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    かけはし2018年8月27日号

独立した社会運動基礎に攻勢的な政治統制を


スペイン

ラホイ政権転落

反資本主義左翼待つ試練

ホセ・マリア・アンテンタス



 スペインでは、ラホイの国民党からサンチェスの社会労働党への政権交代が予想外の形で起きた。これはスペインの政治・社会情勢の大きな不安定性を今さらながらに明らかにしたできごとだったが、それは同時に、反資本主義的変革をめざす左翼の行動のあり方をも厳しく問いかけている。以下の論考では、今後の情勢展開を予想しつつ、そこで左翼に問われる行動を検討している。政治・社会関係の極度の不安定化にはある種の世界的共通性があり、その中で求められる左翼の行動を考える一つの観点として紹介する。スペイン支配階級の第一選択肢として浮上したシウダダノスが、日本維新の会と似た性格をもっていることが示されていることも興味深い。(「かけはし」編集部)
 ラホイの転落はスペインの新たな政治サイクルに幕を開くのだろうか? サンチェス(PSOE書記長で新首相に就任)は、政治情勢を安定化できるのだろうか? 支配階級の第一選択肢となるにいたったシウダダノスの姿勢はどうなるのだろうか? この新たな情勢の中で、ポデモスはどのような役割を演じることができるのだろうか?

極度の不確実性
をはらむ幕開け


 権力から国民党(PP)が追い出されるのを見ることは、疑いなく、巨大な満足を生み出している。ラホイをモンクロア宮から排除することを可能にした突然のまた予想外の形――高度にありそうもない配列に基づいた不信任動議――は、権力については絶対的に先祖伝来のものと受け止めているPPにとっては特に酷いものだった。
 政治的危機は一般論として、驚きやシナリオの諸変化を生み出す点では助けになる。その危機は、可能性の条件付けられた範囲を定め、優勢な力関係と権力の関係を決定する特定の社会的かつ経済的脈絡に合致しているとはいえ、それ自身の特別な論理をもつ政治的代表性の分野にも影響を及ぼす。それらの特性の一つは、代表性システムの内部的力試しにおける難儀の中で当事者の早まった行動や永続的なむこうみずな突進を避けるための、世界的な見通しにおける彼らの利益を統一し集中化させる上での、支配的エリートの不能性にある。ゴタゴタはしばしばあるが、この二、三日のものは大きなものだった。
 このようにこれは一つの舞台の終幕だった。今幕を開けようとしているものはそれにもかかわらず不確実だ。それは確かにこれまでのところわれわれに与えられてきたものよりもいいものだ。しかしそれは、われわれが言葉にきっぱりとした、また確実な意味を与えるならば、いかなる意味でも「変革」の政府ではない。できごとは、国家の領域から発する作用としてではなく、危機にある代表性システムの議会的論理の枠組み内部で起きたのだ。
 できごとは、政治・金融エリートと国家官僚内部での多くの共感には恵まれない変化に導きつつある。体制の危機に対処するための彼らの選択肢は、アルベルト・リベラ(シウダダノス代表)という選択肢に焦点が合わされていたのだ。体制との決裂を引き起こさず、あるいは上からの確固とした自己改革を強制したりせず、長期化した制度的危機のありそうもない解決を可能にするあり得ない仕組みを活性化したことは、あたかも、PPの「攻勢的抵抗精神」とシウダダノスからの親復古主義の脅威という影が十分な抗体を生み出すにいたったかのようだ。

