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    かけはし2018年5月14日号

この事実を世界に伝えてくれ


映 評

監督:チャン・フン(2017年)

「タクシー運転手
 〜約束は海を超えて」

1980年・光州事件を描く 


数々の映画賞
を「総なめ」に
 映評といえるほどのものではないが、先日錦糸町の楽天地シネマズで封切られた韓国映画「タクシー運転手」を観た感想を書いてみたい。
 この映画は、「崔順実スキャンダル」で退陣に追い込まれた韓国朴槿恵政権下で撮影され、その後行われた大統領選で当選した文在寅就任直後の二○一七年八月に公開されるやいなやわずか一カ月余で観客動員数一二○○万人を超えたという大ヒット作である。第九〇回アカデミー賞外国語映画賞韓国代表作であり、韓国国内でも第五四回大鐘賞など数々の賞を総なめにしたことからもその人気ぶりがうかがい知れる。
 主演は、タクシー運転手のキム・マンソプに「シュリ」「殺人の追憶」で名を馳せたソン・ガンボ、ドイツ人記者ピーターに「戦場のピアニスト」で知られるトーマス・クレッマン。名優の脇をしめるのは光州人気質をそのままにしたようなユ・ヘジンやリュ・ジュンヨル。監督は、朝鮮戦争における南北境界線付近で繰り広げられた熾烈な戦いを描いた作品「高地戦」のチャン・フンだ。韓国映画好きにはたまらないキャスティングといえよう。

実在した人物を
モデルにして
舞台は、一九八○年五月のソウルと光州。光州事件を取材するために身分を宣教師と偽って来韓したドイツ人記者と、彼を光州まで運んだ平凡なタクシー運転手の実話である。もちろん脚色はされているが、当時韓国が置かれた全斗煥による軍事独裁政権下の様子や人間模様、生々しい光州事件の真相が、スクリーン全体に所狭しと登場し観る者をあきさせない。
ドイツ人記者は、光州事件を世界で初めて報道したユルゲン・ヒンツペーターをモデルにしており、映画の最後には本人が登場し、ぜひ一度、キムと再会したいとその心情を吐露している。しかし、その実在したタクシー運転手キム・サボクは光州事件の四年後の一九八四年ガンのために他界。このことが分かるのは、映画公開後の九月だった。息子のキン・スンピルが二人で写した写真とともに明かしたことだが、この映画が作られなければその存在と事実は、永遠に歴史の中に埋もれていたままだったと思われる。
さて、この映画の見どころだがアクションあり笑いあり、そしてその山場が戒厳軍と民主化を叫ぶ民衆が衝突した光州事件にあるということだ。粗筋はネタバレになるので省略するが、簡単に言えば家賃にも窮していたキムが、ピーターの提示した一〇万ウォンという大金に釣られて、何も分からぬまま光州に向かい、あの惨劇を目の当たりにする。はじめは国軍がこんな酷いことをすることがないと信じ、こんな所から一刻も早く逃げ出そうとするキムだが、最後には「俺はどうすればいいんだ」と苦悩し、「お客さんを連れて帰らなければ」「この事実を世界に伝えてくれ」と厳重な検問を突破し、ソウルの金浦空港にピーターを連れて帰るというヒューマンストーリーである。そして、そこに二人を助けるたくさんの光州人の存在があったことが、映画をより一層深いものにしている。

事件を通して
勝ちとったもの
したたかなりも憎めないソン・ガンボ、ドイツ人気質そのままのトーマス・クレッマンの演技が光なっていることはいうまでもないが、ボクがこの映画の中で忘れられないシーンが三つあったことを記して終わりにしたい。
ひとつは、報道が規制されている中、光州の新聞記者たちが本当の新聞を作ろうと工場を占拠し、一面に戒厳軍の暴虐ぶりを刷り上げているカット。また、戒厳軍に抵抗する民衆、学生たちがトラックの上で「我らは プリパだ チョツタチョア」のフレーズではじまる「プリパ」を歌うシーン。そして、最後に、光州からソウルに戻る途中の検問所で、戒厳軍の下士官がトランクに付け替えられたソウルのナンバープレートを発見したのにもかかわらず、それを見逃すところである。
光州事件を通して、韓国民衆が命がけで軍事独裁政権を打倒し勝ち取った民主化が垣間見える映画である。ぜひ、みんなに観ていただきたい。 (雨)

