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    かけはし2017.年7月17日号

「大アラブ蜂起」への反攻は出そろったが…

カタール

静まらない民衆反乱前に

この地域の特権層による一連の
攻撃の最新版が反カタール策動

ジルベール・アシュカル



 中東にもう一つの不安定要素が浮上した。サウジアラビアが主導するカタールとの厳しい対立だ。両者とも、米国と歴史的に連携し、地域における西側の支配に協力してきた国だ。一体何が起き、背景に何があるのか。われわれにはにわかに信じ難い状況が生まれている。今号では、この状況を理解する一助として、現地出身の活動家による現状と背景に関する分析を特集する。(「かけはし」編集部)

【解説】

 この二週間、カタールとサウジアラビア間に起きた危機について、ある種コメントの殺到が起きた。あるものは、一方の側や他方の側が勝ちを収めつつあると告げ、他方は、新たな地域戦争の始まりを懸念している。すべては、この危機がそれを始めた者たち(サウジとUAE)が意図したよりも長く続くことを示している。この危機は、最終的に何が起きようとも、この地域の大国間にあるいくつかの緊張線、つまりイラン・サウジ対立からイスラム・反イスラム分極化、革命・反革命という物語まで、こうしたものの相互作用を示している。その重なり合いは混沌とし、メディアの対応(米国や英国の新聞中の、湾岸諸国のマネーとイデオロギーの影響力に関する哀れな公言を含んで)はそれだけ多く滑稽なほど偏向している。
ここに紹介する一偏は、アラブの春に関する十分な評価を受けた最新著作、『病的兆候―アラブの春における揺り戻し』の著者で、レバノン人左翼知識人、ジルベール・アシュカルが書いた。それは、カタール人所有のロンドンに拠点を置く新聞「アル・クズアル・アラビ」に掲載されたが、アシュカルには、カタールに対しても、その敵対者に対しても、応援団であったことはないという取り柄がある。彼は、カタールのその隣国との緊張について、特にその攻撃的な対外政策のめざましい高まりと潜在的な転落の可能性、ムスリム同胞団へのその賭け、さらにその敵対者によるアラブの春を巻き戻す努力の成功的進展について、歴史をたどっている。二つの陣営間の基本的な違いはアシュカルから見て、カタールはムスリム同胞団への資金供与によりそのエネルギーをうまく利用しつつアラブの春に順応しようとした、他方サウジアラビアとUAEはそれを巻き戻し、この蜂起により揺さぶられた特権層を復位させようとした、というところにある。それは、もう一つの革命――それに抵抗しようとする者たちをほとんど洗い流し、それに乗ろうとする者たちに報いるかもしれない革命――がぼんやりと現れている、という『病的兆候』中の彼の評価により下支えされた一つの見方だ。〔前述紙英語版「アラビスト」〕

サウジからの自立追求の歴史

 サウジ、アラブ首長国連邦(UAE)、バーレーン、エジプトの諸政権がカタールに対して始めた暴力的策動の重要性を理解するためには、われわれは、イラクから要求されたカタールの身代金というような根拠のない主張や、カタールに張られたテロリズム支援という嫌疑、などの突飛な話を脇に置いて見なければならない。そのような嫌疑は、まさにそれに何十年も取りかかってきた主役から出てくればあらゆる信用性を失うのであり、われわれは、「アラブの春」以前の光景に、この偉大な蜂起によってそれがどれほど影響を受けたかを知るために、戻らなければならない。
カタール首長国は、ハマド・ビン・カリファ・サニ首長の君臨期、クウェートが一九六一年に英国から独立を宣言した後と違うところのない姿勢を地域問題に取った。クウェートの先の宣言は、この首長国が領域の一部として戻されるものと要求したイラク共和国を憤激させた。しかしクウェートは、アブデル・カリム・カシム指導部下のイラクと、ガマル・アブデル・ナセルのエジプトの間にあった緊張から利益を得た。エジプトは、英国の保護国という地位を克服するアラブとしてのクウェート独立の受け入れを主唱した。そしてクウェートは、イラクというその隣国の併合の野心を阻止するために、いわゆる「アラブの冷戦」の二つの極、エジプトとサウジとの間で良好な関係を維持しつつ、アラブの中立政策を追い求めた。
似たようなこととして、カタールにも、その隣国であるサウジアラビアとの間に、特に一九七一年の英国からの独立宣言以後、歴史的に張りつめた関係がある。ハマド首長は、一九九五年の権力掌握後、地域の対立における主な二つの軸との結びつきを強化することによって、首長国の小さな領域を取り戻そうとする政策を遂行した。その二つとは、米国とイラン共和国だが、その対立は湾岸全域にわたる広範囲の米軍部隊の展開によって明らかだ。カタールの成功は、米国のこの地域におけるもっとも重要な空軍基地の受け入れと、イランおよびヒズボラとの関係を同時並行的に深めるカタールの能力にもっとも明白だ。対立し合う諸勢力との良好な関係というこの政策はさらに、ハマスも支援しつつカタールがイスラエルとも外交関係を上首尾に確立していることに現れている。

