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    かけはし2018年2月12日号

福島原発事故の刑事責任を!


1.26

福島原発刑事訴訟第2回公判

急ピッチで審理が進む

17回まで期日指定


東電経営幹部
の責任は明確
一月二六日、東京地裁で福島原発刑事訴訟の第二回公判が行われた(第一回公判は昨年六月三〇日、本紙昨年七月一〇日号二面参照)。事故当時の最高経営責任者である勝俣恒久元会長、武黒一郎元副社長、武藤栄元副社長の刑事責任を問う裁判だ。午前九時過ぎに行われる傍聴券の抽選のために並んだ人は二五〇人に達した。
 公判は驚くほどのハイピッチで進められようとしている。すでに二月に二回(八日、二八日)、四月にはなんと五回(一〇日、一一日、一七日、二四日、二七日)、五月に四回(八日、九日、二九日、三〇日)、六月にも四回(一日、一二日、一三日、一五日)と、すでに一七回目まで期日が指定されているのだ。それが何を意味しているのかについては、今のところ確実なことは言えない、と弁護団の海渡雄一さんは語る。

厳正な判決を!
被害の補償を!
公判と並行して、午前一一時から参院議員会館講堂で福島原発刑事訴訟支援団と福島原発告訴団の共催で「福島原発刑事訴訟 第二回公判院内集会」が行われた。
支援団事務局長の地脇美和さんの司会で進められた集会では、「東京電力福島原発刑事訴訟 厳正な判決を求める署名」について紹介された。東京地方裁判所刑事第四部、永淵健一裁判長宛に適正かつ迅速な審理と事故の真相究明、そして原発事故の最高責任者たちに厳正な判決を求める署名だ。この署名活動には、東京電力経営責任者への裁判を行っていることを多くの人びとに知らせる、という意味もある。
次にリレートークが行われ、原発事故への怒りと思いが様々に語られた。
「飯舘村に孫もふくめて三世代同居で住んでいた。事故の後に滋賀県長浜に避難したが、ここも関西電力の原発が立ち並んでいる若狭に近い。現在は飯舘村に近いところに戻っている。しかし戻ったのは以前の住民の一割ほど。村を維持できない。この裁判で責任を何としても取らせたい」。
作家の広瀬隆さんは語る。「水源地に放射能が降ったのだから水も汚染されている。東電の第二の犯罪はトリチウムを薄めて放流していることだ。これは今の世代だけの問題ではなく次の世代への責任でもある。メディアはそうしたことを報道すべきだ」。

被害者の厳しい
生活を知るべき
公判の昼休みに院内集会に駆けつけた弁護士の海渡雄一さんは六月一五日までに一七回もの公判スケジュールが入り、二〇人の証人が採用されたことを報告し、「来年、年度内にも判決の可能性がある。このスピードに対しては積極的に受け止めた方がいいのではないか。『検事側』である私たちの言い分が通ったと思う」と語った。
午後の部の院内集会では呼びかけ人を代表して講談師の神田香織さんが発言。神田さんは「責任の所在を問うのは、決して過去のことに対してではない」と語り、茨城県の二つの自治体で広瀬隆さんと神田香織さんが行った講演と講談の集いに対して、産経新聞が「風評被害」を煽ったとして罵倒したことを厳しく批判した。
田村市から避難した被災者の方は「昨年三月で住宅提供が打ち切られ、災害救助法が適用されるだけになった。住宅問題は人権問題だ」と強調した。福島市から山形県米沢市に避難した武田徹さんは、「皮膚に異常が出て住んでいた場所から避難した。『区域外避難者』への支援打ち切りに我慢できない」と語り、もう一人の方も「昨年三月以後の住宅無償提供打ち切り以後、生活困窮で自死する人、ホームレスになっている人も出ている」と窮状を訴えた。
原発被害者団体連絡会(ひだんれん)の大河原さきさんは、「区域外避難者」の実態調査を要求した。「二〇一七年三月以後、それまでは毎月行っていた交渉を自治体当局が引き延ばしている」と批判した。さらに東電が、それまでの家賃補償を打ち切った上で、福島県に「家賃補助」を名目に五〇億円を「寄付」したことを批判し、県が避難者間の「不公平」を問題にするというのなら、なぜ住宅補償打ち切りを問題にしないのか、と訴えた。
その後、土井敏邦監督が制作中の映画「福島は語る」の試写が行われた。

