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    かけはし2018年2月12日号

佐川・安倍昭恵の証人喚問を


「森友」問題の徹底追及へ

もはや言い逃がれできない

新事実が次々
浮上している

 大阪府豊中市の「森友学園」小学校建設のために、ほとんどタダ同然の価格で国有地が引き渡された問題で、新たな事実が次々に浮かび上がり、安倍政権はふたたび窮地にさらされている。
 「森友学園」は幼稚園児に「教育勅語」を暗唱させたり、運動会で「安全保障法案ができてよかったです」などと運動会で叫ばせたりなど、極右国家主義・天皇主義のイデオロギーで知られた学校だった。「森友学園」の籠池泰典園長と妻の諄子は、新設される小学校の名称に「安倍晋三記念」と名前を付けようとしたほど、極右政治家としての安倍首相の信奉者であり、安倍首相夫人の昭恵を名誉園長にかつぎあげ、昭恵も三度にわたり、森友学園で講演をするほどの密接な関係にあったことは、周知の事実である。
 木村真・大阪府豊中市議は、豊中市の国有地売却問題について早い時期から、疑惑の解明に力を尽くし、そこには極右天皇主義勢力と安倍政権、松井大阪府政との密接なつながりがあることを明らかにしてきた。
 森友学園問題が昨年の通常国会でクローズアップされる中で、安倍首相本人が追及されることを恐れた検察・警察当局によって籠池夫妻は切り捨てられ、二人は逮捕・起訴された。
 昨年秋の臨時国会でも、安倍首相自身の「右翼人脈」と結びついた「森友・加計」疑惑は追及の対象となったが、安倍政権は「解散・総選挙」に打って出ることによって、「疑惑」を乗り切ろうと試みたのである。

隠ぺい工作は
破綻している

 安倍政権は昨年一〇月の総選挙で、自公両党で議席の三分の二を確保したことにより、「森友・加計」問題を決着させることができると考えていたのかもしれない。「森友学園」にかかわり、国有地を「タダ同然」で引き渡すことに加担した責任者である佐川宣寿・前財務省理財局長は国税庁長官に栄転し、そうしたやり方に公然と異論を提起した前川喜平前文部事務次官に対しては、執拗な「スキャンダル」攻撃がかけられた。
しかし前川前文部次官は、こうした安倍政権中枢や「読売」「産経」などの安倍政権「御用メディア」からの誹謗に抗して市民集会などで発言を続けている。このような真実糾明の粘り強い闘いの中で、安倍政権の隠蔽とごまかしは、いたるところでボロが出ており、もはや覆い隠すことができなくなっている。
佐川宣寿・前財務相理財局長は昨年二月の段階で、森友側との「交渉記録は廃棄した」と答弁したが、神戸学院大・上脇博之教授の請求により新たに開示された文書では、森友側と財務省近畿財務局との交渉経緯が記されている。そこでは近畿財務局は、鑑定評価後に森友側が買わないという事態にならないよう「売買金額については、できる限り学園との事前調整に努める」としている。

あきらめずに
継続的追及を

 二〇一六年三月一一日、森友側は「新たなごみが地中から見つかり、撤去作業で相当の損害発生の見込みがあり、開校が遅延したら大変なことになる」と近畿財務局に迫った。これに対して近畿財務局側は「損害賠償請求も考えられる」として、なんとか森友側と「折り合い」をつけなければならない、としている。
三月一五日、籠池前理事長は財務省本省の室長と面会し、安倍昭恵の名前を挙げて早急な対処を求めた。
三月一六日には、籠池と近畿財務局の協議の後で、安倍昭恵氏から「どうなりました。頑張ってください」との電話があったことも二月一日に、共産党の辰巳衆院議員が独自に入手した「音声データ」の中で示されている。三月下旬〜四月上旬には国と森友側の協議に当たって、籠池前理事長は「棟上げの時に首相夫人が来られることになっている」と圧力をかけた。
このような経過を通じて、二〇一六年六月に「ごみ撤去費」八億一九〇〇万円を値引きして、国有地が
「森友」側に一億三四〇〇万円で売却されたことが明らかになった。
安倍政権は、隠蔽の厚い壁を破って表面化してきたこれらの事実に「頬かむり」を続ける以外にない。天皇主義極右勢力と安倍政権・支配階級との強いつながりを暴き出すための困難な闘いは、これからが正念場である。何よりも「あきらめない」ことが重要だ。
改憲阻止、安倍政権打倒をめざす二〇一八年の闘いの中で、「森友学園」問題の真実を暴き出すための闘いを継続、強化しよう。それは安倍政権の真実を明るみに出すための取り組みである。 (純)

