もどる

    かけはし2018年6月4日号

地域から市民・野党の共闘へ


新潟県知事選:池田千賀子さん勝利へ

安倍政治を倒すパワーを


「争点隠し」に
終始する自公
 米山隆一・前新潟県知事の辞職に伴う新潟県知事選が五月二四日から始まった。選挙戦は与党陣営の推す花角英世氏(元新潟県副知事・前海上保安庁次長)と野党が推す池田千賀子氏(前新潟県議)の対決構造だ。
 新潟県では二〇一六年の参院選・知事選で野党候補が競り勝ち、二〇一七年秋の衆院選でも六選挙区のうち四選挙区で野党が勝つという「新潟ショック」を実現した。その原動力は言うまでもなく「市民・野党共闘」だ。今回もそれは健在で、立憲民主・国民民主・共産・社民・自由・無所属の会の国会各政党・会派が推薦、新社会党や緑の党などの小政党も一翼を担い、さらに連合も推薦した。県内現職野党系国会議員計六人もフル稼働している。
 しかし、三連敗の与党はかつてない業界への締め付けに加え、選挙コンサルを入れて、沖縄で仲井真知事が当選した二〇〇六年知事選と同様、「争点隠し」を図っている。花角氏は自民党の二階俊博幹事長の運輸大臣時代の秘書官であり、明確な自公候補であるが、「原発はやがてゼロに」「(米山知事が設置した)原発事故に関する三つの検証は継続」等と発言し、支える市民団体もこの間の野党系市民団体の名前やカラーと似通ったものを使い、「与野党対決」の色彩を弱めようと必死だ。

池田当選で安倍
政治にNO!を
池田候補は、保健行政を中心に長年柏崎市役所職員として働いた後、柏崎市議を三期、県議一期を務め、議員時代にケアマネージャの資格を取り、環境問題を学ぶために早稲田大学通信制を卒業した努力家だ。高級官僚出身の相手候補と対照的に、地域や自治の現場で、人々の喜びや悩みに向き合い、寄り添いながら仕事や活動を重ねてきた。
だが、選挙戦突入直後の序盤の情勢は相手陣営がリードしている。しかしこの間の市民・野党共闘の蓄積を活かし、私たちも全力で頑張っている。二七日の日曜には六野党国会対策委員長が集結し新潟と長岡の駅前で大演説会が開催され(写真)、新潟で一五〇〇人、長岡で九〇〇人が集まり、連帯と団結を確認し、有権者に池田支持を強く訴えた。
投票は六月一〇日。選挙戦真っただ中のため十分な報告が書けないが、これからも私たちは互いに協力しながら、全力で奮闘する。県外からも応援をお願いしたい。       (S)
カンパ振込先は以下
北越銀行新津支店 普通 2089248
「市民の思いをつなぎ、もっと女性が輝くにいがたを創る会」
ゆうちょ銀行
記号11230 番号
37433221
「カガヤクニイガタ」

