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    かけはし2018年6月4日号

諸勢力の統一とそれによる決起は拡大中


フランス

オリビエ・ブザンスノーに聞く

マクロン陣営内の急速な混乱も
今の事態中に潜む一つの可能性


 オリビエ・ブザンスノーはフランス反資本主義新党(NPA)のスポークスパーソンだが、四月一九日に「ル・インロクプティブレス」誌のマチュウ・デジャンのインタビューを受けた。その時以後反マクロンの運動は、諸々の大学の占拠行動に対する排除攻撃、またメーデーデモへの攻撃など、厳しい弾圧にあいながらも続いてきた(本紙五月二一日号参照)。

闘いに火をつけたのはマクロン


―エマニュエル・マクロンはこの一週間、メディアで極めて高姿勢な態度を示してきた。あなたの観点では、彼は結果として強化されたのか?

 そうは思わない。あらゆる兆候は、この運動は定着に向かって継続中であり、それは進行中、ということを示している。四月一七日には、ナンテール校で一八〇〇人の大衆集会があった。私は一九九五年に私が知ったことを思い出している(注一)。そのような大衆集会があるとすれば、それは何かが起きつつあるからなのだ。
至近では政治学学院のように、ますます多くの教育機関が占拠されている。鉄道労働者内部でのストライキ参加率は、以前の運動よりも強い。RATP(パリ交通公団)も巻き込まれている。停止はまったくない。世論をめぐる戦闘は、TVショーの上ではなく、前途に控える社会的な戦闘の中で勝負がつくことになるだろう。

――マクロンは、BEM(二四時間ニュース・天気予報TVチャンネル)とメディアパートでのインタビューの中で、彼から見て「不平といったものは大してない」のに、「不平の凝固作用」を生み出したがっている、として、エドウィ・プレネルを責めた(注二)。彼は正しいか?

 違う、彼は思い違いしている。事実としては、怒りを凝固させ続けているのは彼なのだ。対立状況の中ではよくあることとして、そうする点で、力をもつ者は他の何百万人よりもはるかに強力だ。一斉にあらゆる導火線に火を着けると意識的に決めたのは彼であり、彼の側近だ。つまり、年金生活者がCSG(社会保障拠出金)で圧迫を受け続けていた中での年金改革、また大学入学に関する改革に固執することによって、あるいはノートルダム・デランドのZADからの排除を暴力的に強行することによってだ(注三)。
事実として彼が何とかやり遂げたすべては、運動を再び立ち上がらせたことだ。実際、今ほど多くのザディスト(ZADに住み着く人びと:訳者)がいたことはこれまで決してなかったのだ。彼は、運動の結集点となっていた「一〇〇の名前をもつ羊小屋」を破壊することによって(本紙五月一四日号参照)、彼に反対するあらゆる部分を連合させた。
彼は、あらゆる分野で、また同時に、以前の諸政権が失敗に終わったところでうまくやり果せることができる、と考えているが、自信過剰に気をつけるべきだろう。

大闘争の自然発生的出現はない

――有権者は彼に対し大統領選第一回投票で一八%しか投じなかった。しかしそれでも彼は、譲歩することなくこの国の改革を進めている。これがもっと多くの街頭での抗議を引き起こしていないのはなぜか?

 容認しない、というところから反攻へと動くことは、常に特別な諸条件の中で時間をかけて建設される、極めて大きな一歩だ。私は、この攻撃にフランス社会は応じつつある、と考えている。また、彼は、BEMにおいてプレネルとブルディン(ジャーナリストの一人:訳者)に反対した彼の振るまいとまさに同じく、あまりにも彼個人に自信をもちすぎている、と考える。この階級的な傲慢さは、それを彼は多くの軽蔑を伴って普通にあらわにしているが、彼をつまずかせる可能性がある。
彼は、政治的なしがらみによって引きとどめられたことを理由に彼の前任者たちがこれまでできなかったことを、できると考えている。しかしフランス社会は、その社会モデルに、その社会的な達成物に、非常な愛着を持ち続けている。もちろん、抵抗は全体的な大炎上にはなっていない。しかし歴史がわれわれに告げていることは、大炎上的抵抗は自然発生的に起きるのではなく、構築される、ということなのだ。
六八年五月の場合、ルモンド紙論説が主張したこととは逆に、フランスはうんざりしていた。多くの警告信号、ストライキ、決起があった。束になった戦闘がまさに今進もうとしている、と考えるとすれば、それは人を誤らせるものだろう。こうした脈絡の中で活動家が負う役割は、抵抗が起きた場合にその集中が有効に生まれるように、車輪に油を注すことだ。挑戦すべきことは、マクロンの正統性を掘り崩すことだけではなく、勝利することだ。われわれには勝利が必要なのだ。

――鉄道労働者の「特権的な」地位を示す政府と、「われわれすべては何らかの鉄道労働者だ」(注四)と語るあなたの間で進んでいる文化的戦闘で、力関係は変わろうとしているのか?

