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    かけはし2018年8月27日号

パレスチナ虐殺を賛美するな


8.3

イスラエル軍事エキスポに抗議のシンポ

日本・イスラエルの軍事・経済連携にNO!



川崎市長の対応
を厳しく批判
 八月三日、テクノかわさきホールで「本当にやるの?川崎でイスラエル軍事エキスポを考える」シンポジウムが、川崎でのイスラエル軍事エキスポに反対する会の主催で行われた。反対する会は八月二九〜三〇日に「ISDEF JAPAN」(イスラエル防衛&国土安全保障エキスポ)が、川崎市のとどろきアリーナで開催されようとしていることに反対して、福田紀彦川崎市長と川崎市に対して「アリーナの利用許可を取り消す」よう要請してきた。また同時に「軍事エキスポ」の展示内容と展示企業に関するデータの開示も要求している。
 反対する会は「要請署名」のなかで、三月以降にガザ地区を中心にイスラエル軍の銃撃によるパレスチナ人に対する虐殺行為(一四〇人以上を殺し、一六〇〇〇人以上に重軽傷を負わせた)を厳しく糾弾して「戦争に明け暮れるイスラエルの軍・安全保障用装備は、国を代表する輸出品となりました。東京五輪をターゲットに初めて日本で開かれる『ISDEF JAPAN』は、こうした装備品を売り込む絶好の機会とされています。……今回の見本市は『テロ・サイバー攻撃対策』を前面に出し、『武器の展示はしない』としています。……しかし、イスラエルが誇る監視などの技術もまた、殺傷や抑圧を目的とする軍事システムの一角に他なりません。……パレスチナ人の命と引き替えに開発された血塗られた技術・機材の売り込みの場という本質は変わりません」と、会場使用許可を出した川崎市の誤りを指摘してきた。
 この日のシンポジウムはまず、昨年行われた「イスラエル軍事エキスポ」の映像から始まった。パレスチナ人の殺害に使用したと思われる小機関銃や殺人ドローンなどが映し出された。続いて主催者を代表して杉原浩司さんが七月から活動を開始した反対する会の活動を報告した。その報告のなかで、会場の使用許可に対して「何の問題もない」とする福田川崎市長の対応を批判した。
 続いて三人のパネラーから問題提起を受けた。法政大学教授の奈良本英佑さんは、冒頭でイスラエル軍によるバタフライ弾(体内で破裂する弾)を使用したガザでの虐殺を糾弾してから「戦争国家=イスラエル」の歴史について報告した。武器輸出反対ネットワーク代表の杉原浩司さんは「緊密化する日本とイスラエルの軍事・経済協力〜武器輸出入とセキュリティービジネス」について報告した。杉原さんは第二次安倍政権発足後に日本からイスラエルへの投資額は約一二〇倍に、進出企業数は約三倍に増加していることを明らかにし、今年の五月に行われた安倍・ネタニヤフ会談では「新たに外務・防衛当局間協議を立ち上げること、サイバー面での協力を強化していくこと」が確認されたことなどを報告した。イスラエルのIT関連企業などと協力する代表的な日本企業は、三菱電機・富士重工・NEC・ソフトバンク・ソニー・日立・大日本印刷・ダイソーなどだ。

東京五輪開催と
軍事・治安体制
反五輪の会の首藤久美子さんは「オリンピックが呼び込む軍事体制」について報告した。東京オリンピック・パラリンピックの警備体制は五万八五〇人を想定している。ボランティアが九〇〇〇人とされているが、このなかには自衛隊が含まれていない。また顔認証システムやAIによる映像解析などハイテク治安管理が強化される一方で、野宿者排除・ムスリムなどの外国人監視が進んでいることを指摘した。ゴールドスポンサーはNEC・NTT・富士通・キャノンであり、オフィシャルパートナーはセコム・ALSOKだ。
問題提起を受けてから、この日集まった一二〇人からいくつかの質疑があった。最後にアリーナの使用を中止させるための署名運動の取り組み、川崎市長との直接面談と要請行動、共同声明の準備、強行された場合の抗議行動などの提起を受けた。日・イスラエルの政治・軍事・経済関係の強化に反対して、抗議の声を上げよう。    (R)

