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    かけはし2018年4月23日号

解放の希望を現実化する道


読書案内

ジルベール・アシュカル著/寺本勉、湯川順夫訳
柘植書房新社刊/3200円+税

『アラブ革命の展望を考える』(下)

沖縄 K・S


ムバラク追放と
軍のクーデター
 シリアとともに本書の中心部分を構成しているのが、二〇一一年の「アラブの春」の中心となった大国・エジプトについての分析である。アラブ世界の政治・軍事・経済的中心を構成しているエジプトこそ、アラブの革命運動の帰趨を決定する位置にある。第二章「エジプト、アブドゥル・ファタハ・シシの『七月二三日』」だけで約一四〇ページの分量で、本書の半分近くを構成する。
 まずは二〇一一年のエジプトでの政治的激動を本書に沿って思い起こしてみよう。
 一月一四日、チュニジアで二三年間に及ぶ専制支配を続けてきたベン・アリの独裁体制が打倒された。それは直ちにエジプトで三〇年に及ぶ独裁を続けてきたムバラク打倒の民衆決起につながった。二月一日、四日に続きカイロのタハリール広場を占拠した数十万人もの市民の闘いによって独裁者ムバラクは追放された。
 ところでこの第二章表題の「七月二三日」とはどういう日付だろうか。「七月二三日」は一九五二年、ナセル率いる自由将校団がエジプト王政を打倒した日である。他方、二〇一一年から二年後の二〇一三年、軍の最高指導者アブドゥル・ファタハ・シシ(エジプトの現大統領)が、二〇一一年の「アラブの春」を通じて政権の座に押し上げられた「ムスリム同胞団」のムハンマド・モルシを政権の座から追放する軍事クーデターを起こしたのは二〇一三年七月三日だった。
 反動的エジプト王政を打倒したナセル率いる国軍による「七月二三日」クーデター(一九五二年)がアラブ民族主義・反植民地主義のシンボルとして進歩的意味を持っていたのに対して、シシによる二〇一三年七月三日は、「アラブの春」の意義を徹底的に清算するものだった。それは同時に、ムバラク独裁を打倒した「アラブの春」の民衆決起で押し上げられ、政権の座についた「ムスリム同胞団」のムハンマド・モルシ体制の反人民的性格をも明らかにすることになった。以下、二〇一一年からの経過をたどってみよう。

ムスリム同胞団
と軍の相互依存
はじめに「ムスリム同胞団」体制としてのモルシ政権の特徴について見ることにしよう。
もともとサダト、ムバラクという「ポスト・ナセル主義」の軍主導政権は「ムスリム同胞団」の反動的イデオロギーを可能な限り利用して、左翼やリベラル勢力にぶつけようとしていた。ムバラクが政権の座から追放された「アラブの春」を経て、軍と「ムスリム同胞団」は相互に利用し合う関係にあった。もちろん同時に軍の側は「ムスリム同胞団」が一線を越えたと考えた時には、容赦なく弾圧することが当然と考えていた。
「二〇一一年蜂起によって作り出された新たな状況下で、ムスリム同胞団は、自由に行動できる能力、カタールの財政的支援や(アルジャジーラを通じた)テレビ宣伝の利用、そして旧体制の明白な終焉後に法と秩序の代替執行者を求めていた相当数の中産階級を引きつける魅力を持っていたため、急速に拡大していった」「二〇一一年一一月後半から翌年一月前半まで実施された議会選挙において、同胞団が人民議会の大多数の議席を獲得した時、ムスリム同胞団とSCAF(軍最高評議会)の協働は深刻な綻びを見せ始めた。同胞団はSCAFが任命したカマル・アル・ガンズーリ内閣の辞任を要求し、新内閣を組閣する権利を主張した。それゆえ、同胞団は軍と衝突する方向へと自らを置くことになった」。
二〇一二年七月、「ムスリム同胞団」が議会選挙に続く大統領選挙でもムハンマド・モルシを擁立して勝利することが確実になると、SCAFはモルシが大統領に就任することを認めた。米国がモルシの正統性を認めたこともその要因になった。
「軍にとっては『革命的混乱』の中にある国家を統治するという難題を同胞団に手渡すことで、今回は同胞団を痛い目に合わせる方がより賢明だった。それゆえ、モルシはエジプト大統領として承認されたのである。同胞団員はそれ以降、文民政府の全責任を負うことになったが、真の権力はもっていなかった。エジプトにおいては他のほとんどの国にもまして、真の権力は投票箱からではなく、毛沢東の有名な言葉にあるように『銃口』から生まれるのである」。

