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    かけはし2018年7月23日号

戦後レジームからの脱却とは?


書評

荻野富士夫 著/集英社新書

『よみがえる戦時体制
治安体制の歴史と現在』



新しい治安維持
法態勢が目前に

 戦前の治安維持法や特高警察を歴史的に分析、研究してきた荻野は、第二次・第三次安倍政権が「戦後レジームからの脱却」を掲げて特定秘密法、戦争法(安保関連法)、共謀罪を制定してきたプロセスが新たな戦時体制への構築に向けて一挙に加速したと総括し、国家の暴力装置というべき治安体制の観点から現代批判を試みている。
その批判ベクトルは、特高警察によって虐殺された小林多喜二の「戦争が外部に対する暴力的侵略であると同時に、国内に於いては反動的恐怖政治たらざるを得ない」(評論「八月一日に準備せよ!」〈プロレタリア文化〉一九三二年八月)というキー概念だ。つまり、「安倍政権の下で進行する諸施策は全体として新たな戦時体制に収斂する」流れを「構造的かつ全体的な把握をおこない、それぞれの『つながり』具合と全体の『からくり』を見通す」ことが本書の目的だ。
もちろん「戦前と現代において社会状況が大きく異なる」「安易な類推は避けるべき」だが、「取締り当局における恣意的な運用という点について共通している」と強調する。奥平康弘(憲法学)は、すでに立川反戦ビラ事件の裁判で弁護側証人として出廷し、「治安維持法がなくても、治安維持法に近いような格好の、新しい現代的な何かが出てくるという徴候を示す」と警鐘乱打していた。

戦争できる
国づくりとは

 荻野は、「第一章 戦時体制の形成と確立――どのように日本は戦時体制を作っていったのか」、「第二章 戦時体制の展開と崩壊――どのように治安体制はアジア太平洋戦争を可能としたのか」で戦前治安体制を支えていたのが「法令としては治安維持法であり、機構・機能として特高警察と思想検察」とクローズアップし、セットとして「情報統制や経済統制、『教学錬成』の機構と機能」させながら治安法令の整備、治安警察法、出版法・新聞法、暴力行為に関する法令、改正軍機保護法などを通して強化していったことを当時の膨大な治安判決、特高警察関係資料集成や思想検察文書を通して明らかにする。
「第三章 戦後治安体制の確立と低調化」では日米安保体制下の治安体制の再編と強化を浮き彫りにし、「第四章 長い『戦後』から新たな『戦前』へ」においてでは、安保再定義からシーレーン防衛などの分析を通して米軍とともに参戦していく自衛隊、つまり「戦争ができる国づくり」の踏み出しを明らかにする。
なかでも興味深いのは、防衛庁の「制服組」が極秘に行った「三矢研究」(一九六三年)を取り上げているところだ。この研究は、第二次朝鮮戦争を想定し、国内に国家総動員体制を敷き、「日米統合作戦司令部」を設置して「日米共同作戦」を実施するという図上演習の訓練を行っていた。国会で暴露され、憲法違反、文民統制違反として問題となり防衛庁長官辞任、関係者の処分という事件だった。

「戦時体制」に
準じる状況へ

 この研究の目的と狙いは、地下水脈として温存され、安倍政権は、改正防衛省設置法(二〇一五年)を制定し、「背広組」と「制服組」が対等となり、「制服組」を中心とする「統合幕僚監部」に統合され、幕僚長は国家安全保障会議(NSC)にも出席することになった。また、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)に基づき設置された「同盟調整メカニズム」によって米軍と自衛隊の実戦化の具体化が押し進められた。
荻野は、「朝鮮民主主義人民共和国をめぐる軍事的緊張の下、実質的に『同盟調整メカニズム』が機能し、運用されているはずです。五〇年余前に『三矢研究』で計画された『日米統合作戦司令部』の設置と『日米共同作戦』の実施が、もはや現実のものとなり『戦時体制』に準じた状況が生まれています」と指摘する。
さらに新たな戦争の性格として「アジア近隣地域に自衛隊が先頭を切って主体的に出ていくケースは考えにくいでしょうが、集団的自衛権を実際に行使することでアメリカの軍事行動に追随し、その成り行きのなかで戦争に巻き込まれる可能性が高まりつつあります」と集約する。

