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    かけはし2018.年1月15日号

女性農場労働者新たな推力供給


フェミニズム

「#MeToo」革命

アゲンスト・ザ・カレント編集部

 二〇一七年はフェミニズム運動が新しい力をもって世界に大衆的決起を広げた年だった。その波はこの年後半にかけて、ハリウッドスターたちのセクシャルハラスメント告発へとつながり、世界にあらためて衝撃を与えた。そしてその動きは「♯MeToo」運動としてさらに広がり、その中で、米国内女性農場労働者から以下に紹介するような連帯アピールが出された。そしてこのアピールが先の著名女性たちを動かし、セクシャルハラスメント告発を支える基金設立運動へ跳ね返る、という相乗的連環が生まれている。世界を覆う権力の暴虐に対し、新しい装いをもった民衆的反逆が力強く広がっている。注目が必要だ。(「かけはし」編集部)

 暴露は今まさに現われ続けている。それらは、力を誇ったハリウッドの大物であるハーベイ・ウェインステイン、俳優のケビン・スパイシー、さらにコメディアンのルイス・Kを、レイプやセクシャルハラスメントのさまざまな形態で女優たちが告発したように、頂点で始まった。それらはすぐさま、大物のTVネットワークのパーソナリティたち、企業経営者、さらに双方の資本家政党の政治的人物たちを巻き込んだ。
過去においては、一人の女性が進み出た場合、殺到する質問者たちを前に、彼女はただ一人で立っていた。今回、フェイスブック上で始められている「#MeToo」には二四時間以内に、世界中の四七〇万人の人々が、彼らの物語をもって応じた。その物語とは、女性や子どもたちを脅し、いじめるために、男たちがどのように彼らの地位を利用したか――特に、職場や刑務所で、また家族の中でも――、といった話だ。

社会に広がる
問題への挑戦


今回の動きは、性的な虐待が暴露された他のあらゆる場合と異なるものになるのだろうか?
われわれはそうだと考えている。今回は、意識と連帯のレベルがもっと深い、と考える。白日の下に引き出されたのは、単にはっきりとした力をもつ男のセレブだけではない。性的虐待は社会全体での職場におけるもっとはるかな広がりをもつ課題だ。そこでは犠牲者とそこを生き延びた者たちが、彼女たちが勇気をふるって話し出した場合、彼女たちの職、キャリア、さらには経済的生き延びまでも危険にさらしている。
そして組織された労働者は、まともな賃金を求める闘いとこの運動を合体させることで、ハラスメントのない環境を要求する上で、大きな役割を演じる可能性をもつのだ。それこそが、一一月一二日のロスアンジェルス「職場を取り戻せ」行進に向け「アリゾナ・ナシオナル・デ・カンペシナス」のラティーノ農場労働者たちが書いた声明が問題の核心を突いている理由だ。それは次のように表明している。

