もどる

    かけはし2018年10月1日号

労働者内部での左翼沈下が深刻


スウェーデン

欧州の傾向なぞる議会選結果

クジェル・エストベルグ

社会民主主義
の弱体化歴然


九月九日のスウェーデン議会選結果は、欧州の傾向の全体的傾向を確認するものだった。すなわち、右翼ポピュリズムの高まりと社会民主主義の弱体化だ。進歩的な社会民主主義的福祉国家の故国としてのスウェーデンという伝統的な構図は、現在までの数十年で衰えてしまっている。
少なくとも一九九〇年代におけるスウェーデン経済の深い危機以来、社会民主党は、規制緩和と公共部門の私有化を含む新自由主義的政策の全体的概要を受け容れてきた。同時に、かつてはまさに印象的だった党の組織は、ひどく弱体化している。実際に党は、この二〇年の中で党員の三分の二を失い、密接に連携してきた現業の労組連合であるLOも、この一〇年を通じて二五%を失った。先立つ八五年の中で政権から離れたのは九年でしかなかったこの党は、二〇〇六年に右翼政権に権力を渡した。
続く八年の中で、この政権は私有化強化と減税を通して、公共部門を掘り崩す点でペースを上げた。二〇一四年に社会民主派が権力に戻った時、彼らは極度に弱められた立場で同じことを行った。
長い間およそ四五%の得票率を得ることが普通だったこの党は、三一%に達することしかできなかったのだ。閣内にいる仲間の党である緑の党と合わせても、さらに左翼党からの議会での支持によっても、この政権は依然少数政権でしかなかった。そしてその政権には、前政権の政策を原理的に変える大志も力もまったくなかった。

スウェーデン
民主党とは?


二〇一四年議会選のもっとも目立った結果は、右翼ポピュリストのスウェーデン民主党の台頭だった。彼らはその得票を倍増させ、得票率を一三%にまで伸ばした。そしてそれが意味したことは、伝統的政治ブロックのどれもが多数派を作ることができなくなった、ということだ。
デンマークやノルウェーの彼らと対をなす諸党とは異なり、スウェーデン民主党はあからさまなレイシスト諸組織と親ナチ組織の中に根をもっている。一九九〇年代後半以来、若い指導者たちの新しい世代は、スウェーデン南部のいくつかの地方拠点から始めて、一つの機能的な党組織を上首尾に作り上げることができた。
外国人排撃と反移民がこの党の主なイデオロギー的政綱となり、支持者を勝ち取ることを可能とする上でそれが主要な理由となってきた。それがその議会における影響力を高めてきたことに応じて、この党は、もっとも熱烈な代表者の何人かを排除しつつ、よりあからさまなレイシズム的言葉遣いを抑制する努力を払うことになった。この党はまた近頃では、ポーランドやハンガリーの似たような潮流に接近しつつ、党の姿として民族主義的保守主義を強調しようとも試みてきた。彼らの経済政策と福祉政策は保守党のそれに近い。

移民殺到の波が
政治状況を一変


議会内の伝統的諸政党間には長い間、スウェーデン民主党を孤立させ、彼らとの交渉を控えようとの事実上の合意があった。右翼諸政党が二〇一四年に赤緑連合を容認した理由こそこれだった。しかし二一〇一四年と二〇一五年の巨大な難民の波――各々、八万人と一六万人がスウェーデンにやって来た――が、ほとんど一夜にしてこの政治状況を変えた。
二〇一五年まで、スウェーデン人は「心を開く」(元保守党指導者のフレデリク・ラインフェルトの言葉)用意ができている、との幅広い総意があった。始めのうちは、スウェーデン民主党だけが大量移民を批判した。しかしこの党が成長を始め、難民受け容れ組織の欠陥が諸々明らかになった時、社会民主党を含むほとんどの指導的政党が、スウェーデンの移民政策をすぐさま停止し、EUの最低基準にまでそれを合わせることで合意した。
この変化は公式の政策改訂だけにはとどまらなかった。そこには、反移民感情の高まり、反移民扇動が平行し、移民に関係する犯罪と主張されるものに直接向けられたより厳しい立法に対する要求が、政権内の社会民主党員を含む伝統的諸政党からも現れた。

国際的傾向に
連なる結果に


明白なことだが、この変化に導いた一つの理由は、社会民主党と保守党の双方がスウェーデン民主党に感じていた脅威だった。他の諸国の経験から予測可能だったように、この戦術的変更は機能しなかった。スウェーデン民主党は特にこれらの二党を犠牲にして成長を続けた。
今回の選挙結果はこの結論を確証するものだ。社会民主党は得票率二八%にまで低落し、これは一九二一年の参政権獲得にまで遡る期間で最低の結果だ。保守党はさらにもっと多く、三・五%も失った。そしてスウェーデン民主党はほぼ五%伸ばし、一七・五%にまで達した。欧州全体を見渡した場合、この結果は呆然とさせるものではない。スウェーデンは国際的傾向に連なりつつあるのだ。

政府の政策的
後退の可能性


しかしながらスウェーデンの範囲では、これはある種新しい情勢であり、いくつかの点でこの結果は深刻な後退だ。ここでは二つの点を述べなければならない。
第一は、政府の日々の政策に及ぼすスウェーデン民主党の実質的影響力という脅威だ。現時点では伝統的政治ブロック間にいわば袋小路がある。つまり、次の首相が誰になるかがスウェーデン民主党によって決定される可能性があるのだ。
伝統的諸政党と外国人排撃の右翼ポピュリスト諸政党の間にこれまで存在してきた分割線はもはやない。明白だが保守党は、右翼政権形成を可能とするために、スウェーデン民主党との間で公式、非公式の交渉に入る用意ができている。デンマークの経験は、その結末がそうした諸政党にどれほど悲惨な課題設定を許すことになり得るか、を示している。

