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    かけはし2018年6月11日号

明らかに昨秋とは違う変化が起きている


フランス

戦闘は長くなる

明暗入り混じる情勢の中で
左翼の挑戦課題一層明確に

レオン・クレミュー

 この間本紙でも断続的に紹介しているが、現在フランスでは、フランス国鉄のストライキを中心に、マクロンの緊縮政策に対する民衆的な反攻が進行中だ。その中では、これまでにない広範な諸勢力の統一とその下での決起、に向けた挑戦も現れている。以下はその最新経過報告。(「かけはし」編集部)


三月二二日から五月二六日まで、ストライキ、デモ、大学と高校の封鎖、衝突、警察の暴力の二カ月が続いた。そしてすべては、今後の週は政治的かつ社会的緊張というこの情勢の長期化となるだろう、しかしマクロン政権の諸計画との集中された衝突が起きることなく、ということを指し示している。
あらゆる決起に対する出発点は、政権による若者と労働者に対する正面攻撃から現れている。これら二ヵ月の間、反攻は主に二つの部門、鉄道労働者と学生および高校生、の決起から登場した。
フランス国鉄(SNCF)の鉄道労働者、特に列車スタッフ、整備士、信号手は、SNCFの私有企業への転換、競争への開放の加速、さらに今いる職員の条件と地位を維持して労働者を雇用することの停止、に反対して大挙して立ち上がっている。SNCFの主要四労組(CEDT、CGT、SUD、UNSA)はFOの支持を得て、SUDは不承不承だった(途切れのないストライキを主張していた:訳者)とはいえ、2/5というストライキ日程のリズム、つまり五日間のうちに二日のストライキという繰り返しを決めた。四月三日を起点に、六月二八日までに三六日のストライキが計画された。
SNFに歩をそろえて、エールフランスの諸労組のみが四月の間、ストライキを平行して進めた。その要求は賃上げであり、二〇一二年以後の経営による賃金凍結で失われた六%を取り戻すことだった。
その上でエールフランスでは、この国の社会、政治状況をさらけ出すことに役立った一つのできごとがあった。この企業グループの経営陣は、CFDTとCGC――管理職労組――を除く全労組連合と非常に幅広い組合間委員会(地上と機内スタッフを含む)によって決定され、相互に緊密に続いたストライキ日では、四月の行動に参加した従業員は非常に限られていた、ということに気付いていた。経営陣は、組合間委員会は労働者の支持を確保していない、それは自身の宣伝に酔ってしまっている、と軽率に結論を下し、「ウルトラ少数派パイロットのストライキ」とけなした。
CEOは、賃上げを無視し、パンくずしか提供しない偽装協定を提案した後、四月半ば、全員投票という冒険的な計画に出た。それは、彼の提案に対する支持を労働者に問いかけ、それがもし否定されるならば辞任することになる、と語るものだった。
結果が出るのに長くはかからなかった。企業内とメディアにおける可能な限りのあらゆる宣伝手段が使われたにもかかわらず、結果は絶対的に鮮明だった。つまり、エールフランススタッフの八〇%以上になる投票率の下で、経営陣の提案は五五%以上の多数で否定された。したがって、エールフランス/KLM(オランダ航空)グループのCEO、ジャネアラクは、彼が雇用している者たちによって自身が首を切られる、ということに気付かされることになった。
エールフランスの上級管理職二人が怒りに震えた労働者の群集から逃げ出さなければならなかった「シャツ裂き事件」のエピソードから二年経って、雇用主の権威に対する服従の欠如と礼を欠いた姿勢を示すこの新たな事例は、労働者が彼らのボスを外にたたき出すことができることに憤慨した政府とメディアにより、厳しく非難された。
この事例は、この国の空気を例証している。四月と五月を通じてストライキ運動の広がりはまったくなかったとはいえ、政治的、社会的空気は、政府の緊縮政策に対する拒絶という空気なのだ。

