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    かけはし2017.年12月11日号

第3滑走路計画撤回を


呼びかけ

2018・1・14三里塚芝山連合空港反対同盟旗開き/東峰現地行動

三里塚農民と共に闘いぬこう

 一九七八年三月開港を粉砕した三・二六管制塔占拠の闘いから四〇年、三里塚芝山連合空港反対同盟は一月一四日に、現地二〇一八年旗開き、支援呼びかけの東峰現地行動が行われる。第3滑走路建設を阻止し、住民の暮らしを守る闘いを!沖縄の反基地闘争と連帯し、共に行動しよう。(編集部)

■二〇一八反対同盟旗開き

主催:三里塚芝山連合空港反対同盟(代表世話人・柳川秀夫)

日時:二〇一八年一月一四日(日)正午

場所:横堀農業研修センター(千葉県山武郡芝山町香山新田一三一 0479―78─0100)

参加費:一〇〇〇円

【会場への行き方】:京成東成田駅地上 11時00分集合 迎えの車待機
【09:13発 京成上野特急 →10:21着 成田→10:32発 京成成田 →乗り換え 京成本線(普通) [芝山千代田行き]→10:37着 東成田】

■三里塚 一・一四東峰現地行動

?日時:二〇一八年一月一四日(日)午後二時三〇分

?場所:旧東峰共同出荷場跡(千葉県成田市東峰65―1)/集会後、開拓道路に向けてデモ

?会場への行き方
@二〇一八反対同盟旗開き終了後(午後2時頃)→旧東峰共同出荷場に車移動 
A京成東成田駅地上 14時00分集合 迎えの車待機/12:34発 京成上野特急 →13:41着 成田→13:52発 京成成田 →乗り換え 京成本線(普通)[芝山千代田行き]→13:57着 東成田

?主催:三里塚空港に反対する連絡会
連絡先:千葉県山武郡芝山町香山新田90─5/電話:FAX0479―78─8101

呼びかけ:三里塚 一・一四東峰現地行動

飛行制限時間緩和を許さない! 成田空港「第3滑走路」計画を撤回せよ!  反原発―再稼働やめろ! 沖縄・辺野古新基地建設反対!

  安倍政権打倒!

 安倍自公政権は衆院選挙の3分の2を上回る議席を確保し、改憲に向けて大きく踏み出そうとしている。安倍はアメリカと一体となって戦争をする道をつき進んできた。特定秘密保護法、安保法制、「共謀罪」を成立させ、総仕上げとして改憲を目論んでいる。安倍は朝鮮民主主義人民共和国のミサイル発射、核実験を最大限利用して軍備拡張をはかり、排外主義を煽って国民を統合、統制し、戦争に動員しようとしている。今こそ戦争反対、安倍政権打倒を全力をもって闘い抜こう。

空港機能拡張による人権・
環境破壊を許さない!