原発のない日本
と世界めざして
公判終了後、この日の公判の評価・総括が行われた。東電側の福島原発事故対策の実務責任者であった上津原証人は、「一五・七メートルの大津波」という試算の存在を認めた上で「違和感があった。その可能性が話し合われたかどうかは記憶にないが、試算への違和感は取り除かれたわけではない」と語ったという。
また一〇メートルの津波を想定した防護設備にさらに一〇メートルを上乗せすることについてそれは不可能との主旨かという質問に対して、考えたうえで「難しいが不可能ではない」と答えた、という。それは大津波による事故発生への危機意識の不在を確証するような証言だった、ということもできる。
今後とも公判の進行に注目し、政府や東電の犯罪を明らかにし、被災者の権利と正義を実現し、原発のない日本と世界を実現するために、公判の推移に注目しよう。傍聴を!そして被災者にとっての正義を!(K)

1.28

狭山事件の再審実現へ

市民のつどいで石川さん、
えん罪被害者がアピール

判決は完全に崩れた!


 【大阪】狭山事件の再審を実現しよう市民のつどいin関西が昨年の兵庫県に続いて一月二八日、大阪市立港区民センターホールで開かれた。実行委員会が主催した。
 地元から安田さん(部落解放同盟大阪府連書記次長)があいさつをし、「事件の発生から五五年、三者協議も三五回を数えている。二〇一〇年に証拠が開示され、科学的な鑑定書が提出された。何としても再審の扉を開けていかなければならない。映画『獄友』の上映運動も積極的に展開していきたい。また、大阪で狭山のホームページも立ち上げた」と述べた。
 続いて、中北龍太郎弁護士(狭山事件再審弁護団事務局長)があいさつ、再審の弁護団報告をした。以下要旨。

決定的な科学
的筆跡鑑定
弁護団は、証拠開示された上申書や取り調べ録音テープをふまえて、新たに筆跡や識字能力の鑑定書を二〇一六年一二月に提出。さらに、二〇一八年一月一五日福江報告書・魚住意見書を提出した。福江報告書は、石川さんが書いたとされている脅迫状(一九六三年五月一日被害者宅に届いた)と石川さんが書いた上申書(一九六三年五月二一日)の筆跡をコンピューターによる筆者異同識別の手法により鑑定し、九九・九%別人だというもの。個人内のズレ量と個人間のズレ量を比較し、客観的に異同識別した結果、脅迫状と石川さんの上申書の筆跡のズレ量は書きムラとは考えられないことを科学的に明らかにしている。
魚住鑑定書は、警察の筆跡鑑定のデタラメさを暴き出した。五五年前の五月二一日、石川さんは上申書を書かされる。その同じ日に、警察は脅迫状と上申書は筆跡が酷似しているという調査報告をつくっている。石川さんを犯人視していたこと以外の何物でもない。翌二二日、埼玉県警鑑識による筆跡の中間回答書がつくられている。そして、この中間回答書に基づき逮捕状が発布され、五月二三日石川さんは逮捕された。この中間回答書は非科学的でデタラメなものだということを魚住鑑定書は明らかにした。これにより、脅迫状は石川さんが書いたものだという論理は完全に崩れている。石川さんの自白は、筆跡鑑定をもとに、お前が書いたのだと決めつけ強要する過程で生まれたものであり、「脅迫状は自分が書いた」と言ったところから始まっている。
判決はことごとく崩れている。開示証拠は一九一点に及んでいる。これらを武器に今年は何としても事実調べに踏み込んでいき、再審開始決定への道を歩んでいきたい。今年は山場だ。これまでにも増して支援をお願いしたい。石川さんの未来を発展させよう。

