から告発された件を見たときに、「それは許しがたい強かんである」という合意が形成されるよりも、「女の態度にも問題があった」とか、「問題ある関係ではあるが強かんではない」とかの評価が立つ場合が多かった。
 われわれ男性と組織・機関は、こうした考え方を総括し克服することができないままに、糾弾によって組織的動揺が拡大する中で、「強かんは除名だが未遂は権利停止」とか、「強かんのガイドラインを定める」とかの、告発した女性たちからすると絶対に許すことができない議論に止まってしまっていた。
フェミニズムが告発するとおり、現実の強かんは「物陰から飛び出した見ず知らずの男」によってよりも、友人、恋人、夫、兄弟、父親などの極めて近い関係の男性によってなされている。強かんとは性的関係において物理的暴力が行使されたかどうかだけではなく、「女性が望まない性的関係」全体であり、それを強制する、社会的、経済的、政治的、文化的「権力」が問題なのである。それが女性差別の頂点に立つ強かんの本質なのだ。
そういう視点で見ると、われわれが組織内外の女性たちから告発された出来事はすべて強かんであり、われわれは即刻厳しい自己批判をしなければならなかった。

2 組織内女性差別について

第2の動揺は、「組織内差別」であることに対する対処の仕方にあり、これはわれわれの「レーニン主義理解の歪曲」と直結している。
そもそも一連の事件は組織内だからこそ発生した。同じ「革命的目的」を共有するという信頼感を利用し、女性同志の組織への信頼感と献身性を自己の性的欲求の充足のための強制力として利用したり、その目的に誘導した男性と、組織防衛のために沈黙させられた女性。疑似共同体のようになっていたわれわれの「組織」が、強かんと女性差別に対して悪く作用したことは間違いない。
さらに、「組織内の糾弾は間違いである」という圧力が働いた。論理的には、「階級間矛盾と階級内矛盾を区別する」という伝統的マルクス主義の論法が糾弾されるべき男性の側の甘えと、女性たちには自制を強制する力として働いた。
われわれの組織内女性差別を克服していこうとする方向の前に立ちはだかり、それを引き戻そうとするわれわれの日常的な組織のあり方・実体、再建以来長い間に積み上げられてしまったわが組織の構造、そのような同盟のあり方をわれわれは「保守的差別温存構造」と名付けた。それは、この組織内女性差別を克服するためには、われわれの伝統的あり方と、日常的あり方そのものを問い、克服することを不可欠にしているとの認識から生まれたことであった。
 そして、こうした認識との関連の中で、われわれのこれまでの取り組みとの断絶的飛躍をかけたものとして、「組織内女性差別糾弾無条件防衛」というスローガンを掲げた。このスローガンは、従来頑固な「内部糾弾反対派」であり、そのことによって組織内女性の告発に敵対してきたわれわれが、組織内部における差別糾弾を積極的に評価する立場に転換することを意味した。
 さらに、「階級闘争至上主義」的立場から積極的に評価する立場には立ち切れず、否定的にとらえる傾向が強かったともいえるフェミニズムの理論と運動に対して、積極的に学んでいく立場への転換の入り口にも位置していた。そして、そのことがそれ以降の官僚主義批判を中心とする組織の見直しに大きな影響を与えていった。
 そうした評価のうえで、にもかかわらずこの決定は二重に限界を内包していたといわなければならない。第1に、この時期、既に男と組織・機関の差別と敵対によって大きなダメージを受けていた女性メンバーが組織に踏み止まる方向にはなかったこととの関係で生まれる問題である。
 この方針は、告発主体であった女性同志たちがわが組織に止まっていることによってはじめて実践的方針たり得た。女性同志たちとの、女性差別克服のためにともに闘うものとしての信頼関係がなく、さらに多くの女性たちが、われわれ男性と組織との共同の闘いではない道を選択していく中にあっては、この提起はわれわれの立場の表明以上にはなりきれなかった。現にこの方針の下で成功的に闘われた組織内女性差別克服の実践はほとんどなかった。
 第2にこの時点で求められていたのは、したがって男の自己批判と自己変革の闘いであった。しかし、われわれが掲げたのは、女性たちの組織内での糾弾告発の闘いの存在を前提にし、あるいはそれを呼びかけ「共闘」を求めるスローガンにしかなっていなかった。加害者が被害者に闘争のスローガンを提示し、共闘を呼びかけることを意味したのである。

