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    かけはし2018年7月2日号

敗北主義払拭が左派の課題


英国

社会的分断映し出した地方選

アンディ・ストウェ



【解説】

 英国では、五月三日に地方選が行われた。結果は、コービン指揮下の労働党の議席増が若干見られるものだったが、その規模は二〇一七年前倒し総選挙と同じほどの大きなものではなかった。メディアと労働党右派は、労働党の勝利という見込みを大々的にふれ回っていた。こうした非現実的な予想が満たされなかった場合、その後で、指導部を叩くための棒きれとしてだ。不幸なことだが、左翼の何人かもこの罠に落ち、同じメッセージをそっくりまねた。
労働党は全国的に見れば、強力な反緊縮のメッセージを、つまり保守党が相当程度減額してきた地方政府向け資金を回復する労働党政府、として約束したメッセージを押し出したわけではなかった。労働党議員として立候補した者の多数がコービン支持者ではなく、ほとんどの地方マニフェストが単に少ない原資の管理しか語らないという背景の中で、これが特に残念な結果をもたらした落度だった。
こうした背景においては、五月三日に票を投じた人たちのほとんどが、二〇一七年総選挙でわれわれが見たパターンというよりもむしろ、あれやこれやの政党の固い支持者であったことは驚きではない。二〇一七年の場合に労働党は、彼らの急進的なマニフェストに投票するために、以前には、あるいは長い間投票してこなかった多数の人々を連れ出したのだ。今回われわれが見たのは、はるかに熱のない、また分極化した状況だった。(「インターナショナルビューポイント」)

移民のいのち
より節税大事


 ケンジントンとチェルシーにおける地方選結果は、政治情勢が英国でどれほどまで分極化しているかを示す格好の指標だ。そこでの保守党支配地方議会は、グレンフェルタワーにおける完全に避けることのできた七一人の死に責任があった。その後にもかかわらず彼らは、週二回のゴミ収集と地方税引き下げというマニフェスト公約に基づき選挙に立候補し、一議席しか失わなかった。保守党支持者は、彼らの地方税で僅かのポンドを節約することの方を、グレンフェルタワーの人々のいのちよりも重要だと考えているのだ。それが、階級的憎悪とレイシズム的無関心が見せている相貌だ。
 結果が現れるや否や、話は、それはコービン指導部にとっての後退だ、というものになった。BBCのレポーターたちは、彼ら全員が同じ神経症的顔面けいれん症状になったかのように、午前六時からずっと、「コービン衰える」という異様なフレーズを繰り返し続けた。これは、常に頼りになるジェス・フィリップスと同じく右派労働党議員、チュカ・ウムンナと一体的に労働党右派もまた追い求めた攻撃の方向だった。ちなみに前者は、ウィンドラッシュ世代に対する内務省のレイシズム的対処のアンベル・ラッドによる扱い(本紙六月二日号参照)に対し、それを防衛する意志を示したおそらく唯一の労働党議員だ。

不利な条件下で
紛れもない前進


 それでも数字は違った話を告げている。労働党は全国レベルで七四の地方議会を支配するが、保守党のそれは四六だ。そして労働党は二三五〇議席を勝ち取り、七七増、一方保守党は一三三二議席にとどまり、三三減だ。保守党の支持者がまったく忠実であり、彼らが住む場所の七一人の死に保守党の責任がある場合であってさえ、党への投票を止めないというような背景の中で、この結果は無視できない成果だ。
 労働党は、マンチェスター・バラ(バラは英国の行政区:訳者)のトラフォードから保守党をたたき出した。これは、ブルックランズ・ワードの左派候補であるスティーヴ・ロングデンに党機構が示した支持の不在を条件とした場合、なおのこと注目に値する結果だ。左派はスティーヴ支持のために決起した。そこには、オーウェン・ジョネスの鮮明な姿勢のキャンペーン訪問が含まれ、こうして、ブルックランズ奪取と公式に目標にされた議席獲得に成功した(注)。他にも、労働党が何十年間ももっていなかった議席を獲得したところがあった。たとえば、サウスエンドのブレンハイム・パークだ。
 保守党の得意気な大騒ぎと労働党右派の粗探しのほとんどは、ワンズワースとウェストミンスターでの結果に関するものとなった。ロンドンの労働党支持者の多数は、これらの元々は保守党の牙城だったところは陥落するだろう、と確信していた。それでもそれは接戦だった。ワンズワースでは労働党の得票率は三八・七%、保守党は三八%強、しかし保守党はより多くの議席を得た。そして保守党のシンボル的拠点であるウェストミンスターでは、保守党の四二%に対し労働党は四一・一%だった。

