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    かけはし2018年6月11日号

現場で知る人びとの苦悩


「平和に向かう日韓連帯ツアー/イン・コリア」に参加して(上)

吉田あかり(沖縄)

原発輸出は脱核化に逆行

異議あり!文政権の原発政策

 沖縄の吉田あかりさんに「平和に向かう日韓連帯ツアー/イン・コリア」に参加した報告を書いていただきました。沖縄と韓国の人びとの平和への連帯が進む中で、原発問題についてのなかなか知ることのない話をふくめて日韓・沖縄の連帯が進んでいくことは重要です。(編集部)

韓国の原発事情について

 五月三日から六日までZENKOが主催したツアーに乗っかって、高圧送電塔設置に反対している密陽(ミリャン)と、サード配置に反対している星州(ソンジュ)ソソン里に行ってきた。実はこの二カ所は前々から行きたかったところなので部外者ながらも加えてもらったのだが、このほかに釜山の古里(コリ)、新古里原発反対市民との交流、慶州(キョンジュ)月城(ウォルソン)原発反対闘争現場にも訪問でき、おかげで韓国の原発事情を知ることができた。特にろうそく革命で誕生した文在寅(ムン・ジェイン)大統領の原発、安保外交政策と相反する現場の苦悩に直面し考えさせられることが多かった。
 また今回の韓国訪問はちょうど歴史的な南北首脳会談が行われた直後で、米朝会談への期待が高まっていた時期であった。読者のもとにこの報告が届けられるころは事態が変化していると思うが、こうした時期に韓国に行けたことは幸運だった。

古里、新古里原発

四カ所に広が
った原発建設
釜山では、「脱核釜山市民連帯」共同執行委員長のジョン・スニさんから新古里原発5、6号機が「公論化」で建設が続行されることになった経過と問題点を聞いた。
韓国の原発は朴正煕時代、釜山の古里住民を軍隊の力で強制移住させたのが始まりで、その後増設が繰り返され、現在では@古里のほかに、A慶州の月城(4基、うち1号機は耐用年数超過で稼働停止中)、新月城(2基)、Bウルジンにあるハヌル原発(6基、内1号機は耐用年数超過のため停止中)、新ハヌル原発(2基)、Cヨングァンにあるハンピッ原発(4基)の四カ所に広がった。

公論化で新古里
5、6号機続行
古里の原発は1〜4号機(1号機は耐用年数が過ぎ永久閉鎖中)と、新古里原発(釜山広域市、蔚山市にまたがる)に1〜4号機があり、新古里原発5、6号機は文在寅大統領が誕生時三〇%ほど工事が進んでいた。この工事を続行するのか、中止にするのか、文在寅新大統領は決断しなければならなった。中止によって生じる賠償問題、失業者排出等で反対の声が大きくなっていた。この解決のため文在寅は「公論化」方式をもちいた。公論化、即ち全国各地域と年齢層から五〇〇人をまんべんなく選出し、そこで徹底した論議をしてもらう、その結果を参考に決定するというものだ。外部との連絡を遮断して行われた二泊三日の論議も経て得られた結果は、工事続行派が六割だった。反対派は当初二割ほどに過ぎなかったが論議の過程で四割にまで増えたというが多数には至らなかった。賛成派を後押しした背景には日本の原発再稼動の動きがあったという。文在寅はこの結果を受け工事続行を決断した。

公論化でかき消
された反対の声
公論化による決定以降、反対派の声はかき消され、脱核の運動が広がりにくくなったとジョン・スニさんは訴えた。公平性があるとされた五〇〇人の選び方には古里地域の住民の声が反映されにくい仕組みもあった。こうして民主主義の名の下で脱原発が沈黙させられてしまった。しかし、何とかこの限界を乗り超えて大衆化していきたいと決意を語ってくれた。非常に苦しい状況が伝わってきた。会場から日本では原発の教育がどのようにされているか質問があり、次世代も含めて脱原発を浸透させていくことの重要さを改めて確認させられた。