鋭い分析だが
幾つか弱点も

 「第五章 『積極的平和主義』下の治安法制厳重化――新たな戦時体制形成の最終段階へ」においても荻野は、「「一九三〇年代・四〇年代と現代が決定的に異なる」ことに触れ、「かつては大日本帝国が自らの意思と施策によつて一五年戦争を引き起こしたのに対して、現代日本は日米安保条約の下、アメリカに追随し、従属する関係のなかに深く規定されている」。だから「日本が少しでも安保体制の枠組みを越えて能動的に戦争を仕掛けようとすれば、アメリカは即座にそれを阻止し、押し潰すことは明らかです」。
つまり、「新たな戦時体制の構築をアメリカが容認しているのは、対中国・対朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)をめぐる東アジアの軍事的緊張のなかで、まず日本に軍事的役割を分担させるためです」とあらためて位置づけることによってグローバル派兵国家建設、すなわち「米軍とともに戦争する国」に向かっていることを共謀罪制定と治安対策強化と連動させながら再確認している。
「基本的人権の制限や民主主義・立憲主義の破壊の進行と、新たな戦時体制の出現は表裏一体の関係」として延命する安倍政権と日本情勢の分析は、荻野が繰り返し批判しているように単純な「戦前回帰」「ファシズム」などの危機アジリ的アプローチがいかに乱暴であるかを証明している。
ただ、戦前の天皇制と軍隊の連携構造、「天皇の思想検察」、「天皇の特高警察」の役割分担などについて実証的な解明に成功しているが、戦後「象徴天皇制」と自衛隊、警察権力、公安政治警察の役割、日本会議も含めた右翼の任務、現在的な民衆統合装置などと関連づけた分析は弱い。学習を深めるためには補足文献で補強する必要がある。(Y)

7.15

伊達判決59周年記念集会

改憲阻止へ、今こそ生かそう

砂川闘争が生み出した民衆の財産


農民・労働者・
学生の団結で
 七月一五日、酷暑の中で「憲法から生まれた伊達判決を活かそう! 砂川闘争から沖縄・横田へ 伊達判決五九周年記念集会」が開催された。「伊達判決を生かす会」が主催し、商社九条の会・東京が協賛したこの日の集会には、東京・飯田橋の東京しごとセンター地下ホールを一杯にする二六三人が集まった。二〇〇九年に第一回が開催され、今年で一〇回目となる「伊達判決を生かす会」の集会では、これまでで最大の参加者数となった。集会に先立って、一九五六年に制作された亀井文夫監督の「流血の記録・砂川」が午前一〇時四五分から上映された。
 砂川闘争は、米占領軍が旧日本軍の立川基地の拡張を行った際に、旧砂川町(後に立川市に編入)で農地を接収したことに端を発している。一九五五年、米軍は当時の調達庁を通じて砂川基地拡張のために農地・宅地・墓地など一五万平方メートル以上を没収する計画を伝達した。
 砂川町は、宮崎町長を先頭に基地拡張に反対して町ぐるみの闘争を展開。この闘いは一九五五年から五六年にかけて町ぐるみの行動として発展した。三多摩労協、総評・東京地評、全学連、共産党、市民団体にも支援が呼びかけられ、五六年一〇月には、連日の実力闘争で多くの逮捕者・負傷者を出しながら、ついに測量中止の勝利を勝ち取った。映画「流血の記録・砂川」はこの闘いの記録である。

