もどる

    かけはし2018年2月12日号

新しい社会主義革命の展望をさぐる


連続講座

永続革命としてのロシア革命―

マルクス・エンゲルスからトロツキー・グラムシまで

第4回「ロシア革命からヨーロッパ革命へ」(下)

報告:森田成也

新事実が次々
浮上している


統合国家、歴史的ブロック、ファシズム

 二つ目の重要な成果が「統合国家論」や「歴史的ブロック」論です。「統合国家」とは、階級的支配勢力と国家の具体的なあり方とが有機的な連関をもつようになった国家のことであり、いわば支配階級によって(形式的にではなく)実質的に包摂された段階の階級国家のことです。「歴史的ブロック」とは、もう少し広く、下部構造の全体と上部構造の全体との独特の結合の仕方に着目した概念であり、両者の適切な均衡こそが支配体制の安定と長期化を可能とします。どちらも、ヘゲモニーと対抗ヘゲモニーの過程によって絶えず構築され、再構築されていく動的なものです。
このような有機的な体制が革命や戦争によって大きくぐらつき、統合やブロックに重大な亀裂が生じ、均衡が失われ、ブルジョアジーの支配が危機に陥ったとき、それでいて下からの労働者階級の革命が国家を支配するほど十分には強くない場合、労働者階級の組織をしだいに解体していくことによってブルジョア支配の再構築をめざすのがファシズムです。したがって、ファシズムは上からの反動的機動戦である軍事独裁とは異なって、下からの反動的陣地戦を通じて支配権力に到達するのであり、その際にファシズムは実存的危機に陥った小ブルジョアジーを労働者階級の組織や抵抗を粉砕する破城槌として利用します。
以上のようなファシズム論も非常に斬新なものです。実は亡命地にいたトロツキーもファシズムの本質を単なる専制や独裁に見出すのではなく、労働者階級の既存の組織の徹底的解体と原子化、その上での全体主義的再組織化に見出しましたが、これもグラムシの見方とかなりパラレルなものです。
時間がもうほとんどありませんので、グラムシの新たな探求についてはこれぐらいにしておきますが、このような先進国革命の新たな探求は今後とも継続して深めていくべきものです。

追放後のトロツキーの新たな探求

 ソ連追放後のトロツキーは、獄中におけるグラムシのこの新たな探求を知りませんでしたが、それとは別の方向から同じような課題を追求しています。実践を完全に制約された獄中のグラムシが主として、先進国における支配者階級の支配と統治の独自のあり方の分析から問題にアプローチしたのに対して、革命組織の指導者であったトロツキーは労働者政党の主体的な革命戦略の探求という方向から同じ問題にアプローチします。とくにファシズム下のドイツにおいて、反ファシズム労働者統一戦線という提起を行ない、当時、第三期論にもとづいて社民主要打撃論に陥っていたコミンテルンを徹底的に批判します。
さらにトロツキーは最晩年に「過渡的綱領」という概念を提起します。過渡的綱領は、直接的に社会主義的でもないし、直接的にブルジョア段階に制約されているわけではないが、人々の現時点で最も切実な要求に立脚し、それを実現するにはブルジョア支配の枠を突破せざるをえないような、そういう諸要求の総体のことであり、ヨーロッパの革命党が陣地戦を遂行する上で決定的な戦略的概念を提起したのです。それはもちろんのこと、一九一七年のロシアにおいて二月から十月にかけて実行されたものでもあり、かくも見事に陣地戦を勝利に導いた経験を理論的に一般化したものです。
古い第二インターナショナルの時代にあっては、社会民主主義政党の綱領は最小限綱領と最大限綱領とに分裂していました。前者はブルジョア社会を前提にしても実現できるもの(たとえば普通選挙権の実施など)、後者はその枠を超えなければ実現できない直接的に社会主義的な綱領のことです。しかし、生きた具体的な眼前の状況と無関係に、あらかじめ資本主義の枠内にある諸要求とそれを超える諸要求を機械的に分類することは、理論的には可能であっても、現実には不可能なことです。たとえば、一九一七年のロシア革命を考えて見ましょう。そのとき、ボリシェヴィキを権力に導いた最も重要な諸要求の一つは即時停戦と民主主義的講和でしたが、それらが資本主義の枠内で絶対に不可能かというと、けっしてそうではありません。状況によっては、資本主義のもとでも十分可能です。しかし、当時におけるロシアの具体的な状況においては、この要求はブルジョア臨時政府のもとでは不可能であり、労働者階級の権力を必要としたのです。
抽象的にそれが資本主義の枠内で可能か不可能かを分類するのではなく、その時々における労働者階級の最も切実な諸要求から出発し、それを実現するためにはブルジョア支配の枠を突破することも辞さないという構えが必要なのであり、そのような「鎖の全体をつかむ主要な環」となるような諸要求をできるだけ正確かつ簡潔な形で定式化し、それを労働者のあらゆる層に浸透させ、下から労働者を獲得していくことが必要なのです。これもまた、グラムシが獄中で探求していた対抗ヘゲモニーの構築論と補完しあうものだと言えます。

