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    かけはし2018年9月3日号

明治維新の正体を暴く


8.8

戦争あかんロックアクション講演会

150年キャンペーンのウソ


 【大阪】戦争あかん!ロックアクションがエルおおさかで八月八日、安倍政権による明治一五〇年キャンペーンの欺瞞を暴く講演を開いたところ、会場は超満員になった。その講演は、講師・関良基さん(拓殖大学教授)の「明治維新の正体」と題するもの。

幕末に存在した
4つの政体構想
関さんの主張は、幕末にあった四つの政体構想(@諸侯議会制A議会制民主主義B大君専制C祭政一致体制)の中で最悪の選択がされたのが明治維新であった、その意味で反革命であったという。その選択が上記のCなのである。
ちなみに、@は徳川慶喜が諸侯の一人の地位に降りて、全大名の中から議員を選ぶ諸侯合議制。Bは西周の案。Aは赤松小三郎案である。A案は、薩摩・土佐両藩が合意した薩土盟約(慶応三年六月)と基本的な内容は同じで、これは慶喜政権にも伝えられ、福井藩や尾張藩、広島藩などにも理解されていた、実現性の高いものだった。当時土佐藩は、大政奉還を実現し、議会政治を導入しようと考え、薩摩に働きかけていたし、薩摩藩内の多数は武力倒幕には反対だった。

画期的な内容の
赤松小三郎案
赤松小三郎は信州上田藩士。勝海舟の長崎海軍伝習所で学び、オランダ語に通じた兵法学者で、京都で砲術などを教えており、薩摩藩から招請され、薩摩でも学校をつくり砲術・兵法を教えた。その門下から、東郷平八郎や上村彦之丞、野津道貫など後の軍エリートが育った。
赤松小三郎案(御改正口上書)の内容は、人類普遍の価値観に立脚した憲法、上下両院を設置、議員は門閥貴賤にかかわらず普通選挙で選ぶ、中選挙区制で投票、両院で国事を決議する、教育の権利と義務、法の下の平等、個人の尊重、職業選択の自由、等である。彼は、徳川政権と薩摩などとの内戦を回避し、平和的に新政権樹立を目指した。
幕末には、予想を超えて、立憲政体に対する意識は高かったと関さんは言う。福沢諭吉の「学問のすすめ」は一〇万部も売れたといわれ、「西洋事情」もかなりの層の人々が読んでいた。
啓蒙的な人物の一人に加藤弘之がいる。彼は、佐久間象山に砲術を学び、幕府のエリート育成学校である開成所の教授になった。『立憲政体略』(慶応四年)を著した。憲法という言葉や、今日使われている法律用語・行政用語の多くを確立した。加藤弘之はその後、民選議院設立建白書が出ると、時期尚早とこれを否定し、『国体新論』を著し、国家神道擁護に回る。
そのほか、自由民権運動の中でつくられた五日市憲法草案、植木枝盛の「日本国国憲案」などがある。人権条項では現行憲法と遜色なく、男子普通選挙権(五日市憲法)・男女普通選挙権(植木枝盛)をあげながらも、天皇大権(五日市憲法)や行政権は天皇に帰属、法案の天皇による拒否権・天皇の軍統帥権など天皇の権限を認めているのが特徴だ。
日本で実際に建白された憲法構想としては、上記@〜Cの他に、山本覚馬の「管見」などもあるが、世に有名な坂本竜馬の「船中八策」はこれらには含まれない。これは実在しないというのが大方の見解だ。

権力を掌握した
反動的長州閥
薩摩が突然、長州の武力倒幕方針支持に態度を変更したため、赤松小三郎案の実現が不可能になった。薩摩の突然の方針変更の裏には、英国(アーネスト・サトウ)から西郷髏キへの介入があったのだという。英国は当時グラバーを通して、武器を売っていた。彼らは武力討幕運動の方に自分たちの利害を見出していたということだ。情勢が急変し、赤松小三郎は薩摩藩士の中村半次郎に暗殺された。中村半次郎は、赤松小三郎の門下生だった。暗殺の黒幕は、おそらく西郷髏キと大久保利通であろう。
そこで、明治維新の大変革(反革命)で権力をとったのは長州閥だ。彼らは、吉田松陰の門下生、松陰は佐久間象山の弟子だった。吉田松陰が幽閉されている時の『幽囚録』では、米国・ロシアと条約を結んだ以上は仕方がないが、それによって損をしたら中国・朝鮮・満州・台湾・ルソンを侵略して損失を補おう、と述べている。
この排外主義的な著作を松陰は師匠の象山に送った。それを見た象山は、それが若者に与える悪影響を心配したが、結果は心配したとおりになっていく。象山は長州の品川弥二郎により京都三条で暗殺された。松陰派の藩士にはテロリストが多い。一八六三年英国公使館の焼き討ちは高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、品田弥二郎らによって行われている。幕末の主な攘夷派によるテロ事件は、初めは水戸藩士、薩摩藩士、そして長州藩士へと広がっていく。

