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    かけはし2018年4月2日号

組織が難しく 憂鬱な時こそ宣伝の時期


ペク・ナムヒ局長(鉄道労組メディアコミュニケーション室)に聞く

政府の弾圧の時もニュースを毎週作り続けた


 「宣伝の余地も」が最初に会った人は、鉄道労組のメディアコミュニケーション室のペク・ナムヒ局長だ。ペク・ナムヒは、同僚の死を知らせようとビラを作り始めて今まで鉄道労組の宣伝活動をやめたことがない。宣伝室を一人で守らなければならない時も、政権の弾圧に労組が揺らいだ時も消息誌を毎週作り続けた。その時間だけで10年だ。彼には、世界が変わっても宣伝こそ文を書くことであり、労働組合の宣伝は現場から出発しなければならないという根強いこだわりがある。3月2日、龍山(ヨンサン)鉄道労組事務室で15年ぶりの復職を控えた彼に会った。

<鉄道労組のペク・ナムヒ局長略歴>
1996年8月、鉄道庁入社
2001年、鉄道労組、ソウル地方本部教育宣伝局長
2003年、鉄道労組の宣伝広報局長
2003年6月のストで解雇
2006年3月のスト当時、鉄道労組のマスコミ担当
2009年、鉄道労組の宣伝局長など
2018年現在まで、鉄道労組の宣伝担当

宣伝をいつ担当するようになったのか

 1996年に乗務員として入社した。 列車に乗れば切符の検査はしない。 今は列車の方にも非正規職乗務員がいるが、その時は全員正規職だった。入社2年後、ソウル地方本部教育宣伝局長と労働組合宣伝業務を開始した。その後2000年にソウル地方本部宣伝広報局長を務めて、2002年に民営化阻止鉄道、発電、ガスゼネスト以降、宣伝広報局長を務め、宣伝業務を続けた。

?労働組合の活動に他の領域も多くはないか。 宣伝担当だった理由は

 2000年の前だと記憶するが、ソウル列車にいた時だ。 秋夕の時(韓国の夏の連休)、ある仲間の乗務員が仕事の途中心筋梗塞で亡くなった。ところがとても現場が静かなのだ。
いくら鉄道はもともとそんな雰囲気で人が死んでも一時間ほどで状況を整理して汽車を動かさなければならないと言ったとしてもだ。何かしなければならないと考えた。消息誌を配布した。

?どんな内容なのか

 鉄道乗務員の非人間的な生活を書いた内容だ。 一人で文章を書いてドットプリンターでA4用紙100枚を印刷した。夜明けの時間には乗務員待機室が開いているときがあるが、その時間を利用して密かに回した。

?反応があったのか

 相当あった。当時は民主労組を夢見る勢力と、御用労組が対立していた状況だったが、どちらにも属してなかった私が「乗務員連帯」という名前で宣伝物をまいたのだが、御用労組は民主労組を設立しようとする人々に「お前らがやったのか」と問い、民主労組をしようとした人たちは「私たちもしなかったが、誰がやったの?」と言って驚いた状況が起こった(笑)。

?以降、鉄道労組週刊ニュースを10年の間に作ってきた

 それなりに慣れたこと、よくできることをして、そのようになった。 2003年スト当時の拘置所で二カ月ほど生活した。その時、鉄道労組で「毎日労働ニュース」を送ってくれた。韓国の鉄道の特性上、ニュースが相当あるが、私たちのニュースをこのように盛り込んでみたらどうかと思った。

?鉄道労組週刊ニュースはどんな形で構成されたのか

 A410枚程度で構成したが、労組ニュースと共に組合員が知って有益な内容を盛り込もうとした。人事や昇進、復職、慶弔から盛り込んだ。闘争関連ニュースは後に配置した。

?そんなに構成した理由は

 自分のニュース、隣の人の話が掲載されそれを組合員が読むという考えだった。ある場合には組合員全体を意識して製造して、ある場合には一人の組合員を思い出しながら作る。 感情的な部分に触れる内容も掲載した。
いつかの両親の日(韓国の祝日)には、1面に「まだ遅くないです。 電話でもしてみてください」という文句を頭の記事に載せた。その機関紙が出て「ありがとう」というメールをたくさん受けた。