著名女性たちを
動かしたアピール

 「われわれは米国中の農場、袋詰め作業場で働くおよそ七〇万人の女性たちに代わって書いている。われわれはこの数週間、エンターテインメント業界の経営者、その協力者、また他の力ある者たちのせいで受けてきたジェンダーに基づく暴力について、声に出そうと進み出た俳優、モデル、あるいは他の諸個人を、われわれには身に覚えのある悲しみをもって見つめ、その話を聞いてきた。われわれとしては本当は、あなた方の業界でこれがこれほどの広がりをもつ問題であることを知ってショックを受けた、と言いたかった。しかし悲しいことに、われわれは驚いていない。なぜならばそれは、われわれも十分すぎるほどに知っている現実だからだ。われわれの国中の数え切れない農場労働者の女性たちは、彼女たちが仕事中に直面する襲撃や広範に広がるセクシャルハラスメントのせいで、沈黙の中で苦しんでいるのだ」。
「われわれが働くのは、明るい舞台照明の下でも、大きなスクリーン上でもない。われわれは、この国のほとんどの人びとにとってはその胸中からも視野からも離れた、遠く離れた農場や袋詰め作業場といった社会の陰で働いている。あなた方の仕事は魂を養い、心を満たし、楽しみを広げる。われわれの仕事は、われわれが植え、摘み取り、そして詰め込む果物、野菜、他の穀類で、国民を養っている」。
「われわれはまったく違った環境で働いている。そうであってもわれわれが分かち合っているものは、雇い、解雇し、ブラックリストに挙げ、そうでなければわれわれの経済的、肉体的、感情的安全を脅かす力をもつ、そうした個人によって苦しめられている、という共通の経験だ。あなた方同様、われわれに利用可能な場所は僅かしかない。そしてわれわれに対し加えられたあらゆる類の不正義や害を告げることは、実行可能な選択肢であるようには見えない。われわれの家族を養う能力やわれわれの評判を保つ能力を含めて、あまりに多くのものを危険にさらすがゆえに、あらゆることについて――セクシャルハラスメントであっても――苦情を言うことは、考えがたいように見える」。
「われわれは、もしかしたらあなた方が感じるかもしれない傷、混乱、孤立、また裏切りを理解している。われわれもまた、この暴力から生じる恥と怖れを伝えたい。それは、抑圧の重圧同様、われわれを打ちのめす。しかし、それはわれわれの過ちではないということを、われわれは深く心に刻んで分かっている。過ちを犯した人びとはただ、あなた方に害を与えたように、われわれを脅し、われわれに嫌がらせを行い、害を与えるために、彼らの権力を乱用した、そうした諸個人だけなのだ」。
「絶望が彩るこうした時だからこそ、そして、あなた方に加えられた数々の迫害行為に対決して勇敢にも話し出すことを選んだがゆえに、あなた方がことさらな身上調査や批判に対抗している時だからこそ、あなた方が孤立はしていないことをどうぞ分かってほしい。われわれはあなたたちを信じ、あなたたちと共に立ち上がる」。
打ち固められつつある団結――そしてレイシズムがどれほど権力の勢いを強めているかに対する知覚の高まり――は、まさしくめざましい変化であり、始まったばかりのある種の革命の兆候だ。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年一二月号)

カタルーニャ

カタルーニャ選結果:取り急ぎの評価

PP(人民党)大敗の中
左翼にはあらためて重い課題

ラウル・カマルゴ

1.昨年一二月二一日にカタルーニャで行われた不意打ち的地方選で大敗北を喫したのはスペイン首相のマリアノ・ラホイだ。彼は憲法一五五条を通して、民主的に選出されたカタルーニャ政府を解任し、州議会を解散、親独立の多数派を破壊し彼の立場を強化するために、選挙に打って出た。しかし彼はどちらの目標にも成功しなかった。
 親独立諸政党は絶対多数を維持し(二議席を失ったが)、ラホイの党である人民党(PP)に対する支持は砕け散り、この党に残されたものは、議会の代表をあわやなくすかのような残余的勢力だった。PPの転落が始まりつつあるのかもしれないように見える。今この党には、それ自身の陣営内に実体のある競合相手が生まれているからだ。