8.4から8.5

山谷夏祭り開催

共に生き 共に闘おう

多様な活動の交流・支援



 八月四日、五日の二日間、今年も玉姫公園で山谷夏祭りが行われ、多くの人々が集まった。
 初日は昼に集合し、会場の設営を行った後、亡くなった仲間の遺影の前で、ひとさじの会のお坊さんと、ほしのいえのキリスト者を中心に宗派を超えた追悼が行われた。
 両日とも今年もアルミ缶の買い取りが行われ、相場より少し高い価格に設定された。
 共同炊事(炊き出し)の後、実行委員会の仲間の乾杯で祭りは始まった。ウーロンハイとウーロン茶は今年も無料。隅田川医療相談会やほしのいえ、ひとさじの会、フードバンクなど山谷周辺で活動する団体や、ゆんたく高江、辺野古リレー、渋谷のじれん、反五輪の会など様々な団体が、やきそばや焼きトウモロコシなど一律五〇円の屋台で盛り上げる。
 ステージでは一日目はロックバンド蟹座、缶カラ三線の岡大介、中川五郎、二日目は仲間のカラオケが行われ、その後のSwingMASA、ジンタらムータの各出演者が熱演。
 祭りの最後は両日とも盆踊り大会。二日目は終了後、参加者で協力してヤグラや屋台などすべての撤収を終えた。       (板)

第10回アジア学校に参加して(下)

様々な「1968年」から

貴重な討論・交流の機会

 前回に続きルッセの提起を紹介する。
 こうした状況の中で高揚した「一九六八年・パリの五月」において闘いの路線はどのように構想されていたのか。
 当時のフランスの青年・学生運動で一定の力を持っていた毛沢東主義者は、工場労働者中心主義であり、大学については改良主義一辺倒だった。学生反乱の先頭に立ったのは当時のトロツキー派青年組織であるJCR(革命的共産主義青年)だった。この学生反乱を突破口に労働者階級の大規模なストライキが展開された。生産部門から始まった労働者のストライキは交通部門や銀行、デパートまでふくむ実に全労働者階級の六割近くが参加する「ゼネスト」状況にまで発展した。
 しかしそれは革命的危機だったのか? ドゴール政権は危機に瀕し、政府の部分的マヒ状況も作り出された。だが「二重権力」状況にはほど遠かった。ここで「政治と暴力」の問題について考えると一九六八年五月以前には「暴力」はファシストの問題に還元されていた。
 「六八年五月」の期間は、もっぱら警察の暴力だった。そして五月以後は、国家の抑圧機構がどこまで強化・再編されるのかという問題に集約されるようになった。
 政治と暴力という問題はアジアとパレスチナにおいてより実践的問題となってきた。もともとフランスでは、アルジェリアの独立支援運動のネットワークの中で部分的地下活動の問題が実践的に提起されてきたが、一九六八年五月の経験は「社会を変える」という、より広い文脈の中で多くの教訓を生み出した。フランスではその後、チェコスロバキアの民主化連帯運動、そしてベトナム連帯運動の中で、まさに国際主義者としての活動を積み重ねてきた。
 一九八〇年代以後、われわれは多くの後退も経験してきたが、多くのことが変わった中で六八年の経験がそのまま適用されないことは確かだとしても、一九九〇年代以後の「新しい社会運動」の経験も踏まえて、一九六八年を記憶し、再びスタートを切ることが必要だ――これがルッセの提起のおおまかな概要である。

日本での闘いの
教訓とその後
フィリピンのベテラン活動家たちの報告については、ここでは多くを紹介することはできない。しかし先述したようにシソン派共産党CPPの発足が一九六八年一二月二六日の毛沢東の誕生日だったと言われることからも、それが世界的な「一九六八年」と関連づけられるべきことは明らかだろう。一九六八年は、チェコスロバキアの民主化運動に対してソ連軍が軍事介入して破壊した年でもある。
なお一九六八年を前後する闘いの報告は、インド、そしてスリランカからも簡単に紹介された。
私は、国際的なベトナム革命への共感(ベトナムでのテト攻勢は一九六八年二月。テト攻勢を通じた情勢の転換が一九七五年のベトナム革命の勝利に導いた)を、帝国主義諸国における学生運動高揚の大きな要因として強調した。そして日本での高度経済成長を通じた、社会的矛盾(公害問題などを含めて)の顕在化、六〇年安保闘争の経験、大学進学率の大幅な拡大(戦前の高等教育機関[大学、高専]への進学率が二%台にとどまっていたのに対し、一九六〇年代後半になると男性の場合は二〇%に達していた。しかし女性の大学進学率は五%)を学生運動高揚の社会的要因として説明した。
統計によれば一九六八年から六九年にかけて全国約三〇〇の大学のうち一六五で学生運動が存在し、うち七〇の大学ではバリケード封鎖やストライキが行われていた、という。
この運動を通して、一九
七〇年代から今日にいたるさまざまな政治運動、労働組合運動、エコロジー運動、反差別の闘いが、政党的に系列化された運動のあり方を乗り越えた、独自のラディカルな展開を進めていったことを重要な成果として強調した。
他方、今日においても重大な否定的影響をもたらしているのは、多数の死傷者をもたらした「内部ゲバルト」の問題である。またわれわれ自身にかかわるものとしての「組織内性暴力・差別」の問題が問われることになる。