「アラブの春」を手なづける役割

 ハマド首長君臨期におけるカタールの役割は、クウェート人の意見の広がりにおけるさまざまな諸政党との良好な関係を深めることには限られなかった。それは中立的であり消極的なものだったが、カタールはまたその相当な富を、ムスリム同胞団を支援することでこの地域の政治で主体的な役割を演じるためにも使った。サウジアラビアが一九二八年のその誕生以後後援を続けた後、一九九〇年のクウェートへの米国の介入に反対したことをもって同胞団と縁を切ったとき、カタールの政治的役割の重みは、アルジャジーラの設立により大きく高まった。この放送局は、反政府派のアラブの声、特にムスリム同胞団の声を迎え入れることで、アラブ社会と共鳴した。
こうして、二〇一一年に「大アラブ蜂起」の火山が爆発したとき、カタールは、ムスリム同胞団とアルジャジーラ両者に対するその後援を通して、一つの重要な役割を演じることができた。結果として、アラブ世界を支配してきた対立の二つの軸――旧特権層とムスリム同胞団が率いる原理主義的反体制派――が、湾岸協力会議(GCC)の中に支持を見出した。しかし、サウジが地域中で――中立を保っていたリビアと宗派主義が一つの連合(アサド政権とイラン)を生み出したシリアを例外として――旧特権層を支える一方、カタールは特に同胞団が関わったところで、いくつかの明らかな理由のためにバーレーンを例外として、蜂起を支持した。カタールがチュニジアの蜂起を支持した一方、サウジアラビアが退けられたチュニジアのジネ・エル・アビディネ・ベンアリ大統領に避難を許可したことにより、この首長国と王国間の対立は、「アラブの春」の発端から明らかだった。
その上オバマ政権はカタールを、米国の利益を脅かすと思われる形で根を下ろす可能性をもっていたアラブの諸蜂起の危険を寄せ付けない手段と見た。それ故米国は、時にサウジアラビアと共に旧特権層を支援し(バーレーンにおけるように)、他方ではムスリム同胞団とその傘下組織を通じて(チュニジアやエジプトでのように)カタールと共に蜂起を抑制しようとしつつ、両陣営の側で勝負した。

