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    かけはし2018年3月12日号

これでは汚染を拡散するだけ


放射能汚染廃棄物の焼却処分

宮城からの報告

後手後手の対応と
地方自治の否定


 昨年末ぎりぎりの一二月二七日、村井宮城県知事は、焼却処分を計画している四自治体の首長(大崎、石巻、仙南、黒川圏域の広域行政事務組合理事長も兼務)を呼び出し、進まない福島第一原発事故で放出された放射能で汚染された廃棄物(稲わらなど)の焼却処分について、「燃やせるところから実施する」ということを確約させた。
 宮城県の指定廃棄物最終処分場建設計画は、特定の地域に犠牲を強いるものとして、環境省が先頭に立って強引に推し進めようとしてきたが、候補地の町長と住民運動、県内の候補地を支援する運動で阻止され、「候補地返上」に追い込まれた。
 村井宮城県知事は、この行き詰まりのなか、8000Bq/kg以下の放射性物質汚染廃棄物の「一斉焼却」の方針を打ち出した。県内の首長を集め決定機関でもない「市町村会議」なるものを開催して、「一斉焼却」の合意を取り付けようとしたが、その提案は同意が得られず、昨年の六月一八日に「一斉焼却」断念、七月一五日での市町村会議では、「圏域ごとで処理する」ことを確認するにとどまった。
 「一斉焼却処分」が打ち出されると県内各地に焼却処分に反対する住民団体が発足し、全県的な運動の連携をはかる連絡会も作られた。焼却処分計画を打ち出している四圏域(仙南、黒川、大崎、石巻)のうち、仙南圏域と黒川圏域は、今年度の焼却処理費用を予算化していたものの、焼却場周辺や埋め立て予定地(一般廃棄物最終処分場)周辺の住民の反対や県内の連携した闘いのなかで実施できないできたのである。この状況を打開するために村井県知事は、一二月二七日の焼却処分を四自治体に絞って押し付けてきたのである。一カ所で焼却を実施すれば、それを引き金に他の圏域も動き出すようになろうという魂胆であることは明らかだ。
 石巻市は今年に入り、焼却処分場周辺や埋め立て予定の処分場周辺への説明会を急ぎ開催し「一定の理解を得た」として来年度予算案に二億四八〇〇億円の焼却処理費用を計上した。最初から結論ありきの説明会だったことが明らかになった。「保管農家の苦悩を考えると早期の処理が必要だ」と、行政の責任で厳重に保管しなければならなかったものをこの七年間放置しておきながら、焼却処分に反対する住民と対立させる手法で処理を急ぐのは本末転倒である。
 一方、仙南圏域の広域行政事務組合理事会では三月からの試験焼却を実施することを決めるなど動き出した。大崎市は、焼却処分を推進する立場だが四月に市長選があり、争点化を恐れたのか焼却処理費用の来年度予算計上は先送りしたが、選挙が終われば補正予算を組んでくることも考えられる。この様に焼却処分に反対する運動は正念場を迎えている。

焼却処分は女川原発
再稼働への露払い

 焼却処分を進めようとする宮城県やそれに追従する自治体は「放射性物質汚染対処特別措置法」が基準だとして「安全で危険のない処理ができる」としている。特措法は、放射能管理の原則を覆してクリアランスレベルを100Bq/kgから8000Bq/kgに拡大、東電を救済、免罪する内容になっており、さらに公害の原則である原因者責任を覆し、被害者である住民と自治体にその解決を押し付けるというものである。
宮城県知事が急ぐのには、二〇一六年度の後半に東北電力が目論む女川原発2号機の再稼働がある。知事は、「再稼働は国が決めること」と争点化を避け、原子力規制委員会の適合性審査の合格が出ればそれを追認する姿勢だ。宮城県の同意、立地自治体(石巻市、女川町)の同意などが予想されるなかで、宮城県から言えば焼却処分問題はその露払い的なものなのであろう。8000Bq/kg以下が焼却出来たら、8000Bq/kg以上の「指定廃棄物」の焼却にも道が開けることになるのは明らかだ。
宮城県内では女川原発2号機再稼働を止めるための新たな県民運動を模索しているが、こちらも正念場を迎えている。再稼働や焼却処分問題を争点に展開された昨年の宮城知事選の闘い、焼却処分反対運動などを通して新たな運動も生まれている。生活の場から発する声と新たな運動に依拠して「燃やさせない」取り組みを進めていく。 (H)

