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    かけはし2017.年4月10日号

「復興・帰還」をめぐる攻防


3.19

原発事故被災地をめぐって

緻密な情報の共有化が大事

放射能被害の現実は消えない

形を変えた
「安全神話」

 「原発のない福島を! 県民大集会」翌日の三月一九日、乗用車とレンタカーに分乗し、郡山市内からいわき市内までのフィールドワークを行った。
 最初に訪れたのは、三春町に昨年七月オープンした福島県環境創造センターの交流棟「コミュタン福島」。「ふくしまの三・一一から」「放射線ラボ」など五つのブロックに分かれている。同センターのHPに「県民の皆さまの不安や疑問に答え、放射線や環境問題を身近な視点から理解し、環境の回復と創造への意識を深めていただくための施設」とある。国立環境研究所が入る研究棟や本館とあわせ、総事業費約一〇〇億円と報じられ、福島県内の小学五年生全員に見学させる予定だという。
 時間がなく、実物を確認できなかったが、中学生が作成した放射線学習に関するレポートが展示されているという。そこには「放射線は原発事故前からあることを知った」「放射線には利用価値があることを知った」「今回学んだことをいろんな人に発信していきたい」などと記されているという。
 小渕真理さん、武藤類子さん、佐々木慶子さんが共同代表をつとめる「フクシマ・アクション・プロジェクト」は計画段階から福島県に「崩壊した『安全神話』を形を変えてよみがえらせるようなものであってはなりません」と、要望書を提出、協議を重ねてきた。
 オープン後の昨年一一月に提出した要望書では、「避難や賠償、健康問題も含め、それらの苦悩の実態」「除染ゴミがなぜ生まれるのか、それに対してどのように対策を行い、将来どのようにしていくのか」「汚染水についての説明、対策」を展示内容に反映・加えてほしいと訴えている。短時間での見学だったが、まったく同感だ。

先進帰還地
域の現実は


路肩に雪が残る峠を越え、川内村に向かう。
川内村は全域が第一原発の三〇キロ圏に位置し、全村避難したが、村長は避難から一年を待たずに「帰村宣言」を発した。昨年六月、富岡町に接する地域(一九世帯)が解除され「全面解除」となった。
村や商工会議所は帰還を促進するため、ショッピングセンターへの事業者誘致を進めてきたが、オープンしたのが昨年三月、「帰還宣言」から四年が過ぎていた。次の峠越えのため、この村はじめての複合商業施設「YO━TASHI(ようたし)」に休憩で立ち寄った。メインの事業者はファミリーマート、「川内村はじめてのコンビニ」として除染のピーク時に開店した店舗が移転したものだった。
県の統計によれば、村の住民登録人口は約三〇〇〇人、郵便物の送付先を自宅住所にした「帰還者」は一八七八人で率は約六九%という。村民の多くは、教育や医療、さまざまな物資調達を富岡町に頼ってきた。そのため、多くの村民は県内七カ所の仮設住宅などでの避難生活を続けてきた。仮設住宅の提供は三月末で打ち切られた。

富岡町から
大熊町まで

 県道三六号線を東進する。富岡町民が第一原発と第二原発から遠ざかるための最短の避難ルートだった。渋滞のため、一部の避難者はいったん第一原発に近寄るルート、先に住民が避難していた大熊町を経由して都路街道で避難したそうだ。峠を抜け、富岡町の田園地帯に入るとメガソーラーができていた。かつてゼネコンの除染拠点があったところだ。この先から大熊町方面に向かい、昨年との比較を行った。
大熊町は昨年一一月、大河原地区の都市計画案をまとめた。「帰還を希望する町民の受け皿として第一次復興拠点に位置付け」(福島民報)ている。東京電力の単身寮(七〇〇人弱が居住)、家族寮(現在は幹部が単身で住む)などに隣接する地域に、町役場新庁舎、診療所とケアセンター、商業施設、災害公営住宅やパークゴルフ場などをつくるという。居住制限区域だが、社員寮は特例で宿泊が認められている。同地域の避難解除は今秋を目指しているという。

