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    かけはし2018年7月30日号

8・11県民大会への大結集を


沖縄報告 7月22日

県の埋立て承認撤回、ゲート前・海上の阻止行動

沖縄 K・S 

辺野古新基地建設白紙撤回を

県民総ぐるみの闘いで
日本政府に立ち向かおう

 八月一七日に予定される土砂投入阻止へ向けて、現場ではゲート前と海上の連日の行動、そして8・11の三万人県民大会への取り組みが進んでいる。沖縄県も七月一七日の防衛局に対する工事中止の行政指導に続き、埋立の法的根拠を奪う「埋立承認の撤回」へ向かうことを明らかにした。まもなく翁長知事による公式の撤回方針が言明されるだろう。県民総意を背景として現場の大衆運動と県の行政が連携し県民総ぐるみで日本政府安倍政権に立ち向かっていこう!

謝花副知事が
承認撤回を明言
沖縄県の謝花喜一郎副知事は七月一九日、県庁で記者団に対し、防衛局による辺野古海域への土砂投入前に「埋立承認」を撤回する方針を明らかにした。また謝花副知事は一九日午後、即時撤回を求めて県庁前の座り込みを続けている三団体の代表一〇人との会見の場で土砂投入を「看過できない事態」と位置づけていることを明らかにしたという。県が撤回方針を公式に明らかにすれば、直ちに防衛局に対する「聴聞」の手続きに入ることになる。聴聞に要する期間は二〜三週間。防衛局が聴聞に応じるか否かに関わりなく県は撤回できる。
そうなると、仲井真前知事の県民に対する裏切り行為であった退任直前の「埋立承認」は効力を失い、日本政府の埋め立て工事の法的根拠もなくなる。安倍政権はどうするか。三つの道がある。@これまで度々言ってきた「県民に寄り添う」との言葉そのまま、埋め立て工事を中止し、辺野古新基地建設の白紙撤回に向けた話し合いを沖縄県翁長知事と行う、A軍事外交に関することは「国の専権事項」だから、沖縄県の「承認撤回」を無視し埋立工事を進める、B「法治国家」の建前上、沖縄県の「承認撤回」を法的に無効化する手続きを速やかに行った上で、埋め立て工事を強行する。Aは本音、Bは国民の反発をやわらげるための支配の方法だ。
こうして、辺野古新基地建設をめぐる沖縄県と日本政府との対決は再び妥協を許さない全面対決へと上り詰めて行っている。もしかしたら沖縄県と日本政府との対立は既に決着がついたのではないかと誤解していた人がいるかも知れないが、実はそうではない。本土マスコミがほとんど報道しないだけで、辺野古新基地建設をめぐる日本政府の国家権力と沖縄県の地方自治行政権力との対立は継続していた。

「承認取り消し」
と「承認撤回」
四年前の二〇一四年一一月の知事選挙で辺野古NO!の県民総意を背景に当選した翁長知事は、辺野古新基地建設を止めるために、二〇一五年一〇月、仲井真前知事の「埋立承認」を取り消した。理由は「承認に瑕疵があった」というものだった。前知事の「埋め立て承認」を唯一の拠り所として県民民意に反する工事を強行してきた政府は驚き慌て、行政諸機関、裁判所を総動員して沖縄県をつぶしにかかった。政府はその過程で一〇カ月に及ぶ工事中止を余儀なくされたが、最高裁の「承認取り消しは違法」との判決をもとに埋め立て工事を再開し、大浦湾側のK9護岸の一部と辺野古側のK1、K2、K3、K4、N5、N3護岸の基礎工事をほぼ完成させた。
八月一七日に予定される土砂投入を前にした「埋立承認の撤回」は、三年前の「承認取り消し」が承認時の瑕疵を理由としていたのに対し、その後生じた事態を理由に承認を取り消す(撤回)ものである。国の天然記念物のジュゴンが辺野古・大浦湾から姿を消したのは防衛局の埋め立て工事が原因だ。海草藻場の保全はなされていない。産卵の砂場をなくし辺野古の海を徘徊する海亀たち。辺野古弾薬庫を囲むように通り埋め立て予定地で交わる二本の断層は活断層の疑いが強い。断層の落ち込みには海面下三〇mから七〇mにいたる厚さ四〇mにも及ぶ軟弱地盤が存在する。当初の設計概要では大浦湾側の埋立てから進めるとしていたが全くメドが立たないので浅い辺野古側の護岸造成・埋立てを、県による再三の工事中止・協議の要請を無視して強行してきた。地上では、米軍の飛行場設置基準の高さ制限に違反する建物が辺野古周辺に七一棟存在することが明らかになったが、防衛局は送電塔のみの移転で済まそうとしている。