反レイシズムが
左派の生命線に


 選挙に先立つ数週間、コービン指導部には、記録されたものでもあらゆる汚いトリックが投げつけられた。「彼はチェコのエージェントだった。モスクワは彼の選挙キャンペーンを助けたことがある。彼は、王家の赤ん坊の誕生に関するメッセージを送る前に、三時間もぐずぐずした。彼は、彼の党内での『反ユダヤ主義の横行』に責任がある」。このナンセンスがTVとラジオを満たしたのだ。
 おそらくある程度の泥は付いただろうが、大きなユダヤ人人口をもつバラであるレッドブリッジでユダヤ人社会主義活動家であるダイヴィッド・ローゼンバーグが見届けたように、労働党はバーネットで議席数を三六から五一に増大させ、重要なユダヤ人コミュニティのあるもう一つの地域では、労働党得票率は二・七%上昇した。
 UKIP(極右の英国独立党)支持者は今、保守党の選挙における生命線になっている。レイシストで外国人排撃の組織は今死んでいる。しかしそれが何者かを十分分かって二〇一五年にその党に票を投じた四〇〇万人近くは今、大多数が保守党に投票しているのだ。彼らの多くは、ブレグジットのレイシズムかつ外国人排撃バージョンを強く求め、それを得る彼らにとっての最良の見込みとして保守党を見ている。以前の指導部の下にあった労働党は、レイシストの票を自身の見地に勝ち取ろうと試みることでより以上にちょっかいを出したが、それを支持した党内の部分は、コービン指導部にもっとも敵意をもっている部分だ。

急進的綱領で
大胆な闘いを


 これらの地方選は労働党にとって、ささやかな勝利となった。選挙の結果は、政治が偏狭なレベルで闘われる場合、極めて特異な愚かしさになる可能性がある。そしてわれわれはこれまでまさに、より感銘を与える女や男が候補者リストに載ることすらない中で、政治理念を示すことがほとんどできない候補者が驚くことに成功するのを見てきた。
 総選挙が舗装の損壊や街灯をめぐって戦われることはないだろう。最新の総選挙は、労働党が急進的な綱領に基づき保守党に対決して潮目を変えることができることを示した。そして、同じタイプの政綱に立って闘うことができた候補者はわずかだった。そうであっても英国の多くのところでは今、一世代を通じてこれまでいた以上の左翼地方議員がいる。党内の社会主義者は、受動性と敗北主義を打ち破るために彼らと共に奮闘する必要がある。その受動性と敗北主義こそ、この十年間、地方政府内の労働党に貼り付けられた品質証明書になってきたものなのだ。

▼筆者は「ソーシャリスト・レジスタンス」編集部メンバー。
(注)ワードは、地方自治体区域内の選挙区。オーウェン・ジョネスはガーディアン紙で注目される、著名な左翼コラムニスト。(「インターナショナルビューポイント」二〇一八年五月号) 

カタルーニャ

永続的混乱か戦略的路線再設定か

ホセ・マリア・アンテンタス

 昨年一〇月から今年はじめにかけてスペイン国家との厳しい緊張を経過したカタルーニャの独立をめぐる闘いは、スペイン中央政府による強権的な独立否認により表面上抑え込まれた形になっている。以下では、この現状をはっきり認めることを出発点に、独立をめぐる戦略の再考が呼びかけられている。(「かけはし」編集部)

