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    かけはし2018年7月23日号

現にある多数の反戦感情の具体的組織化急務


トランプ政権の危険な冒険主義
を縛る民衆の確固とした対抗を

アゲンスト・ザ・カレント

 六月一二日の米朝首脳会談は、国際的にも大きく注目され、さまざまな議論を呼んでいる。その中では特に一方の当事国である米国の民衆の見解は重要だ。以下に米国の同志の論考を紹介する。同時平行的なトランプ政権による中東政策の危険性が、一体的に意識されていることが特徴だ。合わせて、ピエール同志の論考も別掲で紹介する。(「かけはし」編集部)

 われわれは以下に、米国ソリダリティの同志によるシンガポールサミットに関する二編の論考を掲載する。最初のものは、本誌次号の社説であり、サミット以前に印刷所に送られた。第二の論考は、サミット後にデイヴィッド・フィンケルにより書かれた。

 シンガポールサミットは現実のものになった。そして両首脳は彼らが求めたものを得た。金正恩は重要な程度の国際的な認知、米韓合同軍事演習の明白な凍結、さらにもっと厳しい制裁に反対する暗黙の約束を受け取った。ドナルド・トランプの報償は、十分に打ち合わせ済みの大々的な写真撮影、並びにG7における彼の散々なできばえを埋め合わせる記者会見だった(われわれが知る限り、平壌のトランプタワー計画は具体化していない)。
わが読者はよく分かっているように、スキャンダルの渦巻くカオス、民族主義的な空威張りと政権から発するトランプツイートの中に政策の要素を見分けることは、いつものとは異なる狼狽を覚え難しい。その上、戦争脅迫――サミット以前の北朝鮮に対する、さらにイランに対してはもっと威嚇的な――の調べを、トランプと彼の共和党人脈の悪質な反動性をもちレイシズム的で環境破壊的な課題設定から、きっちりと分けることも不可能だ。
諸要素――世界支配に向けた米帝国主義の永久的攻撃(いわゆる「戦略的利益」)、イデオロギーを動因とする愚行、トランプのエゴと彼の基盤に対する政治的迎合――の毒を含んだ組み合わせは入り組んでいる。われわれは以下で、ものごとは急速にしかも予測不可能な形で変わり得る、ということを認めつつ、それらのいくつかを選り分けようと試みるつもりだ。
もちろん終わりのない戦争は、トランプと彼の一党で始まったわけではない。ポスト9・11の米国の侵攻以来アフガニスタンが「米国で最長の戦争」になっている、というようなことが慣例通りに繰り返されている。現実には終わりは近づいてすらいない。つまり、一九五〇年に始まり一九五三年に休戦に達した朝鮮戦争は、公式にはまったく終わっていないのだ。この戦争が勝利に終わることはなかった以上、その話は、米国の学校の歴史教程ではほとんど触れられることさえない。

朝鮮半島緊張緩和に曖昧さなお


第二次世界大戦における日本の敗北と日本の朝鮮占領の終わりをもって、勝利した大国は、北の共産主義政権と米国が占領した南部との間で半島を分割した。双方の挑発という時期に続いて、戦争が一九五〇年に勃発した。
米国のダグラス・マッカーサー将軍は、北朝鮮の初期の侵攻を食い止めた後に、中国国境にいたる北の全域への攻撃を実行し、中国をこの戦争に引きずり込んだ。北に対する米国の爆撃は壊滅的なものであり、そこには農業水路まで含まれていた。
戦闘は流血をはらんだ手詰まりとなり、二つの朝鮮を永久的な切迫した対立の中に残した。世界的な冷戦は、一九八九年のベルリンの壁倒壊と一九九一年のソ連解体で終わったが、朝鮮半島の対立は、周期的な流血を伴う戦争再発を伴いつつ、永久的に凍結されたように見えた。
北朝鮮は何十年もかけて、便宜的に共産主義の旗を掲げる、冷酷で半自給自足的な、極度に民族主義的な王朝的(金日成、金正日、金正恩)体制に移った。その間南の韓国は、米国が支える軍事・大統領独裁の長い時期を耐えた。そこでは民衆的な反政府運動が残忍に――一九八〇年五月の光州虐殺だけでも、六〇〇人以上の民衆が殺害された――打ち砕かれた。
韓国は、長い民主主義を求める闘いを経て、一つの政治システムを発展させた。それは自由選挙を備えるだけではなく、先頃の腐敗した大統領の朴槿恵が退陣させられ、有罪判決を受け、投獄に追い込まれるまで可能になるシステム――それは、われわれが名前を上げるつもりはない一定の国に比べて好ましい発展だ――だ。彼女を引き継いだ文在寅が、朝鮮半島の危機を解決する全般的な機会になるかもしれないと思われるものに、扉を開こうと動いた。
トランプは、われわれの雑誌印刷直前に現実になった米朝サミットを利用した外交的介入、というこのチャンスを、「とてつもない怒りと公然たる敵意」という北朝鮮の表現を引用しつつ膨らましたように見えた。
この会談からその後現れる結果が何であれ、緊張と米国の「業火と猛威」といった脅迫の緩和は明らかによいことだ。北朝鮮の「非核化」は一方的、不可逆的、そして本質的に即座となるだろうとの米国の公式的期待は、明らかに出発点ではない。北朝鮮は今、現実に存在する核国家である、そして、早期にということは言うまでもなく、一方的に武装解除するつもりはない、ということが現実なのだ。
米国は、公式にではないとしても、事実上それを認めることになるのだろうか? 北朝鮮が爆弾を搭載したミサイルを北米大陸まで到達させる技術能力をまだ示していない以上、先のことは現実に戦略的な意味をなす(イデオロギー的にはそうならないとしても)と思われる。そして平壌政権は、その実体的地位が事実上受け容れられる限り、黙示録的能力がないとしてもはるかに安全だと、確実に分かっている。
商業的な、また政治的な「国際社会」への参入と引き換えにした、核兵器を放棄した国家ということでは、一つの意味深い事例がたまたまある。それはムアムアル・カダフィのリビアでもサダム・フセインのイラクでもなく、ポストアパルトヘイトの南アフリカだ。米政権がこの事例に触れないのはなぜか、は読者の思考演習として残されている(おそらく、ヨハネスブルグにはトランプタワーが一つもないから?)。

