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    かけはし2018.年1月15日号

犯罪者フジモリを刑務所に戻せ


ペルー

大統領の裏切り

民衆を殺戮した独裁者の恩赦
違法のみならず人道への敵対

ウーゴ・ブランコ

汚い取り引きに
民衆の決起続く

 ペルー大統領のペドロ・パブロ・クチンスキー(PPK)は休暇シーズンを利用し、多くの殺戮を問われて収監されていた元大統領のアルベルト・フジモリを釈放した。クリスマスイブは「平和の夜、愛の夜」と称されたが、ペルー民衆へのクリスマスプレゼントは、わが人民に対する戦争と憎悪の象徴を解放することだった。
その瞬間から人びとは、私の所在地であるクスコ、リマ、また他の諸都市で、クリスマスディナーを放り出し街頭に繰り出した。首都のリマでは、デモは政府パレス――政府の所在地――に向かおうとした。しかし警察の妨害を前にして大統領邸に向かった。ビデオ映像は、抗議に決起した人々が警察の楯を押しているさまを映し出している。
クリスマスの当日には、クスコは諸々の街頭行動に復帰した。そして、翌日のクスコ労働者連合施設での会合が呼びかけられた。その会合では、フジモリを刑務所に戻すための闘いの継続に向け、一つの調整機関が指名された。地方ストライキの準備が進行中であり、全国ストライキも闘われるだろう。
元司法省長官のマリソル・ペレス・テロは、元ペルー大統領は人道に対する罪と考えられる犯罪で有罪と宣告された以上、彼に普通恩赦が与えられてはならない、と語ってきた。しかし大統領は、フジモリを釈放する目的で新たな閣僚、エンリケ・メンドーサを指名することにより、恩赦を考慮する機関である大統領恩赦委員会を改変した。
彼らは三人の人間から構成される医療検討会を設置したが、そこにはフジモリ自身のかかりつけ医が含まれ、この医師はフジモリの健康が「深刻」だと見た。恩赦に向けた公式の根拠は元大統領の健康悪化という想定だった。
ペルーの人びとはこれを裏切りだと考えている。PPKはまさに独裁者の娘を大統領にしないために選ばれたのであり、この娘は彼女の父親を解放するだろうと思われていたからだ。ペルーの法律は、司法的手続きが進行中の場合収監者の釈放を妨げている。フジモリの場合で言えば、パティビルカでの殺害問題があるのだ。それゆえフジモリの釈放は違法だ。
PPK自身の弾劾に反対する闘いでフジモリの息子であるケンジが何週間か前PPKを支援したことを理由にこの恩赦が行われた、そしてこれはその見返りだった、という疑念もある。

フジモリは数々
の犯罪を犯した


一九九〇年のペルー大統領選の候補者は、マリオ・バルガス・リョサとフジモリだった。
バルガスの経済綱領は新自由主義だった。そのためにペルー人は、それに対抗したフジモリに投票した。しかしフジモリは権力の座に着くや否や、バルガス・リョサが提案した経済政策を実行し、公的企業体諸々を私有化した。フジモリは一九九二年四月五日の夜、共和国議会、司法省、公共省の解体を告げる演説を国民に向けて行った。
この演説がテレビで放映中に、共和国議会、司法省、公共省、さらに他の諸機関には、それらを完全に支配下に置くため、陸軍、海軍、空軍の諸部隊が到着した。ペルー労働者総連合(CGTP)本部と他の労組も閉鎖された。
この国民向けメッセージ直後に起きた出来事はただ国際メディアによる放送だけだった。軍部隊はTV局とラジオ放送局に突入し、国家諸機関と街頭でその時起きていたことを伝えないまま、通常通りの送信を続けるようそれらに強要した。政府は外出禁止を命令し、一連の企業家と政治家の逮捕を始めた。
フジモリは司法を支配下に置いた。彼は、全ペルー人のカネを使って、彼が慣れ合い的取引を行ったメディアの一部を援助した。
彼は、ペルー人民のカネで彼の子どもたちをカネのかかる米国の大学で学ばせた。
彼の家族は、ペルーの貧しい民衆に日本から送られたカネを盗み取った。彼の妻であるスサーナ・イグチはこのことを公にした。これを理由にフジモリは彼女を逮捕し拷問した。彼の娘であるケイコは、収監され拷問を受けた彼女の母親に変わって「ファーストレディ」を名乗ることに同意した。
先住民の女性はわが人種を根絶するために強制的な不妊を処置された。彼は憲法を変え、その結果彼の再選が可能にされた。彼は、彼の主な顧問に関するビデオ映像でわれわれが見たように、政治家たちを買った。彼は、ラ・カントゥタ大学の学生たちと一人の教授を殺戮したコリナグループを例として、金銭目当ての暗殺団を組織した。このコリナグループは、リマの貧しい居住区であるバリオス・アルトスでも一つの殺戮事件を実行した。
先に触れたパティビルカ事件は次のように進んだ。つまりコリナのメンバーたちが、ジョン・カルデロン(一八歳)、トリビオ・オルティス・アポンテ(二五歳)、フェランドロ・カスティロ・マンリケ(三八歳)、ペドロ・アギュエロ・リベラ(三五歳)、エルネスト・アリアス・ベラスケ(一七歳)、セサル・ロドリゲス・エスキベル(二九歳)を拉致したのだ。彼らは先の人びとの身柄を確保した後、彼らの体のさまざまな部分にたいまつを押し当て拷問を加え、蹴りも入れた。その後彼らは頭に二発の銃弾を撃ち込まれ殺害され、彼らの遺体はサトウキビ畑に投げ捨てられた。

