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    かけはし2018年8月13日号

憲法改悪推進集団の力と限界


読書案内

俵 義文 著/花伝社刊 1200円+税

『日本会議の野望』 

極右組織が目論む「この国のかたち」



日本会議の政治
戦略を検証する
 日本会議は、安倍政権を生み出し、支えぬく天皇主義反革命勢力の一つだ。与党政権の大臣は、「二〇人中一五人(七五%)が安倍と麻生が特別顧問の日本会議国会議員懇談会の政治家である。そして、安倍が会長の神道政治連盟国会議員懇談会の大臣は一九人(九五%)であり、安倍晋三を総理・総裁にすることを最大の目的にしている安倍が会長の議連・創生『日本』の大臣は一〇人(五〇%)」(本書)が所属している。この実態からでも、ほぼ日本会議によって制圧中であると言える。
 俵は、子どもと教科書全国ネット21代表委員であり、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会に参加し国会包囲などにいつも参加している活動家だ。長年の教育・教科書問題を取り組むなか、政権に対する日本会議の暗躍をチェックし、その調査から日本会議が目的意識的に全国展開し、とりわけ地方議員の送りだしなども含めた地方自治体への浸透工作の常習犯であり、その到達点として中央政治の制圧を狙っていることを早くから暴露してきた。
 森友学園の国有地格安払い下げ事件が日本会議絡みであることが発覚するや、マスコミ等ではあまり取り上げられてこなかった日本会議がクローズアップされ、しかも森友学園の理事長籠池 泰典が日本会議大阪府本部運営委員であり、天皇主義教育を実践していたこなどが次々と明らかとなる。

安倍政権支える
実働部隊として
すでに本屋の店頭には、二〇一六年の『日本会議の研究』(菅野完)を皮切りに『日本会議の正体』(青木理)、『日本会議 戦前回帰への情念』(山ア雅弘)など日本会議批判関連書が積み上げられていた。俵は、先行して日本会議批判を取り組み、その集約として『日本会議の全貌―知られざる巨大組織の実態』(花伝社)を発刊していた(二〇一六年六月)。既刊書では日本会議の前身、結成、人脈、活動実態などを浮き彫りにしているので、本書の紹介では省くが、セットで学習すれば日本会議と安倍政権、自民党が一体であることがわかるだろう。
ところが俵は、あえて本書を発刊しなければならなかった理由として、各地の講演会のたびに「(安倍政権が)これだけ悪政をつづけ、支持率が下がってもなぜ安倍政権はつぶれないのか」と参加者から質問されることを紹介している。
俵は、「衆参で自公の与党が三分の二以上の議席をもち、数の力による政治を続けていることが一番大きな理由である。そのこととも関係して、安倍政権を支える右翼的な議員連盟(その所属議員)と日本会議の役割が大きい。日本会議は『安倍首相でなければ憲法改正はできない』と主張して、改憲という『悲願』を共有する安倍政権を民間において支えている」と答えている。つまり、安倍政権打倒の闘いは民間反革命=日本会議との攻防であることを再確認するために本書を発刊しなければならなかったのである。
この闘いは、「安倍政権打倒」の気分やムードなども大事だが政治的武装ぬきに闘争力は持続しないことも再認識しなければならないということだ。先の質問のように、この間の安倍政権の支持率下げから上げ傾向などによって一喜一憂し、落胆したりなどの波があることも確かだ。そのことを自覚的に乗り越えていくための一つの糧として本書(第四章/日本会議九つの野望、第五章/日本会議の教育政策、第六章/日本会議と森友・加計学園問題)を土台にして日本会議批判を押し進めていこう。

