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    かけはし2018年2月19日号

基地建設を止めるためあらゆる力を


沖縄報告:2月10日

名護市長選の結果は辺野古新基地容認を意味しない

沖縄 K・S

 辺野古を一切語らない自公維の候補が名護市長選に当選するや、安倍は名護市民に「感謝」するとともに「辺野古新基地」の強行を明らかにし、菅は選挙は「結果がすべて」を言い放った。稲嶺市長が三選されれば辺野古は不可能になってしまうところを何とか免れた彼らは安堵しながら本音をさらけ出した。
 辺野古新基地反対の闘いは続く。稲嶺進前市長も一市民として辺野古に基地を造らせないための闘いを続けていくと述べている。沖縄県民の苦しみの元凶たる米軍基地がある限り、いくら一時的に懐柔や恫喝が成功したかのように見えても、決して闘いは止まない。辺野古に新基地は造れない。そして、県民は基地のない平和で安全な沖縄を必ずや手にする。『世界』三月号に北上田毅さんの「辺野古新基地建設はいずれ頓挫する―工事の現状と問題点』が掲載されている。目を通して欲しい。

2.7

辺野古ゲート前行動に150人

3回の資材搬入に身を挺した抵抗をやり抜く

安次富浩さんが
熱烈にアピール
二月七日のゲート前水曜行動は、北部、南部の島ぐるみや平和市民を中心に約一五〇人が集まった。進行の高里鈴代さんは「新基地建設を止める闘いは保守市政の時も海のヤグラの時もやり抜いてきた。選挙結果は残念だが、力を合わせて闘い抜こう」と呼びかけた。あいさつに立った糸満、大宜味の島ぐるみも口々に「選挙結果は新基地容認を意味しない。気合を入れて一一月の知事選まで頑張ろう」と決意を語った。
いつものように九時前に第一回目の座り込み排除と資材搬入が始まった。ゲート前の座り込みは警察機動隊のゴボー抜きに最大限の抵抗を行なうが、力のある機動隊員にひとりずつはがされ歩道上のオリに運ばれていく。大小の砕石、砂などを満載したダンプやコンクリートパイルを積んだトラック、多数の生コン車などが基地内に進入し資材を下ろして出てくるまで1時間余り、工事用ゲート周辺で激しい抗議が行われた。
安次富さんが市議選に向けたアピール。
そのあとテントに移動し集会を続けた。ヘリ基地反対協の安次富浩さんは「今日海上に抗議船三隻とカヌー九艇が出ている。今度の選挙は警察からの公選法規制の圧力が強かった。ノボリはダメ、ハンドマイクもダメ。パトカーがついてきて公選法違反の恫喝をする。管理されたヤマトの選挙方式が持ち込まれた。それもわが方だけ。相手のノボリはいたるところに立っている。選挙に負けたが闘いに負けたのではない。市議会は野党になるが、新市長の公約である、海兵隊の沖縄からの移転、を追及していく。九月に市議選がある。現在は一人多いこちらが議長を出しているので採決は同数になり議長採決で決めている状態だ。必ず多数をとる」とアピールした。
テントでは、稲嶺進市長のお兄さんが手作りでつくった甘酒がふるまわれた。一年に何回あるかどうかという一〇度を割り込む冷え込みの中で有り難い差し入れだ。また水曜恒例の元衆院議員の古堅実吉さん差し入れのバナナが配られ
た。

南風原がジュゴンの帽子をかぶって登場
島ぐるみ南風原の一〇人はそろって、手製のジュゴンの帽子をかぶって前に立ち「大浦湾にはジュゴンが似合う。命をつないできた海をつぶすのはもったいない」「私は大浦の出身。稲嶺さんの所とは幼馴染だ。負けない。あきらめない。頑張る」「振興策に負けた。お金に負けた。選挙のあとダンプの数が増えたが、違法工事に変わりがない」などと口々にスピーチした。島ぐるみ八重瀬は「土曜日のゲート前で稲嶺市長が言っていたように、今度の選挙で勝てば、相手は三度目のダウンでノックアウト。辺野古も決着がついた筈だ。そのチャンスを逃がしてしまったのは残念だが、これからまた新たな回の闘いが始まる」と述べた。
一二時前からの二回目の強制排除・資材搬入は一時間半近くかかった。選挙で勝って調子づいているのか、月火水の資材搬入は三〇〇台前後に拡大した。安倍官邸・沖縄防衛局は「六月にも土砂投入」と打ち出し始めている。いよいよ土砂投入に向けた全面対決だ。それまでに沖縄県の「承認撤回」を実行し、島ぐるみの各地域のすみずみから、全県全国から力の限り現場に結集し、不法な埋立て工事を止めよう!