アジア連帯講座:公開講座

左翼はどう闘うべきか

G・アシュカル『アラブ革命の展望を考える』から

転換点としての2013年

女性の権利・民主主義の原則

湯川順夫さんの講演 A

原則的立場と
戦術の柔軟性

 次にアシュカルは、二〇一三年の中東情勢が一つの転換点であったことを明らかにしている。要約すれば@シリア―崩壊寸前だったアサド政権がロシアとイランの軍事的支援によって生き延び、反転攻勢へ Aエジプト―同胞団のモルシ政権の打倒、軍部のクーデター、シシ政権の成立 Bイスラム主義勢力の中心的源泉―サウジアラビア。湾岸諸国の首長体制 Cカタール=「ムスリム同胞団」、アメリカのオバマ政権の路線はこれを後押しするもの Dイラン―シーア派=イラクの支配層、レバノンのヒズボラ、湾岸諸国のシーア派 Eトルコのエルドアン体制―国内の危機からトルコ民族主義の強化へ→クルド族への軍事的弾圧作戦のエスカレート―などという勢力配置が現在の姿である。
 そのうえでアシュカルは、左翼の闘う指針に向けて「左翼にとって同盟とは何か?」と問い、「長期的な戦略的同盟ではなくて、情勢に応じた柔軟で短期的な戦術的統一戦線、政治的に独立した勢力として自らを堅持すること」の重要性を具体例を示しながら説明している。
 例えば、「チュニジアにおけるイスラム主義派(アンナハダ)と旧体制派に対する第三の極が必要」であり、エジプトにおいては、「ムスリム同胞団との同盟は? 対ムバラク闘争の局面とムバラク後の選挙の局面との違い」はどうだったのか。 「中東・アラブ世界におけるイラク反戦の大衆運動を組織化するためにイスラム主義潮流との関係をどうすべきか?」を明らかにし、次のようにまとめている。
「……中心的問題は、自らが宣言する、あるいは真の左翼であればおしなべて宣言すべき価値観に対して、アラブの左翼の主要部分が過去において忠実なままにとどまりつづけることができなかったということである。搾取され、虐げられたすべての人々のために、ありとあらゆる範囲の社会的・民主的闘争に積極的かつ断固として参加する左翼―フェミニスト的価値観や民族解放の価値観を擁護して活動するとともに、宗教に関する民主的な諸権利とともに世俗主義をも大胆に支持する左翼(きちんと理解された世俗主義が第一に擁護すべきなのは、ヒジャブを被らない女性の権利と同じくらいにヒジャブを着用する女性の権利である)―このような左翼だけが、中核となるべきいかなる価値観についても反対の極に立っている勢力との短期的な戦術的同盟を結ぶことができるのである」。
 「左翼は、その時々に純然たる戦術的理由で『ありそうもない仲間』と『共に打つ』―旧政権の勢力に反対してイスラム勢力と協力する、あるいはその逆であっても―のだが、どちらの場合においても、二つの反革命陣営から同じように距離を置いて自身の根本的な道を明らかにすることで、常に『別個に進んで』いくべきなのである。戦術的な同盟は必要な場合には悪魔との間でも結ぶことができる。だが、そうした場合でも悪魔を天使として描くようなことを決してしてはならない。たとえば『ムスリム同胞団』を『改良主義者』と呼んだり、旧体制勢力を『世俗派』と呼んだりして、その深く反動的な本質を表面的に飾り立てることはしてはならないのである」。
 つまり闘う指針は、こうだ。「統一したアラブの革命」を展望し、@パレスチナの解放A石油・天然ガス資源の国営化Bユダヤ人やキリスト教徒やクルド人などの宗教的、民族的マイノリティーの権利の尊重、自決権の承認C国家と宗教の分離D女性への抑圧の撤廃などの人権と平等の確立、男女の平等、夫婦における権利の平等、未成年者の結婚の禁止、離婚の権利、名誉殺人の禁止E言論、結社の自由、労働者の権利、労働組合の権利の確立合F王制、首長制の廃止―などを掲げることだ。

時代認識を
とぎすます


「アラブの春」の運動とは何だったのか。
酒井啓子は、『九・一一後の現代史』(講談社現代新書)の中で「『春』に希望を抱くアラブ知識人のなかには、『今はまだ長い革命の途上なのだ』と主張し、フランス革命やロシア革命など、歴史上の大革命の例を引いて自己弁護する者も少なくない」(酒井啓子『九一一後の現代史』、講談社現代新書)と評して遠回しにアシュカルを批判する。
だがアシュカルが強調するのは、「歴史の終焉」=二〇世紀とともに「革命の時代は終わった」、「資本主義は永遠に続く」と称するブルジョア評論家たちに抗して二一世紀になってもいぜん「革命」の潜在的可能性が失われていないことを立証し、二一世紀になって新自由主義の下でパンなどの食料品価格の高騰、青年の失業の増大、政権の腐敗、民主主義と自由の欠如に現れる、アラブ・中東世界の矛盾がいっそう深まっているという時代認識を捉えきることが重要なのである。
この視点は、ツァー体制下のロシア一九一七年二月にも似た情勢という観点から分析すると興味深い。新自由主義の下でのアラブ・中東地域の経済の行き詰まりがあり、近代化とオイルマネーによる教育水準の大幅な向上があるにもかかわらず青年、女性に慢性的な高失業率だ。しかも家産的資本主義の下で、縁故(コネ)がなければ職にありつけない。女性が高学歴の教育を受けられるようになって来たにもかかわらず、差別のために就職口が限られている。このような民衆の鬱積が沸騰点に達していた。チュニジアの反乱は、露天商を営む失業青年の抗議の焼身自殺だったのであり、この点を端的に表現していた。