民衆蜂起後退と一定の緊張緩和

 しかし、蜂起と歩調を合わせる政策を採用するようワシントンをせかせるカタールの役割はサウジの憤激の原因となり、UAEを激怒させた。UAEはムスリム同胞団を公共の敵ナンバーワンに指名してきたのだ。湾岸の二国がカタールにかけた圧力は、エジプト軍がモハメド・モルシ大統領を打倒し、同胞団を暴力的に抑圧したとき、ムスリム同胞団へのカタールの賭に取り戻しが不可能になった後も、構築され続けた。その後、退位し彼の息子で現首長のタミムに代わるというハマド首長の決定が続いたが、湾岸の圧力は二〇一四年に最初の頂点に達するのを見るまでになり、新首相に路線転換を強いた(注一)。
その頂点の後、湾岸の対立は終わりを迎えたように見えた。カタール(それと共にムスリム同胞団)とイラン間関係を張りつめたものとしたが、上述した湾岸三ヵ国のアサド政権に敵対するシリア人反政府派支援という合意、そしてその後の、イエメンのアリ・アブドゥラー・サレフとフーチに対する軍事作戦へのカタールの参加を通じて――すべては、サウジ王座への新王の着座を背景に――、GCCメンバー間の和平は可能であるように見えた。この動きは、ムスリム同胞団を含み、リアドとカイロ間の緊張と共存する、対イランスンニコンセンサスというサウジアラビアが長期に追求したものによって支えられてきた。この動きはまた、オバマ政権の政治と完全に一線となっていた。

トランプ選出が反革命を後押し


しかしながら米大統領としてのドナルド・トランプの選出は、この均衡を変えた。新大統領は、アラブ世界の変革と革命を前に、対決政策の支持者だ。彼はまた、イランに対し極度に敵対的であり、イスラエルとの間には親密な友好関係を保持している。もっとも近しい彼の顧問の何人かは、ムスリム同胞団をテログループと分類してきた。この点ではUAEと一致している(その大使のワシントンに向けた先頃明かされた書状が示したように)。UAEとバーレーンの同行を伴って、アル・シシのエジプトと和解させるようサウジアラビアを導いた、均衡におけるこの基本的な変化が、その政策の抜本的変更を強いることを目的とした、カタールに対する現在の逆上にかられたような攻撃を始めさせた。
こうして「大アラブ蜂起」を逆転させる最新の挿話とこの地域全体を貫いて旧体制が始めた反攻は、湾岸の枢軸とシリアとイエメンでのイランによりほとんどの活動舞台で支えられ、ほぼ出そろっている。しかし、革命の新たな統制できない波は、遅かれ早かれやって来ようとしている(現にその先触れは、モロッコとチュニジアですでに見えるものとなっている)(注二)。その日が到来するとき、それを抑制する者は誰一人いない。その時リアドとアブダビは、この空間内部におけるカタールの役割を取り除いたことを大いに悔やむかもしれない。

注一)注意すべきことだが、タミム首長がカタールの権力についたのは、モルシ打倒の一週間かそこら前であり、その後ではない。
注二)ここでアシュカルが言及しているのは、チュニジア南部の抗議行動(本紙七月三日号参照)とモロッコの抵抗運動(本紙六月一九日号参照)。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年六月号)

中東

湾岸首長国間関係の危機

課題はエリートたちの打倒だ

ジョセフ・ダヘル

『テロリスト」
との関係理由に

 六月四日、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)、エジプトは(数時間遅れでバーレーン、イエメン、モルディブ、モーリタニア、リビア反体制派政府が続いて)、カタール首長国との関係を断った。理由は、諸々の違いにもかかわらず、イランイスラム共和国との関係の維持は言うまでもなく、「ムスリム同胞団、IS、アルカイダを含む、地域の不安定化を追求するテロリストグループと宗派グループ」との結びつきだ。
 この危機は、カタールの首長、シェイク・タミム・ビン・ハマド・アルサニに帰せられた見解をめぐる激しい議論の一週間後に浮上した。ちなみにこの首長はそこで、リアド(サウジアラビアの首都:訳者)がテロリストグループと考える両者、ヒスボラとムスリム同胞団の防衛を取り上げつつイランを外交的に孤立化するという、リアドの決定を批判した。
 ドーハ(カタールの首都:訳者)はさらにアラブ軍事連合からも排除された。この連合は、イランと元独裁者のアリ・アブダラー・サレフが後押しするフーチ派連合に敵対する形でリアドが率いている。その中で、アルジャジーラのようなカタールのメディアは、カタールとの関係を断ち切った諸国の多数で、禁止されることになった。
 二、三日後サウジアラビアとその連携相手は、彼らによればドーハに支援されている「テロリスト」のリストを公表した。このリストには、「カタールに結びつき、カタールのうさんくさい政治計画に奉仕している」五九人と一二機関の名前が含まれている。それらの中には、エジプト、バーレーン、リビアの諸組織や公職者、たとえば、スンニ派の一宗教団体とムスリム同胞団の精神的指導者であるユセフ・アルカラダウィがいた。
 湾岸のアラブ諸国家はこれまでカタールに関しどのような要求も行ってこなかった。しかし広められたリストには、イランとの外交的つながりの断絶、パレスチナ人のハマス運動とムスリム同胞団全メンバーの排除、ハマスメンバーがもつ銀行口座すべての凍結、「テロリスト諸組織」に対する支援の停止、エジプトの諸問題に対する介入の停止が含まれている。