何が政府の戦術変更導いたのか


これはマクロンと彼の首相を戦術変更に導くことになった。当初政府は、鉄道労働者のストライキを前に、いくつもの駅で立ち往生させられた旅客の怒りを激化させるメディアによる反ストライキ扇動を使って、諸労組との直接衝突というカードを切った。しかしストライキ運動がたとえ広がっていないとしても、かなりの多数に上る労働者はストライキに決起した人びとに対する共感を維持し、さらにCFDTとUNSAを組合間委員会にとどまるよう強制しつつ、ストライキそれ自身も態勢を保ってきた。
しかし同時に、紛争が鉄道労働者を超えて広がるかもしれない、との政府の怖れはこの間の週では具体化されていない。こうして政府は、鉄道労働者と衝突することにより大火を自ら煽るよりも、SNCF諸労組との関係で扉を開くカードを切る方を選んだ。つまり、首相のエドゥアール・フィリップが、二、三週間前には彼の断固さを示すために除外してきた、公式の対話に直接参加する、というカードだ。公的企業としてのSNCFを清算する改革に関し原理的な譲歩はまったくない。
しかし彼はそれでも、六月末でのストライキからの円滑な離脱を促進するために、「考えをめぐらすための何か」を組合指導者に与えなければならなかった。つまり、SNCFが抱える三五〇億ユーロの債務は政府が引き受けることになろうという約束、および民営化法によって経営される新会社の政府株式の移転不可能性を法が言明することになろう、という約束だ。
とはいえこれら二つの公表点も正面攻撃を何ら修正するものではない。それらは、この部門で操業する新私有企業の被雇用者に対し権利の最低限を定める産業規模の協定交渉に対し、諸労組が要求する保証すら与えていない。もっと悪いことにフィリップは四月、鉄道輸送の下請け会社化/私有化を確認した。しかしこの社会的対話の見せかけすべては、改革に対する正面からの拒絶からその周辺的な二、三の点の交渉へと、組合指導部にカーソルを動かす余地を与えている。
政府によるこの戦術変更は、一方では改革が出くわしている敵意の結果であり、しかしまた不幸なことに、政府を阻止することも可能な社会的危機の幕開けを避けてきたストライキ戦術の結果でもある。

正面衝突回避スト戦術の限界

 2/5リズムを採択させた労働組合指導部の中心となった議論は、六月の議会における票決の終わりまで続く、長期のストライキ運動を可能にすることだった(というものの実際上は、布告という仕組みを利用する政府の決定が議会の論争を抑え込んでいる)。このリズムはストライキへの高水準の参加を維持してきた。しかしそれは同時に、当局に適応の余地をも与え、数日間連続的に鉄道輸送が止まる状況を、したがって政府との正面衝突にきっかけを与えることを妨げることになっている。このSNCFストライキの戦術はまた、特に国家の被雇用者の中であり得たと思われる相乗効果を促進しないままに、他の諸部門をそれら自身の行動リズムのままに取り残すことにもなった。
五六〇万人もいるこの部門(病院、教育、公立金融、行政サービス……)もまた、SNCFで行われようとしているものとの関係では僅かばかり遅らされて、正面攻撃にさらされているのだ。そしてそれは、一五万の職の喪失、すでに進行中の賃金に対する攻撃、さらに有期雇用労働者の大量利用という結果になるだろう。
三月二二日は強力な決起だったが、五月二二日の新たな組合横断のストライキ行動日の中では、鉄道労働者がデモに参加した二ヵ月前の大規模な行動日よりも勢いの欠如が、弱さが目立っていた。
極めて幅広い国家従業員の労組行動戦線が生まれているものの、それはまた、CFDTやFOのような労組の非協力にも原因がある。この二労組は、連合レベルでは、闘争の集中の論理すべてを、特に鉄道労働者と国家従業員間について、はっきりと拒否してきた。しかしそれにもかかわらず後者は、同じ性格の攻撃にさらされているのだ。そして国家従業員のどの部門の中にも定められたスケジュールの先まで進む戦闘的圧力がたとえまったくない場合でも、これらの連合の役割は、動員を助けないというものだった。
2/5リズムはさらに、鉄道労働者の全体総会から彼らの運動に対する統制力をも奪うことになった。以前の運動では、ストライキの続行はストライキに決起した者たちの全体総会によって票決された。今回の場合では、固定されたスケジュールに基づき、彼らはそのイニシアチブを失い、四月のはじめ以後、SUDとCGTの戦闘的活動家が固定されたスケジュールを出し抜こうとすることを非常に難しくした。
こうして政府は、輸送手段の封鎖を通した国の経済的封鎖という状況を回避してきた。また社会運動は、他の戦闘的な部門が合流することを可能にしたと思われる交通停止の利点から利益を得ることができなかった。
そうであってもパリ圏ではこの二、三日、何十人もの、また時に一〇〇人内外の鉄道労働者が、諸々の駅におけるスト参加者総会を起点に、労組スケジュールをひっくり返そうと挑み、駅間総会に定期的に参加してきた。それは、すでに確定されたストライキ行動日以外の諸行動を六月はじめに提案することで、彼らが再度行ったことだ。
まとめれば、このストライキは今もそれ自身を維持している。そして他の労働者内部で人気を保っている。決起のこの空気に対し証拠となるもう一つの要素は、SNCF全従業員内部で諸労組が組織した全員投票の結果だ。投票参加率は六一%であり。政府計画反対は九四・九七%にもなった。同様に、ストライキ基金はすぐさま一〇〇万ユーロ以上が集められ、この基金は四つの鉄道労組により管理されている。

