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    かけはし2013.年9月2日号

軍事支配打倒 犯罪者の復帰ノー 同胞団復帰ノー


エジプトの革命派からの手紙(上) 

次の全面対決に向けて準備を


エジプト革命的社会主義者

 以下に、「エジプト革命的社会主義者」の手紙を紹介する。その中では彼らの支持者に対して、現状のエジプト情勢が説明されている。(IV編集部)

 恐るべき殺戮と暴力的弾圧、エジプトのキリスト教徒とその教会に対する攻撃のすさまじいエスカレーション、抑圧的軍事国家の打ち固めが、歩を並べて続いている。われわれがここ数週間経験してきたものこそ、これらの重大な政治的展開だ。
 それらは革命に対する巨大な挑戦を意味しているが、しかしそこにはまた、革命の来るべき波を準備する上で、一定の好機もはらまれている。それは、われわれが変わりつつある諸環境に対処できる諸戦術を発展させることができるという条件の下で、「革命的社会主義者」が有効に活用可能な好機だ。

革命かそれとも
軍事クーデターか


 モルシを倒すために何百万人もが街頭に繰り出し、彼を大統領の座から下ろすという声明をアルシシが発した後、このできごとをいかに性格付けるかをめぐる論争が広範に広がった。これは大衆の革命だったのか、それとも、軍事独裁体制確立を目的に大統領を取り除くという軍事クーデターなのか、という論争だ。「革命かクーデターか」というこの問題に対する回答には、今後に控えるエジプト革命の数カ月、そしておそらく何年もの戦略を発展させる上で、それ自体の重要性がはらまれている。
 エジプト革命の新たな波を発進させた巨大な大衆運動による介入を軽視する者たちすべては、そこにはらまれた固有の諸矛盾に対処することを回避し続けている。またこうして、エジプト革命並びにその未来を準備する諸好機に正面から新たに挑戦することからも逃げ続けている。驚くことではないが、大衆の介入の価値を軽視している――あるいは少なくとも、大衆を反革命ゲームの単なる客体にすぎないと考えている――革命派は今日、彼らがエジプト革命の終わりあるいは退却と呼んでいるものの、さらにまた活用可能な諸好機に対する彼らの拒絶の結果として、深い失望にさいなまれつつある。
 彼らだけが、モルシ打倒、および彼に対する投票箱の正統性の打ち倒しに際した大衆の直接的介入を軽視しているのではない。国際的諸勢力を含んで今日この政治情勢に関与しているほとんどすべての諸勢力は、大衆の役割を見逃している。
 ここでの例外は軍エリートたちだ。彼らはそれ以前に大衆運動の大火に焼かれた。それゆえそれを無視し見過ごすことなどできなかった。むしろ大衆運動の発展と見通しは、彼らの政策と介入を決定する際の主要な要素となっている。軍エリートは、支配階級、体制、国家の頼みの綱を代表している。それは、たとえ大衆運動の発展の可能性に関してパニックの種をまくとしても、偽装された仲間として大衆運動に自身を押しつける、そして可能なあらゆる手段をもって、その階級利害を脅かさないような特定の枠内に大衆運動を押し込めようと努める、あるいは過去に起きたように直接の弾圧をもって臨む、そのような反革命の槍の穂先なのだ。
 軍は確実に、モルシ打倒を要求する巨大な大衆運動を、それが設定する限界内部に、また彼らが見積もる段階内部に制限しようとしている。彼らは、運動がモルシ打倒といった枠組みからすり抜け、体制をことごとく変革する、より深い挑戦へと成長することを妨げようと望んでいる。軍の当初の目標は、街頭を埋め支配した何百万人もの人々を、可能な限り早期に家に帰すこと、そして運動を政権トップの打倒と彼を除去するという限界で止めることだった。この目標は、モルシの執政時期を通じた革命を前にして支配階級の心を支配した混乱に直面する中で、彼が革命を挫折させる点で失敗したことを受けた、軍の熱望と両立可能だった。

