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    かけはし2018年2月26日号

「自衛隊南スーダンPKO派遣差止訴訟」の意義


投稿

たじまよしお(長野県)

現職自衛隊員
母親の思い


一昨年、南スーダンPKO派遣の自衛隊の日報の隠蔽が大きな問題になりました。元公文書管理担当大臣の河野太郎さんが防衛省担当者に「電子データすら残っていないのはおかしい」と再調査を求めたことから日報の存在が明るみにでてきて、それをレイバーネットの会員の方が私のパソコンに送信してくださり感謝。このことと関連して、自衛隊・南スーダンPKO派遣差止訴訟の裁判記録をネット上で検索して、びっくりしているところです。
 この裁判はあまり広くは知られていないという記述がみられ、公判資料など読み進めるうち、一人でも多くの仲間に知ってもらいたい、知らせるべきだという衝動に駆られているところです。この訴訟は、現職自衛官の母親が、南スーダンPKO派遣の実態と違憲性を正面から問題にしている全国で初めての裁判です。そして南スーダンで非常に危険な状態に置かれている自衛隊を撤退させるために自衛隊員の家族が原告となっているのです。この点で、安保法制の発動差止と違憲確認を求めている「安保法制違憲訴訟」とは目的も性格も異なって(弁護団陳述)います。
 南スーダンの自衛隊は二○一七年五月二五日に全隊員は帰国したとされていますが、司令部要員派遣は継続したままで、さらに二六人が現地にとどまっているという情報もあります。この訴訟の被告である国は南スーダンの自衛隊は撤退したのだからこの訴訟を取り下げろと、原告側に言ってきているそうですが、公判資料などを読み進めますとそれがとんでもない言いがかりであることがよく理解できます。原告の平和子(たいらかずこ)さんの意見陳述などは、たとえ自民党の支持者であっても涙なしには読めないでしょう。
 そして弁護団による「準備書面(三)平和的生存権の具体的権利性ー被告主張に対する批判 二○一七年五月二六日」の論理の緻密さにはただ驚かされるばかりで、その一部を以下に紹介します。

平和のうちに
生存する権利


「憲法前文に『平和のうちに生存する権利』と表現される平和的生存権は、たとえは゛、『戦争と軍備及ひ゛戦争準備によって破壊されたり 侵害ないし抑制されることなく、恐怖と欠乏を免れて平和のうちに生存し、また、そのように平和な国と世界をつくり出していくことのて゛きる核時代の自然権的本質をもつ基本的人権て゛ある』なと゛と 定義され、控訴人らも『戦争や武力行使をしない日本に生存する権利』、『戦争や軍隊によって他者の生命を奪うことに加担させられない権利』、『他国の民衆への軍事的手段による加害行為と関わることなく、自らの平和的確信に基つ゛いて平和のうちに生きる権利』、『信仰に基つ゛いて平和を希求し、すへ゛ての人の幸福を追求し、そのために非戦・非暴力・平和主義に立って生きる権利』なと゛と表現を異にして主張するように、極めて多様て゛幅の広い権利て゛あるということ か゛て゛きる」。
「このような平和的生存権は、現代においては憲法の保障する基本的人権か゛憲法の基盤なしには存立し得ないことからして、全ての人権の基礎にあってその享有を可能ならしめる基底的権利て゛あるということか゛て゛き、単に憲法の基本的精神や理念を表明したに留まる ものて゛はない。法規範性を有するというへ゛き憲法前文か゛上記のとおり『平和のうちに生存する権利』を明言している上に、憲法九条か゛国の行為の側から客観的制度として戦争放棄や戦力不保持を規定し、さらに人格権を規定する憲法一三条をはし゛め、第三章か゛個別的 に基本的人権を規定していることからすれは゛、平和的生存権は、憲法上の法的な権利として認められるへ゛きて゛ある」。
前述のものは名古屋高裁で確定した平和的生存権を認める判決文を「準備書面(三)」に引用しているその一部ですが、この準備書面はさらに百里基地訴訟最高裁判決、岡山地裁判決などを鋭く分析して厚みをもたせています。