労働者階級内
の左翼の後退


もう一つの後退は左翼と労働者階級に関連している。左翼党――元共産党――が実質的な成果を上げた――五・七%から七・九%へと――こと、そして中でも若者たちの間で印象に残る選挙キャンペーンを行うことができたこと、これは本当だ。しかしながら、約三五%にすぎないという今日ほどまで左翼が弱かったことは、これまで一度もないのだ。
そして労働者階級の多数はもはや左翼に投票してはいない。三〇年前には、労働者階級の八〇%が社会民主党に票を投じた(そしてさらに一〇%は共産党に)。二〇一四年でも、LO組合員の五〇%は社会民主党に投票した。しかし今回は、彼らに票を投じたのは三七%にすぎなかったのだ(それとは別に一〇%が左翼党に)。
明らかなことだが、労働者階級内部の社会民主党の足場を彼らが失った主な理由は、常に彼らの強みだったもの、つまり平等と連帯の上に築かれた福祉国家の防衛、ここから彼らが引き下がった、ということだ。彼らがそこから教訓を学んだ、ということを示すものは何もない。党指導部の主な目標は、ブルジョア諸政党との連合形成に挑むことによって現状を打開することだ。しかしそれは、福祉国家のさらなる弱体化、そして労働者階級の諸権利に対するもっと多くの攻撃を意味すると思われる。

▼筆者はスウェーデン支部で長い活動歴(一九六八年からの)をもつメンバー。現在はセデルテルンス大学(ストックホルム)の歴史学教授。(「インターナショナルビューポイント」二〇一八年九月号)

スペイン

EU諸機構との国際主義的決裂起点に

EUの社会主義的変革へ

アレックス・メルロ

 

 世論調査は、スペイン市民はEUおよびEU側からの国民的論争へのより大きな介入にもっとも好意的な部類に入る、と示している。この状況に対する理由は歴史的なものだ。つまりわれわれの国では、欧州統合が独裁の終焉および民主的正常化と同一視されているのだ。しかしながら経済危機、およびEUがブリュッセルとフランクフルトから管理されてきたというやり方が、EUに関する受け取りの一定の変化に導くことになった。

EUに対し
高まる不満


 転換点は二〇一〇年に遡る。その時サパテロ政権は、ブリュッセルから指令を受けた諸方策を適用し、その夏の半ばに債務返済を優先するよう憲法を修正した。それに続いた幻滅感促進は、伝統的諸政党の相当な低落における出発点だった。何百万ユーロにものぼる公的資金の金融システムへの移転という、その後間もなく組織された財政による銀行救出は、EUは実際にはエリートによりそして彼らのためだけに設計された構想だった、という事実への気づきを高めた。
 その上に、難民申請者の到着に対するレイシズム的管理も、EUは連帯と多くがそうであると信じてきた開かれた国境の場ではなかった、ということをあからさまにした。幸運なことに、われわれはスペイン国内に、大衆レベルでレイシズムの主張を公然と発展させる可能性をもつ極右政党を抱えてはいない。多数は難民歓迎に好意的であり、多くの町も自らを難民の町と言明してきた。しかしながら、難民申請者歓迎は、この間続いてきた諸政権とEUの行動のために、大きく制約されてきた。
 これらすべての要素は、人びとがEUに代わる実行可能なオルタナティブをまったく知ることができない、という事実によってこの不満が限界づけられているとしても、EU支持における熱気の低落に導いた。

ギリシャの
前例の教訓


 シリザ政権に対しユーログループとECB(欧州中央銀行)により二〇一四年にかけられた残忍な圧力もまた、EU内の民主主義が極めて狭い余地まで限定されている、というその程度を示すことになった。しかしシリザの屈服は、スペイン国家内の変革諸勢力の任務を難しくした。
 ポデモスは定期的に以下の議論にぶつかった。つまり、君たちの綱領は非常に魅力的だ、しかしそれはEU内では適用不可能なものだ、と。われわれの回答は、われわれの戦略がシリザのそれとははっきり区別される、と説明することだ。
 つまり第一に、どのような交渉を始める前であっても、EUへの不服従という一方的な方策を取ることが不可欠だ。そしてEU諸機構とのどのような交渉であれそれを考えることができるのは、資本の民主的な統制と対外債務返済凍結を基礎にする場合だけだ。さらにわれわれは、EU諸機構とその政策との決裂は、一国的展望の中で描くことはできず、国際主義的で階級を基盤とする展望の中でのみ可能になる、と分かっている。
 われわれの目標は、EUとの関係でわれわれの独立を獲得することではなく、現在のEUに終止符を打ち、それを連帯を基礎とした欧州の民衆的連合で置き換えることだ。われわれの目標は、ECBとユーログループとの関係で中立であってはならず、これらの新自由主義的機構の解体、および民主的で社会主義的な他の機関によるそれらの置き換えでなければならない。そこに行き着くためには、新自由主義的機関と決裂する運動と民衆の連合を建設することによって、戦闘を欧州レベルで起きる変革に向けて導くことが必要だ。

▼筆者はスペインのアンティカピタリスタス(第四インターナショナルの支部)メンバー。(「インターナショナルビューポイント」二〇一八年八月号)




もどる

Back