 以上、四回にわたって「永続革命としてのロシア革命」についてお話してきました。しかし、以上の話はまだ終わりではありません、ロシア革命によって建設されたロシア労働者国家が崩壊した今日の時点に立って、結局ロシア革命とは歴史的にどのような意義を持っていたのかについて明らかにする必要があります。しかし、このテーマは、今年の一一月四日に行なわれるロシア革命一〇〇周年のシンポジウムでお話しすることにします。

 この講座は昨年一〇月一三日に行われたものです。

2.3

アイヌ文化から北方
諸島の問題を考える

結城幸司さん、福本昌二さん招いて

 
「マルクス主義
批判」の論理
 昨年、日本中世史の中で最も有名な事件ではあるものの、その中身についてはなかなか理解が困難な「応仁の乱」をテーマにした呉座勇一による、そのものズバリの書名の「応仁の乱」(中公新書)が公称四〇万部を超えるベストセラーとなった、という。
 一九八〇年生まれの呉座勇一は日本中世史を専門とする若手の学者・研究者で国際日本文化研究センターの助教。戦後日本中世史研究をリードしてきた永原慶二ら「歴史学研究会」系の「マルクス主義的」な民衆運動史観、あるいは「下剋上」史観を正面から批判してきた。彼の視点は、「マルクス主義」から出発しながら、独自の多彩な民衆史観的見地を展開していった網野善彦などとも大きく違っている。
 呉座の「デビュー作」である『一揆の原理』(二〇一二年、洋泉社刊、現在、ちくま学芸文庫で刊行されている)は、戦後歴史学の「主流」と彼が評するマルクス主義的な「階級闘争史観」への嫌悪に貫かれている。彼はそうした立場から「イデオロギー偏向」の戦後歴史学の主流への敵意をむき出しにした、あまりにも「イデオロギー的」な言説を披歴していた。
 ただ『応仁の乱』については、彼のデビュー作に比べればイデオロギー過剰の臭みは消えているが、それでもなお彼の「歴研」系民衆闘争史観への嫌悪は隠しようがない。

「ベストセラー」
になった「謎」
本書『応仁の乱』は、奈良・興福寺の僧である経覚と尋尊の日記を主要な資料としつつ、「応仁の乱」というとても有名でありながら、その経過や全体像、そして結果を説明するのにきわめて困難な、長期にわたる、いったい何のために戦っているのかも分からない「乱」の姿を、さまざまな角度からていねいに追っていることは確かだ。
著者の筆力は相当なものだ。たとえば興福寺につらなる古市胤栄という人物について、風呂を焚いて人々を集め、さらに踊りのための小屋を仮設して一般の人びとから入場料を取って躍らせたことを、同じ歴史学者の安田次郎の言葉を借りて「日本で最初の有料ダンスホール」と紹介していることなど。しかし、なぜこの本がこれほど売れたのかについては、私としては大きな「謎」というしかない。
同時に私は、「古代的権威」への「中世の反抗」が、ついに未完のままに終わったのではないかという、第二次大戦中に書かれた石母田正の『中世的世界の形成』(岩波文庫)の論理に依然として強くひかれていることも、付言したい。(純)