名古屋高裁
判決の重み


名古屋高裁の判決とは二○○八年に、自衛隊イラク派兵差止訴訟の会が名古屋高裁でかちとったものです。この判決は「大きな衝撃を日本と世界にもたらしました。海外のメディアでも各国主要新聞が取り上げ、ロイター通信でニューヨークタイムズやワシントンポストなどが「unconstitutional」(憲法違反)と伝えました。それ以外でも五〇以上の記事が見つかりました。英語圏以外の記事は何が書いてあるかさっぱりわかりませんが、NagoyaとIraqとArticle 9くらいはわかり、アルジャジーラなどのアラブ圏でも記事は配信されていました(自衛隊イラク派兵差し止め訴訟全記録P117)」。私はこの「訴訟全記録」をここ何日かかけて読みとおしたところですが、すっかりいろんなことを考えさせられました。
自衛隊南スーダンPKO派遣差止訴訟の訴状(二○一六年一一月三○日)P17に、二○一一年一一月一五日政府(野田内閣)(自衛隊南スーダンPKO派遣)実施計画を閣議決定し、派遣を決定。そして二○一二年一月第一次隊を派遣(約二四○人/CRF一部北部方面隊)それから二○一六年一一月 第一一次隊(東北方面隊)を派遣までが一覧表みたいになっていて、その間に二○一六年三月 安保関連法(改正PKO法)施行となっております。これを見て思ったことは、改憲へのステップとして数多くの海外派兵の既成事実をどんどん積み重ね、究極的に憲法改悪の発議がだされるという段取りになっているということです。ここで自分自身の反省として、閣議決定や派遣の都度なぜ、メールや葉書などで抗議の意思表示をしてこなかったかということです。
二○一二年から次々南スーダンへ自衛隊が派遣されて、改憲に向けての既成事実が積み重ねられていたというのに、自分は一体何をしていたのでしょうか。自衛隊南スーダンPKO派遣差止訴訟の公判資料は、今後の自分の生き方に指針を与えてくれます。

丸腰で放り出
される隊員


原告の平和子さんの意見陳述(二○一七年二月二一日)に「戦場救護のための止血帯や消毒液なと゛の救急装備品は、米軍はし゛め他国の兵士 か゛ひとりひとりに二○品目持たされているのに対し、自衛隊はほんの七、八種類て゛、戦場救護の教育もなく、まさに比へ゛ものになりません。このようなほほ゛丸腰の状態て゛戦地に放り出される隊員か゛不憫て゛なりません。政府の人権蹂躙そのものて゛す」とあります。
「南スーダン派遣施設隊 日々報告」の自衛隊の宿営地のあったジュパ市内の治安の状況の項目の中に「宿営地周辺における射撃による流れ弾等に注意が必要」という記載が毎日毎日判で押されたように記されています。そして宿営地で一五分間に三〇発の銃声を聞いた、という箇所も目にしました。
まさに戦場そのものです。道路の補修の工事現場などで隊員が銃撃された場合など、その場で止血の手当てをしなくてはならないのに、その備えも極めて不十分ということです。応急手当の教育も受けていないということです。
この点については「差止訴訟」の「準備書面(6)」に戦場医療・教育に詳しい照井資規さんの論考をもとに記述されていますので、是非とも目を通して下さい。平和子さんは二〇万円の損害賠償を請求していますが、これが認められますと自衛隊員の家族は一人二〇万円を請求する権利が派生することになります。そして自衛隊員本人はもっと高額の損害賠償を請求することができ、私たち一人一人もなにがしかの金額を請求できることになりませんか。そうなったら憲法改悪どころの話ではなくなり体制の屋台骨をゆるがすことになりませんか。原告の意見陳述・弁護団の訴状などの行間からは、溢れるような信念が伝わってきます。自衛官の人権問題に長年向き合ってきたことから滲み出てきている確信であるように思います。是非とも裁判資料などに目を通されることをお勧めします。

2.9
韓国の兵役拒否者に聞く集会
「徴兵制」は何のため?
平和実現の意味を問う

 
 【大阪】二月九日、実行委員会主催で、しないさせない戦争協力関西ネットワーク・戦争あかん!ロックアクションなど五団体が賛同する、韓国の兵役拒否者に聞く集会がエルおおさかで開かれた。一三〇人の人びとが参加した。呼びかけ人代表の一人、水戸喜世子さん(子ども脱被ばく裁判の会共同代表、支える会西日本代表)が開会のあいさつ。水戸さんは、この集会を持つに至った経過を簡単に説明し、とにかく兵役を拒否した韓国の若者の話を聞いて勉強しようと述べた。
 はじめに、藤井たけしさん(韓国の成均館大学・梨花女子大学講師)とアキ・アンさん(徴兵制廃止のための市民の会ソウル支部長、ミュージシャン)が問題提起をした。