イランとトルコ
がカタール支援

 カタール首長のアルサニは、彼の国は、その隣人たちが課した空と海の厳しい諸制限、およびその唯一の陸の国境に対するサウジアラビアによる閉鎖にもかかわらず、「永遠に」持ちこたえることができるだろう、と世界に請け合った。ちなみにサウジとの国境を通しては、カタールの食糧供給の四〇%が通過している。この豊かな首長は、その歳入の九〇%以上を生み出している液化天然ガス(LNG)と原油に対し、その引き渡し協定を保証する姿勢を変えない、とも語った。
危機の勃発一週間後、カタールはあらためて、すべての言いがかりを拒絶し、圧力に屈服することはないというその決意を宣言した。カタール外相のシェイク・モハムマド・ビン・アブデル・アルサニは、「同盟関係にあり友好的な」諸国に危機を「伝える」ための欧州旅行の際、湾岸諸国とエジプトによって彼の国に課された「不公正」かつ「不法な」諸方策を非難した。この大臣はさらに、ムスリム同胞団運動に対する支援という申し立てをも否認し、ハマスとの政治的関係を切ることが必要、との理由を理解しなかった。ハマスは抵抗運動であり、サウジ外相が言うようなテロリストグループではない、というのが理由だった。
それにもかかわらずカタールは、その孤立を破るために国際的支援を追求し続け、この危機から抜け出す目的で、サウジアラビアとの「腹蔵のない正直な対話」を求めて呼びかけた。
カタールを孤立させる作戦以後、イランはここまでの週を通じて大量の食料をカタール首長国に送ってきた。テヘランは、果物と野菜九〇トンを積んだ五機の航空機を派遣し、さらに果物と野菜三五〇トンも三艘の小舟に積み込まれた。トルコはトルコで、部隊派遣を加速し、この首長国内の兵士数を一〇〇から三〇〇〇へと引き上げたが、それはいかほどか長い間計画されていたことだ。さらにエルドアントルコ大統領は六月一三日、カタールに対する孤立化策はイスラムの価値を犯している、とも語った。