 私の考えでは、それは論証の問題や教育の問題ではない。左翼の立場に立つある人びとは、われわれは大衆を教育する必要がある、と考えている。それは私の立場ではない。集団的記憶の深いところ――ダニエル・ベンサイードが好んだ表現を使えば――には、社会的保護への深い愛着がある。鉄道路線が消えかけているという見通し、公立病院が今よりもっとひどい状態になるという切迫感、そして大学入学に対する広く知られている選抜は、今立ち上がっている者たちをはるかに超えて人びとの感情を害している(注五)。

法と秩序の道の選択は両刃の剣


――「教会と国家間の傷ついた結びつき」に関する彼の演説、「職業的トラブルメーカー」についての彼の言明、そしてノートルダム・デランドにおける警察の暴力行為、これらに基づけば、あなたはマクロンが右に動こうとしていると考えるか?

 私の場合、基本的に彼は変わることなく右の立場だったということには、まったく何の疑問もなかった。しかし彼の戦略は、実際にも右翼の指導者になる、ということになっている。これは彼にとって永久に占めるべき政治空間だ。彼は、左翼としての仕事はやり終えた、今や右翼の陣営に向かわなければならない、と考えている。
それゆえ彼は、あらゆる分野で、道徳と治安で、法と秩序の党派を選択することになっている。しかしそれは諸刃の剣だ。CRS(共和国保安機動隊)がナンテール校の円形教室から平和的に行動していた学生たちを追い出す時、それは決起を強化しその数も増やすのだ。そして同時に、今こそ攻撃の時だと考える一群の全体を、彼自身の陣営を超える形でも解き放つ。これこそ、モンペリエで起きたことだ(注六)。今やあらゆる反動派が、攻撃が正統化されたと感じている。

――今学生に占拠されている政治学学院正面では、われわれは「マクロンの独裁に反対する政治学学院生」といったメッセージを読むことができる。五〇年前彼らの先輩たちは「ドゴールの独裁」に反対した。あなたは、そこに類似性があると考えるか?

 諸々の壁が再び討論に加わっている。私はトルビアクで、「もうエレベーターに乗るな、権力をとれ」と語るポスターを見た。噴きこぼれを示すこうしたタイプは、何万という人びとが政治行動の用意を整えつつある時には特有なものだ。もちろんわれわれは、過去の事例から刺激を受けるが、しかしそれをコピー・ペーストすることはない。六八年五月を記念する最良の方法は、まさにそれをたどることではなく、異なった諸環境の下でそれをつくり変えることなのだ。
一九六八年は巨大な一団だっただけではなく、九〇〇万人から一〇〇〇万人のストライキに立ち上がった人びとでもあった、ということを心にとどめよう。それこそがあらゆるものをひっくり返したものだ。

――政府は、ヴィダル法は大学入学の選抜を是認するものにはならない、選抜のような主張は真実に反する、と主張している。これは言葉の問題か?

 それは教育方法の問題であり、学生は誤解したと語ることをもし彼らが選ぶとすれば、彼らは間違いを犯すことになるだろう。大学界――学生と教員たち――には十分な情報があり、選抜とは何であるかを分かっているからだ。それはまた六八年五月の原因でもあった。
一人の活動家が私に次のように語って聞かせた。つまり、彼が一九六八年はじめにサンシェールで地理学を学習していた時、彼の最初の印象的なイメージは、講義ホールに入ってきて、「いいかい、今年末には、この教室の五分の一が卒業することになり、残りはそうならないだろう」と語った、UNEF(学生組合)活動家のイメージだったと。彼は政治化していなかったが、彼はそれまでに二回彼のバカロレア(高校卒業資格)を通っていた以上、先のことは直接彼の心に響いたのだ。
選抜は、社会的不平等が原因ですでに極めて強くなっていた。そして大学には今日でも、記録に残されていない、未確認の、事実上の選抜がある。しかし法に選抜を書き込むこと――なぜならばそれこそわれわれが今話していることだ――は、チクタクと音を刻む時限爆弾だ。

――占拠された大学における攻撃行動のゆえに、極右グループが注目されてきた。極右のこの再活性化をどう説明するか?