中東、戦略かイデオロギーか?

 この間チーム・トランプは、イスラエルの米大使館をエルサレムに移すことによって、「イスラエル―パレスチナ和平プロセス」の破綻処理をし終えた。ガザの境界で非武装の抗議参加者と医療労働者が――一九四八年にイスラエル国家を誕生させたパレスチナ人の大惨事である、アル・ナクバのまさに記念日に――、最高に高度化された兵器と高速弾を使うイスラエル狙撃兵により殺害され続けている中で、異様な開館式典が開催された。
この行為は戦略的利益とはほとんど関係がなく、米国の国内政治の問題――主にはトランプのもっとも忠実な基盤である福音派のキリスト教原理主義者を標的にした――だった。ちなみにこの部分にとってイスラエルの支配権防衛は、来るべき歓喜とハルマゲドンのお告げであり、神聖な米国人の義務となっている。
もっとも不吉なこととして、トランプは、イランとの多国間核合意、包括的共同行動計画(JCPOA)への米国の参加を切断した。
トランプはキラウエア火山が溶岩流を吐くかのようにツイートを吐き出しているが、政治においても地質学におけると同じく、表面下で起きていることがより重要だ。イスラエルの偉大な人権運動家で政治的評論家であるイスラエル・シャハクは、国家の権力者とエリートの彼らの戦略的利益や物質的利益に沿った行為は危険だが、イデオロギーを動因とした行為はもっとはるかに危険だ、と認めた。
シャハクは、欧州と近代中東の歴史から、特にイスラエルにおけるユダヤ教の宗教的原理主義の影響力から、いくつかの事例を記憶にとどめた。今日、中東における米国の動機による毒を含んだ紛糾をどのように理解すべきだろうか?
イラクに対する破局的な二〇〇三年の侵攻は、部分的に原油の供給と市場を支配しようとの動因によって、部分的に国内的な政治的計算によって、しかしまた部分的には、米国は中東を自らの望みにしたがって再形成し支配する――もっとも破壊的な結末と一体的な帝国の支配に導く――よう託されている、との思想的信念によっても動機づけられていた。そして後者の動機こそ、今日の姿としてイランが大国となった過程だ。

イラン核合意撤退導いた2動因


イランとの取引からのトランプの撤退には少なくとも、たとえそれより大きくはないとしても、ジョージ・W・ブッシュの戦争と同じ程度にはイデオロギー的な動因がある。それは今日の気候変動――一つ以上の道筋をもつ――には、いわんや、供給飽和の市場と落ち込んだ価格を背景に、原油の直接支配とは関係がない。
それは部分的に、米国がイランに壊滅的な打撃を加える経済制裁を課すだけではなく、欧州、ロシア、中国の反対にもかかわらずそれらに世界的な協力を強いることができる、ということを示すためのある種の演習だ。トランプは今、イランに関する米国の一方的な政策を、弱体化したEU、特にEUの主要指導者であるドイツのアンゲラ・メルケル首相に押しつける彼の力を示そうと試みている。この力試しは、米国の貿易条件を欧州に、またNAFTA交渉に押しつけようとのトランプの粗野な試みと――およびイスラエルとサウジ君主制に対する彼の親近感と――交叉している。
他方、新国務省長官のマイク・ポンペオが開陳したイランに対する要求――イランはウラン濃縮の全体能力を放棄するだけではなく、シリア、イエメン、レバノンでの地域的関与をも終わりにせよとの――の不条理さは、イデオロギー的な別世界的おとぎ話と戦争への道へと一線を越えている。イラク侵攻はいい考えだったと今なお考えている袋小路のネオコンは今、それを二倍化――イランを最終的な褒美として戻される標的にとらえつつ、また現在は「仕事を仕上げる」彼らの時だと確信しつつ――したいと思っている。ワシントンが自らまったく孤立している今、イラン人はなぜ、米国の傲慢な要求に従うと思われるのだろうか?