危機感に駆られ
た米日両政府
伊達判決は、一九五六年の「流血の闘争」を経て、一九五七年六月から七月にかけて行われた、基地内民有地への強制測量阻止闘争への弾圧にかかわるものである。この闘いの中で一九五七年七月八日、支援の労働者・学生が、一、二メートルほど基地内に入り鉄条網をはさんで警官隊、その背後の米兵と対峙する状況が作り出された。しかし、その後、デモ隊も警官隊も引き上げ、この日の衝突は終わった。
しかしこの日から二カ月以上経った九月二二日になって、刑事特別法違反を口実に二三人の労働者・学生が逮捕され、うち坂田茂(日本鋼管川鉄労組)、椎野徳蔵(国労新橋支部)、土屋源太郎(明大・都学連委員長)、武藤軍一郎(東京農工大)ら労組員四人、学生三人が起訴された。この裁判で、一九五九年三月三〇日、東京地裁伊達秋雄裁判長は、「駐留米軍を特別に保護する刑事特別法は憲法違反であり、米軍基地に入ったことは罪にならない」として被告全員無罪の画期的判決を下した。
この判決に仰天し、危機感を抱いたのは一九六〇年の安保改定を翌年に控えた日米両政府だった。伊達判決は日米安保に基づく米軍の日本への駐留を擁護する法的根拠を、憲法違反としてきっぱり否定したからである。
当時の岸内閣の藤山愛一郎外相は、ただちにマッカーサー駐日米大使と協議し、高裁を飛び越して最高裁に「跳躍上告」することを決めた。その結果、田中耕太郎最高裁長官が自ら裁判長となった判決で、同年一二月一六日(一審伊達判決破棄、原審差し戻し)の決定が下された。
最高裁判決は「憲法九条2項で禁じられている戦力は、わが国が主体となって指揮権、管理権を行使しうる戦力をさすのであり、外国の軍隊はここにいう戦力に該当しない」として「伊達判決は誤り」と断じたのである。
こうして伊達判決は東京地裁に差し戻しとなり、一九六一年三月二七日の判決で被告七人に「罰金二〇〇〇円」の有罪判決となった。同判決は一九六三年一二月七日の上告棄却で確定することになった。

最高裁が果た
す反動的役割
この「伊達判決破棄・最高裁への跳躍上告・差し戻し審逆転有罪判決」の全過程が、駐日米大使館と岸政権、そして最高裁の田中長官による綿密な連絡・調整に基づくものであることが、二〇〇八年以後明らかになった。国際問題研究家の新原昭二さん、ジャーナリストの末浪靖司さん、布川玲子山梨学院大教授(当時)らが米公文書館で発見した公文書によるものだ。
この文書では、米大使館、最高裁の田中耕太郎長官、藤山外相らが緊密な連絡を取って、一九六〇年一月に調印が予定されていた日米安保改定のスケジュールに支障をきたさないようにしていたことが明白となった。
こうして「砂川事件」裁判の情報開示の要求が「伊達判決を生かす会」の結成(二〇〇九年四月一〇日)を通じて進められ、砂川事件最高裁の判決の無効を求める再審請求運動も出発した。とりわけ二〇一五年の安保法制強行に当たって、高村自民党副総裁が砂川事件最高裁判決は「集団的自衛権」を容認していると主張し、安保法制正当化の根拠にこの最高裁判決を引っ張り出してきたことによって、「再審請求」の今日的意義が改めて明らかになったことに注目すべきだろう。

沖縄と連帯し
闘いの継承を
この日の集会では「砂川闘争・砂川事件裁判・再審請求」と題して共同代表の土屋源太郎さんが報告。砂川闘争は、憲法裁判であるとともに沖縄につながる闘争として今日的にも重大な意味を持っている、と訴えた。
同じく元被告の武藤軍一郎さんは「この闘いは自分の人生の宝であり、新たな出発点でもある。新原昭二さんの資料発見の時、それまでは自分の人生を締めくくると思っていたが、改めて再審請求を決意した。最高裁は引き延ばしを続けて私がくたばるのを待っているようだが、そんなことには負けない」と決意表明。
さらに「再審請求の意義と経過」について、武内更一弁護人が報告した。
連帯のあいさつを宮平真弥さん(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック共同代表)、井出由美子さん(横田基地もいらない市民交流会)、三浦恒紀さん(商社九条の会・東京)が発言。山内敏弘さん(一橋大学名誉教授)が「九条改憲論と伊達判決の今日的意義」と題して講演した。
山内さんは今日の安倍自民党による九条改憲論の危険性を具体的に指摘しながら、「伊達判決を生かす」ために@辺野古基地建設・横田基地等へのオスプレイ配備阻止A日米戦争協定改定の必要性B日米安保条約廃棄の展望C日米安保廃棄後の日本の平和保障の課題について伊達判決、長沼訴訟福島判決(一九七三年)、東北アジアの不戦条約をもとに提起した。
最後に山内さんの提起への質疑応答で集会をしめくくった。
安倍改憲のプログラムが加速している今日、砂川事件の再審を求め、伊達判決を今日に生かす闘いは、大きな意味を持っていると改めて感じさせられた。(K)


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