学生には徹底した暴力の行使


政府は、鉄道労働者とのどのような直接的衝突をも避けてきた。とはいえそれは、学生と高校生の若者に関しては同じにならなかった。四月半ば以来、七五の大学の半分近くでストライキ、占拠、封鎖が発展してきた。これは、いくつかの場合では二〇〇六年のCPE(初期雇用計画)反対の運動時よりも大きくなった全体総会に帰着した。若者たちに向けた不安定な契約という先の計画を、政府は決起に直面し取り下げなければならなかった。その決起は、モンペリエで二五〇〇人、レンヌで三五〇〇人、トゥルーズで二〇〇〇人……というものだった。
現在の運動は、大部分が自立的に組織されてきた。しかし主な学生組織であるUNEF(フランス全学連とも称される)に発するイニシアチブの欠落に、また実質のある運動の全国指導部を生み出す困難さにも直面しなければならなかった。
それにもかかわらず、この運動は、大学の三分の一が四月と五月を通じて封鎖あるいは占拠される形で、直近の週にいたるまで大衆的だった。これは、期末試験の阻止やその取り消し、あるいは延期という結果をつくり出した。これは警察の暴力を背景に起きた。そこでは、政府と内相のジェラール・コロンが非常な暴力、逮捕、破裂型催涙弾使用を伴ったデモへの攻撃を指揮した。
ここでもまた運動は、大学入学に対する新たな選抜システムであるORE(学業達成適応)と「進級」を前にしている学生内部で極めて広範な人気を博してきた。そして今もそうだ。政府自身、二〇一八年九月で、八〇万の申込に対し学生が利用できる場は六〇万しかないということを認めている。直近の週で実施された申込を分類するこのシステムは、低所得地域の高校生に関し社会的選抜を強化するものだ。そして数十万の学生を、彼らがこれまで行っていた大学申込に対し何らの回答もないままに放置するのだ。
若者たちの怒りが続いている中で政府は、厳しい打撃を加え、彼らを怯えさせようとする選択を行った。ナンテールとトゥルーズでの暴力的介入の後、ジェラール・コロンの部隊は、五月二二日、一二八人の学生を追跡して、彼らが全体総会を組織していたパリの高校に入り込むことまで行った。そしてこの部隊は彼らを逮捕し、そのほぼ三分の一は一八歳以下であるにもかかわらず、家族に通知さえ行わずに終夜拘置所にとどめたのだ。
程度が同じ暴力はまた、ノートルダム・デランドの現地でも行使された。そこでは政府が、この計画の撤回が勝利として、また無用な計画に反対し、社会的エコロジーと環境の防衛を求める、また大規模な産業グループの諸構想に反対する、そうした戦闘的な運動への跳躍台として解釈されたくないと思っているのだ。政府はここでも、故意による警察の暴力を使って占拠地域からザディストを暴力的に追い出す中で、破裂型催涙ガス弾を使い、一人の若者に深刻な傷を与えた。この若者は、そのガス弾の一つの爆発が起こした結果として、片腕を失ったのだ(注一)。

