もどる

    かけはし2018年5月21日号

弾圧破り被抑圧民衆の声表に


パキスタン

パシュトゥン民衆との連帯集会

ラホール左翼戦線も役割果たす 


  四月二二日、ラホールの歴史あるモキ・ダルワズ(靴職人の門)グラウンドには、パシュトゥン・タハフズ(防護)運動(PTM)とラホール左翼戦線(LLF)の指導者の発言を聞くために、一万人以上がつめかけた。この集会は、それを止めようとした地域当局のあらゆる努力があったにもかかわらず開催された。彼らは、PTMとLLFによるこの集会開催の許可申請二件を、「安全」を根拠に拒絶したのだ。

指導者逮捕と民衆的抗議の反撃


この大衆集会前夜、PTMとアワミ労働者党の指導者一〇人が彼らが滞在していたホテルで逮捕された。国の様々なところでの自然発生的ないくつかの大衆的デモと大量のソーシャルメディアキャンペーンの後、二、三時間の内に指導者たちは釈放された。
逮捕された者たちの中には、PTMの主要な指導者であり、パキスタン人マルクス主義者の「闘争」グループメンバーであるアリ・ワジル、ジャム・カシミールアワミ労働者党議長のニザル・シャー、アワミ労働者党代表のファノース・グジャール、また女性民主戦線代表のシャー・ジャーンがいた。
二七歳になるPTMの主要な指導者、マンズール・パシュティーンは、数分間の内に二〇万人以上が見つめたフェースブックのライブを続け、この抑圧への抗議を込めて、翌日の全国規模の抗議行動と計画された大衆集会の開催を宣言した。
追い落とされた首相の娘であるPMLN(パキスタン・イスラム教徒連盟シャリフ派)のマリャム・ナワズは、逮捕を糾弾し、即時の釈放を求めるためにツイッターを使った。ベナジール・ブットの息子であるビラワル・ブットもまた、逮捕された指導者たちの釈放を求めた者たちの一人だった。
皮肉なことに、こうした逮捕のような行動のすべてを引き受けていたのは、パンジャブのPMLN政府だった。われわれには十分分かっていたことだが、パンジャブの官僚機構は、ラホールでこの大衆集会をこのまま開催させないよう、情報部から強要されていた。
彼らがあらゆるところで私を追いかけていたために、私はその夜を地下で過ごさなければならなかった。「闘争」の中心的指導者は検挙され、PTM指導者への支持と支援を続けるならば、国家的犯罪として扱われることになる、と脅された。

物理的妨害にも創意こらし即応

 情報機関は、キャンペーンポスターもリーフレットも民衆内部には一切渡らないように処置を講じた。彼らは、リーフレットが印刷されていた印刷所を急襲し、印刷労働者を殴打し脅迫した後、今回のイベントを知らせる印刷済みのリーフレット二万部を押収した。どんな道路にも折りたたみ式掲示物を置くことは一切許されず、固定されたそれらは直ちに除かれた。
商業紙は、この大衆集会開催のニュースを全面的に遮断した。英字紙のドーン(「あけぼの」)だけが、集会日当日に指導者たちの逮捕のニュースを印刷した。
われわれは以下のことをはっきりさせた。つまり、何があろうとわれわれは集会を開催する、と。「宗教原理主義者たちが首都であるイスラマバードで何週間も道路を封鎖することが許され、それに対し何の法的措置もとられていないのであれば、左翼とPTMが交通障害がまったくない場所での大衆集会を許可されない理由は何か?」、ラホールの左翼グループにより先頃形成された統一戦線、LLFの呼びかけ人として、新聞発表の中で私はこう言明した。しかし主流商業紙と電子メディアはどれ一つとしてこの新聞発表を報じなかった。
そうした脅しと脅迫と逮捕を背景に、集会が開催された日である四月二二日の早朝、このイベント全体を汚すために、もっとも薄汚い策略が現れた。情報部によりモキ・ダルワズグラウンドに地下の配水管が向きを変えられ、大衆集会の会場が悪臭を放つ水で一杯になったのだ。
われわれは、グラウンドにいくらかのマットと絨毯を広げ、人びとがそこに座ることができるよう計画を立てていた。しかし先のような環境ではそれは不可能だった。グラウンドに朝早く到着したPTMの活動家たちはこの危険な状況に気がついた。しかしわれわれは、集会の開催を決断した。PTMの活動家たちは、緊急に水路を作ったことで、うまいこと水の流れをもう一つの排水路に向けることができた。何十人もの同志たちがグラウンドを乾かすためにあらゆる手段を利用し始め、一二時までにそれらは大きな成功を収めた。そしてわれわれは、とんでもない費用をかけて緊急に椅子を並べなければならなかった。

これらすべての背後には何が?