2.親独立陣営には再編が生まれたが、票と議席には全体とすればほとんど違いがなかった。この陣営は堅さを保ち、憲法一五五条、警察の派遣、あるいは投獄によって阻まれることはなかった。しかしこの陣営の右翼が左翼、特にCUP(人民統一候補)から地歩を奪うことになった。そしてCUPは、その票の半分と議席の六〇%を失った。
CUPは多くの点で称賛に値する政党だ。しかしこの党はその始まりすぐから、親独立ではない左翼の諸部分に向けた何の路線ももたずに、この運動の進展において末弟の役割を演じてきた。諸々の陣営をまたぐ形で階級をつなぐ橋を提供する(独立派陣営は支配的影響力をもつと認められているとはいえ)というこの活動は、私が確信するところだが、左翼が残した貧弱な結果の根源にある。ERC(カタルーニャ共和主義左翼)は、大胆さの欠如を明らかにし、全体としてその指導者たちは、政治的レベルの低い人びとと見えることになった。
その反対がカタルーニャ民族主義右翼の政党、JUNTs・X・Catalunyaの名称をもつ合同勢力に当てはまる。この勢力はプッチデモン(解任され現在ベルギーにいる前カタルーニャ首相)の中に、彼の党PDeCAT(カタルーニャ欧州民主党)にとっての非常に厳しい出発点を何とか切り抜けることのできた抜け目のない政治家を見出すことになった。この運動プロセスの将来は不確実だ。しかし投獄されようがそうでなかろうが、プッチデモンが再びカタルーニャ首相になるということははっきりしているように見える。
右翼がこの陣営の指導権を保つことになったことは残念なことだ。しかしいずれにしろ、統一派側の他の右翼にはどう見ても同等なものはない。

3.統一派陣営の中ではシウダダノスが大勝し、PP支持派の票をほとんど完全に吸収、しかしまた中でもバルセロナの工業ベルト地域で左翼有権者にも食い込んだ。一〇〇%の新自由主義政党であり、いくつかの問題ではPPよりもさらに右に位置するこの党がこれほどに多数の労働者階級票を引きつけることができる、ということは警報に値することだ。
多くの労働者階級居住地域における左翼の不在は一つの要因だが、しかしまた、親独立運動は、特にそのほとんどの左翼的構成部分は、先のような人びとと結びつくことができなかった。そしてこれらの人びとは彼らの憤激を、社会的な中心問題というよりもいわば民族問題に向けているのだ。
シウダダノスの指導者、アルベルト・リベラはここで、スペイン国家の残りの地域に向け、ある種特権的な跳躍板を確保できている。それはめまいがするような考えだ。
PSC(カタルーニャ社会党)は、ほとんど同じレベルにとどまり、その首相候補、ミケル・イセタにかけられた根拠のない期待を低めることになった。PSOE(社会労働党)指導者のペドロ・サンチェスは今日何も勝ち取ってはいないが、また失うものもなかった。

4.ロス・コミューンとポデモスについて言えば、多くの期待はまったくなかったとはいえ、結果はひどかった。しかし客観的なデータが語っていることとして、カタルーニャ・エン・コム(CeC)は、バルセロナ州でその支持票の八四%を引きつけたが、市長を確保している首都のバルセロナでは、わずか九・五%しか得票できなかった。CQSP(前回地方選におけるポデモスが力を貸した連合)の結果は早くから失望を呼ぶものだったが、候補者とキャンペーンは相対的に良好だったという事実はあったものの、今回も悪かった。ここでは、変わることのない等距離姿勢、並びに昨年一〇月一日国民投票とその後の諸々のデモに対する準備のなさ、これらが重くのしかかることになった。その上に、行政的手法によるポデムの半解体もある。
左翼勢力にとっては、何年にもわたる最大規模の民衆的デモに際してある種の見物人であることは、支持を高める上でのよい処方箋であるようには見えない。今CeCは、実際に根付くことのできる有機的な関係をいかに築き上げるかについて考えなければならない。しかしICV(イニシアティバ・デ・カタルーニャ)に対する代用物であるというリスクは高いままだ。
州レベルに対しわれわれは、カタルーニャを求める国民投票の防衛においては今後逆戻りは一切ない、ということを期待している。そしてこの国民投票の防衛は、今回の一二月二一日後も、引き続きカタルーニャ問題に対してあり得る唯一の回答であるように見える。

▼筆者はマドリードにおけるアンティカピタリスタ左翼の指導的メンバー。現在、「アンティカピタリスタス」運動の一部であり、マドリード自治コミュニティの立法機関におけるポデモス議員でもある。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年一二月号)


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