 

後退した文在寅
の原発政策
文在寅の核政策について簡単に整理し伝えておきたいと思う。選挙期間中、文在寅は韓国の脱核化を訴え、
@新規原発は停止、即ち建設中である新古里原発5、6号機と新ハヌル1、2号機は全面工事停止、
A計画中の新ハヌル3、4号機、ヨンドク1、2号機は計画の白紙化、
B耐用年数が過ぎたものは即刻閉鎖、を公約とした経緯があった。
問題は@にある。当選後文在寅は、すでに工事が九〇%以上進んでいたハヌル1、2号機は稼働を容認してしまった。そして三〇%工事が進んでいた新古里5、6号機は先に述べたように工事続行となってしまった。明らかに公約から後退した。
実は文在寅の核政策にはこの他にも問題がある。アラブ首長国連邦へ原発が輸出され、今後も積極的に続けると公言、また核再処理の研究を進めることについては変わりなく、脱核化に逆行しているのが実態だ。また臨時貯蔵施設増設や現存原発による健康被害等について問題視していないこともある。特に再処理研究所等の原発業界に、これまで脱原発研究や運動を担ってきた人たちが取り込まれていることも大きな問題だということも報告された。

ミリャン高圧送電塔反対

完成されてしま
った高圧送電塔
新古里原発で作られた電気は都市に送るため、いくつかの変電所を経てボルトを下げながら、最終的に家庭に配電される。韓国は世界最高の七六万五〇〇〇Xの高圧送電を採用した。日本の場合、最高五〇万Xだ。この高圧線の周囲一〇?以内では人間が即死するという。電磁波による健康被害、送電塔から出る騒音、特に雨の日には我慢がならない不気味な音を出すそうだがこうした問題は未解決の状態だ。
新古里変電所から北慶南変電所まで一六一基の送電塔が計画され工事も進んでいたが、ミリャン区間の五二基の工事は反対闘争でストップしていた。しかし二〇〇八年ついに反対を押し切ってこの区間の工事が始まった。以後全国に闘いの輪が広がり「脱核希望のバス」で多くの人々が現地に駆け付け支援を続けた。
にもかかわらず権力は二〇一四年六月一一日、二〇〇〇人の警察隊を導入し団結小屋四カ所を撤去、体を鎖でつないで抵抗した住民を強制排除した。こうして送電塔は完成されて送電が開始された。その後危惧された通り、地域住民は騒音と健康被害に悩まされるようになった。
当時一〇〇〇所帯いた反対派は、多額の損害賠償を請求され、一方補償金の大幅引き上げがなされるという文字通り飴と鞭で分断され、今では一〇〇所帯に減ったという。それでも闘いをあきらめてはいない。原発がなくなるまで闘うと決意は固かった。

イ・チウさんの抗
議焼身自殺現場で
私たちは最初に送電塔が村を囲うように建てられているところに向かった。案内してくださったのは、送電塔反対対策委員会事務局長のイ・ケサムさんという青年だったが、話を聞くと彼のおじいちゃんは日帝時代総督府の土地調査で土地を奪われ追い出されるように日本に渡っていったということだ。これを聞いただけでも胸がつまるが、そのおじいちゃんは苦労の末やっと解放になって、いざ故国に帰還しようとしたそのとき浮島丸に乗船して犠牲になったという。あまりの無念な話に日本人である自分がいたたまれなかった。韓国には植民地時代の爪痕がこうしてあちこちに残っている。
話は戻るが周囲は見渡す限り送電塔が立ち並んでいた。ここだけ不自然にカーブを描いているのはミリャン市の有力者親族の土地を避けたためだそうだ。実はこの風景が見えるこの場所でイ・チウさんは抗議の焼身自殺をした。コンクリートの道路には当日履いていた白いゴム長靴の後がくっきりと残っていた。黙祷をささげたが気持ちは晴れなった。