『ロシア革命史』
と対比する


革命の観点から掘り下げていくためにトロツキーの提起が参考になる。
『ロシア革命史』では「革命の最も明白な特徴は、大衆が歴史的事件に直接干渉することである。平時にあっては、……歴史はそれぞれの専門家―君主、大臣、
官僚、議会人、 ジャーナリスト―によってつくられる。ところが、旧秩序が大衆にとってもはやたえがたいものとなる決定的瞬間には、大衆は彼らを政治的領域からしめだしている障壁を突き破り、彼らの伝統的代表者たちを一掃し、彼ら自身の干渉によって新制度への最初の基礎工事をつくりだすのである」。
トロツキーの視点を土台にすれば、次のように要約することができる。
「アラブの春」は、もはやたえがたいものとなっていた旧体制に対して、やむにやまれない形で大衆が決起した。しかし、イスラム主義派は、既存のイスラーム主義政権や世俗派政権に対する具体的なオルタナティブを提示できない。現実の大衆の要求にもとづく社会運動を展開して、既存の政権(世俗派政権にもイスラム主義政権にも)に反対する運動を展開できない。
民衆は、携帯、スマホという最先端の情報技術を武器に専制体制の検閲と弾圧をかいくぐり、情報を交換し、討論し、独裁打倒へと結集していった―不均等・複合発展の法則を体現していると言える。
その中心勢力は青年、学生、女性、労働者であり、社会的要求を掲げた。賃上げ、組合活動の自由、女性の権利などの要求が提起されたのであり、イスラム主義にもとづく要求は前面には出なかった。また、運動の中では、世俗派、イスラム主義、宗教の違いを超えた結集が生まれた。
「春」を担った青年、学生、労働者の主体は、パレスチナ民衆のインティファーダへの連帯闘争、官製組合の指導部に抗して自立的な独立労組を求め、賃上げや食料品価格の高騰に反対するストライキ闘争、労働者のストライキを支援する学生の連帯闘争、女性の権利を守る闘いなどを通じて準備されていた。
民衆の憎悪の的であった警察機構が真っ先に解体し、ひるむことなく決死の覚悟で決起した圧倒的多数の前では、軍隊の兵士は動揺し、分解せざるを得なかった。リビアのカダフィ政権の軍隊はまさにこのような巨万の民衆を前にして分解してしまった。まさにロシア革命と同じだ。
民衆の決起は、旧国家機関を麻痺・解体し、新しい民衆自身の下からの権力機関を自ら生み出していく。萌芽的に二重権力状態だった。
この決起によって旧来の国家権力機関は麻痺し、半ば解体状態に陥った。この権力の「空白」に対して、独裁体制を打倒した民衆は、自らの権利を主張し始めた。労働者は独裁体制とつながっていた経営者を追放し、国家と癒着した半官製の労働組合とは別に新たな自立した労働組合の結成を開始し、賃上げを勝ち取り、非正規雇用の身分を脱して正規雇用の地位を勝ち取りつつある。チュニジア、エジプトなどの地区では自分たちで地区委員会を結成し、革命の成果を防衛し、
自らの社会・経済生活を自分たちで管理し始めた。
既存の国家権力の暴力装置に対しても同様のことが見られた。トロツキーは言う。
「群衆は、警官にたいしては、凶暴な憎悪をしめした。彼らは、口笛、石塊、氷の破片をもって、騎馬巡査をおいだした。一方、労働者は全然ちがった態度をもって兵士に接近した。兵営、歩哨、巡邏(じゅんら)兵、および列兵の周囲には、男女労働者があつまって、兵たちと友情的な言葉を交わしていた。これは、ストライキの発展、および労働者と軍隊との個人的結合によって生まれた新しい段階であった。このような段階は、あらゆる革命に必然的にあらわれる」(『ロシア革命史』)。

長い革命過程の
始まりとして


こうした事態が「アラブの春」では起こらなかっただろうか? 軍隊による弾圧にもひるまない圧倒的大衆の蜂起の中で、アラブの既存国家の中の軍隊の兵士は動揺しなかっただろうか? リビアではカダフィによって絶望的で残虐な大量虐殺に投入された軍隊は完全に分解し、その一部は反乱する民衆の側に合流した。
この事態を恐れたチュニジアとエジプトの軍上層部は、軍による大々的な流血の弾圧によって生じる可能性のある軍隊の全面的分解を防ぐために、それまで自らが支えて来たベン・アリとムバラクという独裁者の切り捨てに踏み切った。
それではロシア革命との違いは何かを見てみよう。
ロシア革命は、一九〇五年の革命を経験した労働者の先進層と社会主義政党指導部の存在があったが、「アラブの春」はあくまでも「統一したアラブの革命」の長い革命の過程の始まりであった。
また強力なこの大衆運動のもうひとつの注目すべき特徴は、イスラム主義勢力が最初から前面に出てこなかったという点である。それどころか、エジプトのムスリム同胞団は当初、この運動への参加をためらいさえした。また、高揚した運動の中では、宗教、宗派を超えた連帯が見られた。広場におけるムスリム同胞団
とキリスト教系のコプト教徒の連帯で、対ムバラク独裁体制の闘いが展開された。西はモロッコから東はイエメン、イランにまでアラブ・中東全域に運動が拡大した。   (つづく)


もどる

Back