モルシは民衆の
要求に背いた

 というのも、米国、軍エリート、ビジネスエリートの大多数の祝福と一体となった昨年のモルシの権力到達後、彼は、エジプト革命を挫折させるという点で支配階級の目標を達成することに失敗したからだ。彼が新自由主義的構想を採用し、自身をビジネスの利害と連携させた以上は、支配階級の多数にとって当初モルシはより良い選択だった。彼は、米国との同盟には何ら良心のとがめをを感じなかった。そして、革命後に選出された最初の大統領であること以上には、シオニスト国家を煩わせないように注意を払った。もっとも重要なこととして彼は、エジプト最大の大衆組織、何十万人というメンバー、シンパサイザー、支持者を土台として活動する一つの組織内部に基盤をもっていた。そして彼らが、民衆の怒りを吸収し、新自由主義的構想とそれに付随する冷酷な緊縮計画について大衆を説き伏せ、民衆の犠牲で経済危機に対処する――最低でもその作用を和らげる――試みの間、大衆的蜂起の危険から支配階級を免れさせることができる、と思われた。
 ところが事態は逆であり、革命の諸要求の実現におけるモルシの失敗(ないしより正確に言えば、それらの要求と目標に対する彼の公然とした反逆)と経済危機は、彼の人気並びに彼の組織の人気が、支配階級とその諸制度が大衆を前にもはや彼らに頼ることができないと思われるほどに低落することへ導いた。
 民衆的怒りがモルシ打倒に十分なほどにまで高まったことがはっきりした時、支配階級のもっとも強力かつ固い組織―軍―にとっては、大衆の怒りを抑制し彼らの要求を実行するためにすばやく介入することが必要になった。政権トップへの賭けに負けることから逃れ、支配階級をヒーローとして現れるはずの新たな指導者の回りに結束させ、民衆の要求を遂行し、「一つの隊列」として民衆と統一することが必要だった。

二つの火に
囲まれた軍


 現実には軍は二つの火に囲まれた。第一は大衆運動の火であり、モルシが権力に留まり続ける場合には、運動がその限界を突破するという可能性だった。第二のものは、モルシの打倒が起きた場合の、街頭にいる同胞団とイスラム派の火だった。そしてそこには、大きな重みがあるものとしてはシナイ半島における、また重みはもっと小さいものの上エジプト(エジプト南部のスーダンに近い領域:訳者)のいくつかの地域における、複雑な戦線の出現が伴われていた。言うまでもなく、米国との間で発展する食い違いや彼らが言う「民主的道」に関する脅威もあった。
 それがもたらすさまざまな成り行きにもかかわらず軍は、大衆運動の火を避けることを選択した。軍は、大衆を吸収しその運動の発展を止めつつ、モルシを打倒すること、大衆の火よりも脅威がより小さい同胞団からの火に対応することを決断した。米政権、そしてより比重は小さいがEUに関する限り、彼らは、エジプトの軍エリートとの間で長期の戦略的関係を結んでいる。そしてそれは、モルシの打倒から生まれる緊張すべてを吸収できるのだ。こうして軍は、大衆運動の発展に関わる可能性に恐れをなし、その束縛から逃れることに躍起となった。それ以外の選択肢は危険をはらんでいた。というのも、もし軍がモルシを倒さず、運動がより急進的でより深化した方向で発展するならば、大衆の幅広い層の軍に対する信頼――モルシに決定力をもって対処できる他のあらゆるオルタナティブの不在から生まれた信頼――が揺さぶられることになると思われたからだ。そしてこれは、運動をその軌道を外すまで押しやる可能性をもつ一要素だった。
 大衆運動を制限するという仕事を完遂する目的の下に軍は、文民の顔をもつ新政権と当座の大統領を指名した。その狙いは、第一にその全権力と特権、さらに必要となれば暴力的弾圧における軍の介入主義的役割を確保することだ。狙いの第二は、政治と経済の両面における反革命という構想を完遂することだ。これは軍の権力からの後退を意味せず、むしろその反対だった。というのも、軍は新政権の文民的仮面の背後に隠れたにもかかわらず、それは今もすべてを管理しているからだ。それはまさに、タンタウィ(陸軍元帥)とアナン(将軍)という指導部の下で、軍事評議会の一年半の時期に軍が行ったことと同じだ。

