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    かけはし2018年7月16日号

土砂投入阻止へ勝利の陣形築こう


沖縄報告 7月8日

沖縄那覇市 T・N 

7.3

傷ついた藻場やサンゴ

「環境に配慮」はインチキ

大雨の中、抗議のデモ繰り返す

 七月一日から二日にかけて通り過ぎた台風七号の後、ゲート前のテント修復のため仲間と乗り合わせて辺野古に向かう。九時前に着くと早くも一回目の搬入が始まろうとしていた。慌てていつもの工事用ゲート前に座り込む。二〇人程しか来ていない。七月から現場に張り付くといっていた山城博治さんがマイクを持っていた。久し振りのヒロジ節で仲間を鼓舞してくれるが、いかんせんこの人数ではゴボウ抜きであっけなく排除されてしまった。一二〇台余りが入ったが出てくるダンプは無視して、一〇時からメインゲート前のテントの修復作業に掛かる。雨が降り始める前に急いで一定のテントスペースを確保したい。一一時過ぎまで頑張ってひと段落。常駐の仲間から差し入れのスイカが配られ二回目の搬入に備え水分補給。こうした県外からの仲間を含む常駐の仲間のおかげで毎日の取り組みは支えられている。
 一一時半になり工事用ゲート前に移動して座り込む。那覇から九時発のバスも着いているが台風明けの今日は少なめ。工事車両が来るまでの間、博治さんの進行でミニ集会。
 ほぼ毎日参加して、大声で抗議している退職教員のMさんは「四年間続けるうちに毎日大きな声が出るようになった。島袋文子さんを始め沖縄戦体験者の思いを引き継ぐため、普天間基地野嵩ゲートとここで頑張る」とあいさつ。
 次に博治さんが、去った六月二九日那覇市で開かれた「添田充啓さんを偲ぶ会」に一〇〇人余りの仲間が参加したことに感謝。差別を憎み熱い心でヘイトスピーチと闘い、辺野古・高江で共に闘った添田さんの無念を引き継いで行こうと、五〇年代の炭鉱労働者の闘いから生まれた「人とし生きるため」を歌った。台風直後で県外からの参加はないだろうと思いきや、手が上がった。
 埼玉からの女性三人は「埋め立てが始まると聞いて昨日昼の飛行機で来た。『ニュース女子』を見て、仲間とDHC化粧品の不買運動をしている。仲間からカンパをもらい、ここに来られない仲間のたくさんの声を背負ってきた。一緒に埋め立てを止めたい」。
 静岡からは「きのう飛行機が飛んだので乗った。慰霊の日の様子をテレビで見た。翁長知事の挨拶と中学生の『平和の詩』朗読は素晴らしかった。基地建設を止めよう」と連帯を表明した。
 一二時前この日二度目のゴボウ抜き。歩道に閉じ込められている間に東京から来た一人芝居をやっているという若者が「安倍やめろ」の歌を唄い出す。「しんぞうなのにハートがねぇ……トランプなのにハートがねぇ……」即席留置所の中でみな大笑い。取り囲んでいる機動隊の若者も苦笑い。
 搬入が終わって昼食休憩となったので、台風の影響を確認しようと浜のテントに行ってみる。抗議船で海に出て見てきた仲間から写真を見せてもらうと埋立地を囲う護岸に、ちぎれた黄色のフロートがごっそり乗り上げている。汚濁防止膜やフロートを固定するコンクリートのアンカーまでもが護岸に打ち上げられていた。アンカーがこれだけ動けば海底の海草藻場やサンゴは相当傷付いただろう。工事を急ぐあまり防衛局は台風対策をさぼったようだ。防衛局の言う「環境への配慮」なんてどこにもない。基礎部分の捨て石と被覆ブロックだけの低い護岸で囲っても波が来れば容易に乗り越えてしまうことが改めてわかった。被覆ブロックもあちこちで動いてずれている。この高さで囲っても埋め立てを始めることはできない筈だ。
 三回目の搬入に間に合うよう一四時前にメインゲート前に戻ると、先程の一人芝居の元俳優・右田隆さんが、国会前、横田基地、新宿などで街頭パフォーマンスを始めたきっかけを話していた。祖父と母が広島で被爆。祖父から、日本が再び戦争に向かうと思ったら必ず起ち上がって声を挙げろと言われた。二〇一五年に安保法制の成立と、元海兵隊員で退役後戦争に反対し九条を守る運動に献身した故アレン・ネルソンさんの活動に接して、活動を始めたという。「安倍やめろ」の続きを披露。「安倍と麻生、漢字の苦手なお金持ち……戦争ごっこのお友達……」。
 一五時前、工事用ゲート前に移動するが車両が来る前に土砂降りになり、仕方なく座り込まずに傘を持ってゲート前往復のデモ行進を繰り返す。一六時までに合計三二〇台の車両が入ったが、テント村の復元を終え、果敢な抗議の意思を表現して、翌日からの更なる結集につなげた。
 なお、翌四日も大雨の中ゲート前一〇〇人。本部塩川の海上積み出し港にも八〇人程が結集し、砕石の積み出しを半分以下に抑えたとのこと。