読書案内

青木 理著 河出書房刊 1600円

『情報隠蔽国家』

権力犯罪を浮き彫りに



森友事件を生
み出した背景
 「森友学園」への国有地売却に関する決裁文書の財務省改ざん事件発覚によって、安倍政権は政府危機に追い込まれている。政権の反動化と官僚の腐敗・堕落に満ちた有り様の全面化だ。首相官邸の指示なのか不明だが、政官一体で情報隠蔽と操作だけでなく、公文書の改ざんまで強行していた。政権と官僚の危機の結果として、自己保身に満ちた強権的な権力機構の推進途上で必然的に現れてしまった。この危機の現れを青木は、本書を通してその予兆の諸事件を取り上げ、検証することを通してすでに沸騰点から暴発に達していたことを証明している。
 「衝撃的なノンフィクション」としてとり上げたのが、冤罪事件をでっち上げられた自衛官、イスラム教に改宗したために退職に追い込まれた元公安調査官の告発、公安政治警察と地方警察の犯罪などだ。すべてを紹介することはできないが、その一つとして日米安保下における防衛省・自衛隊・警務隊の無残な実態を明らかにしたのが「第1章 日米同盟の暗部と葬り去られた国家機密―現役自衛官が実名告発」である。

米軍・自衛隊幹
部間のやりとり
背景と経過はこうだ。二〇一五年、安倍政権は、グローバル派兵国家建設に向けて憲法違反の集団的自衛権を行使するために戦争法を制定し、米軍との共同実戦体制の構築へと加速しつつあった。
戦争法は、衆院段階で強行採決し、論議は参議院に移っていた。九月二日、参議院の「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」で統合幕僚長・河野克俊が一四年一二月中旬に訪米し、米陸軍参謀総長のレイモンド・オディエルノと会談した記録「統幕長訪米時における会談の結果概要」(二〇一四年一二月二四日)という防衛省・自衛隊内部文書を共産党の二比聡平参議院議員が入手し、質問した。そこには戦争法が成立していないにもかかわらず、次のような記録が明記されていた。
オルディエノ「現在、ガイドラインや安保法制について取り組んでいると思うが予定通りに進んでいるか?何か問題はあるか?」。
河野「(この直前の総選挙での)与党の勝利により、来年(二〇一五年)夏までには終了するものと考えている」。
安倍首相の米上下両院合同会議での戦争法制定表明(二〇一五年四月)よりも前に法案制定を前提に米軍幹部と自衛隊幹部で確認していた。つまり、自衛隊幹部の暴走というよりも国会論議を軽視し、民衆の戦争法反対が国会包囲として取り組まれているなかでの会談であり、民衆無視の安倍政権の姿勢がこのような形で現れていた。
中谷元・防衛相は「いかなる資料か承知していないのでコメントすることはできない」、安倍首相も「確認できなかった」と答弁し、逃げ切りを演じた。

悪質な隠ぺい
と情報操作
ところが防衛省・自衛隊警務隊は、「存在しない記録」のはずなのに証拠隠蔽と漏洩犯人捜しに奔走する。「記録」問題が明らかになった翌日の九月三日に「取扱厳重注意」扱いから「省秘」に指定し、防衛省情報本部のパソコンに残っている記録データを削除させた。河野の訪米直後、「記録」は情報本部にメールで配信されていたからだ。
警務隊は、配信された「記録」メールを通常業務として部内に配信した防衛省情報本部の大貫修平3等陸佐
(四二)を「犯人扱い」し、防衛相の承認の下、大貫さんの自宅官舎・実家への家宅捜索、ポリグラフ検査も使った過酷な取り調べを行い、自白強要を繰り返した(二〇一五年九月中旬以降)。しかし、大西は「やってもいないことを認められるわけがありません」と反論していった。
結局、大貫さんは警務隊の取り調べ後、東京検察庁に自衛隊法違反(機密の漏えい)容疑で書類送検(一七年八月)されたが、「嫌疑不十分」(一七年九月二二日)で不起訴となった。
大貫さんは、「身に覚えのない内部文書の漏えいを疑われ省内で違法な捜査を受けた」として、国に慰謝料五〇〇万円を求める国家賠償請求訴訟をさいたま地裁に起こした(一七年三月一七日)。国会で安倍首相、中谷元防衛相(当時)らは「同一の文書は存在しない」と否定してきたが、口頭弁論の中で国は、文書の存在を認めた(一七年一二月)。安倍、中谷の嘘答弁があらためて確認される始末だ。
つまり、財務省改ざん事件と同様な態度を先行して繰り返し、悪質な隠蔽と情報操作をしていたのだ。それを「糧」にして安倍政権と官僚機構は民衆無視の腐敗・堕落を助長させ、常習犯として現在に至っていることを示している。