 これは、何かが進もうとしていると彼らが理解しているということの印であり、また暴力を使うことが彼らの対応方法だ、ということも示す印だ。彼らに対する反対が起きるだろうという事実を超えて、それは、マクロンが選択した法秩序の仲間となることがはらむ政治的リスクについて、多くを語っている。それは、反選抜で決起している者たちを超える人びとを不快にし、憤激させることになるだけではなく、彼は自身の支持者を失望させる危険を犯そうともしている。王以上に君主主義的である者は、つまりやり過ぎる者は常にいるのだ。彼は両方の計算で間違う可能性がある。

政治と社会で時間の一致めざす


――大統領選二回戦以来、FN(国民戦線)は政治の光景からほとんど消えている。われわれはこの原因をマクロンに帰すことができるか?

 視覚効果に用心しよう。議会選期間は確かにマリーヌ・ルペンを弱体化した。しかしFNは深いところの政治空間を占めている。この政治空間が視覚効果のように消え去ってしまうはずはなく、それはいつでも再出現可能だ。政治の光景の選挙における表現と社会内に実際に存在する勢力間には段差があるのだ。
左翼の側には、議会と制度的な枠組みの先まで広がる政治的憤激がある。確かにそれは部分的に、何人かの議員と不屈のフランスのような政治潮流によって中継されている。しかし憤激はそれよりも深い。そして議会外には総称的な意味での急進的左翼がいる。これは重要な現実だ。

――現在の社会的時期にあなたは、政治的な諸組織の、革命的なあるいは単純に進歩的な組織の役割をどのように考えているか?

 それらの役割は、可能な限り最大の程度で、政治的な時間と社会的な時間を結びつけることだ。社会生活が速度を上げている最中でも、政治生活が遅れることは多くある。われわれは一致していなければならない。そしてそこには、新旧の結合もなければならない。それは、現存の社会組織、労働組合組織、政治組織をはるかに超えて広がるものの間のことだ。それらの経験が諸々必要とされているからだ。われわれの役割は、この統一に向けた仕事をすることだ。
この統一の枠組みは存在している(注七)。われわれは定期的に会合し、われわれは共同のイニシアチブを求めて声をあげている。さらに月末に向けて一つの会合が準備されている。しかしながら、われわれの貢献はささやかなものだ。というのも、政治諸組織は、たとえ統一したとしても、闘いそれ自身の中で、すなわちストライキ、占拠、デモ、封鎖、さらにこれまでわれわれが考えたことのないものごと……の中で、結晶化することになる実体的力関係に置き変わることはあり得ないからだ。

――マクロンは、「相手が屈服することに慣れてしまっている少数派の独裁」について発言した。しかし過去一五年を通じて、政府は何に屈服したのだろうか?

 CPE以後の記憶に基づけば、はっきりした社会的勝利は一つもなかった(注八)。勝利のためには、社会運動は常に基盤で強化されなければならない。また体制は頂点で分裂する。しかしこうした構成要素はいちどきになる可能性がある。つまり社会では何ごとかが起きつつあり、頂点では、マクロン陣営内の事態があっという間に混乱状態に入り込む可能性がある、ということだ。われわれはそれを、難民・移民法について見ている。政治的合成体を作り上げたことはみごとだ。しかしこれはまた、いつでも爆発し得る巨大な矛盾の巣でもある。

違いあっても行動の統一必要


――あなたたちが築き上げた統一枠組みの部分を構成する一二の組織内には、あるべきところにいない一つの組織がある。つまりリュット・ウーブリエ(労働者の闘争)のことだ。その理由は?

 彼らはわれわれの招待に応じて、三月二二日(国家公務員と鉄道労働者に呼びかけられた、現在の波では最初のストライキ行動日)に先立つ最初の会合には来たが、彼らは関わるつもりはないと語った。それは彼らが負うべき責任だ。
しかしながら大事なことは、われわれの違いを認めつつも、基本的な行動の統一を築き上げる、ということだ。われわれはわれわれを隔てているものを分かっている。しかしわれわれは、共にストライキを行うためにしっかり団結している必要がある。
われわれの違いをはっきり認めつつも政治的統一を示すことで、人はその魂をなくすわけではない。われわれはこの統一枠組みの中で嘘をついてはいない。つまり、われわれとアモン(前回大統領選での社会党候補者:訳者)の間で、それは隠しようもなくはっきりしている。しかしわれわれは、われわれがそうすることに一致する場合、われわれの違いにもかかわらず行動する共通の意志をもつのだ。それは実効性を追求するものだ。

――あなたは参加するつもりだと語っている一方で、フィリップ・マルチネス(CGT書記長)は五月五日のデモ(不屈のフランス所属議員が呼びかけた:訳者)に出かけるつもりはないと発言した。この決定をどう分析するか?