「同胞団政権」
の抱えた矛盾
モルシと「ムスリム同胞団」は、軍と共存しつつエジプトの権力の後継者となろうとしたのだが「軍は同胞団がこれらの権力を用いて、自らの政治的役割を増大させ恒久化するとともに、軍がかつて所持していた特権を削り取る憲法を制定するのを恐れていた」。軍は日ごとに募る警戒心をもって「同胞団」に対処し、他方、市民社会の側からはエジプトの「新たな専制君主」になろうとするモルシと「イスラム同胞団」への怒り、反発がエスカレートしていくことになった。
二〇一一年の最初の蜂起の二周年にあたる二〇一三年一月二五日以後、状況は悪化し深刻になった。反同胞団感情は、エジプト全土で激しく燃え上がり、モルシは事態に対するコントロールを失い、軍部もモルシや同胞団から離反するようになる。国内での支持基盤を急速に失っていった同胞団は、ガザのハマス政権とイスラエル政府との関係改善に踏み込み米国のオバマ政権の賞賛を得るような「離れ業」に挑戦した。二〇一二年一二月には二回に分けて新憲法の是非を問う国民投票が行われたが、承認した人は有権者の五分の一をわずかに上回る程度だった。
二〇一三年に入ると、モルシ大統領の下での「ムスリム同胞団」体制は大衆の激しい批判にさらされることになった。
「エジプトの王冠は、今回はムバラク打倒とその投獄に貢献したムスリム同胞団員を代表するムハンマド・モルシの頭上にあった。自分の番になって、今度はムバラクのかつての支持者がエジプトの街頭や広場に集まる反対派の立場になっていた。他の二人の役者は役を変えないままだった。つまり左翼・リベラル反対派は次々に現われる大統領・専制君主に反抗する動員の最前線にいたし、軍はいまだ究極の調停者と影の権力者を演じていた」。

軍による革命
過程乗っとり
二〇一三年四月以後、反モルシの「タマッルド(反乱)」が若者たちによって始められた。この若者たちの政治理念はアラブ・エジプト民族主義と社会主義的ポピュリズムが混ざり合ったものであり、アシュカルはそれを「エジプトの大衆的左翼意識の主要な形式である」、と規定している。
こうして二〇一三年六月三〇日、エジプト史上かつてない規模のデモがカイロをはじめとするエジプトの都市の街頭を埋め尽くした。その数一四〇〇万人と言われている。それは「ムスリム同胞団」が中心となった二〇一一年のムバラク打倒の闘いの再来、あるいはそれを上回る規模の動員だったが、今回打倒される対象は「ムスリム同胞団」体制そのものだった。
こうした緊迫した状況の中で二〇一三年七月三日、シシ(エジプトの現大統領)率いるSCAF(軍最高評議会)がクーデターを決行した。このクーデターの性格はどのようなものだったか。アシュカルは述べる。
「ムスリム同胞団の強力な政治マシーンに立ち向かってモルシを退けることのできる唯一の勢力は軍であったことに議論の余地はないとしても、進歩勢力は厳密に民主主義的な要求に従って、ゼネストのような民主的手段によって、大衆的な動員を発展させ続けるべきだった。進歩勢力が旧体制の中軸勢力と協働することで自らの信用を傷つけ、その結果軍に白紙委任状を渡すことなく、状況のさらなる急進化を阻止するという同じ目的のため、SCAFはムバラクを失脚させたようにほぼ確実にモルシを片付けていただろう。悲しいことだが、これがエジプト進歩勢力のおこなったことなのである。つまり、左翼と進歩的リベラル反対派の両方ともが、いかなる形態でも軍支配の樹立へと向かう誘惑に反対して警告する代わりに、シシと軍への賛歌を歌っていたのだった。その結果二月一一日クーデターが二〇一一年一月二五日から始まった革命プロセスの第一波を乗っ取ったのと全く同じように、七月三日クーデターは二〇一三年六月三〇日に頂点に達した革命プロセスの第二波を乗っ取ったのである」。