慰霊碑に書か
れた言葉は


富岡町に戻り、夜の森駅北側の跨線橋をくぐって国道六号線に抜ける。北上して浪江町役場敷地に一時帰宅する住民の便宜のためにできた商業施設に向かった。昼食を調達する目論見だったが、国道六号線沿いから移転したローソンは以前同様日曜日は休業。食堂も満席で彼岸の墓参りに訪れた住民の多くは私たち同様に昼食はあきらめたようだ。
浪江駅前を回り、国道一一四号線を経由して海岸沿いの棚塩から請戸地区に向かう。がれき処理がほぼ終わり、昨年四月から立ち入りが再開された。がれき処理が始まる前に数度訪れたことがあるが、除染で枯草が刈られ、見渡しがよくなったためか、以前よりも広く感じた。東北電力の浪江・小高原発の計画地約一二〇ヘクタールが町に無償譲渡され、福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想の一環として、無人航空機着陸試験用滑走路の建設が予定されているという。原発計画時にあった気象観測所等は三年前に解体されたが、新たに観測用の鉄塔が立っていたのはこのためだろうか。双葉町にまたがる約五〇ヘクタールの地域には、国と県が復興記念公園をつくる計画が進んでいる。
この地域を見渡せる高台に浪江町立大平山霊園があり、多くの住民が訪れていた。ここには慰霊碑があり「国から避難指示が発令されたため、住民は避難を余儀なくされ、捜索や救命を断念せざるをえなかった。この地震と津波により、住民一八二名の尊い命が失われた」と刻まれている。

いわきに向か
い一気に走る


すでに午後二時近くになる。午後三時予定の解散地点、いわき駅に向けて一気に六号線を南下することにした。途中、富岡町でヨークベニマルが目に留まり立ち寄ったが、開店は三月三〇日だった。昼食をあきらめかけた直後、開いているローソンに駆け込んだ。
いわき市久ノ浜地区の市街から四ツ倉までの海岸沿い通りは海岸沿いにカーブして時間がかかるため、常磐自動車道を使うかどうかを地元の仲間に打診したが「その必要ない」のこと。バイパスが二月末に開通したので、いわき駅に行くにはかえって時間のロスになるとのことだ。車列は信号待ちなどでバラバラになったが、予定時間内に解散地点に到着できた。

来年の福島県
知事選見すえ


今回のフィールドワーク向けに、「計画図」が載る「福島民報」、「福島民友」「河北新報」のネット記事を集めた。が、福島県内で活動する市民グループなどのHPの閲覧が不十分だった。コミュタン福島の「五年生全員見学」問題は、福島の仲間が見学時に説明してくれたが、「フクシマ・アクション・プロジェクト」の要望書は視察後に知った。年に一度の視察がやっとの行動だが、情報の集め方から現地の日々の行動との連携の重要性を実感した。
今回の情報集めで、安倍内閣と内堀知事の県内支持率など震災五年めの「福島民報」記事をみつけた。この記事によれば、安倍内閣は「支持する三三・八%」「支持しない四四・四%」。内堀知事「支持する七二・八%」「支持しない七・五%」であった。安倍内閣の支持率は、昨年の参議院選での野党共闘を裏付けるものだ。だが、内堀知事の支持の高さはなにものだろう。これを一年後への課題、来年秋の福島県知事選への課題としたい。   (斉藤浩二)