共同の社会・政治戦線初の出現


政治的問題は常のことだが、政府に反対する諸勢力間の政治的また社会的関係という問題になる。
諸勢力のこの関係を築き上げる挑戦として、ATTACとコペルニクス財団が共通の政治的、社会的戦線を築き上げるイニシアチブを発揮した。そしてこの戦線は、五月二六日の一つの重要な決起という結果をもたらした。
五月五日の「マクロン記念日」パリデモ(一年前のマクロンの大統領就任を祝うという皮肉:訳者)がすでに、NPAや不屈のフランスを含んで、アルタナティヴ・リベルテからブノー・アモンの党にいたる、社会党の左に位置する政治諸勢力と市民団体の合流がつくり出した結果だった。その主催者はデモ参加者を一〇万人と集計した。
五月二六日には、フランス中で二〇〇のデモが行われ、今回はCGT、ソリデール、FSU、さらに市民団体や政治諸勢力の参加と共に、二五万人が決起した。
これは、そうした一つの戦線がこれまで生み出したものとしては絶対的にはじめてのものだった。そしてそれは、メディアの多くの憎しみに満ちた捧げ物を受け取った。これらのメディアはそこに、「CGTの危険な漂流」「ジャンリュク・メランションによって道を迷わされようとしているマルチネス(CGT指導者)」……を見たのだった。
現実は違うのであり、マクロンが何の社会的決起もないまま自己主張し、彼の正面には砂漠で叫ぶメランションしかいないように見えた昨年秋と比較した時の、政治情勢における変化があるのだ。
今日、それと共に現れるあらゆる違いをもちつつも築き上げられようとしているのは、一つの決起戦線だ。確かに、街頭での決起や政府と対決するストライキによる力比べに本気で取りかかろうと思っている勢力は二、三しかない。しかし、さまざまな部門の中で、また諸部門を貫いて、そこでもまた空気は変化を遂げている。
何千という活動家が、政府が多くの場合暴力を通してできれば消したいと願っている、そうした数多くの合流に基づいて、社会的空気の温度を引き上げてきた。これらの合流はまた、多くの社会問題に関するオルタナティブな対応の概略をも描いている。
この点では、「アダマのための真実と正義委員会」が五月二六日のパリデモで前列にいたことは、非常に重要だ。アダマ・トラオレは、クレーユ(パリ北方の町)出身の若者だったが、三人の憲兵に身動きできなくされる中で息を止められ、パリ郊外のペルサン憲兵詰め所中庭で二〇一六年七月死亡した。その時以来彼の家族と幅広い委員会は、正義を求めて闘い、居住区における警察と憲兵の暴力を糾弾し続けてきた。ジェラール・コロンの警察の暴虐は、そうした行動の必要を強めているに過ぎないのだ。
民衆の居住区は、近年の諸政権のウルトラな法と秩序政策の第一の標的になっている。そこには、今日のフィリップの政策が含まれ、そのために、今や法に書き込まれた非常事態諸条項が頼りにされている。抑圧諸機関はこの間に免責感を得ることになった。その感覚は、彼らが警察の暴力の若い犠牲者の家族から告発された場合の、そのメンバーの釈放件数が多数であることによって強められている。
現在の政府によって遂行されているあらゆる攻撃は、国家の社会予算の急速な切り下げを見越したものだ。その切り下げは、EUの財政規律にしたがうために六〇〇億ユーロにも上るのだ。これらの方策は、職の圧縮と国家従業員向け原資の切り下げと結びついて、低所得地域を直接に苦しめる。それゆえ、労働者、若者、特に彼らの居住区での日常の基盤で隔離と社会的差別を経験している人びとを共に決起させる、そうした社会戦線をつくり出すことが決定的なのだ。