転落から恩赦へ
民衆無視の力学


二〇〇〇年、フジモリの顧問であったウラディミロ・モンテシオン(現在収監中)が野党の政治家を買収しているところを映したビデオが現われた。フジモリは、選挙が行われ、彼は立候補しないだろう、と公表した。
その後彼はブルネイで開かれたアジア太平洋経済協力フォーラム(APEC)会合に向け旅立った。そしてFAXで大統領を辞任、次いで日本に向かった。彼は父親が日本人であるため日本の市民でもあり、この国は彼をペルーに送り返さないだろうと計算した。
二〇〇六年のペルーの選挙時期前後に彼はチリに旅した。彼の支持者が彼に、ペルー住民の支持は大きいと伝えたからだ。しかしチリは、ペルーが彼の政権が犯した犯罪を根拠に彼の本国送還を求めた時、彼を送り返した。彼は、ラ・カントゥタとバリオス・アルトスの殺戮を理由に収監された。
PPKが二〇一七年の末に行った恩赦は政治的恩赦だ。議会があらためてPPKを選出した時、フジモリは彼の支持者に弾劾反対の投票を行うよう電話で伝えた。PPKはその見返りとして彼を恩赦したのだ。
それは、他の犯罪を理由とした本国送還の新たな容認が生まれているがゆえに、違法なものだ。つまりチリ最高裁の決定は、フジモリの本国送還の延長を満場一致で承認したのだ。そしてこれが、いわゆるパティビルカ事件に関しペルーの裁判所が手続きを始めることを可能にしているのだ。ペルーの法律は、司法手続きが進行中である場合に収監者の釈放を妨げている。したがってフジモリの解放は違法なのだ。

国際的反応と
国内での波及


諸々の人権組織は、二〇一八年二月に開催予定の国際人権裁判所会期中における聴取を求めてきた。
人権高等弁務官南米地域事務所(Acnudh)、適正手続き財団(DPLF)、公正と国際法センター(Cejil)、またラテンアメリカ問題ワシントン事務所(WOLA)は、国際人権基準がこれまでに尊重されてこなかった、と信じている。
米州人権法廷(IACHR)は、フジモリの釈放以前に行われた聴取を引用している。それらが指摘していることは以下のことだ。つまり医療検討会におけるフジモリのかかりつけ医の参加は、手続きが公正ではなかったということ、手続きの公明正大さを装っているということを示し、さらに恩赦のどのような正当性主張がパティビルカ事件で彼が訴追されることを妨げているか、という点だ。IACHRの特別聴取は二月二日に予定されている。超国家的法廷は、PPKはフジモリに恩赦を認めることで国際的義務を破った、と警告した。
この恩赦を理由に司法省の三人の公人が辞任した。司法省人権主任が辞任した。モケグア長官(出先レベルでの最高位政治事務所)のパウリナ・ロウルデス・カノ・オビエドは彼女の地位を辞し、与党からも離れた。文化相のサルバドール・デル・ソラーも辞任した。そして大統領の党の議員三人も党を離れた。

民衆のデモ続き
ストへの動きも


アレキパ、クスコ、プノ、タクナは抗議を継続している。プノの諸労組は、PPKを裏切り者と宣言、諸々のデモを計画中だ。彼らは「フジモリはPPKを通じて権力に到達した。あらゆる政治家は消えなければならない」と語っている。
北部では、チクラヨ、トゥルジロ・チムブテ、ピウラも立ち上がった。
ペルー労働者総連合は全国ストライキの可能性を討論中だ。(二〇一七年一二月三一日、クスコ)

▼筆者は、一九六〇年代始めのペルーのクスコ地域における農民蜂起指導者であり、一九七八―一九八〇年のペルー革命的左翼の統一と刷新において象徴だった。そして投獄され、殺すぞと脅迫され、亡命し、国際的連帯のおかげで解放された。「ルチャ・インディゲナ」の編集者でもある。(「インターナショナルビューポイント」二〇一八年一月号) 