?配布は、いかなる方式としたのか

 現場で出力してすぐに掲示板に貼り付けられるように作った。実際、そういう風に活用した支部が多かった。「週刊ニュースだけでも労組の掲示板に貼り付けておけば何かしたようだった」と聞いた。
責任逃れ用として使われたのか(笑)。配布は主に社内通信網からも配布した。 非組合員はもちろん、管理者まで送った。よく読んだという反応から、どのような内容を取り上げてほしいという注文も入ってくる。彼らも重要な宣伝対象だ。友好的勢力に組織しなければならないじゃないか。

?記憶に残る記事や宣伝物があるのか

 2002年末、鉄道労組では上級団体を民主労総に転換する総投票をした。その時の声明書が記憶に残る。また、2009年、許准榮(ホ・ジュンヨン)社長就任に反対し、「英語の先生に数学を任せている学校はない」という対国民広報物を配った。
警察出身である人がなんの専門性もなく、鉄道の社長で来るのをそのように比喩していたが、反応が良かった。有名なブログに宣伝物コピーが立派だと紹介されたりもした。胸がいっぱいになった記憶だ。
記事、宣伝物も記憶に残るが、宣伝活動を一緒にした金明煥(キム・ミョンファン)先輩、チョヨンホ氏と発行した「47人、彼らが来る」という本も記憶に残る。
政府の鉄道構造調整に対抗してゼネスト闘争をして抵抗していたが解雇された鉄道労働者47人の手記を集めた本だ。その時、釜山(プサン)から、木浦(モクポ)を経てソウルに解雇者同志らと共に巡回徒歩行進をした。
45日間歩きながら毎日速報を作って上げたところ、それも本当に忘れられない宣伝だ。 また、そういう瞬間の記録が集まって韓国の歴史になるようだ。

?そんな瞬間を記録しなければまるでなかったことのようになってしまう

 そうだ。 歴史をきちんと積み上げるという意味がある。 宣伝活動家の仲間たちがそんなことを忘れないでほしい。この印刷物と記事が歴史の1ページとして整理されるという使命感、このようなものを持って活動するといいね。

?書くことが困難であった記事は

 いつも容易ではない(笑)。なぜ難しいのだろうか。 客観性を維持することが容易でないためだ。労働組合から出た文を見れば、概ね読む人より文が先に頭にきている。著者が書き込みに自身の怒りを表現するほど読む人はむしろ落ち着いてきて、文の内容に同意することが難しい。むしろ落ち着いて状況を整理して事実関係を描くものが説得力があると考えられる。
そんな点で、最も書くのが困難であった文は解雇者問題に関する記事だった。 私もその当事者であるからだ。 それで宣伝物も記事も作りたくなかった。私は本当にしないと言ったけど。しかし、私が作るとすればどのようにすればよいのか考えてきた。
重要な集会現場があれば現場の状況を文字で中継する仕事もした。 2011年、鉄道解雇者のうちホグヮンマン同志が自ら命を断つことがあった。
解雇の重圧感がそんなに大きかったのだ。大田(テジョン)本社前で集会の状況を組合員らに携帯メールで中継しながら泣き続けた。今も当時を思うと…
幸せだった記事はそれでも私たちの解雇者たちの復職記事だ。他のマスコミが先に報道する前に組合が最初に知らせるのが筋と見た。交渉の場から出るやいなやすぐ書いた。

職場復帰が実現した


?15年ぶりの復職を控えている

 復職交渉の場にいたが、実感をしなかった。他人事と思えた。15人ぐらい集まって復職を記念する写真を撮るのに、写真を撮った同志が言ってたよ。表情がみんなおかしいと、誰も嬉しい表情がないと、悲しい表情なのか嬉しい表情なのかわからないと…写真を見たら本当にそうだった。
実感が出なかったためか、空虚なのかよく分からない。言葉でも、表情からも表現しにくいそういった複雑な心だった。そのニュースを伝える記事を私が直接書いているが、その時から感動が押し寄せた。
正確な復職日はまだもらっていない。これまで、現場と離れすぎていた。復職すると、仕事を熱心にしようとする。組合員たちと一緒に共感しながら感じることがあるだろうと期待する。 自分を整理する時間も持ちたい。

?SRT統合記事は後輩に託すことか

 多分そうなるだろう(笑)