日和見主義徹底が自律性を獲得


 サンチェスの台頭は不完全な継承、優勢な風にほとんど逆らう継承を体現している。それは、その限界と同じほどの政治的危機の深さを映し出している。PSOE(社会労働党)政権はPP政府に置き換わったが、前例のない弱さという条件の中で、ということだ。
 サンチェスはイデオロギー的信念をころころ変える人物だ。しかし彼の特性は粘り強さだ。彼は今いるところにたどり着くために、極めて短期のうちにあることをまた反対のことをやり、あり得るあらゆる役割を演じた。彼は彼の政治的経歴を通じて、新自由主義の正統教義と僅かでもくっきりと分けられるような構想を提出しことは、どんなものでもこれまで一度もない。
 彼は、PSOE書記長としての最初の任期(二〇一四年七月から二〇一六年一〇月まで)を政治的に生き残るために、PPとの「大連立」の論理すべてに反対しなければならなかった。そして彼は、左翼の指導性をめぐるポデモスとの競争に彼の未来が賭けられようとしている、と実感した。
 彼は、彼を標的にした内部的反乱後の辞任に続いて、左翼と民主主義というレトリックを再創出することに取りかかることで、自分自身をあらためてこね上げることを迫られた。それにより、書記長としての彼のポストを取り戻す計画に一つの政治的意味に加えてある種筋の通った問題喚起を与えることで、党の基底部分の沈滞に、その機構官僚の凡庸さが自身の活動家にとっては恥の源である政治勢力を再生させる構想に向け、水路を開くことが追求された。
 しかし彼は二〇一七年六月に彼のポストを取り戻したとたん、すぐさまあらゆる左翼的傾倒を投げ捨て、カタルーニャ危機に巻き込まれる中で、どのような言い訳もなしにいわゆる国体に膝を屈した。
 これらすべての複雑化したねじれとPSOEトップとしての転換が彼に、連携政策に関する、経済とメディアに力をもつ者と国家官僚に関する相対的な、しかし実体のある自律性を獲得する余地を与えた。そしてその連携政策は時が来た時、反ラホイの不信任動議提出を可能にする点で決定的であることが分かったのだ。

反体制派の方向
感覚喪失が助け


 サンチェスは、生き残ろうとすること、そして一方ではもっとも厳格な新自由主義の正統教義にしたがうことを追求し、他方では民主主義に関するまた市民権の領域に実体的あるいは象徴的な影響を及ぼす諸方策によって、先の方向を補完する政府の政策を固めることを除けば、何の計画ももたずに権力に到達している。つまり、社会的緩和策、進歩主義的諸価値、また権威主義諸政策のエスカレーション引き下げによってやわらげられた新自由主義、ということだ。彼は、公表済みの「言論法」(注)改革を含み、主流の進歩主義と親和性のある一そろいの提案を並べようとするだろう。そしてそのことは全体として、それらが表面的であると同じく見せ物的であることを示すが、それらの提案の必要性を低めるわけではない。
 政府トップの目標は、その後に不安定さがより低められた立場で政府首班につくことをめざして、権力の行使によって自身を強めること、弱体化したPSOEに元気を取り戻すこと、そしてポデモスを周辺化することで左翼への支配的影響力を再確立することになるだろう。サンチェスは策謀の余地をそれほどはもてないだろう。彼が確保しているものは、欧州レベルにおける壊れやすいもつれの中での経済情勢悪化の見通しを前に、むしろ急速に縮むかもしれない。
 彼は、上院を支配し議会事務局に多数を確保する右翼の猛烈な反対に直面するだろう。その中で、PPとシウダダノス間には、左翼に対決する主な先鋒として現れるための熾烈な競争がある。二〇〇四年、政治的な、またメディアと文化的な右翼は、サパテロ(PSOEの元首相)の勝利の正統性を決して認めなかった。そして今日も、サンチェスの正統性を受けれないだろう。逆説的だが、サンチェスの主な資産は、彼を権力に運んだ者たち、つまりポデモスとカタルーニャ独立派の戦略における方向感覚喪失だ。

シウダダノスを
止める主導性を


 PPを除けば、この情勢における大きな敗者はシウダダノスだ。シウダダノスは、世論調査による一時的な華々しい上昇を信じて、ラホイの腐食を見続け、次期選挙を通じて果実を摘み取ることだけを自分に課した。できごとの展開は明白に、リベラの党の計画を妨げている。この党は、有利な環境を利用する点では、全体を見た時、生まれつきの日和見主義的な性癖を超える実のある対応に向けた能力に弱さがある党なのだ。
 危機のあらゆる情勢を特性づける予測不可能性が、二つの相反するシナリオを伴ってリベラに相対している。そのシナリオの一つは、サンチェスが情勢を安定化できることが分かるという背景の中で、世論調査でのリベラの上昇が再度始まるのかどうかを見つつ、長期間にわたって野党のままにとどめられる可能性だ。もう一つは、PSOE政権のあり得る破綻とすり切れを利用し、次いで次期選挙での勝者として自身を確立し、二大政党制の決定的回帰をはっきり示すというシナリオだ。
 われわれはリベラを死んだと考えてはならず、また彼の勝利は不可避だと見なしてもならない。われわれはむしろ、左翼の責任についてはっきりした考えをもたなければならない。サンチェスが忠誠を示し、イグレシアスもそこに傾いているように見えるいわゆる国体は、新政府が同じ昔の政治とは別の何かを提供できないということが分かった場合、シウダダノスのための着陸帯になる可能性がある。