 好機の見逃しはすべて指導性をめぐる組織的戦闘から発している。政治組織のレベルでは、全員が戻っている。これこそが、この統一した枠組みの中で、全員が準備に関われるようになる可能性をもつ理由だ。そしてわれわれは、あらゆる決起を、五月一日、五月五日、さらにその先にあるものも支持する。この統一した枠組みは持続しているだけではなく拡張中だ。これはいいことだ。一方われわれは、昨年初めには、雇用改革法に関しこれを行うことができなかったのだ。

解決は議会の外に、が私の確信

――皮肉にも、あなたがもっともしばしばメディアに現れるのは、社会的不穏の時期だ。あなたは、選挙キャンペーンの外で介入する方を好んでいるのか?

 NPAではそれがわれわれが行動するやり方であり、われわれは選挙の時期に政治を行うだけではない。今展開中の結果の連なりは、選挙キャンペーンよりも多くの価値ある政治化を含んだ時期となるだろう。
私にとって、二つの側面――社会的、そして政治的――は大いに結びついている。私は、私が行うことに関し私が考えることに合うよう選択を行ってから、より自由になっていると感じている。私は、選挙での永久的な極左候補者とならないために、自らに自由を与えた。しかし私はフィリップ・プトゥのキャンペーンに取り組み、この国を旅し、ラジオ放送も作るなどした。その時にも私は完全に自由を感じた。しかし「復帰」に関するこの話はここまでのところ、私からは取り除かれている。それについては何と言えばいいか分からない。

――あなた方とは実体的相違があるとしても、ジャンリュク・メランションが政治の光景の中に左翼の政治勢力を何とか確立できた、ということは前向きなものだと考えるか?

 私の望みは変わることなく、一つのオルタナティブな政治的代表に向けられている。われわれはキャンペーンの勢いを見た。これは前向きなことだった。これらの諸々の大集会が、活動家と活動家でない者たちが自信を取り戻すことを可能にしているからだ。しかし私はそれでも、今日彼により代表されているとは感じない。
だがそれも、われわれが共に何かをやることができるということを妨げるものではない。重要なことは、われわれはもはや以前の時期にいるわけではない、ということだ。つまり、彼は彼そのものによってマクロンに対する左翼の政治的反対を体現はできない、ということをすべての者が理解するにいたったということだ。

――議会内には、元NPAや元LCRのメンバーがいる。ダニエル・オボノ、エリック・コンケレル等だ。彼らが獲得したこの公開討論の場は、あなたから見て有益に見えるか?

 それはおそらく、一連の対立を議会で彼らが中継するがゆえに有益だ。しかし私は嘘を言うつもりはない。つまり私の注意は本当のところ、まさに今そこに焦点は合っていない。これは、彼らがやること、彼らが費やすエネルギーを軽視するということではない。その問題に答えることは難しい。つまり、もしわれわれが議会に代表を確保していたとすれば、私は同じことを言わないかもしれないということだ。
しかし私は、例えわれわれが代表を確保していたとしても、今始まりつつある時期に何ごとかを築き上げるためにわれわれが必要とする政治的支えは、そこにはないだろうと考える。彼らは公開討論の場を確保している。しかし私の想像では、彼ら自身が、それはいわば公開討論の場に過ぎないという事実を意識している。

――あなたは、この支点はこれからも常に社会運動の中にある、と考えるのか? あなたは、人民戦線の下でのような、強力な社会運動と左翼の議員間の相乗作用に信を置かないのか?

 これは、全面的に異なった脈絡の中で起きると思われる選挙の一時期を意味するだろう。二〇一七年(大統領選とその後の五―六月をかけた議会選)の中にわれわれがはっきり見ることができるのは、議会は実体を欠いた影法師の劇場、ということだ。私は、政治的観点からは解決は議会外にある、と信じている。それを私は深く確信している。それは、不屈のフランスあるいは前回選挙の一連の結果とは関係がない。つまり先の点を私は長い間確信してきた。そしてこの確信はどんどん強まるばかりだ。

反弾圧の統一した防衛組織必須


――この何カ月かで数人のNPA活動家が犠牲になった。ガエル・キラントはラ・ポストから解雇され、オーレリ―アンネ・ソス(トゥルーズの学生運動指導者)は四月三日のデモで逮捕され、ヴィクトル・メンデスもナンテールにおけるCRSによる教室からの排除の中で逮捕された。弾圧の強化があると考えるか?