II 今後検討していくべき課題

依然として総括に成功していないとしても、この間の取組みを通じて今後検討していかなければならない課題については整理していきたい。
組織内女性差別問題は、二つの女性差別が混在していた出来事であったと考える。一つはオーソドックスな旧差別であり、いわゆる性別役割分業を中心とした家族制度に支えられているもの。それは差別事件として告発されなかったとしても、性別役割分業によって女性メンバーの活動する権利が大幅に制限されていた現象として、広範に存在していた。あるいは、女性メンバーに対する暴力的、恫喝的な対応などもこのたぐいである。これらは日本の社会主義運動全般にも広範に存在してきた問題であろう。
しかしわれわれのケースが独自に深刻なのは、これらとは異なった新しいタイプの女性差別が続発したことである。いわゆる「強かん」や「ポルノ」などに象徴される新しいタイプの女性差別である。
これら二つの傾向はともに女性を物質化する差別であることに変わりはないが、それぞれ異なった社会的背景や原因があり、対処の仕方も違ってくるように思う。ここではこの二つの女性差別が組織内に存在した原因について、マルクス主義、新左翼運動、時代背景、七〇年代同盟の路線、 レーニン主義のそれぞれの要素から考えていきたい。

1 マルクス主義―ふるい女性差別

マルクス主義は常に女性解放運動の近辺にいたけれども、やはり常に女性差別を内包し続けてきた。例えばロシア共産党とコミンテルンの斬新な女性解放政策があったにもかかわらず、常に「目前の革命の緊急性」から、女性差別そのものの厳密な論議や解放の政策が後景化されてきたと思う(レーニンとコロンタイの論争に見るごとく)。
マルクス主義は差別のない平等社会の建設を公約に掲げたため、多くの女性が参加することとなったが、その階級闘争史観からは階級横断的な女性差別という現象を分析しきれなかった。そしてなによりも階級闘争の主役であった大企業の労働者組織は、女性差別のために常に男性多数派社会であったことが、マルクス主義が女性差別を内包したことの下部構造であった。
JRCLの歴史の中でも、一九七〇年以前は、こうした伝統的マルクス主義の女性差別が内包されていたろう。性別役割分業を前提とした家族制度に支持された女性差別は、「普通のライフスタイル」として定着していた。また、そのような女性差別を社会悪と認識する意識があったとしても、とりあえずその解決の近道は、「社会主義革命によって女性差別の物質的根拠を解体する」ことと考えられ、直接対象化されることはなかった。

2 新左翼運動の時代と新しい問題

女性差別に関して新しい段階を切り開いたのは、良くも悪くも新左翼運動の時代である。新左翼運動の時代は、非常に多様な要素を複合的にあわせ持った、新しいタイプの民主主義運動の時代であり、社会主義が主導的ではあったとしても、従来の社会主義が対象化できなかった諸問題を社会問題の前面に登場させた。
 そこにはフェミニズムやエコロジーの萌芽もあった。ところが、それとは明確に矛盾する傾向も同時にもたらされたといわなければならない。新左翼運動の時代は旧い家族制度による性道徳を崩壊させる入り口を切り開いたけれども、それが自動的に女性差別の解消を前進させたわけではない。フリーセックスなどと称された現象は、男を旧い性道徳からフリーにしたが、その結果生まれた子の育児や家事から女性をフリーにしたわけではなかった。むしろ事態は、男が旧い性道徳からフリーになったコストをより多く女性が負担することとなったといえる。
 このことを反映して新左翼運動内部に内包された女性差別は、旧来のものとは装いを新たにしたものがあった。家族制度を解体しようとしたコストとして、家族制度に守られない家事、育児、あるいは性的脅迫という新たな負担を女性に強いたのであり、JRCL女性差別事件はこの点で際立っていたといえる。

3 その時代的背景

新左翼運動の時代以降の女性差別には、色濃くその時代的背景が影響していたと思う。革命をめざす政党であったとしても、その構成員は大衆社会から結集するのだからその時代的背景から完全に自由でいるわけではない。この時代は、前述したように旧い性道徳を崩壊させたにもかかわらず、新しい性道徳が成立していないという時代であった。女性解放の入り口も開放されたが、女性差別の新しい入り口も開かれた。
 旧い性道徳の崩壊は、それまで抑圧されていた多様な性の形態を解放したが、それは大量の性商品の市場開放をたずさえてのことであった。売春やポルノグラフィーがスマートな体裁をもって公然と市民生活に参入してきた。これは旧来の女性差別が、女性を家事労働者として物質化したのに比べて、女性の性だけを物質化し商品化するという新しい形態の女性差別であった。
 比較的「禁欲主義反対」という立場で新左翼諸党派と一線を画してきたJRCLのなかにこの時代的な影響は容易に浸透していった。七〇年代から多発した強かん等の女性差別事件は、主要にこの新しい時代的背景を基盤としていたといえる。
しかし一方で、時代は同時に女性差別を女性差別と感じる大量の女性活動家をJRCLの運動内外に作りだしたからこそ、われわれの事件が事件として問題化されたのであった。70年代以降発生した性の自由化のような現象は、いま一度厳密に検討されていかなければならない。特にわれわれの内部にあっては否定的に。

