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    かけはし2017.年11月6日号

辺野古新基地NO!の民意


沖縄報告:10月28日

10・22総選挙・沖縄選挙区3勝1敗

日本政府・沖縄防衛局は埋立工事を中止せよ

沖縄 K・S


沖縄4区の惜敗─一部で進む保守化
世論は反基地が7〜8割

来年の名護市長選、県知事選必勝へ

  一〇月二二日投票の衆院選沖縄選挙区は、辺野古反対を掲げるオール沖縄勢力が一区赤嶺(共産)、二区照屋(社民)、三区玉城(自由。無所属で出馬)が当選した。四区は惜しくも敗れたが、辺野古新基地NO!の県民民意はまたもはっきりと示された。政府防衛局、米軍は沖縄の民意に従って、辺野古新基地建設を撤回せよ!
 四選挙区で全勝した二〇一四年一二月総選挙に比べて、県民の投票行動がどのように変化したのか、見てみよう。
 県全体の有権者数は、自然増、社会増、一八才選挙権によって四万六五三一人増加し約一一五・五万人となった。比較的四区の増加が目立つ。投票率は四・〇二%増え五六・三八%。特に四区が七・一五%アップし五八・三二%だった。投票総数は約七万増えて約六五万。一区から四区のオール沖縄候補の得票総数は合計三二万四一五二で前回より二万票増加、投票総数に占める割合は五二・四%から四九・八%に低下したが、得票率では依然、約五一%を占めている。一区で落選した維新の下地さんは「オール沖縄の流れはまだある」と述べた。
 ここから、沖縄県民の多数は翁長知事の下でオール沖縄の辺野古反対、オスプレイ撤去、普天間閉鎖の政治主張を支持していることに変わりないが、この間の日米両政府との攻防の中で一部に「保守化」が進んだことが見てとれる。その表れが四区での惜敗だ。
 マスコミの世論調査では常に、辺野古反対、オスプレイ撤去、普天間閉鎖が七〇〜八〇%を占め、翁長知事に対する支持も六〇〜七〇%を示す。この県民の意思をストレートに投票行動へと結びつけ、来年二月の名護市長選、一一月県知事選に完全に勝利しよう!

10.25

海上座り込み行動

カヌー80艇、抗議船6隻で

連帯集会に300人、埋め立て工事阻止訴え

 「辺野古・大浦湾をカヌー&船でうめつくそう!」を合言葉に、七月二五日に続く二回目の海上大行動が一〇月二五日貫徹された。台風二一号が去り、二二号がまだ接近していないという海上のコンディションもラッキーだった。一日でもどちらかにずれれば、波風が強く海上行動は不可能だったかもしれない。海上行動メンバーは朝六時から松田ぬ浜にカヌーを運ぶ作業をはじめたが、朝七時の集合開始まで八〇艇は運びきれなかった。浜のテント二に集まった海上行動の参加者は、班分け、注意事項確認ののち、海が荒れていたため、海上のコンディション確認のため待機した。海に出ることができたのは予定より一時間遅れの九時三〇分、一〇班体制で一班から順次出航した。
K1護岸予定地のいわゆるドクロ前に、カヌー八〇艇、支援船(マスコミなど乗船を含む)は九艇、総勢一五〇人で展開したが、これだけの船が海に浮かぶと壮観だ。抗議文を読み上げ、メッセージは日本語、英語、スペイン語の三カ国語で読み上げた。その後「沖縄を返せ」、「We shall overcome」、「月桃」を歌った。沖縄には常に歌がある。カヌーチームは一一時三〇分、松田ぬ浜に戻った。風と波が高かったわりには事故もなく整然とやり抜いた。昼食のあと午後一時から、カヌーを並べた浜で連帯集会を開いた。