最悪阻止の選択を拒否した愚行

 必要なことは、JCPOAは何であったのか、何でなかったのか、そして本物の世界では決して何ではあり得なかったのか、をあらためて考えることだ。イランとの取引は、検証可能な基盤に立って地域の核拡散を止めた。それはどのような忌まわしい政権の性格をも変えたわけではなかった。それは、イランに関しても、サウジアラビアに関しても、エジプトや他のすべての政権に関しても当てはまる。それは、地域とその外の帝国主義的大国――イラン、サウジアラビア、トルコ、ロシア、さらに米国――がしでかしている悪意ある悪さを阻止できなかった。
それは、シリアにおける市民のホロコーストあるいはアフガニスタンの終わりの見えない惨害、またパレスチナにおけるイスラエルの継続的虐殺や入植地拡大をも終わりにできなかった。
イランの支配者の場合は、彼らの「エルサレムへの行軍」といったレトリックにもかかわらず、イスラエルとの戦争に進む意図はまったくなかった。一九八〇年代に彼らが着手した核計画は、サダム・フセインのイラクに対する対応だった。そのイラクは、米国の励ましを受けイランに侵攻し、毒ガスの使用、および生物兵器戦争や化学兵器戦争の危険を含んだ一〇年の長さになった戦争を始めたのだった。
米軍司令部の場合は、イランとの戦争は、おそらくは「戦術」核兵器を含むまでにいたる戦力の全装備を使わない限り「勝利できない」と自覚している。それこそが、イデオロギー的愚行と戦略的現実が、計算不可能な結末を伴って交わると思われるところだ。

新たな反戦運動を何としても


米国は、(a)戦争、(b)財政破綻、(c)政治的かつ憲法に関わる危機、(d)それらすべて、に向かう途上にあるのだろうか? ホワイトハウスを占拠している現政権は、法的には適法な形で、三連単勝式馬券を当ててみようとしている。そしてそこには、北米と欧州のもっとも近しいワシントンの連携相手との間で、貿易戦争を挑発することまでは勘定に入っていない。これらは避けがたい結果ではない。政治的行動と社会的闘争が結果に影響を与えることは可能だ。
世界を支配しようとする米国の進撃は、明らかにトランプから始まったわけではない。軍事と貿易問題における一方的な米国の強制力に対する彼の妄想的な信念は危険であり、ぎょっとさせられるが、しかし本物の世界の事実――北朝鮮が核武装国家であるという事実、ワシントンは自分だけではイラン政権を倒すことはできないという事実、パレスチナ民衆は降伏することも消え去ることもないだろうという事実――とぶつかっている。
一方米国は、オバマ大統領の努力やトランプの空威張り、また継続的な軍事介入の本当の程度を隠そうとするワシントンの努力にもかかわらず、シリアとアフガニスタンから自らを救い出すこともできない。
同時に米国の住民は、これらの終わりのない戦争に嫌気がさし、確実にもう一つの戦争など――トランプの支持基盤も、彼をひどく嫌っている多数も――求めていない。型にはまった軍国主義者でさえ、それはまずい考えだと考えている。空論家と何人かの半ば妄想にとらわれたキリスト教原理主義者だけが、北朝鮮やイランとの戦争は何ごとかを解決する、あるいは「米国を再び偉大にする」と考えている。
まさに今、米国が支援するサウジの攻撃が、イエメンで想像を絶する破局をつくり出している最中だ。それでも、この危険な時に平和運動それ自身は弱い。四月半ばに行われたいくつかの都市での反戦行動は全般に小規模で、それに続く影響力をほとんど及ぼしていない。
もちろん部分的に、この政権の残酷な国内政策との闘争に向けて、まったく正当だが大量のエネルギーが注がれている。そして率直に言って、反戦運動の組織化は弱体化し分裂している。一方では、運動を民主党の選挙キャンペーンに導こうと狙う諸勢力によって、他方では、シリアのアサドや北朝鮮の体制を支持するいくつかの左翼潮流の病んだ政治によってだ。
これらの障害は、すぐにもたやすくも克服されないだろう。しかし、万が一今日の危険な瞬間が実戦に突如として変化する場合には、この国に現にある何千万人という民衆の反戦感情を結晶化し組織化することが必要になるだろう。われわれは、コード・ピンク(社会的正義を目的に設立された非政府組織)や「創造的非暴力を求める声」や戦争の愚行に対するヒロイックな抵抗の伝統を続けるその他人びとの仕事に敬意を表する。
われわれが多数の感情を代表していることを認識し、それに応じて行動する責任を引き受けるのは、平和運動の健全な潮流に課せられた義務となるだろう。(二〇一八年七・八月号)


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