 

下関戦争と覇権
国家への従属
一八六三年長州過激派による外国船無差別砲撃、その報復としての一八六四年の英国・フランス・オランダ・米国連合艦隊による下関への砲撃で、長州は壊滅的な損害を受ける。
幕府が結んだ日米修好通商条約が不平等条約だと言って長州は批判していたが、この下関戦争の結果、賠償金支払い延期の代償として、日米修好通商条約の関税率がそれまでの二〇%から五%に引き下げられた。アヘン戦争の結果清が南京条約で関税率五%まで引き下げられたと同じ扱いになったのだ。しかし、長州はその責任を徳川政権に転嫁した。
長州が批判していた条約は、下関戦争の結果、文字通りの不平等条約になった。この一連の惨敗で、長州は攘夷から開国に転換する。これ以後、長州は「夷敵」英国に接近し、政権奪取(武力倒幕)に向かっていく。これ以降、外では覇権国に従属しつつ、内では専制主義・官尊民卑の長州レジームが誕生していく。安倍晋三が受け継いでいる体制だ。

西郷の組織した
無差別テロ戦術
幕末から形成されてきた長州史観では――無能な幕府(正しくは公儀・徳川政権)が朝廷の意向を無視し、米国のいいなりに不平等条約を締結。物価高騰、在来産業が潰れ、社会不安が起きる。憂国の情に駆られた「志士」たちが尊皇攘夷運動を展開。彼らの「志」が日本の独立を守った――と言われてきた。これはウソであり、明治政府に都合良くつくられた歴史だ。
事実は真逆で、有能な公儀の官僚たちが国際的に妥当な水準の通商条約を結び、貿易も順調に発展していた。外国に偏見を持たず、外国の技術を学び、積極的に交流をもち、世界に通用する蚕種・生糸を開発し、貿易を試みた市井の人びとの力が大きく寄与したといえる。江戸時代は、朝廷(=禁裏)は外交に口を出す権利はなかった。外交権は、徳川政権(=公儀)にあった。尊攘派は、公卿を扇動し、徳川政権のやり方を違勅といい、国内政治を紛糾させた。尊攘派の工作は、逆に日本を危機に追い込んだのだ。
長州のテロについて述べたので、西郷髏キのことに言及する。
明治維新は王政復古だが、大政奉還のあと朝廷によって、王政復古の号令が発せられたことがある。しかし、朝廷や攘夷派では国の運営が全く出来ないとわかったので、その号令は挫折した。
その後西郷たちは、伊牟田尚平や相楽総三に指示してならず者を組織し、徳川政権を挑発するため、江戸の薩摩下屋敷から江戸の町にくり出して、強盗・辻斬り・放火等、無差別テロを行った。それは江戸の周辺にも拡大したらしい。江戸市中の治安管理を担当していた庄内藩はたまりかねて薩摩藩邸を砲撃する。これを聞いた西郷は、上方にいて喜んだという。このことが薩長が徳川政権に対し武力攻撃、つまり戊辰戦争に転じるきっかけになった。
その後、このならず者たちは江戸総攻撃の尖兵(相楽総三に率いられた集団は赤報隊といった)を担うが、途中で処刑される。実際に語られてきた歴史では、このような裏話は隠されてきた。明らかになれば、「せごどん」のイメージは大きく変わるに違いない。

歴史発展モデル
の見直しが必要
講演のはじめに、右と左のどちらの立場の人が言っているか、という質問があった。第一の例は、歴史学者の井上清の主張。第二は、保守右派の人。第三が安倍晋三の言葉だ。どちらかに挙手をしたが、参加者の中のかなりの人が間違った答えをした。
長州右派の人は、皇国史観・王政復古史観だが、列強による侵略の脅威を過大に評価することによって、尊皇攘夷という排外主義運動も「日本の独立を維持し、近代化の原動力になった」として肯定的に評価する。専制体制の確立も、「立憲政治の確立」と評価する。
一方、講座派マルクス主義史観(長州左派)の人は、「外圧」を強調し、明治の絶対主義体制の確立も、民族独立のための「必至の国家的課題」であったと肯定的に評価。しかし、自由民権運動が敗北したことで、専制主義と帝国主義に圧倒されてしまったと見る。
関さんは、左右に共通する明治維新の「美化」があるという。宮本顕治(長州出身)の尊敬する人物は吉田松陰で、安倍晋三のそれも同じである。安倍晋三が礼賛する明治時代とは、復古宗教の国家神道・大日本帝国憲法・教育勅語・軍人勅諭の明治なのだ。
私的な感想を最後に一言。今まで語られてきた明治維新は、保守的な人にとってはともかく、左やリベラルに身を置く人にとっては、人類がたどる一つの歴史的な発展段階(封建制から資本制への)と思われてきた。その正しそうなモデルに日本の歴史を当てはめ、その枠内で分析された結果の明治維新であった。一方明治維新をつくってきた支配者たちは、自分たちの神話を作る上で都合の悪い出来事はすべてなかったことにした。不都合な人物は、立派な人であっても抹殺した。そのようにしてつくられた神話を、多くの人は疑問を持たずに受け容れてきたのではないだろうか。明治一五〇年という機会にもう一度、原点となった明治維新を見直すことが必要ではないか、と思う。(T・T)