7.7

荒天の中高まる緊張

韓国・光州の女たちが合流

民主化抗争の犠牲者を偲ぶ

 土曜日は平和市民連絡会が運営する県庁前発六時半のバスに乗る。八時前にゲート前に着く。猛烈な台風八号が沖縄に向かっているので、今日は帰る前にテントの片付けが必要だ。工事ゲート前のアルソックの様子や県警の態勢を見ると今日の搬入はなさそうだ。防衛局も今回は作業を止めて台風対策に掛かっているようだ。毎月第一土曜は一二時から県民大行動が行われる。九回目の今日も多くの県民が結集するはずだ。
八時半になったので、一旦工事用ゲート前で座り込んで集会を始める。進行は平和運動センターの大城悟さん。始めに稲嶺進前名護市長が土砂投入阻止に向けた決意のあいさつ。そこへ韓国光州(クヮンジュ)広域市から沖縄平和紀行で来沖中の「五月(オウォル)民主女性会」(一九八〇年五月一八日に起ち上がった光州民主化抗争の参加者・犠牲者の親族・五一八(オイルパル)精神を引き継ぐ平和活動家を中心とする女性団体)の二〇人が沖韓民衆連帯の沖本裕司さんの案内で到着。会長のイ・ユンジョン朝鮮大学教授の団体紹介と連帯あいさつ、五月抗争の犠牲者を悼むために作られた「貴方のための行進曲」斉唱に続いて、仮面劇のセットを使った民主化抗争の犠牲者に想いをはせる踊りと強制連行された慰安婦ハルモニに捧げる踊りのパフォーマンスを繰り広げた。

高里鈴代さんが
元気に現場復帰
一〇時過ぎ、お昼からの県民集会にむけてメインテント前に移動。各地の島ぐるみ会議のメンバーが続々と結集し始める。
四月の五〇〇人連続行動の時、歩道に拘束され機動隊に押されて倒れた人たちの下敷きになって鎖骨と肋骨を骨折し療養中だったオール沖縄会議共同代表の高里鈴代さんが、二カ月半ぶりに現場復帰し大きな拍手に迎えられマイクをとった。「ここに来られない間フェイスブックで現場の闘いを見てうずうずしていた。やっと戻ってこられた。一緒に現場に結集して知事の撤回を支えていこう」。
体調を崩していた島袋文子さんも久々に参加。付き添いの名護市議会最年長の大城敬人市議が経過を報告。「体調がすぐれず一〇〇までは無理かな、などと言っていたが、クリニックで検査を受けたら全く異状なし。梅干を食べたら元気になった。これからも元気に現場に出られるようわたしがサポートしていく」と宣言した。
島ぐるみ本部の仲間は「塩川港で毎日おいしい本部カマボコを食べながら頑張っている。海上搬送の砕石を積んでくるダンプの前で『工事はやめてください』とゆっくりお辞儀をしている。以前は三回までは出来ていたが最近は手荒に排除される。腕は痣だらけだが皆で続ければ止められる。たまには塩川にも来てください」。
高垣さんは「ダンプの運ちゃんにも顔見知りがいてやりづらい面もあるが、ここは一人一人の運転手と直接話ができる。ほんとは故郷の石が辺野古基地に使われるのは嫌なはずだ」といい、「心さわぐヤンバルの歌」を歌った。
反対協の安次富代表は「台風七号が来て防衛局のずさんな工事が自然に大きなダメージを与えた。今また猛烈な八号が迫っている。防衛局は自然保護など全く関心がない。県は台風被害と工事の関係を自ら調査し、土砂投入前に承認撤回をすべきだ。朝鮮半島の和平が実現すれば米軍基地の存在はゆらぐ。沖縄とアジアの人々自らの手で平和を勝ち取ろう」。