韓国における
徴兵制の歴史
韓国で徴兵制が敷かれたのは一九四四年のことで、太平洋戦争の末期になって日本軍に徴兵された(徴用は別に行われていた)。それまでは、銃を渡したら何をするかわからない、どこに銃を向けるかわからない輩には銃は渡せなかった。当時の朝鮮人には国民国家の意識は希薄だった。
この「国民化」の不徹底は、分断国家という形で独立国家が形成された以降も継続した。一九四八年八月大韓民国政府がつくられ、一九四九年六月に米軍が全面撤退した後の八月、兵役法が公布された。当時は植民地時代の徴用と徴兵の記憶からくる反感のせいで、全国的な実施はできなかった。
一九五〇年一月に徴兵検査が実施されるが、当時は米軍の意向で、韓国軍は一〇万人に制限されていた。三月には陸軍本部に設置されていた徴兵担当の兵務局も廃止された。しかし、六月朝鮮戦争の勃発後に米軍は帰還してくる。
戦争で、韓国軍はほとんどの人力と装備を失った。それを挽回すべく、路上で若者を拉致入隊させる「街頭徴集」が行われた。本格的な徴兵制度が確立されるのは、戦争が膠着状態になった一九五二年九月のことだった。朝鮮戦争の前は約一〇万人だった韓国軍が、戦争が休戦する頃には六〇万人規模になっていた。

クーデターと
兵役法の改正
休戦が成立し戦火は止んだが、徴兵はその後も続けられた。一九六一年軍部のクーデターが発生し、兵役法が全面改正され、兵役忌避者を厳罰に処すこと、忌避者を雇用した者も処罰することが明記された。また選挙法の改正により、忌避者には二〇年間被選挙権を剥奪することが明記された。
徴兵忌避者が大きな問題にされた時期は、一九六三年、一九六七年だった。一九六七年に国防部は兵役忌避している学生を除籍するよう大学に要請し、それをしない場合は兵役法違反で大学総長を刑事告発するという恫喝をかけた。これは学生運動の昂揚に対する対応だったが、このやり方は八〇年代の「緑化事業」という名で全国化した。
当時の軍隊生活はどのようなものだったのか。新兵訓練所で情報伝達をする時は、伝達兵にわざと間抜けな者を起用する。当然命令がきちんと伝達されない。それによって新兵たちを殴る口実ができる。このようなやり方は戦闘訓練と何の関係もない。暴力を通して上下関係をたたきこむためであった。
逆説的だが、軍隊は戦争から切り離されたときに有効な社会統制手段になる。韓国における徴兵制は戦争のためのものではなく、軍隊は支配秩序を維持するためにある。軍隊への批判は漠然と「平和」を主張するものであってはならない。現在韓国軍の内部で暴力が蔓延しているのも、そう簡単に戦争は起こらないことがわかっているからだ。軍隊批判は、どのような取り組みとなるべきなのか。

「民主化」でどう
なったのか?
民主化以降も、北朝鮮との対立を背景に反共イデオロギーと軍事・安保の分野はほとんど変化がなかった。韓国の徴兵制度は旧日本軍の精神をそのまま受け継いだもので、米軍の影響を受けていても大きくは変わらない。初期の韓国軍首脳部は日本の関東軍と海軍陸戦隊の出身だった。最近出版された『下級将校の見た帝国陸軍』(山本七平著)を見ると、驚くほど韓国軍に似ている。
一九九〇年以来、韓国はベビーブームが終わって人口が減少し、韓国六〇万人の大軍を補充する男性の人口数が減少している。そのため、国防部は徴兵検査基準を下げて、検査の対象者を増やそうとしている。その一環として、補充兵役対象者と免除者さえ徴兵の対象に含めている。ほとんどの若者は徴兵制度による軍隊を当たり前に受け入れている。
韓国の徴兵制は東アジアの軍縮を悪化させ、その障害になる。それは、「日本が忘れていた古い過去」である。東アジアのためには、廃止すべきだ。徴兵制が日本で復活することはないだろうが、過去と同じ国家動員システムが復活したらみなさんはどうするか?

「軍隊のない
平和な世界」へ
続いてキム・ソンハさん(日本のベ平連運動の研究家・東京在住)、アン・ジフヮンさん(兵役拒否・二〇一一年〜一二年収監、映画ディレクター)、チェ・ジョンミンさん(九〇年代からの幅広い平和運動活動家)が先ほどの二人に加え登壇し、古橋さん(関西共同行動)の進行役でクロストークがあった。
兵役拒否事件ではここ三年間、無罪判決が出されており、違憲審査も憲法裁判所で進行中である。
およそ八〇人の拒否者が確認されている。予備軍期間である八年にわたって裁判にかけられ、罰金を科せられ、繰り返すと実刑を受けなければいけない。最近は、兵役拒否問題の他、武器取引問題に取り組んでいる。
質疑応答は省略する。最後に中北龍太郎さん(呼びかけ人代表)が閉会のあいさつをし、軍隊のない平和な世界をめざし、九条改憲を止めるためガンバロウとまとめをした。 (T・T)

 




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