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    かけはし2018年8月27日号

弱体な政府の下混迷さらに


パキスタン

もっとも不正にまみれた総選挙

ファルーク・タリク



 二〇一八年七月二六日、イムラン・カーンは選挙勝利演説をおこなったが、選挙運動中の激しいことばとは逆に、冷静な語り口だった。国民議会全三四二議席のうち、二七八議席が小選挙区で争われたが、彼は一一六議席を「獲得した」。国会での過半数に必要とされる一三七議席には達していない。しかし、多くの国会議員が「無所属」議員として選出され、彼の党に加わるか、あるいは彼に投票するだろう。

「知られざる者」
による公然介入


 開票での不正操作に抗議して、いくつかの都市でデモが起こった。何十人という候補者が「知られざる者」によって、夜が明けると多数から少数へと転落した。こうした「知られざる者」たちは、誰でも知っているが、もしその名前を書けば、消されるかもしれないだろう。ほとんど全ての商業メディアは、これらの「知られざる者」によってコントロールされている。
 メディアに対して、「知られざる者」によって、愛すべき人物「偉大なイムラン・カーン」を支持するように、連日指示が出されている。彼は、かつてもっとも人気のあるスポーツであるクリケットの主将で、一九九二年にはパキスタンにW杯の勝利をもたらした。イムラン・カーンは、保守的な政治家であり、近年は軍の将軍たちに好感を示すとともに、宗教的心酔者への同調を持ち続けている。
 これは、パキスタン史上もっとも不正に操作された選挙だった。選挙前の時期から今日七月二八日まで、イムラン・カーンが単純過半数を得るようにあらゆる努力が払われている。選挙に先立って、与党であったパキスタン・イスラム教徒連盟シャリフ派(PML―N)に対して、説明責任の名を借りた裁判所による執拗な攻撃が加えられた。
 PML―Nは、主に二つの問題で軍と司法当局から離れていた。もっとも重要な問題は、軍に対する文民優位だった。二つ目の問題は、インドとの関係だった。PML―Nは、インドとの貿易を増やすこと、戦争をしないことを望んだのだ。
 前首相で、右翼政治家であるミアン・ナワズ・シャリフは、首相として彼がパキスタンを統治するのであり、軍が統治するのではないという主張したことに対して、高価な代償を支払わなければならなかった。彼は最高裁によって首相の座から追われ、終身公民権剥奪のうえ、一〇年の実刑判決を受けて、ラワルピンジー刑務所に娘とともに収監されている。

PML―Nから
寝返りが次々と


 選挙日程が告知されたとき、メディアは、イムラン・カーンを、汚職を減らす計画を持ったもっともクリーンな人物として描き出した。彼の選挙スローガンは主に、「変化」と「新しいパキスタン」だった。彼の党にいる億万長者たちが、何十億ルピーものお金を広告につぎ込んだ。もっとも富裕な人々は、権力が違った方向に向かっているのを嗅ぎつけたのだ。そして、彼らはそれに従って、自らの政治的所属を変更している。こうした人々のほとんどは、何十億ルピーも選挙に使い、票を買収できる政治家という意味で、「エレクタブル」と呼ばれる。イムラン・カーンの党であるパキスタン正義運動(PTI)には、恥ずかしげもなく、PML―NからPTIに乗換えた「エレクタブル」たちが流れ込んできた。彼らはいつも、選挙のたびに同様のことをしてきたのだ。
 PML―Nが有望な候補者に公認を与えると、「知られざる者」から、公認された候補者に電話がかかってきた。そして、選挙直前の土壇場に公認を返上し、無所属で選挙を闘うように要求された。拒否した候補者は、事務所や自宅で肉体的に痛めつけられた。脅迫と威嚇によって、PML―Nに公認された約四〇人の候補者が公認を返上し、無所属で闘うことを明らかにした。
 選挙運動期間中、何人かのPML―N公認の候補者が逮捕され、終身公民権剥奪のうえ、汚職を口実として刑務所に送られた。これらすべてのやり口は、軍と司法当局が何としてもイムラン・カーンに総選挙で勝利させたいと考えているという印象を与えた。イムラン・カーンはすでに若者たちの間で、われわれは変化と汚職のない政府を必要としているという神話を作り出していた。イムラン・カーンは腐敗していない、彼は圧倒的多数を獲得するために「エレクタブル」を必要としているという高揚感が、パキスタンの多くの若者たちの間で広まった。
 禁止されていた二つの宗教的心酔者グループが、選挙管理委員会によって選挙を闘うことを認められた。その戦略は、もし極右が選挙を闘えば、PML―Nの票を減らせるだろうというものだった。PML―Nは、過去においてこれらの宗教グループから支持されていたからである。宗教グループの一つ、テヘリーク・ラバイクは、パキスタン全土で候補者を公認したという意味では、PTIやPML―Nに次ぐ三番目の党になった。