投書

拉致問題の解決と植民地支配
の清算をセットで

S・M

 日本の植民地支配による被害にくらべれば拉致問題など大した問題ではない。そう言われたら拉致問題の被害者の人たちはどう感じるだろうか。一方、拉致問題は現在の問題だが日本の植民地支配の清算など過去の問題に過ぎない。終わった問題だ。そう言われたら日本の植民地支配による被害者の人たちはどう感じるだろうか。私たちはどうしたらいいのか。どういう立場に立つべきか。
 私たちは「日本の植民地支配の真の清算を」という声も「拉致問題の真の解決を」という声も両方聞かなければならないのではないか。拉致問題は、日本の植民地支配の清算とセットで行うことによってこそ解決出来るのではないか。さらに言えば、「植民地支配の真の清算」は、日米安保の破棄とセットで行われるべきかも知れない。
 私たちは被害者が納得していないのに「問題は解決済みだ」などと言って犯罪に加担するようなことはどちらの犯罪に対しても行ってはならない。私はそう考える。
  (2018年8月17日)

 

コラム

水道民営化に反対する

 水道法改正案、いわゆる「水道民営化法案」は七月五日ほとんど議論されないまま衆議院で強行採決された。かろうじて参議院で継続審議になったが自公政府は成立させる腹を固めている。
 成立すれば、水道事業の広域化の促進、管理運営権を民間企業に売却することが可能となる。つまり浄水場の維持管理、水質検査、料金徴収等が民間企業に任せられることになる。
 つねづね日本政府は、日本の水道は世界でもトップクラスの水質で料金も安いことを誇っていた。ということは民営化によって品質が向上しより安価になることはなく、逆に品質が悪化し料金が高くなるのは不可避であると言わなければならない。
 日本の水道管の老朽化が急ピッチで進んでいる。総延長約六五万四〇〇〇キロ、普及率九七・七%。ほとんどが一九七〇代の高度成長期に普及したもので更新時期をむかえている。一〇%以上が法定耐用年数四〇年を超えているのだ。今後雪ダルマ的に増加するのは必至だ。
 他方、二〇一三年度に更新された水道管は約五二〇〇キロで、全体の〇・七九%に過ぎない。このペースでは一三〇年もかかることになる。まさにモグラ叩きを永遠にやり続けなければならないようなものだ。全国でワーストクラスの大阪市ではこの老朽化は四〇%以上に達している。全国各地で水漏れ、水道管の破裂、断水などのトラブルが年間で一〇〇〇件を超えていると報じられている。
 耐震化についても 二〇
一四年度で、基幹水道管約三六%、浄水施設二七・四%、配水池四九・七%と達成率は非常に遅い。
 この現状は個別の自治体単位での対応は不可能であることを示している。一部の大都市を除けば、人口減ー収入減ー料金値上げという負のサイクルに追い込まれているのである。しかも、老朽化した水道管の更新のための費用、耐震化の推進のための費用はどれ程になるのか、どれくらいの期間が必要なのかは未だ十分に明らかになっていない。まさに人間の生命に関わる国家的一大事業として構えて対応しなければやり切れないものなのだ。
 逆に、自公政府が議論抜きで成立を急ぐ水道民営化の背景には水メジャーという怪物の蠢きがあるのではないかと囁かれつつある。
 日本政府の動きとは逆に世界は再公営化に向かっている。民営化の結果があまりにも酷いからだ。イギリスでは水道料金のたび重なる値上げにもかかわらず水質検査で八五%が不合格や品質低下 になった。アメリカのアトランタ市は水道管から泥水が出てきた。フランスのパリは一九八五ー二〇〇九まで民営化されていたが水道料金が二六五%も値上がりした。フィリピンでは二〇〇三年に水道水から大腸菌が検出されコレラが大流行した。オーストラリアのシドニー市では配水池から寄生虫が発見された。等々数えればきりがない。
 国際公務労連の調査によれば水道の再公営化の動きは二〇〇三年にはわずか三件であったものが二〇一四年には三五カ国一八〇の自治体にふくれあがっている。内訳も高所得国一三六、低所得国四四と報告されている。
 人間の体は約六〇%が水分量(体液)である。胎児は九〇%、子供は七〇〜八〇%、大人は六〇%、高齢者は五〇%だ。これが汚染されたらどうなるか。どんな病が引き起こされるか想像だに出来ない。単に飲み水にとどまらず、私たちが日々口にする生鮮食品の汚染や品質低下にも直結しているのだ。
 こんなことを企んでいる自公政府はそれでも消費税を増税するというのか。 いずれ日本の富裕層は国産品を飲まない、食べない、使わない日が来るのかも知れない。(灘)

 



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