シウダダノス
の狙いと限界


 カタルーニャ危機によって気分が高揚し、経済と金融の大物たちがより好む選択肢となる中で、シウダダノスの構想は、若々しい現代性とマクロンスタイルの親ビジネス路線、および帰属性を基礎としたスペイン民族主義と社会的憤激の利用の、さらにたとえば三月八日女性ストライキの時に示されたシウダダノスの立場のように、社会と生活スタイルの問題では少しばかり近代的で自由競争的色彩と両立可能な、組み合わせとなっている。実際シウダダノスは三月八日、伝統的で反フェミニズム的な新保守主義とははっきり区別されることに挑んだ(対立や嘲りをなしにはできなかったが)。
 われわれがこのシウダダノスに「ポピュリズム」という陳腐な用語を当てはめたとすれば、われわれは、そのポピュリズムは新自由主義、民族主義、連帯否定かつ近代的だ、ということを考慮に入れる必要があると思われる。
 この勢力は、中間階級と階級性をなくした労働者階級に、党自身の指導者たちのイメージと肖像という姿で、成功する自営層や専門職という実力主義の夢を売り込んでいる。それは古典的な図式で、階級的反抗心の解体に向けた仕掛けとしての民族的帰属性を呼び出し、連帯否定の感覚の中で、もっとも恵まれない諸層の鬱屈感を食い物にしている。その目的は、彼らを、従属的な諸階級の他の部門と対立的に結束させることにあるのだ。
 この最後の側面は、シウダダノスの政治ではもっとも新しいものであり、中期的には、選挙におけるまたメディアの共感を長期的な社会的・文化的ヘゲモニーという一つの構想に転換するという彼らのもくろみに対する成功あるいは失敗に関して、もっとも決定的な特徴となっている。それが成功を見るということに確実性はない。そして忠実な活動家の不足、その組織的基盤の弱さ、またその迫力のなさは、相当程度その進展を複雑にしている。
 シウダダノスはテレビの演壇を基礎に建設された党として、また表面的に取り入れられた右翼側からのポデモスの模倣として、しかしその初期におけるパブロ・イグレシアスの組織を特徴づけた戦闘的で活動家的な推進力を欠いて、誕生した。それは、組織と政治の文化の分野における元々の諸限界によって、可能性を押し下げられている。しかし疑いなく、もしシウダダノスが土壌に根を下ろすことと自らを真に植え込ませることができると分かった場合、それは極めて皮肉な逆説となるだろう。他方でポデモスは、社会との間でますますもっぱら選挙に集中し、メディア化される関係を断言していることの結果として、それ自身の基盤を空洞化させる行程を通過中だ。

反体制を放棄す
る致命的な過ち


 この新たな光景にポデモスは自ら、その永続的な内部的危機とPSOEとの関係における重大な諸々の過ちによって、弱体化した形で現れている。ポデモスは、その反カースト、反体制の主張、また二大政党制に対する拒絶をもって、さらに二〇一四年の突出をもって政治的光景を爆破した後で、二〇一五年一二月二〇日の総選挙が終わったとたん、抜本的な転換を行い、PSOEとの連立政権を即時的展望に設定した。この提案は、後者の変革の党としての無用な回復に結果した。
 それは、「右翼対左翼」図式の無批判的で突然の再現を伴った、その上もっとも表層的な形での、つまりこの図式の構成的要素であるPSOEと関係を作ることによる、「親体制勢力およびカースト対憲法制定権力をもち民衆的な勢力」という図式の放棄と同じことだった。それ以上にこの連立政権という条件によるPSOEに向けた転換は、情勢に対する何らの検証も、何らかの種類の綱領的な民衆的論争もなしに、したがって反緊縮かつ民主的な方策に対する明確な課題の定式化もなしに(カタルーニャ国民投票を例外として)起きた。しかしこの定式化は、二つの政党間の政治的違いを明らかにするために利用できる可能性があるのだ。
 その時から現れることになったのは、反二大政党制の主張とPSOEに向けた統一政策を同時に維持する能力の喪失だ。