退任式に500人「稲嶺市長、ありがとう」
ゲート前行動のあと、名護市役所で稲嶺進市長の退任式が行われ、五〇〇人にのぼる市職員・市民・県民が稲嶺市長の慰労と感謝のために集まった。この日の朝も日課となっている小学校の交通安全指導に立った稲嶺市長は「心残りは辺野古の問題。子供の未来のため、名護市のため、新基地建設は百害あって一利なしだ。今後は一市民としてかかわっていく」とあいさつした。最後にみんなで胴上げをして二期八年の業績をたたえ慰労した。集まった市民は涙に濡れた真っ赤な目で「お疲れさま。ありがとう」と繰り返した。

2.4

『沈黙は破られた』上映会に150人

アルゼンチン軍事政権の犠牲者にウチナーンチュもいた

長い間語られてこなかった歴史の扉が開けられた
二月四日、南風原文化センターで、一九七六〜八三年のアルゼンチン軍事政権のウチナーンチュ犠牲者など遺族の証言で構成するドキュメンタリー映画『沈黙は破られた―一六人のニッケイたち』(アルゼンチン、二〇一五年公開。監督:パブロ・モジャーノ 原案:カリーナ・グラシアーノ)が上映された。主催は実行委員会と沖縄NGOセンター。沖縄キリスト教学院大、名護市に続く三度目の上映会となった。会場ではアルゼンチンのマテ茶とチェロスという名のお菓子のセットが一〇〇円で販売され、多くの人が味わいながらはるか南米の人びとの暮らしに思いをはせた。

アルゼンチン日系移民の大半を占めるウチナーンチュ
沖縄は日本で有数の移民県だ。現在世界のウチナーンチュは約四〇万人いるというが、その中の半分以上が住むのが南米である。沖縄県民の移民の始まりは一八九九〜一九〇〇年にハワイに移住した二六人だった。明治政府による琉球併合によって本土一体化が進み社会経済の構造変動で生活基盤を奪われた人々は海外移民に活路を求めた。謝花昇を中心とした自由民権運動・県政民主化運動が敗北し運動の同志が海外移民に取り組んだことも力となった。一九三〇年代には日本の南洋進出に伴い国策として県民の南洋移民が進められた。また、戦後の米軍政下の基地建設による土地強制収用で暮らせなくなった農民が波状的に南米に渡っていった。
ウチナーンチュがアルゼンチンに最初に足を踏み入れたのが一九〇九年というので、すでに一〇〇年以上の歴史を有することになる。気候、言葉、文化、生活などすべてが異なる地球の裏側の国でその土地に根付くために奮闘し続けてきた人々の努力を思わざるを得ない。アルゼンチンの日系人は約五万人、アルゼンチン全体の人口の約〇・一%にすぎないが、そのうち七割が沖縄系と言われる。沖縄を主とする日系人は圧倒的なマイノリティ―なのだ。その中で日系社会は「大人しく、従順、勤勉、誠実」を規範とするモデル・マイノリティーという選択をしたのだった。