松田ぬ浜でカヌー
チームと連帯集会
連帯集会の進行係は島ぐるみ名護の浦崎悦子さん。はじめにヘリ基地反対協の安次富さんがあいさつに立ち、「波風の強い中、海上行動お疲れさま。大成功だ。工事は遅れている。県の行政権限を行使すれば基地は簡単にはできない。衆院選は四区の負けがあったが全体としてはオール沖縄の勝利だ。この力で名護市長選へ向かおう。相手も必死だ。油断禁物。絶対に負けられない」と檄を飛ばした。
続いて、参議院議員の糸数慶子さんと伊波洋一さんが発言した。
糸数さん「安倍政権の大義なき解散と争点隠しの中で、オール沖縄は四区の取りこぼしがあったが勝利した。だまされる国民が多い中県民はしっかりと判断した。沖縄の問題を全国共通の課題としていきたい。伊波さんとつくっている参院会派・沖縄の風を日本の政界の台風の目にしていくつもりだ」。
伊波さん「多くの人々の海上行動に感動した。共に頑張り抜こう。私が席を置く参院外務防衛委員会でも全力で取り組む。四区はわれわれの頑張り以上に向こうの頑張りが大きかったといえる。立憲民主党の躍進で沖縄の味方が増えた。野党第一党が沖縄の民意を主張する意義は大きい。より広く国会、全国に広げて行こう」。

基地のない本当の
平和を伝えたい
そのあと、美ら海を守り活かす海人の会の西銘仁正代表、海上チームを代表しての三人の発言が続いた。
うるま市の諸見里さんは「基地はわれわれに何をしてくれたか。女性暴行殺人、オスプレイ墜落、ヘリ炎上大破だ。私たちは子供たちに危険な基地ではなく基地のない本当の平和を伝えたい」と訴えた。
一〇・二五海上大行動のチラシのイラストを描いた友寄さんは「カヌーは北海道から沖縄まで全国各地の仲間が戦争したくない、戦争させたくないの一心でのった。安倍はいくら声をあげても聞く耳を持たない。しかし諦めてしまったら負けだ。あきらめなければ必ず勝つ」とアピールした。
抗議船の中原さんは「船長見習いをしている。船上で違法工事やめて! と叫んでいる。私が手にしているレインボー旗は平和を願う旗だ。イタリアでは、イラク戦争加担NO!のシンボルだった。ジュゴンが住み命がわく海を奪い戦争基地にしてはいけない」と訴えた。
最後に、川口真由美さんの歌と頑張ろう三唱で浜の集会の幕を閉じた。

3回の資材搬入に
抗議し座り込み
一方、キャンプ・シュワブゲート前では、早朝から座り込みが行われ、一〇〇人以上が結集した。米海兵隊CH53ヘリの炎上大破以来止まっていた資材搬入が二週間ぶりに行なわれ、午前、昼、午後の三回、県警機動隊による座り込み排除が強行された。一回目は砕石ダンプのほか生コン車等五七台、二回目は角材を積んだトラックやブルーシートで覆ったユニック車、二〇トンの砕石トレーラー等四七台、三回目と合わせて合計一六〇台が進入した。日本政府・沖縄防衛局は沖縄の民意を無視して埋立と基地建設を強行しようとしている。このままでは民意はつぶされる。国会で、行政レベルで最大限の行動をくり広げるとともに、何より現場に、基地建設を止める辺野古の現場に結集しよう。