順応主義に向か
う傾向が大問題


 始まろうとしている新しい段階で、ポデモスにとっての最悪のシナリオは、サンチェスがそのうまくいったことを利用し、他方ポデモスがうまくいかなかったことで汚名を着せられたままになる、ということだろう。これを避けるためには、ポデモスは、政府に圧力を行使できる、諸闘争及び社会的な諸組織と共存する自律的な勢力として現れなければならない。PSOEと政権を形成するという新たにされたイグレシアスの要求は、これとは逆に間違った方向に動くものであり、政府の論理とその場への完全な統合というものだ。
 それ以上のポデモスにとっての基本的な問題は、それは社会的変革に対するささやかな期待に力を貸そうとしているのか、その逆にサンチェスに最大限の圧力を行使することで社会変革の期待を高度のレベルに保つために闘おうとしているのか、ということだ。
 政治情勢と社会情勢の過酷さ、何らかの決定的な勝利の不在という形で蓄積された何十年にもわたる後退の重圧、そしてオルタナティブになる社会・文化的な参照点の不在が刻まれた、現在の歴史的な危機の中で、社会変革のあらゆる構想に対する主な敵は、順応主義に向かう傾向だ。換言すれば、日々の生活の諸困難と諸々の期待の間にある奈落のような溝がつくる問題だ。これは常に、より小さな悪政策に導き、それは長期的には、ポデモスのような勢力にとっては死を呼ぶ敵であることが分かるのだ。
 サンチェスが作ろうとしていると主張している「変革」を飾り立てることは、警戒を解かずにとどまり、前進に向け圧力をかけ限界から溢れる政策に向け準備を行う点で、われわれの助けにはならない。おそらく次のことはつまらない逸話にすぎないが、しかし新首相就任後の議会で「イエス・ユー・キャン」と叫んだポデモス議員のイメージは、自分の党名の不吉なもじりとして現れた(スペイン語のポデモスは「ウィー・キャン」を表す)。

情勢安定化
可能性は小


 未来に対するさまざまなシナリオが想像可能だ。しかし図式的には、三つに分けることができる。
 第一のものは、サンチェスには都合のよい、政治情勢の相対的な安定化となるだろう。これは、ラホイの経済政策を無傷なまま維持し、他方でそれにいくつかの社会的方策でスプレーを吹きかけ、どのような大きな変革もないまま、民主的な領域で一定の劇的な変化を起こし、カタルーニャとの関係で情勢を緩める、そうした政府を必要とする。 サンチェスの道はその時、それがオルタナティブとしてのポデモスの決定的な中立化、およびカタルーニャ独立運動の活性化低落を想定する限りにおいて、体制の自己改革をもごもご語るという点で、ある意味でもっとも厚かましいことになるだろう。しかしこれは、これまでは政治的人物ともっとも親密な権力のサークルの双方で欠けてきた厚かましさを、加えてメディア内と知識人サークル内の総意をも必要とする。そしてこの後者に関しては今日その兆候はまったくない。PSOEはあまりに弱すぎ、サンチェスと彼のチームは、金融の寡頭支配層との深く強い結びつきも欠いている。そして後者は当座、サンチェスにマネーを投じようとはしていない。
 万が一結論的に左翼による(そして多民族的な側面による)作戦が国家レベルで成功を見るということがあるとすれば、それはむしろ驚きとなり、ほとんど偶然のできごととなるだろう。そして大きな程度で、体制に対する敵対者の戦略的な弱さの結果だろう。