明るみに出た軍事政権の拉致・拷問・殺害
時代が変わると人々の意識も変わる。二世の世代はアルゼンチン社会に溶け込み活動するようになっていった。一九七〇年代、チリ・アジェンデ政権に対するクーデターを皮切りに南米各国で親米軍事政権が成立し、アルゼンチンでも一九七六年、ビデラ陸軍総司令官が大統領になり、史上最も凄惨な独裁体制といわれる軍事政権が一九八三年まで荒れ狂った。左翼ゲリラ掃討を名目にした苛烈な弾圧政策で、多くの人が拉致、拷問、殺害などにあい、行方不明者が続出した。大半が二〇代の若者で、教師、ジャーナリスト、一般人、学生らが拉致・監禁・拷問のあとその場で殺されたり、軍用機に乗せられて海に投下され殺害されたりしたことが後の民主化政権の下で明るみに出た。
行方不明者の母親たちを中心に結成された人権団体「五月広場の母たち」「五月広場の祖母たち」によると、犠牲者は三万人以上。今だにどこで殺されたかさえ分からず遺骨もない不明者が多いという。また、逮捕された女性が生んだ乳児を軍が組織的に奪い養子にする略取が多発。妊婦は出産を待って殺され、子供は「左翼思想に染めないため」軍人家庭に引き取られたという。その数は五〇〇人以上にのぼるとのことだ。

沈黙を破り真相究明に立ち上がった遺族たち
映画は、一六人の日系人行方不明者の遺族の「クリーニング店で仕事中現われたトラックの人に連れていかれた」などのインタビューで進行する。ホルヘさんの中村家、リカルドさんの大工廻家、フリオさんの具志堅家、ノルマイネスさん・ルイスさんの松山家、オラシオさんの具志堅家、フアンさんの安里家。姓で分かる通りほとんど沖縄の人たちだ。具志堅オラシオさんは一九七八年労働者だった二一歳の時に失踪、二〇〇四年に無縁墓地に埋葬されていた遺骨のDNA鑑定で身元が判明した。後頭部に銃痕のような二つの穴があったという。オラシオさんの父親は一九三〇年代に宜野座村から移民、苦労して二男二女を育てた。一九七八年に織物工場で働いていた時行方不明になった具志堅フリオさんは二〇一四年、軍政下で収容所だったところの遺骨のDNA鑑定で明らかに。
長い間、県系社会でのタブー視が続いた。受け入れてくれた国に対する感謝、家族の恥という意識が強い中、時が経つにつれて人々は真相究明の声をあげ始めた。オラシオさんの兄ルイスさんは「最後の一人まで行方不明者を探してすべての責任者を裁いて欲しい」と訴えている。ビデラ元大統領は裁判で終身刑を受けその後死んだのをはじめ、拷問や殺害に関与した約二五〇人の軍人などが裁判にかけられ有罪判決を受けた。真相究明はまだ半ばだ。

県内5会場で上映とトーク

ドキュメンタリー映画『異なる世界』


韓国の二人の青年による「ハンコンギ・プロジェクト」が制作したドキュメンタリー映画『異なる世界』が二月九日から四日間、糸満市、東村高江、名護市、宜野湾市など県内五カ所で上映された。この映画は二〇一五年秋から翌年にかけて、台湾―沖縄―韓国各地をつなぐ八八日間の自転車旅行をしながら人々の生活と未来について考えた二人の青年の物語だ。ハンコンギとは、一宿一飯の一飯。映画は二人が各地で出会った多くの人々の姿や生活そして国家の大きな力の理不尽を描く。
台湾で脱核運動をする人々、与那国、高江、辺野古で自衛隊・米軍基地建設に反対する人々、海軍基地建設の韓国チェジュ道の人びと、ミリャンの高圧送電塔、原発地区の住民、セウォル号沈没の真相究明を求める犠牲者遺族たちの元を訪れる映像は点と点を結びながら人々の姿と二人の省察を照らし出す。映画の題名の「異なる世界」とは、自分たちの住んでいる日常とは「異なる世界」との意味でもあり、また逆に「同じ世界」では、と問い返す意味もある。
寒さの中懸命に自転車をこぐ二人の姿や対話、住民の姿を見ているうちに自然と国境や地域は意識されなくなり、すべて自分たちの所で起こっていることのように感じられてくる。同じように直面する東アジアに生きる人々。映画を見終えて心の中に広がってくるのは人々のつながりとあたたかな連帯の気持ちだ。

 


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