 政府・国土交通省─成田国際空港会社は資本の利潤の追求のために空港機能の拡大をはかろうとしている。2030年度までの第3滑走路の建設、2020年東京五輪・パラリンピックでの旅客の増大を口実にした夜間飛行制限の緩和(現行午後11時から午前6時までの7時間を午前1時から5時までの4時間)を決め、さらに平行(B)滑走路の北側延伸計画まで提示した。
国・千葉県・関係9自治体・空港会社からなる四者協議会はこの計画を推進するために住民説明会を各地で行ってきた。移転対象となる住民、新たに騒音地域となる住民、騒音がさらに増大する騒音地域住民からは厳しい批判の声があがり、断固反対が次々と表明された。この結果、空港会社は飛行制限を現行より1時間短縮するという見直し案を提示し住民に説明した。しかし、住民はこれにも納得せず、なし崩し的にさらに短縮するのではないかと不信感を募らせている。
しかし、関係自治体は住民の反対を無視し、交付金の増額・地域振興策と引き換えに空港会社の見直し案を受け入れ「早急に地域振興策を」と、前のめりになっている。住民の生活を破壊してでも一部の利害関係者の利益を目指す利権追求の構図そのものである。
空港会社(当時、空港公団)は「成田シンポジウム─円卓会議」の結果、「強制的な手段によらず話し合いによる解決をはかる」と確約し、事業認定を取り下げ、強制代執行による土地の取り上げは不可能となった。
しかし空港会社はそれ以降、民事裁判に提訴して裁判所の強制力で農民、地権者から土地を取り上げるという手段を取ってきた。それによって用地内の一坪共有地を強奪し、農民の耕作地を取り上げようとしている。
横堀地区にある反対同盟現闘本部も裁判で土地の所有権を奪ったうえで、建物の撤去、土地の明け渡しを求める訴訟を起こした。一審千葉地裁は反対同盟側の証人調べの申請を却下し、たった4回の書面審理のみで空港会社の主張を全面的に認める判決を下した。控訴審の東京高裁は第1回の公判で突然結審を言い渡し、控訴棄却の決定を行った。
上告した最高裁は16年7月上告棄却の決定を下し、判決が確定した。それを受けて空港会社は千葉地裁八日市場支部に撤去の申請を行い、5月31日深夜午前0時から裁判所による強制撤去が行われた。このような裁判所を使った土地の取り上げは強制代執行と何ら変わらない公権力の行使による土地強奪である。

「第3滑走路計画」を撤回しろ!

 新滑走路の建設は単に経済的な利潤追求という要因に留まらない。空港こそまさに兵站基地、出撃拠点として戦争遂行のための不可欠の軍事的インフラである。空港反対の闘いを反戦闘争の一環としても位置付けて闘わなければならない。
1・14三里塚現地に結集し、三里塚農民と共に闘い抜こう!

11.17

レイバー・ノーツ名古屋講演集会

職場の闘争経験を交流

岐阜・三重からも参加

 【愛知】一一月一七日、名古屋市港区にある全港湾名古屋会館ホールで、アメリカの労働運動団体「レイバーノーツ」のメンバーであるジェーン・スローターさんを招いて「レイバーノーツ名古屋講演集会」が行われた。
 ジェーンさんは一九七五年からGMの自動車工場で働き、全米自動車労組UAW組合員として活動。その後一九七九年にレイバー・ノーツの共同創設者の一人となり、初代の女性機関紙編集長と多くの本を執筆し、現在も政策委員としてレイバーノーツ に関わり、講師として労働者教育に携わっている。

組織的枠組み
を超えて結集
主催は同集会実行委員会で、様々な枠組みを超えた団体の統一した実行委員会として形成された。構成は「ユニオンと連帯する市民の会」「東海労働弁護団」「東海民衆運動センター」「コミュニティユニオン東海ネットワーク」「名古屋シティユニオン」「全トヨタ労働組合」「愛知争議団連絡会」「NPO愛知働くものの健康センター」「APWSL愛知」の九団体。これに「ユニオン学校運営委員会」と愛知県労働組合連合(全労連)が協賛団体として加わった。
参加者は六二人。決して多い数ではないが普段は顔をあわせることのない様々な団体の労働者が集まり、また平日の夕方からの集会であるにもかかわらず岐阜県と三重県からも多数の労働者、組合員が参加した。

ジェーンさん
の講演から
「一九七五年にGMで、そのあとクライスラーでも仕事をしました。そのときはデトロイトは今とは全然ちがう街でした。高校卒でも安心して生活ができる賃金をもらえる街でした。人口はデトロイトは黒人と白人が半分ずつで一四〇万人の街でした。しかし、今は状況が悪化し四五年前と比べると給料は三分の二にまで減りました。
現在、デトロイト市内には自動車工場は二つしかありません。街の人口は七五年から半減し黒人が八五%を占めています。全米でみると一番貧困な都市と見られています。これは企業だけの責任ではなく労働組合にもあると思います。給料の削減を契約更新のときにさせたこともありました。全米自動車労組では組合員の強い活動があったのですが執行部がどんどん会社に譲歩してしまい現在にいたりました。
二〇一五年にクライスラーの労働組合は大きな勝利を得ました。国が提示した劣悪な労働契約を拒否し契約内容改善への交渉にもちこんだのです。これは初めてのできごとでした。当初組合は会社に譲歩しようとしましたが組合員が怒り、これを覆させました。
しかし、その後、労働組合は弱体化しています。会社とその地域の政治家と経営者が団結して組合を潰しにかかっているのです。労働組合は労働者をどのようにまとめ、闘う気を起こさせればいいのか分からないのです。一二年もの間、組合はまとめようとしましたが彼らを納得させることができなかったのです」。

