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    かけはし2017.年8月7日号

先住民の権利 実質の保障を


オーストラリア

象徴主義的改憲は問題の先送り

ディアンヌ・フィールズ

 オーストラリアでも改憲が具体的な課題になっているようだ。主要な問題は、先住民の権利だ。しかしその要求が憲法上に具体的に明記されそうにはない。以下ではその事情が、簡単な歴史的流れも含め説明されている。(「かけはし」編集部)

要求は象徴的認
知を超えるもの

 五月遅くの大規模な先住民会議後に出された「心からのウルル声明」からはっきりしていることが一つあるとすれば、それは、彼らの存在についての単なる象徴的な認知は先住民を満足させることはない、ということだ。ウルル声明は、一つの条約に向け、また彼らに起きたことに対する真実の話に向け、レイシズムと強奪の諸結果に取り組む実のある構造的変革に対する彼らの切望を、何らかの形で反映している。
 焦点は依然改憲に当てられている。しかしこの声明は、象徴的な認知の代わりに、「先住民の声を憲法内に明記すること」を求めている。それはさらに、「政府と先住民間で作成される協定プロセス、およびわれわれの歴史について真実を語ることを監督するためのマカラタ委員会(注1)」の要求も加えている。
 憲法修正は今月遅く政府に対し国民投票会議から提案されるだろう。それは先の要求にはどれにも取り組まないだろう。それに重要性は与えられていない。
 ウィラジュリの指導者、ジェニー・ムンロは、一九人の選出された代表の一人だったが、他の反認知活動家のオブザーバーと共に、会議の二日目に退席した。彼女は「それは対話ではなく一方的な会話だ。……ノエル・パーソンのロードマップ(注2)は……ほとんど、われわれの土地に対する彼らの(王国の)主権確認だ」と語った。

ごまかし続いた
憲法上での認知


憲法上の認知要求の歴史は、その意図に関する多くのことをわれわれに語っている。その始まりは、一八カ月以内に名ばかりの差別撤回の前文を入れるための国民投票を約束した、二〇〇七年のジョン・ハワードだ。この象徴主義は、彼の政府が北部地域への介入の形で、アボリジニー民衆に大々的な攻撃を始めてからまさに数カ月後に現れた。
その後の労働党政府が介入というこの侮りを続け、強化したまさにその中で、彼らはそれゆえまた、何百万ドルもかけた憲法キャンペーン、最終的には「認知」と呼ばれたキャンペーンというイチジクの葉に固執した。二〇一〇年にジュリア・ジラードが立ち上げた「専門家パネル」からの示唆は、何らかの条約プロセスと自己決定の形態を、また後では人種差別を禁止する条項という考えを含んでいた。これらのすべては、それらは国民投票で負けるだろうという口実か、二〇一五年までには、政府がそれらに反対したことを理由にしてか、そのどちらかから取り消された。
先住民の保守的な人物であるノエル・パーソンが先住民の「議会に対する声」を明記する憲法修正という考えを推し進め始めたのは、先住民内部での「認知」に対する敵意の成長への対応だった。もっとも重要なことだが、この提案を実業界や自由主義政府に心地好いものにするために、この声は、勧告的なものにされ、実権はまったくないものにされると思われる。二〇〇八年における「盗まれた世代」に対するケビン・ラッドの謝罪の場合と同じく、賠償金に関するあらゆる言及は除かれた。

実質的な変革に
エリートの敵意


それでもこれらあらゆる譲歩にもかかわらずウルル声明は、それが純粋な象徴的な認知を拒否していることを理由に、さまざまな政治家からは非常に生ぬるい(最良でも)反応を受けた。たとえばマルコルム・ターンブルは「改憲は非常に難しいだろう」と警告し、ビル・ショーテン(注3)は、われわれは「ウルルの代表者たちに寛大な心という借りがある」と言っているだけだ。
他の者たちはもっと自制を欠いてきた。最終的に領域無効化に関する法的紛争となった歴史の二五周年をわれわれが特徴づけたように、われわれが思い起こさなければならないことは、事実に対するこの認識が、政府の諸閣僚や学者や実業界指導者やメディアから、「あなたの裏庭を接収するアボリジニー」に関する卑劣なレイシズムキャンペーンで迎えられた、ということだ。
今日それは、先住民は二、三の権利を確保する可能性があると言う考えをけなしている副首相のバーナビー・ジョイスであり、あらゆる改憲は「この国で他のグループががまったくもっていない特殊な特権を一グループに」与えるだろう、などと宣言している自由党議員のジョージ・クリステンセンだ。右翼の「公的問題研究所」の最高指揮者であるジョン・ロスカムは、この空気に上乗せして、問題を北部領域介入のような問題に関する「事実上の拒否権」として描きつつ、「(先住民大衆の)道徳力が非常に重要となり、事実上それがその無効化を難しくするだろう」と主張している。
敵意は、アボリジニー民衆にとっては何も変えない憲法内の抽象的な数語の代わりに、意味のある変革が必要、という考えすべてに対して向いている。(二〇一七年六月四日、「レッド・フラッグ」より)