?スト当時、代弁人も務めた。 鉄道労組の宣伝はすぐ「民営化」という言葉との闘いだったはず

 初めて私たちが民営化阻止闘争をする時は主要市民社会団体も、民営化に賛成したと記憶する。 そのとき本当に寂しかった。私たちは英国鉄道が民営化を経て、いかに変わってきたかを知らせるために努力した。英国鉄道が民営化された後にどれだけの事故が多く発生したのか、料金はどれだけ上がったのかを教えた。組合員たちに、印刷物を分けてくれて回すようにして、隣家に民営化反対のステッカーもつけて。

民営化阻止闘争を闘う


?その過程で「民営化」という言葉の意味を変えた

 なるべく私たちの要求を直接主張しないようにした。これまで出た宣伝物を見るとわかりますが、鉄道労組は、市民団体、外部人事の口を通じて私たちの言うことをいう。私たちが要求することも意味があるのだろう、しかし、第三者が、わが方を聞いてくれるのがはるかに説得力がある。
事実そのような点で鉄道労組は幸運だ。他の事業場とは違って鉄道問題は、国民問題になる。私たちの話を直接しなくても扱ってくれるところが多い。組合員たちも、そこに自然に関心を持つ。

?民営化阻止闘争をして主に悩んだことは何か

 政策室と宣伝室が事案を見る観点が異なる場合がある。 宣伝活動家たちは宣伝の立場から内容を適切に調整することが必要である。2013年、水西発KTX、論争があった。民営化というのが正しいか。分割民営化としなければならないのか。民営化という言葉を付けるのか。しないのか。'政策チームでは論争があったけれど、宣伝は「民営化」としなければならないと見た。他の部署と意見が違うことがありうるが、われわれの宣伝室は国民の目線に、組合員の目線に合わせ、フレームを構成しなければならない。

?「組織も闘争もないとき、宣伝が先に打って出ていかなければならない」とインタビューしたのを見た

 今宣伝はただ政策と組織の事業を知らせる役割に縮小されたと思う。宣伝の見方で我々の労組の立場と政策をどのように組合員と市民たちに知らせなければならないか悩んでみなければならないようだ。
鉄道ストが終わり次第、必ず現場には、懲戒の嵐が吹く。 幹部はもちろん、組合員たちまで弾圧が激しかった。 私たちはストより、スト後がもっと疲れた。現場は水を打ったように静まりかえって組織は動くのが難しい。この時の宣伝が組織の役割を担当しなければならなかった。

闘争現場に役立つ取材を

?民主労総の宣伝、このようにしようと提案したいものがあるか

 「野花公団に咲く」という本がある。 旭ガラスの非正規職の労働者の闘争の話を盛り込んだ本だ。韓国の鉄道も座り込みをたくさんしたが、旭の同志たちの籠城闘争と我々のそれはちょっと違う。
こう言うのが正規職と非正規職の違いと言わなければならないだろうか。私たちは闘争しながらご飯の心配はしなかった。
しかし、旭の同志たちは毎食食事も費用負担があり、厳しいのだ。民主労総から、一カ月に一度闘争の事業所を取材してみたらどうだろうか。取材をして会って、話を聞いて記事に闘争基金口座を書いて、記事を見た組合員らが闘争基金を送るようにすることだ。

?ポータルサイトのダウムの「ストーリー、ファンディング」ような企画か

 80万組合員がいるが、その中で百人が千ウォンずつだけ送っても10万ウォンだ。現場の組合員たちは、民主労総を遠い未来のこととばかり覚え、闘争基金の通帳に10万ウォンが押されたら民主労総に対する考えが変わるだろう。
金明煥(キム・ミョンファン先輩、鉄道労組の元編集局長、詩人)と、この本の書評を鉄道労組のウェッブジンに乗せて私たちも募金をしてみようと思う。

?最後に労働組合で宣伝とは何なのか問いたい

 人体で表現すれば、ヘモグロビンではないだろうか。ヘモグロビンは各細胞に酸素を伝える役割を果たしている。 宣伝もそうだ。
適時に酸素を伝達できなければ、細胞が死んで死亡に至るようになる。宣伝が適時に知らせなければならないことを伝えなければ組合内で疎通が成り立たない。
それでは動かさなければならない組織が動かすことができないので、重要な状況に組織的に対応するのが難しくなる。血液の中でヘモグロビンが日常的に動きながら酸素を運ぶように、宣伝活動家もそうやって組合員たちの日常的な消息筋にならなければならないと思う。(3月12日 「労働と世界」より)



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