 間違いなくそうだ。活動的であることの犠牲は何年も認められてきたことだった。それはわれわれだけではない。政府は恐怖の空気をつくり出したいと思っている。懲戒委員会、その手続き、召喚、また拘留は、系統立てられてきている。
しかし貧しい住民地域では、そのような弾圧ははるかにひどい。つまりあなたは、西アフリカ出身の一家向けに用意されている嫌がらせを見るだけでいいということだ。
この政策の体系化は、中央政府が必ずしも統制していないが、しかし政府がそれらに対しゴーサインを出した諸力を解き放つことになった。われわれはわれわれの運命のことで今声をあげているわけではないが、しかしそれは一つの真実だ。

――これらの迫害はあなた方の周囲に共感の波をもたらすことになったのか?

 一九七〇年代、「行動と抑圧」という等号は非常な流行だった。抑圧は必然的に連帯を生み出すと考えられた。私はそれを一つの理論にするつもりはない。ましてわれわれは、人びとを刑務所や警察の拘置所から出す上で、また解雇などの懲戒決定が下されることを阻止するために、多くの時間を浪費している。
常識は、一つの防衛組織、つまり「あなたがわれわれの活動家の一人を痛めつけるとすれば、それは全員を痛めつけているということだ」と声にする防衛組織を作り上げるために、あらゆる労働運動と労組の活動家、社会活動家、キャンペーン活動家、政治的活動家に統一することを求めると思われる。それは強力な合図となるだろう。そしてそれは必要以上のものだ。

――四月一二日に起訴の一〇年後に被告人の釈放で終わったタルナック事件は、同じ弾圧の一部か?

 そうだ。それこそ私がはじめから彼らに連帯した理由だ(注九)。ウルトラ左翼に対する裁判の背後で、あらゆる住民に対して、活動家であることには犠牲が伴う、あなたが活動を始めればあなたを待つのは犠牲だ、とのメッセージが送られた。これはまた、ガエル・キラントに起きたことでもある。つまり、労組差別を根拠として労働監督官が彼の解雇を拒否したこと、労働監督局長官によるこれらの報告の確認、さらに彼の解雇を認めないとするグザヴィエ・ベトラン(右派の下院議員)が下した政治的決定、この三つの決定の後に、ミュリエル・ペニコ(労働相)が最終的に解雇を認可したのだ。これは酷い。

可能性が諸々生まれつつある

――一九九〇年代はじめ以来、われわれは大きなユートピア理念の薄らぎを経験し続けてきた。あなたはその時代の子どもであり、いわば革命なき時代の革命家だ。あなたを進ませ続けているものは何か? あなたを楽観的にしている何らかの経験はあるのか?

 私は、継続的に連なる結果はわれわれの政治的展望の閉塞として特性づけできる、とは考えない。私は、たやすく利用できるモデルがまったくない世界で政治的に育った。しかし私は、近年他の諸々の可能性が開けつつあるという印象を、われわれは抵抗という役割に閉じ込められることがより少なくなっているという印象をもっている。
たとえば現在の決起は、公共サービスがオルタナティブなやり方でどのようなものになり得るのか、に関し語り合う機会になっている。われわれはZADで、別な暮らし方、農業のもう一つのタイプを実験中だ。人員整理計画がある場合でも、アルセロール・ミッタル(世界最大の鉄鋼メーカー)からユニリーバ・フランスにいたるまで、ある種の協同組合創出という考えがもち上がっている。それこそが、私の場合ある種の退行を内面化しない理由だ。

――私の推測だが、あなたはNTM(フランスのラップバンド)を見るために、フェテ・デ・ユマニテ(音楽フェスティバル)に行くつもりではないのか?

 確かにそうだ(笑み)。

――事態に味を利かせるためには何が必要だろうか?