獄友たちがトー
クセッション
この後、石川一雄さん(狭山事件えん罪被害者・第三次再審請求中)、石川早智子さん(狭山事件えん罪被害者家族)、菅家利和さん(足利事件えん罪被害者・二〇一〇年再審無罪確定)、桜井昌司さん(布川事件えん罪被害者・二〇一一年再審無罪確定)、金聖雄さん(映画『獄友』監督)が登壇し、金さんのコーディネートで「えん罪に抗う獄友トークセッション」が行われた。
金さんは映画を作る過程で、石川さんに会うまでは遠かったと述べ、えん罪になったことで三人はたくさんのものを失い、またたくさんのものを得たと思うと言った。
石川さんは被差別部落の生まれだということをお父さんは教えてくれなかった。学校にも行けず字も知らなかった。刑務所で、マンツーマンで字を教えてくれた警務職員がいた。八年間教えてもらった。同和地区に生まれたことはえん罪になって初めて、本で知った。刑務所で短歌を作り始めた。こうして人前で話せるようになった。
早智子さんは労働組合運動の中で、狭山の支援をやり始め、もう隠して生きるのはやめようと思い、石川さんが出所したときに彼と結婚した。受刑者にとって本当に支援は大きい。石川さんには全国の子どもたちから毎日たくさんの手紙が来た。石川さんはよく頭を洗った(懲罰を受けること)が、直ぐ戻ってきた。後ろに解放同盟がいるからと言われていた。そのことを桜井さんは、石川さんは刑務所内ではエリートだったと言った。
菅家さんは、もともとまじめなタイプで、人前で話をしたことはなく、話のできる友がいなかった。一年間警察に尾行されたが気がつかなかった。そして四五歳の時に逮捕され、六二歳で出てきた。刑務所で面会したいと言ってくる人が何人かいたが、おもしろ半分だろうと思い断っていた。ある日同じように面会を申し込んできた人がいて、会ってみようかなと思い会った。主婦の人で、やっていないならいないとはっきり言ってくれといわれ、やっていないと言った。その人は自分と同じように幼稚園の園児の送り迎えをしていた人で、送り迎えをしている人に悪い人はいないと言った。それから支援組織がつくられた。
桜井さんは、えん罪になってよかったと言った。支援する会の人たちのまじめさがわかったと言った。刑務所にいるとき一番辛かったことは、鳩が窓辺に飛んできて直ぐどこかへ消えていく。どこに行ったのだろうと見ようとするが、それができなかったことだと。
三人とも獄中にいるときに両親を亡くしている。石川さんは、それが一番辛かったと言った。えん罪にされて初めて、世の中にえん罪がこんなにも多いことを知った。えん罪をなくすには社会が変わらなければいけないと桜井さんは言った。出世したいからえん罪をつくってしまうのだろうと石川さん。県警のあの二人は絶対に許さない、殴る蹴るの暴行をうけた。警察は謝るべきだ、謝らないのはおかしいと菅家さんは言った。早智子さんは、えん罪を社会が見過ごさないなら変わると言った。
桜井さんは刑務所内でトランペットをやっていたそうで、そこで作った歌『春』と出てからつくった『人間っていいですね』の歌、会場からの要望で『母ちゃん』をトークの最後に披露した。『春』の、ゆらゆら春は来るというメロディーと歌詞がすばらしい。

警察の証拠ねつ
造は明らかだ
休憩の後、安田聡さん(部落解放同盟狭山中央闘争本部事務局次長)から「えん罪・狭山事件はこうしてつくられた」が報告されたが、上記弁護団報告と重複する部分は省き、証拠開示された録音テープと万年筆の件についてふれる。
石川さんは犯行体験を語れなかったので、取調官が想定して誘導した。石川さんは、死体がどうなっているのか知らなかった。どうして死体は後ろ手に縛られているのか尋問されてもわからなかった。殺害方法も裁判で警官らは、「スラスラ矛盾なく自白した」「自白調書は石川さんの言うとおりに作成した」と証言していたが、それは嘘だった。
また、万年筆が自白通り石川さんの家から被害者の万年筆が発見されたとして有罪の証拠とされたが、そこは二回にわたり徹底捜査されたところで、そのときは見つからなかった勝手口の鴨居から発見された。家宅捜査した警察官が「鴨居も捜査したが、万年筆はなかった」と証言している、高さ一七六センチメートルの鴨居だ。また、この万年筆には、被害者が使っていたインクは入っていないことが、下山鑑定(二〇一六年八月提出)でわかった。証拠のねつ造の可能性が濃厚だ。
最後に、笹倉香奈さん(甲南大学法学部教授・えん罪救済センター副代表)から、イノセンス・プロジェクトについてのアピールがあった。会場から、マスコミが事件を報じるとき容疑者ではなく犯人という用語を使ったら直ぐ抗議をしようとの訴えがあった。
集会の最後にみんなで写真撮影をした。(T・T)


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