県民総ぐるみで
安倍政権と対決
こうした一連の事態がすべて「承認撤回」の理由になる。翁長知事が「埋立承認の撤回」を行うと、おそらく工事は止まり、県と国との全面対決は最高裁まで持ち越される。その間埋め立て工事はどうなるか。安倍政権はまた悪知恵を働かせて埋立て工事の早期再開をさまざまに画策するだろうし、最高裁では県は敗訴するだろう。とはいえ、落胆するには及ばない。行政レベルでは勝てないことははじめから分かっている。県民民意を背景に現場の大衆運動と県の行政が一丸となって中央政府に立ち向かうという事実が大事なのだ。県民総ぐるみと中央政府との対決という闘争構造を維持しその力関係を変えるために全力をあげよう。
決着は知事選に持ち越されるだろう。辺野古NO!の知事の当選を勝ち取ることが絶対に必要だ。さらに知事選後に予定される辺野古埋め立てをめぐる県民投票に高い投票率と圧倒的な反対票を実現することが必要だ。知事選と県民投票の勝利で中央政府に対する県民ぐるみの闘いに勝利する道筋をつけよう。

7.18

辺野古ゲート前に100人

3回の資材搬入に
対し身を挺した抵抗

 七月一四日夜から一五日早朝にかけて、沖縄防衛局は、米海兵隊キャンプ・シュワブの工事用ゲート前の歩道上から、二四時間駐車させていた警察車両三台をなくした代わりに、ゲート入り口のフェンスを移動させて張り出し、歩道と車道の間の境界には大きな水タンク様の仕切りを並べて、座り込みの場所を奪おうとする暴挙に出た。防衛局の雇った警備員がフェンスに沿って一メートル置きくらいに立っているため、ゲート前の「歩道」として残された空間は六〇〜七〇センチあるかどうか、非常に狭い。防衛局が座り込みを排除するために考え付き、同じ政府機関の北部国道事務所に通知して実行したもので、法律上の根拠はない。沖縄県の吉田勝広政策調整監は「道路上に交通規制材を置くことは危険。沖縄防衛局がこんな行為をして許されるのか」と述べた。

ゲート前座り込みは
何があっても屈しない
七月一八日水曜日のゲート前行動は早朝から狭い歩道上に二〜三列になって座り込んだ。赤白の水タンク様の仕切りはズラリと四〇個ほどが並んでいる。九時前になると、いつものように南と北から工事用車両が到着しはじめるとともに、警察機動隊が登場し座り込み排除にかかった。「海をこわすな」「警察は不法工事の手伝いを止めよ」の叫びの中、機動隊員は三〜四人がかりで座り込み参加者ひとりの手足を持ち、歩道上の拘束場所まで運んでいく。距離にして四〇〜五〇メートルありそうだ。
生コン車のほか、工事車両の積み荷は大小の砕石、砂が目立つが、鉄筋やプレハブもある。工事車両の台数は朝昼午後合わせて四一一台。この間一日の搬入台数が四〇〇台を超えるのは四回目だ。ゲート向いで左右に広がって抗議する参加者は「辺野古NO!」「違法工事止めよ」のプラカードを手に大きな声で叫び、マイクからは「歩道を開けろ」「海をこわすな」の訴えが続く。
一回目の搬入のあと、参加者は工事用ゲート前をゆっくりと行進しながらテントに向かった。機動隊員は「早く移動して」などと言いながら行進参加者の腕を引っ張り、妨害しようとする。第一ゲート前では数回グルグル行進を行い、シュプレヒコールと「沖縄を返せ」を歌った。
テント前の集会では山城博治さんが「八月の総決戦が始まる前に、ゲート前を中心に塩川の港、北部の採石場、海上行動チームすべてが大結集して闘いの決意を共にする場を持とう」と提起した。
平和市民連絡会の北上田毅さんは次のように述べた。
北上田さん「陸上輸送を監視しよう」
昨日朝一番で糸数慶子参院議員と一緒に沖縄総合事務局に行き、ゲート前のフェンスとポリタンクについて道路占有許可の有無について交渉した。開発建設部長は不在だったが、今日の昼までに許可証のコピーを送る約束をした。前の山切鉄板の時もそうだったが、道路交通法上の許可条件は「ほかに場所がない」ことだ。ゲート前を見れば分かるように、ほかにいくらでも場所がある。座り込みを締め出すための不法な設置だ。辺野古側の埋め立てに使う土砂について、先の国会での交渉で防衛省の担当者は、国頭、本部の土砂が海上搬送で運ばれると言明している。七月に入ってから海上搬送はないし、海上搬送だけでは間に合わないので陸上搬送が行われる可能性がある。実際のところ、土砂の供給のめどが立っていない。それでも土砂投入を強行するのは県民の諦めを誘うためだ。設計概要の本文にも石材の海上搬送が明記されており、陸上輸送は公有水面埋立法違反だ。これからは捨石に使う大小の砕石は少なくなる。岩ズリと呼ばれる土砂が増える。監視してほしい。また、囲った護岸に土砂を入れるにあたっては、目つぶし材、防砂シートなどを使う。防砂シートは大型トレーラーで運んで来るだろう。これにも要注意だ。いよいよ正念場だ。全力で一カ月頑張ろう。