日米労働者は
連帯しよう!
ジェーンさんはアメリカにおける自動車労組の中での闘いにおいて、良い面と悪い面の両方を報告しつつ、組合執行部が闘わない中で組合員自身が闘う方向に舵をきらせるために奮闘したことを語り、レイバーノーツの意義について報告した。
後半は、参加者との質疑応答と意見交換を行い交流を深めた。最後に二〇一八年四月にアメリカのシカゴ市で行われる「二〇一八レイバーノーツ大会」への参加をよびかけて、集会は終了した。     (越中)

コラム

Dさん退院 そして今後も支援を

 五月八日から、脳内出血で入院していたコラム執筆者の武さん(Dさん)が一二月八日に退院することになった。「歩いて帰ること、ペットボトルのふたを開けること」を目標に、つらいリハビリを一生懸命にこなしてきた。
 「屋内は右手に杖を持ち、ひざより下に歩行器具をつけて、後ろからか横から支えてもらいながら歩行するというリハビリ段階です。屋外ややや長い移動は車イスということになります。残念ながら、かつて夢みたように歩いて退院するという形にはなりませんでした」(「お見舞いのお礼と退院のご報告」12月1日より)。
 退院し、自宅での生活のためにはいくつものハードルがあった。まずは家探し。今までのアパートは坂の多い横浜であったため、そこには戻れない。横浜の「飲み友達」の友人たちが部屋探しをしてくれたが、高齢のシングルで入院中ということもあり、部屋を貸してくれる不動産屋はなかった。
 「こうした厳しさは『うすうす』と感じていましたが、現実に直面してみると眠れない日が続きました。こんな厳しい状況を打ち破ってくれたのは、古くからの同志・友人でした。…おそらく今回帰る場所が『終の棲家』になるだろうと思います。これでようやく帰れそうです。ここでがんばって、再び歩けるようにがんばりたいと思います。引っ越しを含めて尽力してくれた皆さんにこの場をかりてお礼申し上げます。感謝、感謝です」(同前)。
 こうして、ようやく棲み家を確保した。そこから、引っ越しにともなう様々な手続き、片付けから廃棄処分など、本人が出来ないことによるわずらわしい手続きがたくさんあった。
 なんとかこうした状況を脱した。そして、いよいよ本人が家に帰って生活するにあたってどういうふうに部屋を改造するか。本人を含めてリハビリ病院関係者、引っ越し先のケアマネジャー、改装業者、不動産屋さんそして支援者を含めて、新しい部屋に行き配置などや本人の動線を確認しながら改造を決めた。
 その後、どのようなケアプランを立てるのか。友人たちに熱心に支援してくれる介護経験者がいたので、区のケアマネージャーが決まる前に、ケアプランを立て、今後の生活のイメージを作ることができた。
 「七カ月に及ぶ入院中、延べ百人を超す同志・友人が病院まで足を運び面会に・激励に来てくれました。本当にありがとうございました。いかに元気をもらったことか。またそれを上回る多くの人が見舞金や見舞品を寄せてくれました。また田舎の友人達が『故郷のなつかしい風』とともに多くの便りを寄せてくれました。最初の手紙は『梅雨』の頃でしたがつい最近届いたものは『稲刈り』『初雪』を知らせるものでした。心から感謝する次第です。…退院後の生活はデイサービスとリハビリに通う生活が中心になります。そして掃除・洗濯・食事はヘルパーさんのお世話になりそうです」(同上)。
 介助費用・生活費などで当初費用が三〇万円近くかかってしまう。ぜひとも支援をお願いしたい。         (滝)

 

 

 


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