同胞団のキリスト
教徒弾圧を許すな


 われわれはこのように、六月三〇日の抗議の大衆的な波、それに続いた数日を目撃し、そして大衆運動の発展に向かう道を断ち切る目的で七月三日の後に軍が革命に馬乗りするさまを見てきた。大衆運動は、特にマハラにおける公共交通局、鉄道や内閣府、そして多くの他の機関における公務員の中でのストライキの始まりを基に、より大きくより急進的な諸側面を発展させる可能性をもっていた。われわれはまた、同胞団の国家からの排除に続く、その軍事的標章と古い指導者たちを伴った、支配階級の全面的な復帰を見つつある。そこには、軍が支配階級と反革命勢力を、モルシがやることに失敗したことを達成するために導く、という目的があった。すなわち、革命と巨大に自信をつけた、しかしながら意識と組織の点でさまざまな矛盾に満ちていた大衆運動を挫折させることだ。われわれは不可避的に、その矛盾をはらんだ運動に対処し、来るべきエジプト革命のもっと強力な波に向け準備するために、その中にある固有の可能性を引き出さなければならない。
 この角度から見た時、「二月一一日」(二〇一一年、ムバラク追放の決起が勝利を印した日:訳者)はまさに今年の七月三日とは似ていない。事実としてそれは多くの側面で完全に似ていない。前者の場合支配階級は、国家のトップを取り除き、彼ら自身の隊列内部のより大きな混乱に向け扉を開くよう強いられた。国家は、内務省の崩壊とムバラクの取り巻きに対する極度の敵意を受けて、今日見えているものよりははるかに大きな弱さをもつ条件の下にあった。しかしながら後者において支配階級は、自身の隊列を統一し、手中の手札を切り混ぜ、全革命運動への攻撃を準備するために、亀裂を縫い合わせる目的で政権トップを取り除いた。しかしこのことは、支配階級の政治的、経済的危機が終わった、ということを意味するわけではない。
 モルシの追放に直面した同胞団と彼らのイスラム派同盟者たちは、座り込みとデモ行進を基礎に、革命の目標に敵対する彼らの破綻した構想と共に、大衆によって打ち倒された「正統性」を回復する目的で、彼らの動員のエスカレートを追求した。その歩みの中で彼らは、彼らの怒りをキリスト教徒にぶつけその教会を襲撃することで、反キリスト教徒扇動や宗派的言説に加え、多くの地域と州で、忘れることのできない憎むべき犯罪を犯してきた。われわれは「革命的社会主義者」として、こうした攻撃とエジプトのキリスト教徒に対するいかなる襲撃にも反対する立場を確固として取らなければならない。
 われわれは、これが同胞団にとって生き残りを賭けた戦闘であり、彼らは簡単には屈服しないだろうということを、十分にわきまえている。同胞団の襲撃や犯罪と平行する形で、彼ら自身が軍と内務省による暴力的弾圧に直面しつつある。マンスーラでの三人の女性メンバー殺害やその他には触れないとしても、その始まりは大統領警護隊本部での殺戮であり、最後はナハダ広場とラバアル―アドウィイヤの抗議キャンプの残酷な取り壊しで終わった。

軍の暴行は反革命に向う第一歩


 同胞団の犯罪は、左翼のほとんどの派が極度に日和見主義的な立場を取り、彼ら自身を軍と連携させ、ブルジョアジーと裏切り的メディアと同じ嘘をすら繰り返しつつ、さらに革命的立場や階級的立場すべてを完全に放棄しつつ、抑圧的国家を支持することに導いた。ここに見られる見方は、ムスリム同胞団とその同盟者たちをエジプト革命にとってのより大きな危険と考える、そうした破局的な分析の上に構築されている。他方現実には、同胞団がたとえ一定程度の危険を表しているとしても、暴力諸手段を独占している国家諸機関は、革命にとってはるかに大きな危険を提起しているのだ。これは、抑圧国家がその全面的に残酷な形で、独裁的な憲法宣言の中で、州知事が軍と警察の将軍から指名される中で、そして古い体制とスエズスチール労働者やその他に対する攻撃の形で、復帰したことの中にはっきり示されている。
 軍を支持しているいわゆるリベラルや左翼(アルアシシ政権に参加した者たちに率いられた)の日和見主義的かつ裏切り的立場に加えて、同胞団と新旧体制の戦闘を革命に対しては何の意味ももたない戦闘と見、革命にとってその結果に賭けられているものは何もないと見ている人々が多くいる。この見方からは、対立する二つの党派があたかも同じ強さをもち、革命にとって等しい危険を表しているかのように、革命派は中立的立場を取るべきとなる。これらの観点は極度に考え方が浅い。彼らは、現政権の諸行動の、また彼らがナハダ広場とラバアル―アドウィイヤの座り込みを粉砕する際にイスラム主義派を前に軍の表情に表れたにやつきの本当の意味を分かっていない。これらの殺戮は、エジプト革命の粉砕に向けた最後の下稽古であり、明日は、場面に登場するすべての真正な革命派に対して、特に労働者運動に対して繰り返されるだろう。これこそが、スエズスチールストライキに対する攻撃の中でわれわれが垣間見たものだ。イスラム派に対する殺戮は、反革命に向けた行程に沿ったほんの最初の数歩にすぎない。したがってわれわれはこのことを、彼らに対する鋭く原則的な糾弾として暴露しなければならない。