福島原発事故から7年

避難指示解除と帰還の強制

2つの著作の紹介


支援打ち切りと
復興キャンペーン
 今年の三月には昨年九月に避難指示が解除された楢葉町の住民に対する住宅支援の打ち切りが予定され、そして富岡駅周辺及び楢葉町で商業施設が建設されるなど町の再編整備が急ピッチで進行している。
 東日本大震災復興基本法に定める復興期間一〇年のうち七年が経った。3・11では一〇〇〇年に一度の津波地震と複数原発の事故が同時に発生した。そして多くの住民が生活と権利を奪われその回復は未だ進行せず、逆に侵害と切り捨てが進行していると考えざるを得ない事態が進行している。
 昨年一一月時点で五万三
〇〇〇余の県民が避難生活を余儀なくされている。こうした避難者にたいして県は帰還の強制という分断攻撃をしつつ避難指示解除を強行している。こうした攻撃に対して如何なる視点から対抗するのか?
 対抗する視点を獲得するために以下の二点の著作の紹介をしたい。
 第一には『自治体再建』―原発避難と「移動する村」(ちくま新書)であり第二に『福島インサイドストーリー』(役場職員がみた原発避難と震災復興)―公人の友社、で著者は共に今井照=いまいあきら(公益財団法人地方自治総合研究所主任研究員、福島大学行政政策学教授、大田区役所などを経て一九九九年から現職)である。「自治体再建」は、プロローグで「自治体とは何か、住民とは何か」と問いかけ、自治体を歴史的に捉え返し、続けて、「移動する村」の出現・原発避難自治体はどのように行動したか・「空間なき市町村」の歩み・「仮の町」に込められた意味・「帰還」でも「移住」でもない第三の道・多重市民権を保証する自治体へ、の各章からなり、エピローグとして国家は住民を守らない、国家が守るのは国家という機能、私たちの生活と権利を守るのは自治体に他ならない、自治体はミニ国家ではないし、そうなってはならない、としている。検討すべき論点として多重市民権という観点を提起している点である。もう一冊の福島インサイドストーリー(役場職員が見た原発避難と震災復興)は震災当時、富岡町、南相馬市、会津美里町、国見町、に勤務していた自治体労働者が当時の避難の状況を記している。
 この二点の著書の作者の指摘する諸点を踏まえて私たちは自治体労働者が置かれている困難な状況を捉えておかなければならない。彼らは被災者と避難誘導者という矛盾した立場に引き裂かれるという、心身共に困難な状況に置かれそれは現在も継続中である。
 それは東日本被災四二市町村において一八四三人の自治体労働者が「震災・原発事故による移住・業務増による過労・被災住民の対応の疲れ・心の病気を原因に退職を余儀なくされたことに現れている(毎日新聞による複数選択制アンケート、東日本大震災被災四二市町村を対象に、一一年三月一一日〜一四年三月まで実施)。共同通信社もまた二〇一六年三月三日、同年二月時点で東日本大震災および東京電力福島第一原発による被災三九市町村(岩手・宮城・福島)で一五年度に二一六人が休職中であり、その内うつ病等の精神疾患による精神疾患が一四七人も占め、震災が起きた一〇年度の一六倍にも増加している、と発表した(同社による同四二市町村聞き取り調査による。なお三九市町村には、津波により一〇年度の資料を流失した岩手県大槌町と宮城県女川町、南三陸町の三町は集計には含まれず)。
 こうした疾病もまた福島第一原発事故に関連した被害であり原発事故が継続中であり被害もまた続いているのである。 (いわき・浜西)

コラム

ボクがアウトドアな訳

 「インドア派」か「アウトドア派」か、と問われれば、きっとアウトドアと答えるだろう。しかし、この二〇年近く登山やキャンプはもちろんのことハイキングすら行ったことがない。長時間にわたって歩いたこともないのに、だ。それを聞いてアウトドアを自称するボクを怪訝に思うかも知れないが、答えはただひとつ「家にいたくない」、それだけである。
 掃除、洗濯や料理が嫌いな訳でもなく、こまごまとしたことは大好きなのだが、ただ家でじっとしていられないのだ。もっともこの習性は今始まったことではない。たぶん少年期に培った放浪癖というか落ち着きがない性格がそうさせているのだろう。自転車に乗れるようになってからは何十キロも先の街まで理由もなく出かけてみたり、当てもなく列車に乗り続けたり、高校時代からは山岳部に入り山に熱中した。こう思うと今日の素地は十分にあったと思う。ただ今のように酒がついていないだけである。
 よく休日は、日長一日のんびりと本を読むとか、レコードを聴いて過ごすという人を見聞きするが、ボクにはそれが到底耐えられない時間なのだ。だから、休日の朝九時も過ぎれば尻がムズムズしてたまらなくなり、あれこれと今日の目的地を思いめぐらすのだ。
 目的地といっても日帰りが常だから、首都圏内を自由に乗り降りできる「休日おでかけパス」の範囲が手っ取り早い。二六七○円で南は神奈川県の小田原、久里浜、北は栃木県の自治医科大、茨城県の土浦、西は山梨県の大月、東は千葉県房総の上総一ノ宮、木更津まで行けるのだからうれしい。このパスをほぼ毎月強は使っているのだからJRのヘビーユーザーといってもいいだろう。数えてみれば年間五〇日以上は、酒も含めてフラフラしている計算になる。
 つい先日は、趣向を変えてJRならず東武鬼怒川線、野岩鉄道、会津鉄道を乗り継いで、雪の会津田島まで蕎麦酒としゃれ込んだ。野岩鉄道が今市と会津高原尾瀬口(旧会津滝ノ原)を結ぶまで、旧会津線の沿線は、福島県の中で直線距離にすれば東京に一番近い位置にありながら、鉄道路線から見れば一番遠い場所にあると言われていた。それまではといえば、コの字型に東北本線で郡山まで行き、磐越西線で会津若松に出て、会津線に乗り換えるという隠れ里ともいえる場所。夜行列車「ばんだい」が上野と会津線を結んでいた時代もあった。それが今では、浅草から会津田島までが電化され特急リバティが走るようになり、わずか三時間で行けるようになったのだ。
この日は前日からの大雪で、電車はあいにく途中の会津高原尾瀬口までしか行かないという車内放送があった。さてどうしたものか。尾瀬口の周りで呑めるところはない。駅構内に食堂はあるのだが、そこではちょっと淋しすぎる。ならば田島から尾瀬口まで大胆にもタクシーを呼んで先に進む戦術に打ってでた。列車内から携帯で連絡し、到着時間に迎えにきてもらう段取りを取り終わったとたん、また車内放送があり除雪が終わり終点田島まで行くというではないか。あわててタクシーをキャンセルし、電車は予定どおり田島にたどりついたしだいである。
 さて蕎麦酒であるが駅前の「宮森」が旨い。開當男山の温燗をやりながら雪見酒を一献。自家栽培の手打ち蕎麦と天ぷらを肴に今日も一日が終わっていった。   (雨)


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