国民投票での
過半数射程に
日本会議は、一九九七年五月に結成し、四七都道府県に県本部・二五二支部、役員は約三五〇〇人、会員が約四万人。現在、憲法改正に向けた国民投票運動のイニシアチブ装置として構築している真っ最中だ。
日本会議のフロント組織である「美しい日本の憲法をつくる国民の会」(二〇一四年一〇月設立/共同代表・櫻井よしこ、田久保忠衛、三好達)は、「憲法改正一〇〇〇万賛同署名」を取り組み、一八年二月に一〇〇〇万人を達成し、「憲法に自衛隊明記と緊急事態条項新設を求める決議」を採択している。
日本会議との攻防にとって、あえて「国民の会」の「平成三〇年度の国民運動方針」を示しておくのも無駄ではないだろう。    「方針」では成果として@一〇〇〇万賛同者か拡大運動(一〇〇一万八二二一名)、A地方議会決議(三六都府県〈七六%〉)、B国会議員署名(三七六名〈一八年二月二八日現在〉)を確認。そのうえで賛同署名達成を踏まえ全国で幅広い啓発運動を推進―@憲法改正行事A憲法改正研修会B自衛隊DVD上映・普及活動Cインターネット「改憲チャンネル」、動画配信D女性や青年を対象とした啓発活動を柱にしながら、その推進者として全国二八九の小選挙区に「国民投票連絡会議」を設立し、来るべき国民投票における過半数の賛成投票を目指すことを確認している。
国民投票法は、継続審議の扱いとなっているが、自民党は制限なしの膨大な資金力で宣伝を繰り広げていけることをねらっている。これは日本会議と国民の会の意向を代弁し、すでに先取り的に国民の会が「草の根」で進めていることだ。民主主義を否定する与党の国民投票法制定を許してはならない。

その組織実態
と政治的力は
さらに組織実態を明確化するために俵資料にもとづいて、以下を列挙しておく。
日本会議国会議員懇談会に所属する国会議員が二九〇人(約九割が自民党)、自民党内「日本会議議連」メンバーが衆参議員四一七人(衆参議員七一七人の約四割、自民党衆参議員四一七人の約六割)、日本会議地方議員連盟に所属する議員が一八〇〇人。
日本女性の会(二〇〇一年九月結成/三九都道府県に四六支部)は、現在、憲法改悪国民投票運動に向けて「女性による憲法おしゃべりカフェ」を開催し、各世代へのアプローチを切り開いている。
日本会議経済人同志会(二〇〇四年四月結成)は、一〇〇社が加盟し、日本会議の政策を支持し、各種キャンペーンを担っている。
自民党の憲法改正推進本部は、四六人の役員がいるが、日本会議連に所属が三三人(七一・七%)、神道議連が四〇人(八七・〇%)、靖国議連が三五人(七六・一%)、「創生」日本が一三人でダブッているとは明らかだ。なお自民党議員でどの議連にも所属していないのが二人(平将明〈衆/東京四区〉、福田達夫〈衆/群馬四区〉)しかいない。
俵は言う。「こうした右翼組織と右翼議連が日常的・継続的に連携して政治や教育などの課題に取り組み、政策をつくり実現するという図式」を調査活動の到達点として立証し、このような日本会議と「日本会議連」は、今までの右翼運動を「大きく転換した」と結論づけている。要するに、「両者の連携によって、日本の政治や社会、教育に重大な影響を及ぼしてきた。『影響を及ぼす』というよりも、日本会議の政策・要求が『日本会議連』の活動によって、実現したり、政府の政策を断念させたりしてきた」と規定する。
公明党は、安倍政権・自民党が日本会議に制圧されている政治構造を前提にしているのであり、その土俵の上で利権を餌にして支持層を維持し、反動的な役割を展開することによって防衛されているにすぎない。
俵は明記していないが、あえて言えば安倍・日本会議政権とレッテルを貼っても言い過ぎではないのである。改憲阻止闘争は、このような政治構造の分析、日本会議の動向と支える人脈の言論、安倍政権応援団の産経新聞と読売新聞の主張と日本会議メンバーの登場分析などを明確化させ、運動として共有化していくことは重要だ。要するに、改憲突撃隊としての日本会議の組織と行動確認の追跡、その蓄積活動と連動して政治・政策の掌握と危険予想の提示が求められている。

その強さと弱点
をえぐり出す
なお日本会議の役割について過大・過小評価に陥ることのないように構える注意は必要だ。そのうえでの私見だが安倍首相と日本会議は、森友学園と籠池を立ち上がりの時点からバックアップし、天皇主義教育の先取りとして実現させようとしていた。だが、国有地格安事件の発覚を契機にして、森友学園問題がマスコミでクローズアップされ、天皇主義教育に対して批判が集中してしまった。同時に総がかり行動の国会包囲、全国的な反安倍政権の高まりに直面した安倍首相と日本会議は、速攻で籠池切り捨てへと進んだ。反発した籠池一家のパフォーマンスはワイドショーネタとしてさらに大きく広がる始末だった。
このプロセス、つまり安倍政権と日本会議の共謀のうえで籠池切捨てへと乗り移った。この速攻性に脆弱性が現れている。日本会議は、以前から児童・小中生を天皇行事に動員してきた。ところが今回の事態ではあわてふためき動揺を深めた。御都合主義と防衛主義的な立ち振る舞いによって、いかにこの組織が瓦解へと向かうかのポイントを自己暴露したのである。(遠山裕樹)