支配階級の願い砕く展開めざし

 これらの社会的、政治的要素すべてが、社会運動と反資本主義諸勢力がもつ強さと弱さと混じり合っている。
社会的危機は膨大な数に上る場所でくすぶり続けている。現局面では、躍動的な力と障害をつくる力の双方をこの二、三週間で経験した。労組指導部の政策は、対応能力を弱める一つの側面だが、しかしそれが唯一のものではない。フランスでは、資本主義と闘うことを欲している政治的、社会的諸勢力は、特にNPAの活動家は、再建の差し迫った必要性を、特にそれが右翼であろうが社会自由主義であろうが、反動的な諸勢力による近年の汚水の広がりを一掃する、そうした解放の構想と社会的要求を前進させつつ、地方と全国で戦闘的な組織を建設する差し迫った必要性を自覚している。
マクロンは前述した二つの反動勢力の相続人だ。先の組織は、彼を前に、反動的な攻撃が求めるレベルよりは速度が遅いとしても築かれる途上にある。しかしここまでの週はその道を示している。政府とほとんどのメディアは、メランションの大げさな一人芝居に切り縮められた抵抗の左翼という絵柄ができれば続いてほしいと願っている。この二、三週は、完全に異なった光景、集団的で統一した、急進的な戦線の建設という光景を描き出すことになった。
今後の日々について前もって書かれているものは何もない。しかしいずれにしろ、戦闘は長くなるだろう。(二〇一八年五月三一日)

(注一)フランス政府は二〇〇八年、ナント近くのノートルダム・デランド地区に新たな空港を建設する計画を公表した。現地の反対は、フランス全土に広がる支持者により強化された。そしてその支持者のある者たちはこの地に居着いた。この領域は、空港を建設したい開発者にとっては「開発向け留保圏」であり、その反対派にとっては「保存圏(Zone a defendre)」となった。こうしてザディストという言葉ができた。政府は最終的に、二〇一八年一月この計画を放棄したが、ザディスト一掃の決意は放棄していない。(「インターナショナルビューポイント」二〇一八年六月号)  

エジプト

緊急キャンペーン

国内の抑圧を停止せよ

ハイサム・モハメダイン解放!

 五月一八日早く、エジプト治安部隊は、労働弁護士で社会主義活動家のハイサム・モハメダインの住宅を強襲し、行き先不明の場所に彼を連れ去った。ハイサムは、労働者の諸権利に対するよく知られた擁護者であり、より良い労働条件と組織化を進めストライキを行う権利を求めたことで国家の迫害に直面している独立労組活動家を支えようと、精力的に活動してきた。加えて彼は、アムネスティ・インターナショナルが述べるように、当局による嫌がらせと迫害からエル・ナデーム・センター――この組織は拷問と暴力の犠牲者を支援している――を守る決定的な役割を果たしていることで「彼の人権活動を理由にエジプト当局から迫害されてきた」。
 五月一九日、ハイサムは法廷に現れ、拘置所での一五日間拘留と裁定された。エジプトの人権活動家によれば、彼は「地下鉄料金に関する抗議の扇動」に関して尋問を受け続けている。
 直近の料金急上昇に抗議したと嫌疑をかけられた何人かは逮捕され、何人かは釈放された。他の者は今もとどめられている。エジプト治安機関はハイサム・モハメダインを捕らえるためにこの機を利用したように見える。われわれは、彼の逮捕は、現在の軍事政権に批判的な声をあらためて沈黙させるために計画された、と確信している。
 われわれは、拘留者に対する虐待と拷問の、エジプト治安部隊による十分に記録に残るパターンを前提に、彼の健康状態を深刻に懸念している。基本的な人権を求めて公然と声をあげたとの告発では、誰もが拘留および処刑に直面することになる、ということにわれわれはぎょっとさせられている。われわれはエジプト当局に、彼を即時無条件に釈放するよう、また彼に対するあらゆる容疑を取り下げるよう訴える。
(以下の、ノーム・チョムスキーを筆頭とした四一人の署名は省略)(「インターナショナルビューポイント」二〇一八年五月号)

 


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