イラン

新たな抗議の意味

社会的不満の高まりは
ある種の臨界点に到達

フリーダ・アファリ

 昨年末から新年にかけ、イラン全土に反政府抗議行動が広がった。政府は現時点で行動は収まったと発表しているが実情ははっきりしていない。今回の行動は社会的不満の爆発、体制そのものへの抗議、という点でこれまでとは異なる特徴を示している。それらに関する報告と今後の課題について、在米のイラン人活動家が簡略に論じている。以下に紹介する。(「かけはし」編集部)

 一二月二八日にマシャード市で始まった抗議行動は、テヘラン、ケルマンシャー、ラシュト、イスファハン、シラス、ハメダン、ケルマン、ザンジャン、アーバス、バンダル・アッバス、さらにイランの宗教首都とも言い得るクムまでをも含む、四〇以上の都市へと瞬く間に広がった。参加者たちはほとんどが三〇歳以下の若者たちだが、いくつかの例では、子ども連れの両親も含まれていた。ここまでのところ登場した多数の治安部隊によって、少なくとも五人がロレスタンで殺害された。また五〇人以上が逮捕されている。政府と銀行の建物のいくつかには立ち上がった人びとにより火が着けられ、ホメイニとハメネイの写真が燃やされた。

決起導く要求は
今回明確に違う


 不正に彩られた大統領選の後二〇〇九年に高まった大衆的抗議行動に比べると、今回の抗議行動ではいくつかの重要な点で違いがある。第一に、今回は貧困と体系的な腐敗に直接反対している。第二に今回は、多くが失業者である労働者階級(男と女)の幅広い参加を含んでいる。第三として、要求には、イスラム共和国を終わりに、最高指導者ハメネイに死を、ロウハニ大統領に死を、「革命防衛隊」に死を、さらにシリアとレバノンに対するイランの軍事介入を終わりに、が含まれている。第四として、いくつかの例では、個々の女性たちが勇敢にも公共の場でネッカチーフやベールを取り、彼女たちに続くよう他の人々を力づけた。
 誰も否定できないことだが、これらの抗議行動は、賃金不払いと恐るべき労働条件に反対する、少なくともこの一年の労働者によるほとんど日常的と言える諸行動とストライキ、また同じく貧困化を味わっている定年退職者、教員、看護士、さらに銀行破産の中で乏しい貯蓄を失った人びとによる諸々の抗議行動を経て起きている。今回のスローガンはまた、政治犯すべての解放と独裁を終わらせることも求めていた。
 同時に疑いのないこととして、スローガンのいくつかには、たとえば、「私の命を犠牲に捧げるのはイランに対して、ガザでも、レバノンでもない」のように、強力な民族的響がある。あるいは、君主主義支持者の影響も、レザ・シャー・パーレビの遺物を支持するスローガンとして表わされていた。
 何人かのイラン人は、今回の抗議行動は、体制内部の闘争、およびイランとサウジアラビア間の直接的戦争の怖れを前提に、イスラム革命防衛隊が権力を固めるために始められた可能性がある、と信じている。他の人々は、トランプ政権からの支持を受けて、君主主義者とムジャヒディン・ハルクが抗議行動を力づける上で大きな役割を果たした、と信じている。

シリア革命の
教訓学ぶ必要


 これらすべての役者に反対し、いわば解放運動を純粋に願っているイラン人にとっては、シリア革命の諸々の教訓から学ぶことが極めて重要だ。貧困と独裁に反対する大衆運動が、積極的で進歩的なビジョンを欠いたまま、単に体制の打倒のみに自らを限定すれば、運動は、右翼や君主主義者から乗っ取られる危険に、そして帝国主義者の争いにおける手先となる危険に直面するのだ。
 この運動は、社会主義の権威主義的商標を支持しないイラン人社会主義者とマルクス主義者が違いを作ることができる機会だ。労働者評議会の発展を助け、家父長制/女性差別視に反対する女性たちの闘いを守り推進し、クルドやバハイのようなイランの民族的、宗教的マイノリティが苦しめられている差別に声を大に反対して、イランの資本主義国家に反対することを基礎に、この運動内部で組織化を進めることによってだ。
 現在の抗議運動の内容を深めることは、米国、イスラエル、サウジアラビア、ロシア、中国、イラン、トルコによる帝国主義戦争駆り立てに異議を突き付け反対する、また社会的公正を求めるこの地域と世界中の他の進歩的人びととの連帯を表わす最良の方法だ。(二〇一七年一二月三一日、中東社会主義者連合ブログより)

▼筆者は中東社会主義者連合のブログ向けに書いている。(「インターナショナルビューポイント」二〇一八年一月号)
(訳注)
中東社会主義者連合は、欧米在住の中東出身者、パレスチナ、レバノン、イラン、シリアなどの活動家三八人が署名した創立声明を公表、「インターナショナルビューポイント」には昨年一二月一五日付けで掲載された。


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