開票作業介入も
前例のない事態


 三〇万人以上の兵士が全投票所に配置された。司法当局が、警備を完全にするためとして選挙管理委員会の「要請」に応じて、兵士を配置させたのである。宗教的テロリストが選挙運動中に選挙集会に自爆攻撃をかけて、候補者を含む何百人もが殺害されたことにも助けられてのことであった。一つの不幸な事件では、バルチスタン州のマスタング地区で、候補者を含む一五〇人以上が殺された。
 パキスタン人権委員会(HRCP)を含むパキスタンの人権擁護グループの多くは、記者会見を通じてこの選挙前の甚だしい不正を批判し、特定の政党を支持するための異常な手段と呼んだ。
 選挙当日、投票は順調に進み、兵士はいたるところに配置されていた。しかし、不正操作は午後一〇時を過ぎてから始まった。開票が始まって四時間後だった。突然、票差が一〇〇〇票から五〇〇〇票の選挙区の開票結果のほとんどが停止させられた。それから、ほとんどの開票が報道管制され、早朝になって、夜の時点では勝っていた候補者が敗北し、PTI候補者がどこでも勝利するということが起こった。
 最終結果は七二時間以上遅れたが、こんなことはかつてなかった。
 結果として、PTIが一一六議席、PML―Nが六三議席、PPP(パキスタン人民党)が四三議席を国会で占めることとなった。若き指導者ビラウェル・ブット率いるPPPは前回選挙での二八議席という壊滅的結果から持ち直した。PPPは、シンド州議会で、現有議席を上回る議席を得て、州議会を支配した。しかし、カイベール・プクトン・クーワによれば、PTIが「地滑り」的な議席増を果たした。パンジャブ州では、PML―Nが大きな議席減の中でも多数を占めたが、PTIは、当選した「無所属」議員の助けを得て、パンジャブ州政府を自分たちが握ると断言している。

左翼勢力に
新たな希望


 選挙を闘った二つの宗教的心酔者グループは、国会での議席を得ることはできなかったが、その一つ、テヘリーク・ラバイクはシンド州議会に二議席を獲得した。彼らはうまくやった。ほとんど全ての選挙区で、一%から一〇%の票を獲得し、二〇%を超える票を得たところもあった。これはまさに警戒すべき状況である。
 左翼は、国会選挙と州議会選挙で、五〇議席近くをめぐって闘った。しかし、左翼民主戦線に加わっている「闘争」グループのアリ・ワジールが、FATA(連邦直轄部族地域)と呼ばれる、かつては連邦が直接支配していた地域で、一議席を獲得しただけだった。しかしながら、アリ・ワジールが一万六〇〇〇票を得て比較多数で当選したことは、パキスタンの左翼勢力に新たな希望をもたらした。彼は、パシュトゥーン・タハファズ運動(PTM)の指導者で、PTMは今年に入って、いわゆる「対テロ戦争」の犠牲者への補償を求めて、パキスタン各地でデモ行進を組織していた。
 私自身の選挙区であるトバ・テク・シンでは、二〇一三年には私がパンジャブ州議会選挙を闘ったが、今回はAWP(アワミ労働者党)の候補者モハメド・ズバイールが四、五八六票を得て、宗教的心酔者の政党およびPPPに次ぐ第三位につけた。私は、健康上の理由で、候補者としては選挙に参加しなかったが、選挙区での二回の大衆的デモ行進でわれわれの候補者のキャンペーンを行った。

不安定化進むが
興味深い時代へ


 PTIを除くほとんど全ての政党は、この総選挙をもっとも不正にまみれたものと断言した。これらの政党は選挙結果を認めていない。PTIは、二〇一三年の選挙期間における不正に対して三年間にわたって運動を展開したのだが、今回の選挙についてはパキスタン史上もっとも自由で公正な選挙だと断言した。そう言っているのはPTIだけなのだが。
 新政府は形成過程にあるが、はっきりしているのは、イムラン・カーンが新たな首相になることである。この新政府は弱体なものになるだろう。そして、深刻な経済危機に直面せざるをえないだろう。PTIから指名された財務大臣は、すでにIMFに新たな債務を要請することを示唆している。PTIがキャンペーンしていた中心的問題の一つは、PML―Nが政権に就いていた五年間で中国から借りた巨額の対外債務についてだった。いまや彼らは、政権に就く前でさえ、IMFの方に方向転換しなければならないということに、何の恥も感じていない。
 政府は、最初の時期には、税収の基礎を改善しようとするだろう。そして、税金を支払うという習慣のない強力な業界ロビーとの対立に直面するだろう。イムラン・カーンは、インドとの友好関係を持つことを示唆していた。これは実現されないだろう。軍の将軍たちの公然たる支援のもとではパキスタン・インド関係を改善することなど問題外だからである。
 宗教的原理主義は来たるべき時期に成長するだろう。イムラン・カーンがすでにタリバンとの交渉を公約し、常に宗教的心酔者に対して柔軟な姿勢をとってきたからである。彼は、二〇一三年から二〇一八年にかけてカイバル・パルトゥンクワ州政府(訳注:ペシャワールが州都で、かつては「北西辺境州」と呼ばれていた)を掌握していた間、タリバンと連携しているいくつかの有名なマダラサ(訳注:イスラム教学校)を、州の補助金を使って支援していた。
 野党が選挙結果に反対する扇動をおこない、選挙のやり直しを求めたとしても、うまくいかないだろう。興味深い時代がやってくる。


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