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    かけはし2018年3月5日号

大阪地裁で格差是正判決勝ち取る


郵2.21

政労契法20条西日本裁判


【大阪】郵政労契法二〇条西日本裁判(内藤裕之裁判長)の判決が二月二一日大阪地裁であり、郵政産業労働者ユニオン・労契法二〇条郵政西日本裁判原告が勝訴した。大阪地裁(内藤裁判長)は、昨年九月一四日の郵政労契法二〇条東日本裁判判決を上回る是正判決を出した。

勝利への扉を大きく
広げた画期的判決
労働契約法改正は、民主党政権下の二〇一二年八月一〇日に公布された。改正の内容は「有期雇用契約」についての規定の新設だ。その新二〇条の条文は、同一の使用者に雇用されている正社員と有期契約労働者の業務内容・責任の程度・配置の変更を考慮して、労働契約内容に「不合理な差異」があることを禁じている。
西日本訴訟は一四年六月三〇日、八名の原告(豊中、吹田千里、垂水、灘、広島中央の各郵便局)により日本郵便株式会社を被告として大阪地裁に提訴された。請求内容は手当や休暇の格差是正、具体的には、@外務業務手当(無支給)、A郵便外務業務精通手当(無支給)、B年末年始勤務手当(無支給)、C早出等勤務等手当(正社員と比較し低額支給)、D祝日給(無支給、三五%の割増のみ支給)、E夏季年末手当(きわめて大きい格差)、F住居手当(無支給)、G扶養手当(無支給)、H夏季冬期休暇(付与されず)、I病気休暇(期間雇用社員には一〇日間の無給休暇)の格差是正による請求債権の原告への支払いである。
請求期間は、@とAは二〇一二年四月から一四年三月(その後この二つの手当は廃止)、その他は二〇一二年四月から二〇一六年三月となっている。

闘うことで違法な
格差を突き崩せる
大阪地裁の内藤裁判長は、大阪医科歯科大学の契約労働者が訴えた裁判でひどい判決を出した評判の裁判官で、郵政西日本の裁判でも悪い判決が出るのではと心配されたが、予想に反して、原告勝訴の判決が出た。諸手当のうち、B・F・Gを不合理と認め、是正命令を出した。また、東京地裁が不合理と認めた病気休暇、夏季冬期休暇については具体的判断を避けた。
是正命令の内容は、B年末年始勤務手当(東京地裁は正社員の八割支払い、大阪地裁は一〇〇%支払い)、F住宅手当(東京地裁は正社員の六割支払い、大阪地裁は一〇〇%支払い)、G扶養手当(東京地裁はふれず、大阪地裁は一〇〇%支払い)の是正による計三〇四万五四〇〇円の損害賠償を命じた。
裁判終了後、近くの中之島中央公会堂で報告会が開かれ、二〇〇人の支援者が参加した。扶養手当の一〇〇%支払い命令について、裁判長がこの手当を生活保障給とみなし、職務の違いにより区別する理由がないと判断したことを高く評価する発言が原告や弁護士からあった。
今国会で働き方改革が審議され春闘が闘われている中、この判決が与える影響は小さくない。もうひとつ言及しておきたいのは、法律ができたからと言って、その精神に基づいて国や企業が自主的に現状を是正するわけではないということである。違法状態はそのまま放置されている場合が多い。それを是正するには闘いが不可欠だということだ。そのことを改めて痛感した。この裁判は、東京の方は控訴審に移っていて、東京高裁で四月一九日に結審する。大阪でも控訴審に継続されると思われる。         (T・T) 

「明治150年」キャンペーン批判(2)

歴史観をめぐる闘いだ

改憲阻止の闘いを通して挑戦しよう

「明治」賛美の欺瞞

 一昨年(二〇一六年)一二月二六日、「明治150年」関係施策各省庁連絡会議は、「『明治150年』関連施策の推進について」という文書を発表した。
 同文書は「基本的な考え方」として@「明治以降の歩みを次世代に遺す」、A「明治の精神に学び、更に飛躍する国へ」から成っている。
 @の中身は、「明治」の特質を「近代化に向けた歩みを進めることで、国の基本的な形を築き上げていった」時代と捉えることである。ここでは「『明治150年』を機に、明治以降の日本の歩みを改めて整理し、未来に遺すことによって、次世代を担う若者に、これからの日本の在り方を考えてもらう契機とする」ことが強調されている。
 Aはどうか。「明治の精神に学び、更に飛躍する国へ」という表題だ。ここでも「明治」への全面賛美の姿勢が表面に出ている。
 「明治期においては、従前に比べて、出自や身分によらない能力本位の人材登用が行われ、機会の平等が進められた」「また、この時期においては……和魂洋才の精神によって、単なる西洋の真似、ではない日本の良さや伝統を活かした技術や文化が生み出された」「こうした明治期の若者や女性、外国人などの活躍を知ることや、当時の技術や文化に触れることは大変有意義なことである」。
 「ついては、『明治150年』を機に、国内外でこれらを改めて認知する機会を設け、明治期に生きた人々のよりどころとなった精神を捉えることにより、日本の技術や文化といった強みを再認識し、現代に活かすことで、日本の更なる発展を目指す基礎とする」。 
 これが「明治150年」の基本認識だ。ここには「明治維新」以後の近代日本史と切り離すことができない朝鮮、中国などへの侵略戦争と植民地支配への批判的指摘は、言うまでもなく一言も出てこない。