あきらめない!
固い住民の決意
この後私たちはミリャンの市内に向かい、全国の支援で建てられた二階建ての建物で交流会をもった。女性野戦司令官と言われたオクスンさんはじめ女性たちが作ってくれたビビンパッをごちそうになり、ミリャンの人たちのお話をうかがった。映像も見せていただいたが文字通り体を張ったその闘いはすさまじかった。
高江・辺野古の闘いとダブり胸が苦しくなった。二〇〇五年に計画が持ち上がった時から闘っているというイさんは現在七〇歳でその日の中では一番若かった。八三歳のソン・ヒギョンおばあちゃんは三代続いた土地を守っているという。自治会長の金さんは八七歳である。皆さんはとても若くて元気であった。これからも闘いは続き、その道のりは遠いが、お互いにあきらめないで頑張り続けようと誓い合った。(つづく)

コラム

「原発産業」


 東芝、三菱、日立。これは落日を迎えつつある日本の三大原発メーカー。東芝は米国で原発企業の買収に失敗し、企業本体の経営危機を招いている。日立は日英政府の後押しを受けて英国での原発建設を引き受けたが、建設費が増大し、追加資金を要求し立ち往生。巷間「経団連会長職の代償としては負担は大き過ぎ」と言われている。そしてメディアによると三菱もトルコで撤退を検討し始めているらしい。これをみると「原発反対」の立場でなくとも原発産業は完全に過去の遺物になり始めたといえる。
 二〇一三年、トルコのエルドアンと安倍はそれぞれの思惑を隠して得意気に、原発協定を結び、トルコでの原発建設に合意した。写真を見るとエルドアンの歓喜は異常だ。トルコはエネルギーの七割を輸入に依存しており、それに加えて原発は「核兵器」を生むことを知っていたから、誰よりも「原発建設」にあこがれ続けてきた。しかしヨーロッパの各国は引き続くトルコの財政危機、政情不安をみて手をこまねいた。本音はもう一つのイランをつくりたくなかったからだ。
 しかし、この網に引っかかったのが安倍だ。日本の経産省は民主党政権下で成長戦略に原発輸出を掲げたものの、アラブ首長国連邦では韓国との競争に敗れた。この雪辱を果たすために経産官僚は安倍を「トップ・セールス」という甘言で担ぎ出し、東電と東芝による「日本連合」をつくり出し、トルコに原発を売り込んだ。しかし、この「日本連合」は二〇一一年の福島第一原発の事故で東電が撤退することにより、崩壊した。次に経産官僚が安倍に進言したのが、三菱と伊藤忠によるコンソーシアム(企業連合)での原発建設であった。場所はトルコ北部の黒海沿岸。地図で見ると黒海に突き出したクリミア半島の対岸に位置するシノソプ海岸。
 協定によると一基の建設費は五〇〇〇億円で建設方式は「BOO」と呼ばれるもので、外国メーカーが建設・所有し、その上メーカーが維持・運営し、かつ電気を売って建設費を回収するというもの。さらに協定には二〇年間電気料金は一キロワット時/10・80米セントと決められている。安倍よりエルドアンの方がはるかに強気で、協定締結の最終局面でエルドアンはシノップ海岸に二基から四基に建設を増やした。これで建設費は当初計画の四倍の二兆円にはね上がり、電気料金を回収するためには、三菱はトルコ全土に新たな電気配線をひくことが必要になった。三菱はトルコ政府に見直しを求めたが、独裁者エルドアンは今や会談にも応じないという。
 三菱は去年自動車部門を日産に身売りし、夢の小型旅客機の完成は遅れ、未だ大空を飛べていない。
 今や原発建設は世界中で産業として成立しなくなっている。唯一黒字部門は、「廃炉産業」だけと言われる。これから五〇年の間に地球上では廃炉になる原発は数百を超えている。すでにフランスは建設部門を縮小し、資金も人材も廃炉部門に投入し始めている。  (武)


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