無知の暗やみは
悲劇への序章
一章の後半のクライマックスは、青木による大貫さんへの長時間インタビュー(一七年一〇月一〇日)だ。警務隊の人権侵害・冤罪作りの不当な取り調べをリアルに再現し、告発する。そのうえで青木は「森友学園や加計学園をめぐる疑惑につきまとう政権と政府の情報隠蔽体質であり、『一強』政権の意向を忖度して行政をねじ曲げて恥じぬ官僚たちの姿であり、何よりも米国にひたすら追従して軍事一体化にひた走る日米『同盟』の実像でもある」と総括し、さらに「南スーダン共和国を舞台とした国連平和維持活動の日報隠蔽問題」(一六年七月)なども含めて「防衛省・自衛隊を舞台とした抜きがたい情報隠蔽体質」を厳しく批判する。
さらに青木は、「第2章 『私が従事してきた謀略活動と共産党監視』―元・公安調査官が実名告発」、「第4章 共謀罪と公安警察と前川スキャンダル」などを通して「情報隠蔽国家」と権力犯罪を浮き彫りにしながら、読者にとっては次々と発覚する政官一体によって引き起こした財務省改ざん事件の必然性をより鮮明に理解することができる。
最後に青木は、「公的情報は徹底して隠され、私たちは情報獲得の手段すら与えられていない。そう、私たちは暗闇の中に立たされていないか。無知に追いやられ、都合よく支配されようとはしていないか。それはまさに悲劇への序章ではないのか。そうしたことを痛切に再考する一助に本書がなれば、著書としてそれ以上の幸せはない」と結んでいる。      (Y)

コラム

 『日本軍兵士』が問うもの


 子どもの頃。学校の前には必ず文房具屋があって、鉛筆や筆箱を親に買ってもらうのが楽しみだった。大きな店はプラモデルも置いた。戦車や戦闘機、戦艦の類が圧倒的に多く、それが人殺しの道具だとは知らず、物体としての魅力に取りつかれた。そんな同世代も多かろう。
 著者の吉田裕もプラモ好きで「熱心な軍事オタク」だったという。『日本軍兵士』(中公新書)。発売からわずか四カ月で七版を数える異例のベストセラーである。アジア太平洋戦争を「兵士の目線」から捉えなおし、軍事的特性と関連づけた。歴史学の立場から「戦史」を主題化したという。全編でこだわったのは、当事者の証言を引用した「死の現場」である。
 その内容は壮絶かつ悲惨に尽きる。マラリヤや結核、栄養失調による戦病死・餓死の割合は全戦没者中六一%に上る。自殺者も世界の軍隊の中では一番多い。その理由の一つが、古参兵による「憂さ晴らし」としての私的制裁=リンチだ。日中戦争の長期化で兵員が不足し、軍隊生活に耐えられない大量の「不良素質者」までもが、甘くなった徴兵検査で入営してくる。悪名高きインパール作戦(一九四四年)では、足手まといになる脱落者に、自決の強要や「処置」という名の殺害が行なわれた。
 戦局が悪化し食糧が枯渇すると、日本軍の内部で襲撃や強奪が始まった。ルソン島においては人肉を常食としていた。国内では女性が労働力として、少年が兵士や船員として動員された。一〇代の海員たちは、吹きさらしの甲板で船酔いに苦しみ、郷里の父母を思って泣いた。
 中国戦線からの帰還兵は、いかに残虐に敵を殺したかを地域に吹聴して歩いた。もとより差別排外主義を刷り込まれていた若者たちは、より戦争への好奇心を抱くようになった。
 資本主義後進国だった日本は、自動車生産でも外国に遅れ、軍馬を輸送の主力としていた。馬が死ねば、機関銃や大砲の輸送を人間が担う。そんな部隊が勝てるのか。
 四五年八月の敗戦までの一年間を著者は「絶望的抗戦期」と位置づける。人員、食糧、装備の圧倒的な不足を理由とする厭戦気分を、日本軍は無計画な現地調達主義でしのぎ、絶対服従の暴力的な精神主義で乗り切ろうとしていた。無謀で愚かなことこの上ない。
 安倍政権が自衛隊の「日報隠し問題」で揺れるなか、現役幹部自衛官による民主党議員への暴言事件が発生した。問題が大きくなると防衛省は「国民の敵」発言を否定した。本音と訂正を繰り返しながら、良心の反発を麻痺させる手法。軍の体質は、敗戦後も連綿と引き継がれている。
 歴史修正主義者の出版物が隆盛を極める昨今。本書の売れ行きに希望が見える。頁をめくれば、新しい発見が必ずある。   (隆)


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