10・20〜24

チェジュ市民平和大学

連日続くゲート前での抗議行動

沖縄からは米軍基地の影響を報告

 一〇月二〇日から二四日の五日間、韓国済州道カンジョン村で「平和の島チェジュで平和づくり(peace building)に取り組む」と題したワークショップが開かれ、韓国各地、アメリカ、イギリス、沖縄などから数一〇人が参加した。プログラムは、カンジョン村の案内、チェジュの歴史・文化を表す演劇、軍事基地が社会に及ぼす影響についての報告と討論、分科会、カンジョンの住民との対話などであった。この間、毎朝七時の海軍基地正門前での「百拝」の祈り、一〇時のミサ、一二時の正門前道路を舞台とした歌と踊りの「人間の鎖」行動が連日取り組まれているという。基地反対の闘いを続けるチェジュの人々の根気強さは並ではない。
海軍基地建設工事がまだ進行中であった二年前に比べて、カンジョンの村は大きく変わった。「チェジュ民軍複合型観光美港」という看板をつけた海軍基地が出来上がり、さっそく米軍の船舶が寄港し始めた。毎日座り込んで阻止行動を行なっていた工事用ゲートは撤去され、花壇の植え込みのようなものに姿を変えた。新たにつくられた海軍基地正門に至るロータリーと道路が整備された。この道路建設のために「サムゴリ・シクタン(三叉路食堂)」の後ろ部分が約半分ほど削り取られてしまった。
しかし、軍事基地に反対し、チェジュの自然と住民の生活を守ろうとする人々は健在だった。住民の会のメンバー、各地からの支援者、キリスト教神父・修道女、「開拓者たち」、「ピョンファ・パラム(平和の風)」の人たち、「サムゴリ・シクタン」の料理長、文正鉉(ムン・ジョンヒョン)神父など懐かしい顔ぶれに会えた。みんな、チェジュ島に海軍基地は造られたが、基地に反対する声をあげ続け基地のないチェジュを必ず取り戻すという確信に満ちた表情だった。
ワークショップでは、「ピョンファ・パラム」のク・ジュンソさんがパワーポイントを使って、ピョンテク、クンサンにおける環境汚染、騒音などの基地被害の実態を報告した。沖縄からの報告は「????? ????? ??? ??(米軍基地が沖縄に及ぼす影響)」と題してやはりパワーポイントを使って韓国語で行われた。報告要旨は次の通り。―――
「米軍基地が沖縄に及ぼす影響」
@沖縄島には、陸軍トリイステーション、海軍ホワイトビーチ、空軍嘉手納飛行場・嘉手納弾薬庫、海兵隊キャンプシュワブ・辺野古弾薬庫など、米陸海空海兵四軍がすべて駐屯しており、軍人・軍属・家族合わせて五万人、基地面積は沖縄島の一五%以上、A米軍は沖縄全域の海、空も支配し、広大な訓練空海域、射爆場を保有している、B米海兵隊基地のキャンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセンなどの名前はすべて沖縄戦で戦死した兵士の名だ、なぜか、C米軍にとっての沖縄戦は、司令官・バックナー中将の戦死を含め対日戦で最大の被害を被った戦場、平和の礎には一万四〇〇〇人の米国人が刻名されている、D米軍にとって沖縄は戦利品。沖縄駐留米軍は、戦勝国が敗戦国に駐留する占領軍、復帰後は日本政府が容認。外国軍が駐屯することにより起こるすべての問題が沖縄で発生してきた、E沖縄戦における米軍の三大戦争犯罪は、学童疎開船の対馬丸撃沈、無差別爆撃の一〇・一〇空襲、集落地を丸ごと破壊した普天間など戦時基地建設、F朝鮮戦争後の伊江島、伊佐浜の土地強制収用と日本本土からの海兵隊の移転により、現在の沖縄基地の原型が出来上がった、G米軍が県民生活に及ぼす影響は、?土地の強奪、村落の解体、?海外移民、©基地経済、?事件事故、?米軍犯罪、?環境破壊、?軍用機訓練、?生活文化の米国化、?世代間意識の差異、などにわたる。
まとめると、沖縄基地は沖縄戦と朝鮮戦争を歴史的な背景として存在する。軍事要塞となった基地の重圧は沖縄の社会経済を支配する最も大きな要因となってきた。島ぐるみ闘争による本土復帰、自治権獲得の闘いが米軍政を打ち破ったが、米国追随を国是とする日本政府の支配下に編入され、日本の政治を変えるという困難な課題に直面したまま日米両政府と対峙している。復帰後米軍+自衛隊となった沖縄基地が及ぼす影響は依然として広範囲に至る。変わらない現実に人々の意識も変わる。とくに、20代、30代(ことに男性)に保守化の圧力となっている。沖縄では勝つまであきらめない非暴力の闘いが続いている。

崎原盛秀さんの
評伝が発刊された


崎原盛秀さんの評伝『一人びとりが代表――崎原盛秀の戦後史をたどる』(上原こずえ著、琉球館)が発刊された。崎原さんは、一九三三年、当時の西原村に生まれた。戦中・戦後の大阪での暮らしののち、引きあげてきた沖縄での米軍政下、中学から、首里高、琉大を経て、教員生活をはじめた。以来六〇年間、さまざまな沖縄の闘いの中に身を置き、権力の不条理に対する抵抗を貫いてきた。沖縄を代表する一人の反骨の読み物として面白いし、金武湾や靖国、辺野古の現場での崎原さんのルーツが分かるようで興味深い。巻頭のたくさんの貴重な写真も、崎原さんの歩んできた道を照らし出すのに花を添えている。発行所はRyukyu企画(琉球館)。電話098-943-6945。



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