軍・警察は絶対に
民衆側に立たない


 今日われわれは、イスラム派に対する抑圧機関の暴力を糾弾し、反革命の頭目としてアルシシを指弾するわれわれの立場に関し、大量の攻撃にさらされている。しかしこれによってわれわれは、革命に対して彼らが提起する危険という領域で彼らがあたかも同等であるかのように、軍とイスラム派に対するわれわれの批判にある種の「バランス」を作ることで、われわれの立場を薄めるようなことはしない。われわれは今、包括的かつ全面的な反革命の過程の中にいる。そして同胞団の座り込みと諸抗議の粉砕は、その第一歩にすぎないのだ。われわれは、軍とその残忍な弾圧に反対する確固とした立場を揺るがすことはないだろう。両陣営間での「バランス」は単に、抑圧国家と対決する明確で勇気ある立場を取る代わりの、決断放棄と躊躇を映し出しているにすぎないだろう。われわれは、イスラム派を何十人と殺害した軍の虐殺に沈黙を守ることなどできない。また、彼らの座り込みを粉砕するような国家を支持することもできない。あるいはまた、軍の犯罪を思い出させることや、内務省に警戒を呼びかけること、そしてあらゆる機会をとらえて彼らの犯罪に対する告発を求めることもやめることができない。同様にわれわれは、ムバラクの国家とその抑圧機関の全面的な復活に警告を発し、それへの攻撃を単刀直入に行なわなければならない。
 あるいはまたわれわれは、旧体制の支持者やそのちんぴらたちの、イスラム派に嫌がらせを行い、彼らを街頭で殺害するといったもくろみを支援するような動員に応じてはならない。二、三週前マニアルやバヤン・アルサヤラトやギザでわれわれが見たような同胞団による攻撃を前にした大衆の自己防衛――たとえ暴力的手段によってであれ――と、抑圧機関や旧体制支持者のちんぴらの同胞団に対する暴力の間には、大きな違いがある。後者はデモと革命を守る暴力ではなく、むしろあらゆる方面からの反対を許さない形で、新体制の手中でものごとを安定化させようとするもくろみだ。軍、警察、そして旧体制の諸部分は過去数週間、いかなる衝突の場合でも、当地の人々や抗議に立ち上がった人々を守るためには、ただの一度でも介入などしなかった。
 軍のブーツにくっついている左翼とタマロッド「反抗」運動が、国家と抑圧機関を守り、それらがイスラム派をつぶす手助けをするために、民衆委員会を呼びかけているということは、このような全体的流れの中にあることなのだ。これらはファシスト的呼びかけであり、われわれはそれを復唱したりそれを容認することなどできない。

旧体制指導部の
復帰を許すな


 われわれは、同胞団に軍と旧体制の全犯罪を被せるよう政治的覆いを与えているメディアの嘘と対決しなければならない。われわれは、一月二五日の革命を消し去り、それを六月三〇日で置き換えようとする不快な物語に挑まなければならない。その物語によれば六月三〇日は、「あらゆる階級」が参加し、「警察署の焼き討ち」や「諸機関の襲撃」などは起きなかった、とされているのだ。この物語は、一月革命を、支配階級とその国家並びにその諸機関と対決した革命ではなく、彼らと対決する革命が必要となったような同胞団による純粋の策謀と表現している。加えてわれわれは、パレスチナの人々とシリア人に対する憎悪を含んだ人種主義的言説をも聞いている。
 国家はその背後に、ムスリム同胞団並びに彼らを軸としたイスラム派の連携諸勢力との衝突に向けて、ほとんどすべての政治勢力と(昔の)革命勢力、さらに大衆の大きな諸層を動員しつつある。彼らは、彼らが「テロとの戦争」と呼ぶものの中で、胸が悪くなるような民族主義的空気を刺激し続け、革命の諸要求を圧殺しねじ曲げる目的で、「戦闘の声以上に大きな声は一つもない」などと主張している。
 (政治過程からの)「排除」と「調停」といった話しに関して「革命的社会主義者」は、この問題に関する立場を、大衆のムードと彼らの諸志向と分離した形で組み上げることはできない――そこには鋭い内部的諸対立があるとしても。これらの大衆は、同胞団との和解を受け容れることはないだろう。われわれの運動の声明が述べるように、「調停の太鼓を打つことは、殺人者とその犠牲者の間の同等性を暗に意味している。そしてそれは、殉難者の殺害者、すべての殉難者、そして暴力の煽動者を公正な裁判にかけることなくしてはまったく受け容れ不可能だ」。大衆が、旧体制の諸部分と軍を一方で無視しつつ、メディアとブルジョアの宣伝の影響の下に、同胞団を排除したいと思っているならば、われわれは同時に、アルシシの旗の下での旧体制支持者の復帰やムバラクの国家の復帰にも攻撃をかけなければならない。エジプト革命の敵とその未来の候補者すべて、さらにアルシシは、いかなる基準でも(同胞団指導者)ムハンマド・アルベルタギよりもはるかに危険なのだ。
 このような環境においてわれわれは、真っ直ぐにかつ大胆に、また明確にそしてどのような躊躇もなく、「軍事支配打倒……犯罪者の復帰ノー……同胞団復帰ノー」のスローガンを掲げなければならない。(つづく)
 (「インターナショナルビューポイント」二〇一三年八月号)
 

 


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