不安定な政府を
倒す者が重要に


 第二のシナリオは、右翼からメディアの中でいじめられ、見えるものとしての勝利を上げることができず、破綻する単に束の間の変化に切り縮められる、そして自らを強化できないままに選挙に向けて慌てふためいて突進する、そうした当てにならず、不安定な、脆弱な政府というものだ。この仮定の中では、二つの反対のシナリオが現れる。
 一つは、右翼による嫌がらせの犠牲者として、また変革への期待とそれらを満足させるという点での能力の欠落に追い立てられ、彼の社会自由主義かつ親体制の拘束という形でのワナに捕まったサンチェスの破綻を前に、PSOEに対する絶え間のない圧力政策を展開することにポデモスが成功する、というものだろう。この仮説は今日、将来を占っている者たちの多数が思い描いているものではない。そしてそれが万一現実となることがあるとすれば、それはおそらく、ポデモス指導部の功績というよりも社会的決起の再開に負うものとなるだろう。実際この指導部は、何の批判もないままにサンチェスを恭しく選び、こうして、政府の行動に条件を付ける一つの要素として登場することができずにいるということを、自ら示しているのだ。
 もう一つのシナリオは、サンチェス政府のあり得る破産が右翼の、あらゆる可能性としてシウダダノスの勝利に導く、というものだ。歴史上しばしばある例として、哀れを催す「左翼」政府はその時、右翼の新たな士気を打ち砕くような勝利に向けた単なる序曲になり得るだろう。そしてそれは、単あるありきたりの勝利ではなく、復古主義的再建構想を携えたアルベルト・リベラの新右翼による権力獲得になるのだ。

政権追随拒否し
自律的に圧力を


 ラホイ打倒に際して表現された喜びは、サンチェスに対して感じられた熱の高まりの欠如を背景に測られなければならない。今の挑戦課題は、彼とポデモスに圧力をかけ、彼らが行きたいと思っているところの先まで進ませることだ。そして、二つの政治組織の官僚との関係で組織的かつ戦略的な自律性を起点にそうすることだ。換言すればそれは、対立を折り込んだやり方で、大望を絞め殺すことに特化した者たちへの幻想をもたずに、冷笑主義の種をまく技術の匠である者たちにはいささかの期待も与えずに、圧力をかけるという問題だ。
 新しい情勢の進展は、新自由主義の課題設定を最小限の民主的また社会的方策と調和させ、そのことで緊縮を固いものにする、そうした政府の能力を中心に回るものだけとは限らないだろう。基本的に重要なことは、うまくいくことが誰の功績として(そして要求の投げ捨てが誰の失策として)、PSOEかポデモスか市民の決起か、そのどちらに帰すことができるものとして見えるか、を知ることとなるだろう。
 今後のシナリオは、サンチェスが彼の路線を押しつけるかどうか、ポデモスが主導権をとっているように見えるかどうか、あるいは社会的闘争が自律的に舞台に入り込み、そのことで主要政党の運動を縛り付けるかどうか、こうしたことにしたがい同じものにはならない。
 サンチェスの政府は、PSOEの弱さを原因とすると同じほど、この党に対する議会の支持の大きな異質性を原因に、二重にもろいものになるだろう。このタイプの情勢は常に、その賢い使い方を知る者に利をもたらす。大事なことは、起きたことの意味を全面的に過大視する大げさな拍手喝采に愚かにも加わり、政府と党の専従者たちに主導権を全面的に引き渡すことでも、宿命論的な敗北主義に落ち込むことでもない。その敗北主義は、少数の抵抗運動を準備することに甘んじることになり、そのことはそれ自身で敗北をつくり出すだろう。
 挑戦課題はむしろ、特に陰鬱なここ二、三ヵ月の失望からわれわれ自身を解放するこの政治サイクルの変化という好機をつかみ取り、社会闘争と社会・政治の再建、という課題設定の再生に挑むことにある。そしてその再建は、新政府を支持する諸勢力に従属するというやり方でではなく、批判的な姿勢の中で影響を及ぼし合う、というものでなければならない。(二〇一八年六月一八日)
(注)一般的に「言論法」として知られている「市民の安全保障」法。抗議と社会的決起の広範に広がる諸形態を犯罪とすることを狙いとして、二〇一五年六月、右翼政権により制定された。これにより、財産の押収と追い出しに対する抵抗は六〇〇ユーロから三万ユーロの罰金で処罰され、公共の広場と建物の占拠には一〇〇ユーロから六〇〇ユーロの罰金が課される。それは同時に、公共の広場で野宿していたホームレスと移民の人々を標的にした方策でもあった。議会の包囲は禁止され、同じく警官の映像の拡散も禁じられている。この法はまた、モロッコの領域にあるスペインの飛び領土、セウタとメリラの国境に向けた、移民の追放に対する法的枠組みをも規定している。アムネスティ・インターナショナルと国連の特別報告グループにより強い批判を受けたこの法の採択当時、PSOEは、党が政権に着くことがあれば、その時はこの法を廃止する、と約束した。(「インターナショナルビューポイント」二〇一八年六月号) 


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