2.3

アイヌ文化から北方
諸島の問題を考える

結城幸司さん、福本昌二さん招いて

 二月三日、東京・万世橋区民会館で「アイヌ文化から北方諸島の問題を考える」が同実行委の主催で開かれた。講師の結城幸司さんはアイヌ民族で、木版画・木彫・音楽など多彩に活躍し、人権や文化に関する講演も多い。福本昌二さんはアイヌ民族楽器トンコリの奏者、全道トンコリ大会で優勝した経験があり、木彫作家でもある。
 主催者あいさつがあり、結城幸司さんがアイヌ民族の現状と歴史を踏まえて、アイヌ語を交えながら問題提起した(別掲)。

一九七〇年代の
闘いを通して
次に本多正也さんが一九七〇年代の運動からアイヌの闘いにどのように関わったのか問題提起した。
一九七〇年が日本の学生運動・反戦運動の転換点であり、国際的にもアメリカやフランスなど世界的に反戦闘争が高揚した。一九七〇年から七二年、アイヌ民族の結城庄司さんがアイヌ民族を研究材料にしているとして人類学会を糾弾した。一九七三年、反日武装戦線による北海道庁爆破事件があった。こうしたやり方にアイヌは批判的であった。アイヌは自分を隠して生活していた。在日の人たちがそうであったように、二重の生活をしていた。このままでは滅亡してしまうと民族の存亡をかけて結城さんたちは闘った。部落解放運動や在日の運動とつながっていた。
少数のアイヌが飛び出す形での闘い。出る杭は打たれた。組織・人数は少数だった。糾弾闘争は無視され、紆余曲折があったが孤立していった。内ゲバが左翼戦線を後退させた。
九〇年代、人権・共生概念が登場してきた。チカップ美恵子が肖像権裁判を闘った。共感から共生へ。哲学者の花崎皐平さんなどの影響もあった。質が転換した。うずもれたアイヌ文化を再興していくとアイヌの萱野茂が主張した。一九九六年のアイヌ文化振興法が成立。精神性を身につけて後世に伝えていく。将来的な発展、アイヌを回復していく作業。
二〇〇七年、国際的先住民族宣言。日本の国会での認定決議。国連のアイヌに関する権利宣言。アイヌに関する有識者懇談会は保護者として表明していく。政治的権利はないがしろにされている。先住権・自治権の中身を具体化・深化させることが必要。憲法改正が論議されているが、民族条項を入れることなどは一切問題にされていない。
文化的に若者が育っている。政治的に発展できるのかがすごく問われている。

歴史と現状、
そしてこれから
次に、福本昌二さんの素晴らしいトンコリの演奏が行われた。最後に質疑応答が行われた。
その中で、結城さんが以下の点について発言した。@戦後GHQがアイヌの先住権や自治権を与えてもよいと、アイヌの代表に言ってきたがアイヌの代表はそれを断った。Aアイヌが沖縄戦に動員され、第一線で闘わされ死んだ。沖縄の人は顔が似ていることや虐げられた共通の歴史があることで、アイヌに友好的であった。糸満市にキムンウタリの碑(南北の塔)がある。占領中にアイヌの人たちが沖縄中を回り、アイヌ文化を広げる活動をした。Bアイヌの人口は二〇〇八年、二万五〇〇〇人、最近は一万人。生業は二風谷でトマトなど農業、伊達、釧路などで漁業。命をかけているということで日本人といっしょに会社を作っている。後は普通の日本人と同じ。旧土人学校の時代、二〜三年学力をわざと落とさせ、級長にはさせなかった。学歴の差が歴然としていた。自衛隊に入る人が多かった。
アイヌ民族の歴史と現状を知り、日本人側からどのように考えるのか、貴重な機会であった。   (M)