2000人が
県民集会に
一二時。オール沖縄会議主催の第九回県民大行動「ジュゴン・サンゴを守れ!土砂投入を許さない!辺野古新基地建設断念を求める県民集会」の始まりだ。既に二〇〇〇人近くが結集している。
開会前に、復帰運動、基地・人権・教育問題に取り組み五日に八七歳で亡くなった福地曠昭さんに黙祷を行った後、共同代表の高里さんが開会の挨拶。
「結集した私たちの熱気で久々に晴れた。この四年間粘り強く抗議を続け、二〇年間の闘いで何度も民意を示し翁長知事も誕生させた。それでも安倍政府は暴力で強硬に搬入を続け、八月に土砂投入と言っている。骨折で病院に行ったら知らないおじさんから『沖縄のためにありがとうね』と言われた。療養中は新聞の投稿を細かく見たが辺野古反対の民意は微塵も揺らいでいない。ここに来られない人の分も含めて心を一つにし、更に県民の意思を示していこう」。
次に知事のメッセージが代読される。
「結集された県民の辺野古を造らせない決意に感謝。心配をかけているがしっかり治療して負託にこたえたい。民意は繰り返し示されたのに政府は手続きさえ無視して工事を強行し、既成事実化で県民の諦めを誘っている。東アジアの緊張緩和を考慮せず辺野古だけなぜそのままなのか。行政指導にも従わず軟弱地盤に対する応答もなし。大浦湾の自然を残すのは県民の責務。環境保全上看過できない事態には躊躇なく埋め立て承認撤回を決断する」と力強い呼びかけ。
続いて五人の沖縄選出衆参野党議員のあいさつ。
それぞれ名護市議選、那覇市長選、県民投票、知事選等の取り組みを呼びかけ、その中で、伊波洋一議員は「海草藻場の移植をせずに埋め立てするのは許可条件に反することを環境省に確認した。防衛局は既に違法行為を行っており、承認撤回理由になる」と強調した。

ジュゴン訴訟
の意味と可能性
ジュゴン訴訟原告の吉川秀樹さんは訴訟の意味と可能性について報告。
差し戻し審で実質審理が行われ六月二九日に結審した。米国防省はジュゴン保護のための具体的な取り組みについて答えられず、中身の疑わしい二〇一二年のアセスと仲井眞知事の埋め立て承認のみを「影響なし」の根拠にしているため、判決の前に一日も早い翁長知事の承認撤回がカギになると指摘した。
土木技師の北上田さんは、「防衛局は大浦湾の軟弱地盤で展望がない。三〇mの海底からさらに四〇m下までがマヨネーズ状で、承認された工法でのケーソン護岸の設置は不可能。もしやるなら工法変更して砂杭を大量に打ち込み地盤改良工事を新たにするしかないが、二年はかかる。膨大な経費と恐ろしい自然破壊で大浦の自然には致命的だ。しかも安倍言いなりの知事が当選しない限り変更申請もできない。一一月の知事選に勝ち抜こう。新基地は絶対できない。自信をもって闘おう。情報公開でボーリング調査のデータを要求したら『不存在』と拒否してきた。データなしに実施設計は出来ない筈で不存在はあり得ない。近々提訴するために弁護士と相談している」との報告に勇気をもらった。
続いて辺野古リレーの近野さんが、集会アピールを提案。拍手で採択した。最後に「今こそ起ち上がろう」を歌い、団結ガンバローを三唱して集会を締めくくった。二回目以降の搬入もなく、終了後は台風接近に備えテントの片付けを行った。土砂投入阻止に向け、更なる現場への圧倒的な結集を!!

光州の女性たち
と交流のつどい
この日、午後二時半から名護市内で「いーなぐ会」の女性たちと光州から辺野古支援に訪れた「5月民主女性会」の交流が行われた。
名護からは会長の翁長久美子市議、浦島悦子事務局長、二見以北住民の会の松田藤子会長、名桜大の稲垣絹代名誉教授ほか八人、それに基地・軍隊を許さない行動する女たちの会から高里鈴代さん、源啓美さんが参加。光州からはイ・ユンジョン会長他二〇人が参加した。
始めにイ会長が団体を紹介。「軍事独裁の暴力に抗して民衆が起ち上がった三八年前の光州抗争は、当時の独裁政権によって『暴動』とされたが、民政移行後にやっと民主化運動の原点と認められた。その中で私たち女性は命を宿すものとして、生命の尊厳・平和・平等・民主主義で共に生きる世の中を創るための闘いを続けている。きょうお会いした、米軍や日本政府の暴力と闘う辺野古基地反対の皆さんの想いも同じだと感じた。これからも皆さんを支援し共に闘っていきたい」とあいさつした。
次に、ひとことずつ自己紹介と沖縄訪問の感想を述べ交流。その中で、光州民主化抗争のすべての記録物をユネスコ人類遺産に登録する事業を担当した元国家人権委員会のアン・ジョンチョル監事は「辺野古の闘いが勝利した暁には、わたしがユネスコ人類遺産への登録を手伝うので、今からビラ一枚、メモ一行でもすべて保存しておいてください」と辺野古の闘いを激励した。
引き続き「座り込めここへ」「今こそ起ち上がろう」「貴方のための行進曲」と、たがいに闘いの歌を歌い、最後に韓国側から手作りの色紙が一人一人にプレゼントされ、イ会長から翁長会長に、五一八精神を込めて作られた人形が贈呈された。


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