4 70年代同盟の路線

このような主張は、まるで出来事を人のせいにしているように見えるけれども、われわれの女性差別の基底構造をなしていたことは事実である。この基底構造の上に、われわれが1970年代に主体的に選択した路線が重なって、一連の女性差別を形成したと考える。
70年代同盟は、学生運動を主軸とした新左翼運動の敗北を受けて、一方で労働者大衆運動路線を取りつつ、その中に革命を現実的なものとして追及しようとする急進主義もあわせもつという路線をとっていた。労働者大衆運動路線と急進主義という二つの要素は、皮肉にも前述した「旧い女性差別」と「新しい女性差別」の双方をJRCLに浸透させる結果となった。一方で労働者大衆を組織していく上で、「内部糾弾などと新左翼のようなことをいってはいられない」という雰囲気が旧い女性差別を組織に浸透させた。
 一方、ABCD事件を中心とする一連の「男にとって恋愛と強かんの垣根が崩れてしまった」ような症候群は、青年学生を中心とした急進主義運動の中からもたらされてきた。ここでも大衆運動路線を選択したわれわれは、青年のアナーキーな性道徳に寛容であった。専従、現闘、学生のような、旧来的な家族を構成していなかったメンバーから強かん事件として告発された事件が多発したのは偶然ではない。
 そもそもポルノグラフィー、売春、その内部で公然化していった強かんなどの(女性の性だけを切り取って物質化するというタイプの)性言動は、男の性を家族制度から解放することを売り物にした制度であり、まさに家族制度の外にいたメンバーにこそ浸透する危険性があったのである。
 正確に検証できないが、おそらく加害者男性には、加害意識がなく、恋愛のアプリケーションぐらいに考えていたと思う。そう思わせることが新しい性文化のわなだったのである。旧い性道徳では罪悪感があったさまざまな性行動を、当然なもの、悪くないこととして束縛から解放し、巨大な性の自由市場を作ることが目的だったのだから。よってその自由は、両性の一方には大変な犠牲を強いたのである。
これは免罪のために言っているのではない。告発されたメンバーが例外なのではなく、むしろ70年代同盟の中では標準的だったということを確認したいのである。女性差別を生み出したのは70年代同盟という路線の造りだした集団構造である。

5 レーニン主義

われわれの罪の上塗りは、重大な女性差別を引き起こしつつ、それを告発、糾弾する女性の運動を陰に陽に弾圧し、遂に女性メンバーの活動の権利を奪ったり人間的に傷つけたことにある。レーニン主義党建設というスローガンは、女性差別告発以降加速度的に強化された。それは男性メンバーが女性差別糾弾を封じ込めるためにレーニン主義を利用したという側面と、レーニン主義が本来持っていた危険性という側面の両面がある。
 レーニン主義は均質なメンバーを前提とするからこそ、民主的に集中できるシステムである。「男も女もない団結」という主張はこの典型だが、それは男も女もない平等な家事、育児の負担、構成比率を前提としての話である。現実にはこのスローガンは、女性独自の結集を阻害するために使われていた。そして、レーニン主義には、想定していない新たなカテゴリーの存在を排除する危険性が本来忍びこんでいたと考えるべきだ。「ユダヤ人ブント問題」に見るとおり。レーニン主義的団結とわれわれが考えてきたものが社会主義者のモデルとされていいのかどうか検討の必要がある。
以上、自らの女性差別を切開しきれないでいるうちに、時代は激しく変化して新しい問題をどんどんわれわれに突き付けている。女性解放運動と社会構造の急激な変化がが旧来の家父長制家族という女性差別制度を動揺させた先に、セクシュアリティー、家族の解体という事態が発生している。男女というジェンダーによって造られてきたセクシュアリティーは自明のものではなくなり、ホモセクシュアル(同性愛)、バイセクシュアル(両性愛)、アンドロジナス(両性具有)というセクシュアリティーが市民権を獲得しつつある。ヘテロセクシズム(強制異性愛)血族家族も自明のものではなくなり、グループホーム(さまざまな関係の諸個人の集合としての家庭)という概念も拡大してきた。
 ヘテロセクシズム家族を基軸に、数千年単位で構築されてきたコミュニケーションの体系が変動している。それを悲劇と見るか進歩と見るか、あらかじめ断定できない。それはコミュニケーションの自由化、多様化でもあるけれども、旧来のコミュニケーションが守ってきた弱者(老人と子ども)のケアーを危うくしていることも確かである。
 しかしマルクス主義者は、常にそこに発生し人々を苦しめる矛盾の止揚に立ち向かっていくべき存在である。マルクスこそは、人間と人間のコミュニケーションの形式の変動こそが、あらゆる歴史的変動の下部構造であることを発見した人である。ヘテロセクシズム家族を基軸としたコミュニケーションの変動は何によってもたらされ、今後何を結果するのかの分析と具体的行動が、今後のマルクス主義者の重要な課題である。
 現実には、社会関係を階級関係を基軸に分析してきたわれわれの想定の外側で、深刻な社会問題が進行している。人種、民族、宗教、性別、世代の間で、実際には血みどろの殺しあいが進んでいる。社会関係に関するこれらのカテゴリーの分析に対するわれわれの立ち遅れは大きい。


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