結城幸司さんの講演から

和人はアイヌの
創造力を奪った


今、イオル(狩場)事業が行われている。そして二〇二〇年にアイヌ新法が作られようとしている。しかし、アイヌ民族の「人の狩場に入らない。土地の所有がない」との意識を無視してやられている。若い人たちが学芸員としてアイヌ語を学んでいる。国は若い世代のためにというが、耐え苦しんだアイヌ民族の歴史、アイヌ語を話すことさえできなかった社会情勢があったことを教えようとしていない。
アイヌ民族人骨の問題。各大学が集めて研究材料とした。そして、その遺骨を一カ所に集めて慰霊するという。こんなことが和人の社会にはあるか。常識の中にアイヌ文化が入っていない。
旧土人法が作られ、アイヌ民族は土人と呼ばれた。この法律には生活法的側面があり、アイヌ専門の銭湯があったり、土地を与えられた。狩猟民族から転換するように農耕が推奨された。一九九七年、アイヌ文化振興法が作られた。文化を広めようとするもので、生活問題は切り捨てられた。どんどん悪くなっていった。
アイヌは火の神に食べ物を与えて下さいとお祈りする。祈りと神話の世界がある。それがカムイ・ユーカラだ。和人は土地や権利を奪ってきたが、最悪なことは創造力を奪ったことだ。神々に感謝する生活を奪われた。それゆえ、新しいもの・文化を生まない。

「北方領土」問題
をどう見るのか
文化をつないできたわけではない人たちが賛成・反対を言う。土地が戻ってきたらそこで何をするのか、アイヌの意見を聞いてほしい。
一七八九年にクナシリ・メナシの戦いがあった。これは日本内部で違う民族同士が戦った最後のものだ。松前藩が場所請負制度を作り、商人に昆布、鮭、アワビなどの売買を許した。武士や商人たちがアイヌを奴隷のようにして働かせた。最初、コメ一俵半をくれていたのに、一俵にしてしまったり、若者をコタンから連れ出し、請負場から帰さない。レイプや殺人を繰り返した。不満が高まり、三七人のアイヌが立ち上がり、七一人の和人を殺した。松前藩軍は一〇〇〇人の討伐隊を派遣した。捕まったアイヌは木の檻に入れられ、耳をそがれ、首を切られた。その時、「オオー」とアイヌ語の叫び声を上げたので、それをかき消すために太鼓を叩いた。松前城には今でもアイヌの耳塚がある。
根室半島のノッカマップ(処刑された場所)で「イチャルパ」(アイヌ語で供養祭という意味)が行われている。北海道アイヌ協会の野村義一理事長が敵も味方もないと和人の墓にもお参りした。私の父・結城庄司は命をかけて日本文化と闘ったが反日本人ではなかった。アイヌ、日本人らしく生きろという考えであった。アイヌの戦いがあったこと、北から見る常識があってもよいだろう。
ある中学校の授業で、北海道の地図の上にアイヌに関することを書いてもらった。よく、勉強してアイヌの地名などを詳しく書いた人もいたが、「アイヌは鎖国を裏切って交易をしていたから罰が当たった。アイヌはいない。アイヌと関わりたくないので、その授業に参加したくない」、という意見が書いてあった。これには衝撃を受けた。こうした「種」があると今後苦しめられる。
カナダの首相は最近、先住民に謝罪した。オーストラリア、ニュージーランドでも先住権を認めた。日本は一度も謝罪していない。謝罪すべきだ。北方領土問題でも同じだ。新しいアイヌの法律について、われわれに考えさせてほしい。議会を持ち作っていくようなこともありうる。(発言要旨、文責編集部)

 



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