異なった政治戦
略共存が限界に


この危機は、危機のはじめのトランプによる、カタールに対するサウジの立場を支持するとの言明にもかかわらず、米国を含む多くの外国に当惑を引き起こしつつある。カタールは、中東における米軍司令部と兵員一万人を抱える、この地域における最大の米空軍基地の受け入れ国なのだ。この基地は、シリアとイラク国内のイスラム国に対する、米国率いる多国籍連合の闘争にとっては決定的になっている。ワシントン、パリ、クウェートを巻き込む外交的努力が、湾岸の危機を抑え込む目的で強化されてきた。
サウジは、この地域でイランを食い止めようとのサウジの方針にそこで米大統領が完全に歩をそろえたトランプの先頃のリアド訪問によって舞い上がり、それらの方針に完全に従う彼ら自身の陣営内ですべての国と取引するために先の訪問を利用している。カタールは長い間、シェイク・ハマド・ビン・カリファ・アルサニによる一九九五年のクーデターにより強化された、そしてそれは彼の隣人であるサウジをいらだたせたが、彼ら独自の地域政策を遂行し続けてきた。しかしそれは、二〇一〇年に始まり、二〇一一年はじめに最も重大となった革命の進展という全体関係において、異なった政治的戦略だった。
一方のサウジアラビアとその同盟国であるUAE、他方のカタール、この両者間にある違いは、次第に高まる緊張をつくり出し、最終的に前例のない危機に導いた。サウジアラビアとその同盟諸国は全体として、抗議のあらゆる形態に敵対し元の体制側を支援した。例外はリビアとシリア(イランとの連携が理由だが、しかしそこで彼らが支援したのは体制に対するもっとも反動的な反対派諸形態だった)だった。他方カタールは、元の体制側に敵対する、ムスリム同胞団の運動とイスラム原理主義の諸運動を支援した。そこでの例外はバーレーンだったが、そこではカタールと残りの湾岸の首長国が民衆の反乱に対決した。
最初の危機はすでに二〇一四年に、ドーハが地域の安全を脅かしているという口実で、その年の三月、サウジ、UAE、バーレーンの大使がカタールから召還されたことにより、勃発した。この危機は、これらの諸国間での一協定により解決された。しかしカタールは、その約束、たとえば、シリアやリビアにおけるように、地域内のムスリム同胞団や他のイスラム原理主義運動に対する支援の中断、を尊重しなかった。サウジアラビアとその同盟諸国がカタールからの「政治的言質」を今求めている理由がそれだ。そしてその言質には、二〇一四年の最初の危機時に行われた約束の尊重、またその実行に向けた「明確な段取り」を伴う「ロードマップ」が含まれている。
しかしサウジアラビアとカタールの間には、ムスリム同胞団に対し彼の兄のアブダラーより敵意が小さかった、サウジアラビア王のサルマンが二〇一五年一月に権力を握った後、一つの宥和方式があった。イラン率いる「シーア陣営」に対決するものとしての「スンニ陣営」統一を名目に、ドーハ、アブダビ、カイロ間の対立をリアドが調停した。他方でカタールは、イエメンにおけるサウジ率いる連合に参加した。そしてカタールの自立的政策の継続がサウジ王国の忍耐力を使い尽くしたのだ。

反革命狙う課
題設定は共通


われわれは、反動的な諸国家間のこの政治的対立において、もちろん、カタールに対する圧力と孤立化キャンペーンにおける、サウジアラビアとその同盟諸国の嘘、および政治的日和見主義を糾弾しなければならない。これらの諸国はあらゆる形態の反対派を抑圧する独裁国家だ。反動的なワハビイデオロギーは世界中でサウジ王国により助けを受け、それがジハーディスト、サラフィスト、またイスラム原理主義諸グループを力づけている。
しかしながらこの事実は、われわれをカタール首長国に対するある種の理想化やバラ色の見方に導くことがあってはならない。カタールもまた、同じ反動的なワハビイデオロギーを助ける独裁国家なのだ。
先に見た諸々の違いがあろうとも、これらすべての独裁国家は、元の体制側や原理主義的イスラム勢力に対する彼らの支援により、一つの反革命的な課題設定を維持している。これらすべての君主国は、民主主義、公正、そして平等を求める民衆蜂起の目標に対し全体として反対し、さまざまな主体に対する支援を通して彼らの政治的利益の強化だけを追い求めているのだ。
リアドとドーハは両者とも、帝国主義的、新自由主義的、かつ権威主義的諸政策を支持し、彼らの労働者、特に外国人労働者を現代の奴隷として遇している。その中で、憎悪に満ちた宗教を基礎とした宣伝は言うまでもなく、女性の権利や社会に対する逆行的見方を後押ししているのだ。
われわれは、反動的諸国家間のこの危機を前に、そのエリートたちの打倒と地域の民衆の解放を追求する。(二〇一七年六月一三日、「シリア・フリーダム・フォーエバー」より)

▼筆者はスイス居住のシリア人研究者かつ活動家。アレッポ出身であり、シリアのバース党体制に対する断固とした反対派。世俗的で社会主義のシリア建設を目的とするウェブサイト「シリア・フリーダム・フォーエバー」を維持している。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年七月号)


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