3.21

福島原発刑事訴訟支援団

一日も早く裁判開始を

二度と事故を起こさないためにも

 三月二一日、小雨が降り続く中、福島原発刑事訴訟支援団は一二時から東京地裁前で、「一日も早く裁判を!」東京地裁前行動を行った。参加者は約一〇〇人。
 二〇一五年七月三一日、東京第五検察審査会は東京電力の勝俣恒久元会長、武黒一郎元社長、武藤栄元副社長の三人を、福島第一原発事故の責任を問い、「業務上過失致死傷」の罪で起訴相当との議決を行った。二度にわたる議決で、福島原発事故の刑事責任を問う裁判が行われることになった。昨年一月三〇日には福島原発刑事訴訟支援団が発足し、裁判支援体制が作りだされることになった。
 昨年二月二四日には、東京地裁に三人の東電幹部に対する提訴も行われた。今年一月三〇日には刑事訴訟支援団結成一年を期して、「一日も早く裁判を」と訴える集会が三五〇人の参加で行われた(本紙二月二〇日号参照)。しかし提訴から一年以上たった今も、裁判は始まっていない。この日の地裁前行動は、まさに一日も早く裁判を開始し、事故責任を解明することで、二度とあのような今に続く惨事を繰り返してはならない、という想いで呼びかけられたものだ。
 三月一七日には前橋地裁で、大震災と原発災害で群馬県内に避難した一三七人が起こした損害賠償の集団訴訟の判決があった。この判決は「東電は遅くとも二〇〇二年には高い津波の到来を予測でき、二〇〇八年には実際に予見していたにもかかわらず対策を怠った。国も津波到来を予見できる状況だったのに、事故を防ぐ対策を東電に命じなかった」として国、東電の責任を問い、賠償命令を出した。これは福島原発刑事訴訟にとってもきわめて重要な意義を持っている。

「正義の遅延は
正義の否定だ」
東京地裁前の集会では、支援団団長の佐藤和良さん(いわき市議)が代表あいさつ。「いまだに一三万人の県民が避難を余儀なくされている。責任が誰にあるのか、なぜこの事故が起きたのかを究明しなければならない。これ以上原発を動かすな、再稼働をやめろ」。「これまでにない大事故を引き起こした、その苦しみを私たちは忘れない。三人の東電幹部を業務上過失致死で裁こう。一日も早く刑事裁判を」。「三月二九日には東京地裁で第一回公判前手続きが行われる。三・二九日の前にもう一度東京地裁前に集まろう。あきらめることなく刑事責任を追及しよう」。
続いて海渡雄一弁護士が発言。「昨年二月二九日に提訴してから一年以上たった。証拠開示をめぐる問題で、公判開始が引き延ばされているわけではない。三月一七日の前橋地裁判決は、東電・国の責任をはっきりと示し、津波の予見可能性についてもふれて、二〇〇七年の段階で対策を取ることができた、と述べている」と説明。
河合弘之弁護士は「六年前には、東電は何を言っても『想定外の津波』とごまかしていた。しかし追及によって出てきた証拠から、それが嘘であることが明らかになり、原子力ムラは崩壊の危機に立っている。東芝の倒産状況はまさに身から出たサビだ。世界中の原発で同じ現象が起きている。判決までの全日程を決めることを要求する」と語った。
作家の広瀬隆さんは「韓国のパク・クネは半年の審理で解任された。日本はどうなのか!」と、「森友」問題と安倍政権の責任をからめながら、東電の刑事責任を問う迅速な裁判を求めた。続いて、シカゴ大学名誉教授のノーマ・フィールドさん(『天皇の逝く国で』などの著者)が「正義の遅延は正義の否定」と書いたボードを掲げて、三月一一日にシカゴでデモを行ったことを報告し、大きな拍手を受けた。
福島から蛇石郁子さん、森園かずえさん、斉藤春光さんなどが発言。最後に支援団副団長の武藤類子さんが「日々、新しい被害が増えている。甲状腺ガンの患者が増える中で、放射能安全プロパガンダ、子どもたちへの『安全』プロパガンダが拡大する中だからこそ、早く早く裁判を行うことが必要だ。みんなで長生きしましょう」と呼びかけた。        (K)


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