▼筆者は、「レッド・フラッグ」に寄稿している。
(注1)北部領域政府によれば、マカラタはヨルング語で、不正を含む事実と向き合いつつふたたび平和に暮らす、争いの後で一緒になることを意味する言葉。
(注2)ノエル・パーソンは、アボリジニーの保守的な一指導者。
(注3)野党とオーストラリア労働党の指導者。

モロッコ

大衆的決起が継続

民衆侮蔑と社会問題に怒り

ジョセフ・ダヘル


逮捕でも抑え
切れない決意
 モロッコのリフ地域での民衆的決起は二〇一七年六月を通じて継続し、治安部隊による弾圧とこの運動の信用を傷つけようとする政権のもくろみにもかかわらず、この国の町のいくつかに広がった。その間数千人の警官が諸々のデモを止めるためにアル・ホセイマ市に派遣された。
 六月二日、今回の運動体「ヒラク」のイニシアチブで、政府の権威主義的政策に反対し、投獄された運動の活動家たち、特に五月二九日に逮捕された民衆の一指導者、ナセル・ゼフザフィの釈放を求めて、アル・ホセイマ市からゼネストが始められた。ナセル・ゼフザフィの逮捕は、彼が逮捕の三日前に、デモ参加者がこの国に「フィンタ」(仲違い)の種を播いていると責める政権の宣伝を取り次ぐモスクで、イマム(イスラム教の聖職者)の説教をさえぎったことが口実にされた。このストライキの一日は、デモ参加者と国家の弾圧諸部隊との間に起きた数知れない衝突を特徴とした。
 六月五日、「ヒラク」の指導的メンバー二人が逮捕された。運動のナンバーツーと見られたナビル・アハマジク、そしてデモに加わった新しい人物の一人、シルヤ・ジアニだ。運動で大いに目立つナワル・ベン・アイサもまた、六月七日に警察から事情聴取された。もう一人の指導者、エル・モルタバ・アムラチャーは、六月一〇日夜にアル・ホセイマ市で逮捕されたが、その後六月二三日に保釈で釈放された。さらに数人のジャーナリストが逮捕された。拘留されている者たち何人かは、時限ハンストを始めている。
 これらの逮捕は、数千人のデモ参加者たちの怒りを高めただけだった。そして彼らは、アル・ホセイマとその周辺地域で毎晩会合を開いている。この抗議運動の開始以来一二〇件以上の逮捕が行われてきた。四〇人の拘留者には最長一八ヵ月の投獄という判決が下され、他の一八人は保釈で釈放された。「ヒラク」を支持するスローガンの唱和を海水浴客に思いとどまらせるために、アル・ホセイマの浜辺で催涙ガスを使った警官数十人の介入は、ソーシャルネットワークでウィルスのように広がった。

全国に広がり続
ける連帯の動き
この民衆的抗議運動は、いくつかの政党、労組、人権組織のアピールに続いて、社会的、経済的周辺化を糾弾するデモやストライキという形態で、ラバト、カサブランカ、タンジールを含む他の数都市へと広がることになった。
リフにおける民衆運動とその要求に連帯する諸々のデモもその後、ラバトや他の大都市で組織された。こうしたことを背景に、「われわれすべてはホグラ(注)に対決する、一つの国、一つの人民」のスローガンに基づき、ラバトに集中されたイニシアチブを求める一つのアピールが出されることになった。このイニシアチブは、社会運動の活動家層、野党左翼、急進的左翼諸勢力、自立的イスラム派反対派、人権の市民諸団体、リフを支持する当該地域の共闘機関、その他からなる幅広い政治的広がりから支持を受けてきた。
その目的は、リフにおける運動に対する分離主義という告発に反対して政府の宣伝に対抗すること、またこの闘争を、「ホグラ」と社会的諸問題というテーマに、またリフにおける民衆決起との連帯に集中させ、政治犯の解放と抑圧の停止を要求することだ。これらの目的に加えて、全国規模で運動を構築する機会をつかむこともまた課題に載せられた。拘留者家族委員会が組織したデモは、一〇万人から一五万人の参加という、本物の成功となった。われわれはまた、これらの決起において女性たちが果たした大きな役割にも注目しなければならない。
それゆえ反乱は終わるにはほど遠く、リフでデモに立ち上がった人びとの決意は頑強に維持されている。連帯は、この国での雪だるま的拡大効果を阻止しようとのモロッコ王制のもくろみにもかかわらず、次第にこの国中に展開しようとしている。この運動の生き残りと成功にとって鍵は拡張だ。
さらに、民衆決起の継続というこの空気の中で、アル・ホセイマとイムゾウレンの象徴的な公共の場から治安部隊が「漸進的な」撤退を開始し、当局の軟化を示す一兆候と解釈されている、ということがある。
自由と尊厳を求める闘争に連帯を!

(注)体制の民衆侮蔑を指すために使われている言葉。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年七月号) 


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