さらにアジアの
仲間との連携を
もちろん私は二〇分の発言の中で、こうしたことすべてを語れたわけではない。今、幾つかの場所で「一九六八年」が語られてきたが、このテーマにかかわる論議は「二〇一八年」以後の運動の中でも持続していく必要がある。
フィリピン大学でのシンポジウムの翌日、「アジア学校」での論議は、「オルタ・グローバリゼーション」運動と関連づけて、各国において「社会運動」というジャンルでの課題がどのように設定されているかについてのグループ討論として進められた。
なお今回の「アジア学校」参加国は、地元のフィリピンの他に日本、韓国、香港、バングラデシュ、ネパール、カシミール、インド、パキスタン、スリランカの一〇カ国・地域に及んだ。こうした討論の機会を、ぜひ日本の仲間たちも積極的に活用してほしい。   (K)

コラム

食わず嫌い

 

 文学でも音楽でも、気に入った作者の作品だけを読んだり聞いたり。他の物には目もくれずにひたすら追いかけていく。自分の過去を振り返ると、そんな趣向があったかも知れない。
 おそらく「食わず嫌い」なのである。中学生で江戸川乱歩。社会人になってからは森村誠一、松本清張、横溝正史など。推理小説が大好きで貪るように読んだ。
 自宅の区に、巨大な図書館が建ったことは以前書いた。併設されているのが「吉村昭記念文学館」である。行政が鳴り物入りで宣伝し、定期的に関連イベントも開かれている。しかし私の食指は動かなかった。日本を代表する作家などともてはやされれば、むしろ反発すら抱く。私がこれまでに読んだ吉村作品は、ごく限られていた。
 それが変わり始めたのは、『関東大震災』を読み終えた頃からである。この本で朝鮮人虐殺がどう描かれているか。そんな期待を膨らませ一気に読み終えた。これも過去の本欄で触れている。
 『仮釈放』は郊外の緻密な風景描写と、模範囚として出所した男が地道に更生の階段を上っていく様が、まるで実話のようだ。主人公の教師の屈折した心理が読者に乗り移るような、抑制の効いた筆致で迫ってくる。
 戦記では先の大戦を描いた『零式戦闘機』も圧巻だ。ゼロ戦の開発をめぐるこの物語は、今風にいえばNHKの「プロジェクト]」であろう。研究を重ねた画期的な性能とは裏腹に、機体が飛び立つまでに信じ難い方法が採られていた。私は吉村を反戦派だと考えていないが、その落差が、どうあがいても勝てる見込みのない戦いの愚かさを非難しているようで、最後まで息づまる一冊だった。
 『冷い夏、熱い夏』は、がんに侵された実弟の闘病生活を綴った。吉村はこの時の光景を他の著作にも取り込んでおり、表現が重複する箇所がある。作中では自分の大病についても書き、有名作家として名を馳せた彼を取り巻く医師や出版社社員の所作がとても興味深い。
 こうして吉村昭に入れ込んでいる昨今だが、いろんな意味で学ぶべき点は多い。報道文や本紙の原稿ばかりに精を出していると、小説の持つ本来の面白さを忘れてしまう。つまり、小説なんぞはしょせん娯楽の領域にあって、政治論文やジャーナリズムの一段も二段も下にある。空想世界にうつつを抜かすより現政権をいかに倒すのか、そのメッセージを練り上げるのが先、というわけだ。
 本文の随所で権威主義的、あるいは差別的な言葉にも出会う。だがそれも彼の観察眼、そして時代の目線だと理解できる。この不快さを差し引いても、得るものが多い吉村作品である。
 食わず嫌いから、少しは脱皮できるのか。ようやく涼しくなりかけた。「読書の秋」が、すぐそこで待っている。   (隆)


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