静岡の17人があ
いさつ・カンパ
そのあと、進行の伊波義安さんが県庁前座り込みと対県交渉の報告を行ない、那覇ネーネーズの三人が「沖縄今こそ立ち上がろう」「ジンギスカン」などを元気よく歌った。その間、歌集の販売もされた。共産党静岡市議団と家族一行一七人は「辺野古許さない。翁長知事再選。米軍は地元の富士山で実弾演習をしているが、自然を壊すな。沖縄と連帯して闘う」と決意を述べて、持参したカンパを手渡した。しばらくして、二回目の資材搬入に備えてゲート前に移動した。昼からの進行は平和市民連絡会の上間さんにバトンタッチした。救護班には青森からの男女二人が詰めた。沖縄は初めてという色白の二人は辺野古の太陽に焼かれて帰ることだろう。
なお、七月二一日土曜日のゲート前および海上行動は台風一〇号接近のため中止となった。

7.5〜8

光州5月民主女性会の沖縄訪問

民主化の先駆けとなった闘い

汚名を振り払って復権

七月五日から八日まで三泊四日の日程で、韓国光州(クァンジュ)五月民主女性会の一行二〇人が辺野古、普天間、読谷、摩文仁など沖縄の戦争と基地の現場を訪れた。そして、沖韓民衆連帯、平和市民連絡会、基地・軍隊を許さない行動する女たちの会、いーなぐ会のメンバーと交流した。参加者は一九八〇年の光州事件にいろいろな形で関わってきた人々だった。
三年間獄中にあった会長のイ・ユンジョンさんは釈放後当局の監視下でも大学で研究に励み政治学博士の学位をとり、現在朝鮮大学校の研究教授だ。朝鮮大学校は、一九八〇年の光州構想の先陣を切った光州市の三大学のうちのひとつである。大学三年の時ソウルでデモをして捕まり一年間獄にいたキム・ジョンブンさんは全羅南道議会議員を二期務め、現在、社団法人5・18拘束負傷者会のソウル支部会長を務める。全斗煥の空挺部隊の道庁突入直前の明け方、教会へ避難した副会長のユン・チョンジャさん。兄と弟が捕まり軍事政権から受けた拷問の傷がいえず今なお苦しむイ・ジョンさん。大学を出てすぐ就いた障がい者家庭相談の仕事を三五年間続けてきたキム・ミンソンさん。女性会の事務局長を務めるキム・チュンソンさんはノムヒョン財団の共同代表の一人だ。男性だが女性会の監事を務めるアン・ジョンチョルさんは「僕は銃をとる勇気がなかった」と述べたが、その後国家人権委員会の局長として民主化に力を発揮した人物だ。
軍隊の暴力による殺害、逮捕、負傷に続いた差別と「国賊」の汚名のつらい時代を耐えて、光州の闘いはその後公式に民主化運動として復権した。そして、ろうそく集会を通じた政権交代の先駆けとなったのである。

 


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