「希望」は依然
として可能だ
四月一三日、トランプ米政権は英仏両国とともに、シリア・アサド政権による化学兵器の使用を口実に、シリア「化学兵器関連施設」三カ所にミサイル攻撃を行った。
われわれは、トランプによるこのような一方的軍事攻撃に反対し、安倍政権が「理解」を示したことに反対する。しかし同時に、シリア・アサド政権による「戦争犯罪」の実態を究明し、残虐な弾圧と化学兵器の使用を絶対に許さない立場をはっきりさせよう。
一方、エジプト――中東と世界の帰趨に大きな影響をもたらすアラブの大国は、新自由主義的開発と労働者の抵抗が渦巻く焦点でもある。
アシュカルは述べる。「私は楽観主義と希望を区別している。残念ながら、今日、楽観主義になるいかなる根拠もない。だが『アラブの春』という素晴らしい経験を積み、旧体制と原理主義派という二つの反革命の極に対するオルタナティブを築き上げる能力をもつ世代が生まれている。この世代の中に、二〇一一年に目覚めた解放の希望の潜在的可能性が存在しているので、希望はいぜんとして可能である」と。
希望を現実にするために、共に意識的な努力を!
(平井純一)

4.11

高江・辺野古での不当逮捕・判決許すな

沖縄裁判の三人を支援しよう

山城博治さんらがアピール


 沖縄の高江・辺野古における不当逮捕、不当判決を許さない!「沖縄からの報告、そして激励の集会」が四月一一日に連合会館で行われた。この日の集会は去る三月一四日に那覇地裁が山城博治さん(平和運動センター議長)ら三人に言い渡した有罪判決を批判して、福岡高裁での控訴審勝利に向けた報告と決意を新たにしていこうとするものになった。
 この日の集会は、落合恵子さん、鎌田慧さんら六人が「沖縄裁判の三人を支援する会」を結成して呼びかけて、それに沖縄意見広告運動や沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックなど八団体が協賛するかたちで準備された。司会はフォーラム平和・人権・環境の橋本麻由さんが、開会のあいさつは呼びかけ人を代表して佐高信さんが行った。

言論封じのため
に不当弾圧強行
裁判の報告は、山城さんの裁判を担当した金高望弁護士がよくまとめられた資料に基づいて行った。裁判での主張の基軸は「国による民主主義の無視と、沖縄を差別する基地建設の強行」だということを明らかにすることだった。辺野古でも高江でも沖縄県民の意思が踏みにじられて、全国から投入された機動隊員による暴力的な弾圧と差別発言はそうしたことを象徴していた。
現場のリーダーだった山城さんへの弾圧は、警察と検察が反対運動と言論を封じようとするものだった。そして結論として、「被告席に着くべきは、政府・沖縄防衛局、そして警察・検察である」とした。金高弁護士はさらに罪状である威力業務妨害、公務執行妨害・傷害、器物破損に対する反論を紹介しながら、「司法手続きの根底にあるものは、集会・結社に対する無理解であり、人質司法というやり方である。これは日本全体の課題だ」と報告を締めくくった。
続いて参院・沖縄の風の糸数慶子議員と伊波洋一議員から熱い連帯のアピールを受けた。控訴審に向けた決意表明は山城さん、稲葉さんの順に行われて、会場が盛り上がった。
山城さんは「私たちはいろいろな運動を通して、みんながどこかでつながっている。そして支え合っている。そんな気持ちで控訴審に臨みたい」と発言。そして四月三日から現場に復帰していることを報告して「全県、全国、全世界に発信しながら戦争につながるものに反対していこう」と訴えて、最後はいつものように辺野古ゲート前で歌われている歌の大合唱となった。

辺野古ゲート
前に大結集を
稲葉さんは裁判での冒頭意見陳述で訴えたことに触れて、@県民の民意を無視する政府の側が罪を犯していることA美しくすばらしい海の生態系を破壊してはならないことB新基地やオスプレイの配備で県民の命と生活を脅かしてはいけないことCそして何よりも新基地を沖縄に押し付けてはいけないことを訴えてきたと報告。そして「辺野古はこれから夏にかけて大事な時期になる。四・二三〜二八ゲート前『奇跡の一週間』を実現しよう」と訴えて、最後に自作の歌を披露した。
続いて激励の言葉が、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの青木初子さんから送られ、集会最後の閉会のあいさつは、呼びかけ人である中沢けいさんと香山リカさんがそれぞれ沖縄への思いなどを語るものとなった。集会には二〇〇人ほどの参加があった。  (R)


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