 去年一〇月、われわれは、二〇一一年と二〇一二年以後にカタルーニャ社会と政治において推し進められた、さまざまな変革構想の崩壊を経験した。特にこれは、15M運動(怒れる者たち)とその派生潮流であるカタルーニャ・エン・コムとポデモス、あるいは親独立諸勢力によって設定された展望に当てはまる。両潮流の成功の主な理由は、急速で容易な変革に対する一つの構想を差し出す彼らの能力にあった。
時として、現実を単純化することは、一定の決起を力づけるために必要であり得る。問題は、事実が残酷にも予想よりもはるかに手ごわいシナリオを作り出す時に持ち上がる。これは、短期を上回って長い時が押しつけられる場合だ。その時それらに挑む仕事は、戦略的な展望がもっと複雑になる中で、運動自身の基盤のやる気と決起を維持することだ。

一時的敗北の
確認まず必要
今日以下の展望はどれも、達成可能な構想としては信用を失っている。
▼独立を阻害する各々の法律を次々に無効化することを通した容易な独立。これは、PdeCat(カタルーニャ欧州民主党)、ERC(カタルーニャ共和主義左翼)、ANC(カタルーニャ民族会議)によって支持された(ベルギーに逃れたプッチダモンはPdeCatの指導者)。
▼自身を真剣かつ戦闘的な決定的決裂の保証者へと転換し、運動をその限界まで推し進めることによる独立。これはCUP(人民統一候補、独立運動中の急進左翼)によって表現された。
▼スペイン国家全体における変革を求める新たな多数派という主張。これは、カタルーニャ・エン・コム/ポデム(バルセロナ市長のアダ・コラウとポデモスによって指導される潮流)によって押し出された。
各々の構想は、現に特別な政治領域を表現する正統な提案として機能している。それらの内部的な崩壊を条件として、各々の当初構想は、弱々しい見せかけに変わることになった。
一〇月は、本当には決して認められることのなかったある種の敗北に終わった。それは、おそらく一時的で必ずしも決定的ではないが、煎じつめれば敗北だ。それは、独立運動にとってだけではなく、コムネス運動(アダ・コラウを中心とした結集)にとっても逆の理由――活力のある、プロセス(主流の独立構想)との関係における具体的な政治的活動の欠落――から敗北だ。
われわれはこれをわれわれ全体で引き受け、それを、これが闘争の戦略的取り戻しの一条件であると理解しなければならない。この再起は、急に迫られた議会上の術策や永続的な選挙上の競合と、苦もなく調和するものではない。

これまでの
道は袋小路
カタルーニャ首相としてのトーラの指名の中で最後の瞬間に例示されたプッチダモンの正統化がもつものは、それが戦略的には中味がないと同程度の象徴的な権力だ。しかしそれは、独立運動内部の右翼的指導性の打ち固めを映し出している。これは、もはや役に立たなくなり、新たに選出された首相の人物像そのものによって悪化さえしている政治的立脚点を、あらためて主張するものだ。ERCは新たな方向性を探ろうとしている。しかし彼らは混乱したやり方で単なる降伏という危険を犯している。
CUPは、昨年一二月二一日のできごと(スペイン政府が強要したカタルーニャ自治州議会選挙:訳者)に表現された独立運動の原理的限界を問題にはしない活動方法、それがもつ嘘偽りのない自発性依存、に固執するかもしれない。それはまた、独立を志向していない左翼の社会的基盤から支持を勝ち取ることを期待してはいないようにも見える。
他方でコムネス運動は、「ユーロコミュニケーション」の歩みの中で身動きが取れなくなっている。この歩みは、15Mの価値というよりも、モンクロア協定(フランコ独裁終焉後の一九七七年に行われた初の自由選挙後に締結された、労使間社会協調を内容とする社会協定:訳者)とトリパルティド(ポストフランコ移行期を仕切った、右翼と左翼間の有名な取引)の遺産に、彼らをもっと近づけている。
現存の力関係という脈絡の中で、システムとの実のある決裂にいたる、プロセスの生来的弱さを正す可能性があり、さらに15Mが思い描いた未来と独立運動が提案する未来との間にある違いを克服する、そうした道を大雑把に描き出すことは容易ではない。しかしながら第一歩は、この問題に取り組む必要に気付くことだ。前進に向けた新たな道の探求は、現在の道が閉ざされていることを認識することから始まる。(二〇一八年五月一八日)

▼筆者は、ヴィエント・スル誌編集委員であり、バルセロナ自治大学社会学教授。(「インターナショナルビューポイント」二〇一八年五月号) 


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