安倍施政方針演説の中身は


 本紙二月一九号に紹介した「明治100年」式典についての当時の佐藤政権の認識は、総じて「一〇〇年の歩み」を肯定的に評価する一方で「B過去の過ちを謙虚に反省し」とか「C百年間における他に類例を見ない発展と現在の繁栄を評価しながらも、他面、高度の物質文明が自然や人間性を荒廃させている現実を憂慮して、その是正の必要性を痛感し」などという言葉も入っていた。侵略戦争とそれがもたらした惨禍、植民地支配、言論・人権弾圧の体験、そしてまた「高度成長」がもたらした「公害・環境破壊」などへの批判と抵抗は、過去と現在の忘れがたい現実として、多くの人びとが共有するところだった。
 もちろん現実の「一〇〇年式典」への抗議と批判が、当時の新左翼系の運動の中ではきわめて弱かったことは確かだ(故中村丈夫氏がリーダーであり「グラムシ派」と言われた旧社会主義労働者同盟―共産主義学生同盟系の人びとが編集している「置文21」四〇号(本年二月発行)は、「一〇〇年式典」の会場だった日本武道館に向けて、当日の一九六八年一〇月二三日、東京教育大全学闘と共学同の部隊が、新左翼系として唯一デモを行ったことを紹介している)。
 私たちは、なんのてらいもなく「明治150年」の「栄光」を賛嘆してやまない安倍の施政方針演説の在り方の中から、私たちが改憲阻止の闘いを通じて挑戦しなければならない課題とは何かをつかみ取っていく必要がある。

明治の「栄光」を追求?


 安倍首相の施政方針演説は、本紙二月五日号一面の「施政方針演説批判」で述べたように、明治新政府軍に対して「会津白虎隊」、すなわち「賊軍」として闘い敗北したものの、その後、東京帝大総長にまで上り詰めた山川健次郎のエピソードから始めている。
 「明治」という時代は、「敗軍」の若者でも本人の努力と才能によって大きな可能性が与えられる新しい息吹に満ちた時代だった、と言いたいのであろう。
 しかし、安倍が参拝を繰り返してきた靖国神社内部では、いまこうした安倍「施政方針」のポーズをひっくり返す事態も起きている。
 毎日新聞一月二四日付に掲載された靖国神社の徳川康久宮司が、定年前に退任せざるをえなくなったという記事がそれを伝えている。徳川康久宮司は「最後の将軍」徳川慶喜の曾孫。二〇一六年の共同通信インタビューで「会津藩士や西郷隆盛ら『賊軍』の合祀の動きを誘発した」と靖国神社の元総務部長が批判した。
 徳川宮司は共同通信のインタビューに対して、戊辰戦争に関し「幕府軍や会津軍も日本のことを考えていた。ただ、価値観が違って戦争になってしまった。向こう(明治政府軍)が錦の御旗を掲げたことで、こちら(幕府軍)が賊軍になった」と述べた。この発言を受けて、亀井静香元金融担当相が、幕府軍や会津藩の将兵、さらに西南戦争で死亡した「賊軍」とされた人びとを靖国神社に「合祀」するよう申し入れたのに対し、徳川宮司がはっきりと否定せず、「合祀に含みを持たせた」として批判され、退任のやむなきにいたったというのだ。
 安倍首相本人の姿勢も、靖国神社の徳川宮司を批判した元総務部長と本音のところでは大して変わらない。「戦後七〇年」の二〇一五年に山口県に里帰りした安倍は、初代の首相は長州出身の伊藤博文、「明治五〇年」(一九一八年)の時の首相は長州軍閥出身で「米騒動」への大弾圧を行った寺内正毅、一〇〇年(一九六八年)の時は叔父の佐藤栄作、そして「一五〇年」は私、と「長州閥」の正当性をアピールしたそうだ。
 まさに安倍にとって「明治一五〇年」の歴史認識は、「明治維新」以来の「大日本帝国」の栄光の切れ目のない延長線上に、「大国日本」のこれからを展望するものではないのか。普通に考えればアナクロニズムそのものだが、あらためてそれをきちんと批判する言論と運動こそが必要なのだ。それぬきには「改憲プログラム」の中に「明治一五〇年」の「栄光」を刻み込もうとする動きを加速させてしまう。      (純)


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