PTMは、この二、三〇年で最も速いスピードで成長している、パシュトゥンの若者たちが始めた大衆的な市民権運動だ。この運動は、9・11後の一七年にわたって国家と宗教的テロリズムの犠牲になっている、パシュトゥンの若者たちの魂と心を取り込んできた。PTMは、部族地域から地雷を取り除くことを求めた現地学生の指導者、マンゾール・パシュティーンによって二〇一四年に小さな組織として始まった。これらの地雷によって多くの者が命を奪われてきたのだ。
今年早くカラチで起きた、「偶然の遭遇」の中での警察による若いソーシャルメディア活動家であったナキーブ・ウラー・マースドの殺害の後、そしてその殺害は警察が彼を宗教的テロリストと言明した後行われたのだが、警察の行為に反対する大衆的キャンペーンが、連邦管理部族地域(FATA)の全域で始められた。マンゾール・パシュティーンとアリ・ワジルはこの運動の指導者だった。アリ・ワジルは、FATA地域のワナで彼の家族一七人をタリバンによる殺害で奪われ、宗教原理主義者たちにより彼の財産すべてを破壊された一人のマルクス主義者だ。それでも彼は屈服を拒否し、勇気と大衆的支持をテコに、宗教的原理主義と抑圧を続ける他の諸勢力に反対する彼の闘争を続けた。
PTMの指導者たちは、この二ヵ月の間、パキスタンのさまざまなところで、何千人もの人びとに訴えを行ってきた。
彼らの要求は極めて単純で純粋だ。行方不明の人びとを戻せ。家や店の破壊を理由に重大な損失をこうむった人びとに補償を。軍事作戦の間に商売を放棄させられた後、店を空っぽにされた商人たちに補償を。誰であれ容疑があるとすれば、超法規的な殺害や拉致に代えて裁判のために、彼らを二四時間以内に法廷に連れ出せ。これらがそうだ。彼らはまた国家に、宗教的原理主義者とのつながりを絶つようにも求めている。
彼らは、タリバンに「良いも悪いも」まったくない、彼らはすべて同じ宗教的テロリストだ、と語った。それは、われわれの論述や小雑誌で何年もわれわれが推進し続けてきた主題だ。
これらの要求は、宗教的テロリストに対し軍事作戦が行われたやり方に、またさまざまな場合に何十万人もの人びとが家を捨てなければならなかったやり方に、異議を突きつけていた。国内での大量移住は、何千というパシュトゥンの人々の暮らしを何年も地獄に変えた。
このような背景の中で、LLFは三月末のその最初の会議で、四月二二日ラホールでパシュトゥン連帯行進を行う、と決定した。四月八日、PTM指導者のマンゾール・パシュティーンは、ペシャワールで数千人に向け語る中で、ラホールで大衆集会を開催する予定だと公表した。LLFは、意見交換を経て、PTMが集会を開催し、LLFはそれを後援し、それを成功に導くために努力を尽くす、と決定した。
大衆集会前日、情報部はわれわれの集会に反対の集会を開催するよう当地の一グループに勧めた。オートバイに乗った約三〇〇人が、地域当局のどのような許可もないまま市全体を走り回った。事実として彼らは、われわれを裏切り者と宣言し、恐ろしい結果が待っていると脅迫しつつ、国家機関から行動を続けるよう援助を受けた。

声なき者たちの大挙結集実現


PTMのラホール集会は大成功だった。民族的差別を受け、あらゆる種類の否定的言及にさらされているラホールのパシュトゥン労働者は、何千人という規模でこのグラウンドに殺到した。この集会は声なき者たちの声となった。彼らには、エリート政党の大衆政治集会では当然の、座る椅子は必要なかった。金持ちの政党による通常の行いである、主催者が当たり前として提供する食べ物も、彼らは必要としなかった。この都市のさまざまなところから会場に来る輸送手段も、彼らにはまったく必要なかった。彼らは自分自身でやって来た。それは、パンジャブの労働者とパシュトゥンの労働者間の統一と連帯がこもったとてつもない行動だった。
感情は高まり続けた。多くの発言には聴衆による大きな反応があった。自由が、飢餓からの自由、国家の暴力並びに国家ではない主体の暴力からの自由が主なスローガンだった。
ラホールの主な市民権組織は、この催しに対する完全な支持を宣言し、すべてがそこにいた。女性行動フォーラム、民衆の権利のための共同行動委員会、アンジュマン・マザリン・パンジャブ、このすべてがパシュトゥンの人々との連帯のためにやってきた。
革命的詩人のハビブ・ジャリブの娘である、ファイズ・アーマド・ファイズ、タヒラ・アビブ、サリマ・ハシュミ、故アスマ・ジェハンギルの妹であるヒナ・ジラニ、そしてアスマ・ジェハンギルの娘であるムニザエ・ジャハンギル、この全員が彼女たちの友人や仲間たちと共にそこにいた。
私がLLFの呼びかけ人として、ラホールのパシュトゥン労働者の窮状について発言した際には、ものすごい喝采を受けた。しかしながら、聴衆から最大の喝采とスタンディングオベーションを受けたのはアリ・ワジルとマンゾール・パシュティーンだった。
おそらくこの二、三〇年でもっとも人気のあるパキスタンの青年指導者であるマンゾール・パシュティーンは、四月二九日にスワトで、また五月一二日にはカラチで集会を開催すると言明した。彼は「今ここにはあなた方を気づかう人がいる、あなた方はこれ以上孤児のように扱われることはないだろう」と宣言した。この大衆集会を支持した学生を敵視して記載された警察記録の撤回、パシュトゥンの学生に対する停学処分の撤回、さらに、PTMの闘争と彼らの要求を大声で支持したことを理由にパンジャブ大学教授の職を失ったアマル・アリ・ジャン博士の復職、こうした声もあげられた。
これは、LLFが組織した初めての大衆的イベントだったが、とてつもない成功だった。この集会の後、LLFはラホールの労働者階級にある程度知られるようになっている。それは政治において無視できない。そして進歩的な労働者と若者は最終的に、彼らの闘争にとっての、まがいものでなく、革命的で信頼に足る一つの政綱を見出すことになった。LLFは、パキスタンでもっとも成長力を示している大衆的な市民権運動に対し、必要とされた物質的かつ政治的支援をタイムリーに差し出すことができた。(二〇一八年四月二四日)(「インターナショナルビューポイント」二〇一八年四月号)

 


もどる

Back