第10回アジア学校に参加して (上)

「1968」から50年
で公開シンポジウム


 二〇〇九年から始まったIIREマニラ主催のアジア・グローバルジャスティス学校も今年で一〇回目を迎えた。私は何回か参加できなかったこともあったが、可能な限り要請に応じて幾つかのテーマに即して報告を行うようにしてきた。短期間であってもフィリピンをはじめとするアジアの同志たちを含めて討論を積み重ねていくことは、われわれの活動にとって欠かすことのできない任務である。
 今回、私が参加したメインの行事は、七月一九日に行われたフィリピン大学の研究所とIIREマニラが共催した「一九六八年から五〇年」というシンポジウム。午前九時から、昼休みをはさんで午後四時半までの長丁場である。参加者は五〇人。
 フィリピン大学で開催されたシンポジウムでは、IIREマニラの顧問とも言うべきピエール・ルッセが「フランスの五月」について一時間弱講演し、その後で三人の古参活動家からフィリピンでの教訓について報告があった。アルマンド・マライ、リク・レイエス、そしてエド・デラトーレである。なおシンポジウムには反戦・反核運動で、日本でもおなじみのコラソン・ファブロスさんも参加していた。
 リク・レイエス、デラトーレらは、いずれもシソン派のフィリピン共産党・新人民軍(CPP―NPA)の活動と深い関わり合いがあり、後(一九九〇年代後半以後)にシソンとたもとを分かった人びとでもある。私は、彼らの名前を知ってはいたが、顔を見たのは初めてだった。
 なお「一九六八年」とフィリピンということで語れば、モスクワ派の共産党(PKP)から離れてフィリピン大学の教授だったホセ・マリア・シソンを党首とする毛沢東主義のCPPが結成されたのも一九六八年一二月だった。
 また韓国から参加した仲間は、朝鮮半島での教訓とロウソク革命に示される今日の経験について報告。私は自分の経験をベースに「日本にとっての一九六八年」を二〇分ほど提起した。
 
フランスの5月
そしてアジア
 フィリピン大学「オルタナティブ成長プログラム研究所」のエド・タデムが主催者として開会のあいさつを行い、「一九六八年は戦後資本主義体制の危機と転換によって特徴づけられる年であり、その意味を再度捉えなおすことは現在の危機に立ち向かう上でも重要である」と語った。
 ピエール・ルッセは「一九六八年――アジア、欧州、そしてフランス――戦闘的世代の政治的コミットメント」と題して発言。第二次大戦によって中国革命が勝利し、朝鮮戦争を通じて一九五〇年代半ばにベトナムの革命が「不完全な勝利」として固定化された状況を指摘し、「モスクワ・北京、そしてアジアの革命」について分析した。
 ルッセはまた、第二次大戦後のヨーロッパの革命について「勝利したユーゴスラビアとアルバニア、敗北したギリシャ、そしてレジスタンス運動が中間的に固定化されたフランスとイタリア」について説明し、一九六八年段階では「西欧では政権と社会的進化の矛盾が発展する中で、スペイン、ポルトガル、ギリシャでは独裁体制が継続していた」という構図を語った。
 そしてフランスについては危機の深さが、一九五八年のアルジェリアの仏植民軍とフランス人植民者による「アルジェリア独立阻止」の軍事的反乱とそれを抑えるためのドゴールの大統領就任・権力掌握、カトリックを背景にした権威主義的社会として蓄積されてきたことを紹介した。
 ルッセは、当時のフランス左翼を中心にした闘いの構図、アルジェリア連帯闘争の教訓、南ベトナム解放民族戦線の闘いと米国の全面的軍事介入・北爆などを通じて、ベトナム革命がアジア・世界の革命運動の中心に押し上げられた経過を語った。    (つづく) (K)


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