結城幸司さんの講演から

和人はアイヌの
創造力を奪った


 去年から今年にかけて野菜の高騰と魚が取れない話題がニュースとなっている。昨年一〇月の台風と長雨で、ほうれん草、白菜、キャベツ、大根などの地野菜やみかんが育たなくなり、例年の二倍ほどに高騰した。「今や野菜を食べられるのは金持ちだ」と野菜業者の弁。
 そして、漁業もイカ、サンマが記録的な不漁。目黒もサンマ祭りも岩手県宮古市から届けられる七〇〇〇匹のサンマが呼び物だが、北海道産を買って届けたという。シラスウナギも極端な不漁だ。かつてスーパーの安売りの定番であったウナギもいまや高級魚。
 そしてもう一つの安売りの「もやし」も材料の大豆が値上がりしているのに、スーパー側は原価を切っても安売りの目玉にするので、そのしわ寄せがもやし業者にのしかかり、廃業が相次ぐ。炒め物やラーメンに欠かせないもやしも庶民の口から遠のくのか?
 そんな中、心を痛めるニュースがあった。北海道のメロン農家に何者かが除草剤をまき、メロン六六〇〇個をダメにし、一五〇〇万円の損害を与え廃業の瀬戸際に追い込んだ。全国から支援が寄せられ、農家が基金を募り何とか事業の継続をしているという。そして、最近佐賀県の農家の白菜五〇〇個(一五万円相当)が盗まれた。
 時々、こうしたニュースを目にするが一番腹が立つ。数カ月汗水流し、丹精を込めて作り上げた作物を、収穫を前にして奪われた時の農民の暗たんたる気持ちが痛いほど分かる。最もやってはいけない「人の道」に反する行為だ。
 これとは違う話だがビットコインで五八〇億円相当の仮想通貨が流出させられた。世界的な金利ゼロ、金融緩和の政策は市場にマネーを溢れさせ、マネーゲームを誘発させている。仮想通貨は何と六〇兆円規模の市場を作り出している。一ビットコインが一年前は一〇万円であったのが昨年一二月には二〇〇万円、二月二日には九〇万円を割り込んだ。ベンチャー企業が国家の統制を避け、複雑な外国為替の手続きや高額の手数料を逃れるために仮想通貨の社会を成立させた。国家はこれに対して規制し統制をかけ始めている。しかし、大手銀行でさえ、この仮想通貨の手法に参入するという。
 仮想通貨や株は物を作りだすのではなく、バーチャルな世界で「人の欲望」を誘発させることによって成り立っている。コンピュータの発達、グローバルなネットワークの構築はこれを極限まで広げている。資本主義システムの「反人民性」はその行き先をも暗示している。
 ウソをつき人をだまして、政策を貫徹させる「名人」とも言えるのが安倍首相だ。「働き方改革」なる名称で、あたかも労働者のためにやる政策だと喧伝するが、その実態は資本家にとって、もっとも儲けやすくするために労働基準法などの労働者保護法を骨抜きにするものだ。残業代ゼロや派遣労働の五年後に正規化することを骨抜きにし、非正規労働者をますます増やし、正規労働者さえ成果主義のいっそうの強化によってボロボロにされてしまう世界だ。安倍の「賃上げや雇用の創出」という「甘い蜜」の裏には地獄が待っている。安倍の手法を許してはならない。        (滝)


もどる

Back