 まさにもうちょっとの数の多さだ(笑い)。

(注一)ブザンスノーはナンテール校で歴史学の学位を得た。
(注二)エドウィ・プレネルはルモンド紙の元編集者であり、オンライン情報ウェブサイトであるメディアパート創設者兼編集者。
(注三)ZADという表現あるいは「防衛圏」は、開発計画を物理的に阻止することを目的とする戦闘的な占拠をさす。
(注四)テレビでのインタビューの中で出されたブザンスノーによるこの意見は、鉄道労働者の「特権」に関する政府キャンペーンに対する異議突き付けとして、大衆的に広まった。
(注五)バカロレアをもつフランスの高校卒業生は現在まで、大学に入学できてきた。
(注六)言われているところでは何人かの教授も含まれる、占拠学生に対する極右集団による特に暴力的な排除があった。
(注七)ブザンスノーはNPAを代表して、社会党の左に位置する一二の組織を結集する統一的枠組みに向けイニシアチブを発揮してきた。これらの組織には中でも、共産党(PCF)、元社会党大統領候補であるブノー・アモンの運動「ジェネラシオンs」、アンサンブル(左翼戦線に加わったNPAの元分裂組織だが、現在は不屈のフランスの一部)、不屈のフランスの議員グループである欧州エコロジー―緑の党、先頃社会党を離脱したジェラール・フィロシュの運動、が含まれる。
(注八)CPEあるいは初期雇用契約は二〇〇六年にジャケス・シラク政府により導入されたが、その後大衆的な抗議を受けて撤回された。
(注九)タルナック事件では、業務妨害を申し立てられた九人のアナーキストに対し犯罪容疑がかけられた。(「インターナショナルビューポイント」二〇一八年五月号)

コラム

潮干狩り

 ひとり娘も来月で三〇歳になる。娘とは月一回のペースで叔母さん宅を訪問して、私の手料理をつまみにして一杯飲むということを一〇年ほど続けてきた。酒は強い。そんな娘と二〇年ぶりに潮干狩りに行くことになった。
 場所はGWにTVや新聞で面白おかしく報道されていた神奈川県の野島公園である。GWの大潮の期間には連日三万人以上が押しかけた。ここは護岸工事こそされてはいるものの、潮が引くと広大な砂浜が出現する。また採れる貝のすべてが天然ということもあって、料金もかからないということもうれしい。
 二〇年前はGWの大混雑のなかでの潮干狩りだった。特に波打ちぎわ当たりは人でごった返していて、アサリの数よりも人の数の方が多いのではないかと思われるほどであった。なかなか数を採れないということもあって、採る人など誰もいない護岸下のテトラ周辺を探ることにした。割れたガラス片に気をつけながら五センチほど掘ると、砂のなかで熟睡していたアサリがザックザックと出てくるのであった。気落ちして上がってきた親子も「こんな所で採れるんですね」と驚いて私らの近くを掘り始めた。その親子もザックザックに歓声を上げていた。私らは四人で子供用のバケツ二杯が山盛りになったので終了。その後アサリがたっぷり入ったみそ汁とおにぎりを食べてから帰路についたのであった。
 帰宅してから砂ぬきしようとアサリをクーラーボックスに移し入れたのだが、二人家族には量が多すぎる。それでスーパーのポリ袋に四〜五〇粒ほどに小分けして、同じアパートの住人におすそ分けすることにした。四〜五軒ほど回って帰ってきた娘が「××さんからこれもらった」と言って差し出したのは、渡したアサリと同量ほどの薄茶色で大粒のシジミが入った袋だった。わが家では安い小粒の黒シジミしか口にすることができなかったが、それが青森産の高級シジミであることはすぐにわかった。後日お礼を言うと、青森県の実家から大量に送られてきたとのことだった。二カ月ほどしてから隣に住む大家さんが北海道産の殻つきホタテをおすそ分けにやってきた。
 潮干狩りシーズンを前にして「貝毒」についての報道があった。それによると大阪湾や瀬戸内海の一部のアサリと岩手県の一部のカキで、基準値を超える貝毒が検出されたというのである。ツブ貝の毒腺のことは実際に中毒を起こしたので知ってはいたが、水温が上昇する四〜五月に発生する有害プランクトンを捕食した貝が毒を蓄積させるということは初耳だった。蓄積されている毒の量にもよるが、食べると消化器系や神経系の中毒症状を引き起こすという。浜名湖アサリ貝毒事件(一九四二年三月)では一度に一〇〇人以上が死亡している。また毒は貝自身の代謝によって無毒化する。
 今回はどのくらい採れるだろうか。またテトラ周りを探ろうと思っている。そして誘いに乗ってくれた娘に感謝である。(星)
 
 


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